第180話 忠臣と能臣と良臣と

 そういう聞き方をしたなら、どんな王であれ答えは一つでしかないだろう。

「そりゃあ・・・賢帝になりたいに決まっている」

 誰だって自分が馬鹿で役に立たない人間にはなりたくないだろう。もちろんなりたいからと言って、なれるかどうかということは別問題だろうけれども。

「王は官吏の補佐を受け、政治を行います。まぁ全てを自分で決めないと気がすまない独裁的なというか、神経質な王もまれにいますが、それは例外と言ってよい。全てのことを他人がやるより自分がやったほうがいい、自分は全て人より優れているのだからという、自意識過剰で大人になりきれない人物くらいなものです。陛下もそうであるように、歴代の王のほとんどの政策は官吏が考え、国家を動かすのも官吏です。もちろんどの政策を採るかといった決定は王が行いますが」

 ラヴィーニアの解説にセルウィリアが割って入る。

「それはどうでしょう。例えばサキノーフ様は官僚組織を作り上げましたが、全てのことをご自身で決められ、官僚はその指示で動きました。武帝もそういうお方だったと聞きます。傍目はためには独裁的にも映りますが、やはり賢帝というのはご自身で決められ、側近や部下の意見に簡単に左右されない方のことではないでしょうか?」

 もっともそのおかげでサキノーフが急死した時に、残された幼王と家臣たちはどうやって国を運営するべきか分からず、国は大混乱に見舞われたわけだが。

「もちろん高祖神帝も武帝も優れたお方です。ですが同じように独裁的な政治を取った方でも、幽帝や昏帝といった悪名高い帝もおられます。それに、反対に政治のほとんどを臣下に任せておられた方でも、恵帝、順帝といった優れた治世を残された方もおります」

「それに関してはおちびちゃんの言う通りだね」

 アエネアスのその言葉に有斗も大いに頷いた。たしかに独裁でも評価の高い皇帝と悪い皇帝がいる。

 そして独裁的でない皇帝にも両者がいることも、歴史に疎い有斗でもなんとなく分かる。

「ここで帝の政治手法に関わらず賢帝と愚帝がいるということがこうして確認できたと思います」

「では官吏の質の悪さが原因かしら? 後世に残るほど名声を持つ帝は、やはり後世に知られるほどの名臣が何人もいます。ひるがえると愚帝の下には最後まで忠義を尽くす忠臣はいれど名臣はいません」

 そうか、とアエネアスがセルウィリアの言葉に納得したかのように声を上げる。

「たしかに今の朝廷は関西と関東とを合一した寄木細工みたいなものだものね。関東は長年、王不在でやってきただけあって、縁故採用や身内人事、金権政治が横行し官吏の質は悪いってアリアボネはよく言ってたよ。関西だってこの───」

 と言ってアエネアスは顎でセルウィリアを指し示す。

「お姫様が政治を放り出していたおかげで、あまり官吏の質が良いとはいいきれない。つまり官吏の賢愚を判断しろ、無能なものは首を切れ。おちびちゃんが言いたいのはそう言うこと?」

「官吏の中から腐敗した人間を取り除くこと、それが賢帝の条件と言うことか・・・」

 アリアボネが初めて会った時に言ってたっけ、皆が王として有斗に望んでいたことは悪を罰し、善を賞することだけだった、と。確かに腐敗した官吏を取り除いていけば、官吏の中にも緊張感が生まれ、汚職や賄賂なども無くなり、良い政治が行われることであろう。

「いいえ。官僚という集団としての賢さにはさほど差があるわけが無いのです。だのに世の中には賢帝と評される王と愚帝と揶揄やゆされる王がいる」

「そうかなぁ・・・アリアボネなんかは段違いに賢いと思うけどなぁ・・・」

 有斗は大きく首をかしげた。

 だってそうじゃないか。アリアボネが補佐するんなら、大概の人間は賢帝になれるんじゃないだろうか。今の有斗がそうであるように。すくなくとも有斗程度の評価は直ぐに得られると思うんだけど。

「はっきり言っちゃうと、世の中の人間の賢愚などは時代によって大きく差があるわけではないのです」

 だがラヴィーニアはその意見に否定的なようだった。

「特に官僚になる人間はどの時代でも賢い人間が集まってくるものです。なぜなら官僚になれば威張れるし、給与、賄賂、職権・・・甘い蜜にだって存分にありつけますからね。皆少しでも頭が回るものなら官吏を目指す。その中から選りすぐられた者が官吏になるのですからね」

「たいそうな自慢だね」

 有斗にそう言われ、一瞬何のことか分からなかったラヴィーニアだが、すぐにその意味を理解する。

「そうか・・・これは自身を褒めていることにもなる・・・か」

 そう、ラヴィーニアはその選りすぐられた官吏の一人であるのだから。

「これは失礼しました、陛下」

 そうラヴィーニアが頭を下げると、有斗は思わず笑いそうになった。

 なんというか・・・ラヴィーニアには奇妙な諧謔かいぎゃく心がある。アリアボネに比べて少しひねくれたものを感じることがあるが、根は悪い人物ではないのかもしれない。

「すなわち私であろうとアリアボネであろうと、人一人としては卓抜した知能をもっているとしても」

「・・・自分が抜きん出て賢いということは認めるんだ・・・」

 そういうのは普通周りの人が言うことで、本人が言うべきことではないんじゃないのか・・・?

「ちゃかさないでいただきたい。大事な話の途中です」

「わかった、わかったよ」

「一人二人、時代に冠たる才を持っていたとしても朝廷という官吏の集団で見た場合、時代時代でそれほど差が存在するわけではないのです。だいたい忘れないで頂きたい。私もアリアボネも人です。神じゃない。すなわち間違えることだって大いにあります」

「でも・・・王だって人だよ。神じゃない」

「その通り! 王とてただの人に過ぎない」

 よくできましたとばかりに有斗に向かって大きくうなずいた。

「しかし、王は無誤謬むごびゅう性を顕示することで、他人から王と見られるものです」

「王は過ちを犯さない・・・ってやつだね」

「その通りです。ですから言い換えれば、過ちを犯すことが少なければ賢帝、多ければ愚帝ということになります」

「そうなるな」

 大体、愚帝として名があがっている帝は、現実の実情に合わない、次の帝になってすぐに廃止されるような法律を作っているとか、聞きざわりのいいことだけを口にする無能な佞臣ねいしんに権力を与えて民に害を為すのが定番のお約束だ。

「すなわち、王が賢帝になるには方法は一つ。持ち上がる問題に対して間違った解答をしないということになります」

「そうですね。それは何より大事なことです。一つの間違いが玉座を揺るがす大事になりかねませんからね」

 と、セルウィリアはさぞ、それくらいのことは王である者にとっては、基本中の基本ですとばかりに同意する。たぶん彼女が王女様である間はできてなかったと思うんだけど・・・

 有斗とアエネアスはその瞬間、セルウィリアに向かって同じ感情を共有した。もちろん二人ともそれを知らなかったが。

「その為には広く意見を求めることです。そしてそれらの中から熟考し、一番よい意見を採用する、それが賢帝」

「うん、一理あるね」

「対して暗愚な王の条件とは、すでに自身の中にある結果をもたらすであろう意見を近臣に言わせる形で、それを採用する。もしくは特定の臣下の言だけを疑うことなく信じ採用する」

 ここでラヴィーニアは有斗のほうに姿勢を正して向き直って一礼し、一呼吸置いてから言葉を続ける。

「陛下が今まで行ってきた政治は後者に過ぎません。アエティウス殿やアリアボネの意見を無条件に信じていませんでしたか?」

 きつい指摘に有斗は反駁はんばくする。それではアエティウスやアリアボネが間違っているとでもいうのか?

 そんなはずはない。彼らがいたからいままで戦で勝利し、ど素人だった有斗が曲がりなりにも政治をすることができたのだから。

「でも・・・! 彼らは 私心を殺して僕に仕えてくれた。自身を利する献言ではなく、天下のためになることばかり言ってくれた」

 そう、例えば目の前のラヴィーニアの助命といった有斗が嫌がることすら献言したのだ。

「確かにアエティウス殿もアリアボネも賢く、私心なく陛下に仕えていました。まさに稀代の忠臣と言えましょう。敬服いたします」

 有斗の感情をなだめるようにラヴィーニアは優雅に腰を折る。

「だが人間は自分が考えた意見が、他人の意見よりも正しいと思い込む愚かな生き物です」

「それは分かるけど・・・」

 でもアリアボネやアエティウスとかのレベルの人間が何度も考え直し、いろんなことを踏まえて考えた末に出した結論だ。間違いは少ないと思う。

「それは愚かな者に限ったことではありません。アリアボネやアエティウス殿であってもそうです。もちろん私であっても、ね。でも一人が考える意見は、所詮は単なる独善です。信念や理想に凝り固まるあまりに現実と乖離かいりし、良いと思ったことでも、実際にやってみると、思わぬ困難が官吏を手こずらせ、予期せぬ負担を民に与えることになりかねないのです。そう、新法のように、ね」

 有斗は少しむかついた。大事なことを話しているのはわかる。でもだからと言ってその説明に新法のことを使って説明することはないではないか。

 四師の乱のこと・・・セルノアのことは直接は彼女に責任が無くても、責任がまったくの皆無と言うわけでは無いだろうに。

 ラヴィーニアに対して怒りが湧いてくる。有斗は思わずラヴィーニアをにらみつけた。

「あのようなことを二度と陛下が起こさぬためにと思ったのです。このような物言い、陛下にはご不快であろうと存じておりますが、あえて申しました。お許しください」

 丁重な詫びるラヴィーニアに、ここで怒っても仕方が無いと、有斗は辛うじて怒りを腹の底に押し沈めた。

「・・・で?」

「関わるもの全ての異見を聞かずに利害関係を知りえますか? 出てくるであろう問題を未然に知ることが出来ますか? その対処をどこがどうやって解決するか調整できますか?」

 ・・・確かにそれはそうだ。有斗やプリクソスが新法施行で陥った欠陥でもある。

「すなわち陛下が愚帝から賢帝になりたいとお思いなら、あたしの意見だけを聞くのではなく、それに反対する者、それこそ利害関係がある省庁の者からであっても聞くべきです。今回の河北や関西への出兵の件にしろ、この第二次新法の件にせよ、です。誰それが勧めたから絶対にやる、誰それが反対したから突然中止する。それは王ではありません。単なる操り人形です。最終的にあたしの意見を選ぶにしても、広く大勢の人物から意見を聞き、熟慮した結果の末、選んでいただきたい。それでこそあたしも報われるっていうものです。あたしが言いたいのはそういったことです」

 ラヴィーニアの言い様にはカチンとくることも無いわけではないが、これは正論に思える。

「・・・わかった。朝議で意見を広く聞くことにする、これでいいかい?」

「御意」

「忠臣や能臣は得がたく、なお良臣は得がたい・・・ですね」

 セルウィリアが突然、有斗には脈絡不明な言葉を呟いた。

「・・・なにそれ?」

「若き景帝に父である恭帝が教えを垂れた訓話です」

 とセルウィリアは昔々の話です、と説明を始めた。


 恭帝の御世、常に王のやることに文句を言う口うるさい老臣がいた。

「あの男の傲慢さは鼻につきます。何故放置したままにしておくのですか? 王の権威が軽んじられるのではないですか?」

 そう言って恭帝に詰め寄ったのは息子の東宮とうぐう(皇太子)、後の景帝である。その者は東宮である景帝にも不遜な振る舞いをすることが多く、景帝は前々から苦々しく思っていた。

 その傲慢さは王の権威を踏みにじり、王権を危うくするのではないか、と。

「ならばそなたはどういう者こそが臣下に相応しいと思うのか?」

 と恭帝は景帝に逆に訊ね返す。

「いざとなれば王の為に自らの命を捧げる忠誠心の篤い者です」

 と当然のように答える景帝に恭帝はさとした。

「確かに王に絶対の忠誠を誓う忠臣というのが、王としては理想の臣下に見えるであろう。心を許せる者が側にいるだけで王は安心できるし、彼らは激務に疲れた王の心に癒しをもたらすだろう。だがその者は王の言うことを無理にでも実現しようとする。その結果、臣民に迷惑をかけ、彼らから王への忠誠を失わせる。結果として王の地位を危うくする、もっとも注意すべき臣下である」

「・・・ならば優れた能力を持つ能臣ならばどうでしょうか? そういった賢人に大臣の椅子を与えておけば、王がすべき多くのことを彼に代行してもらうことができます。王が毎日を豪奢な遊興に費やしていても、彼が国家の社稷を安んずることでしょう」

「彼らは王よりも自身が優れていると思うあまりに、王の意向を無視して政治を取ることになる。これもまた王の地位を危うくする類の人物である」

「ならば父上の宮廷に巣くう、あの強欲な妖怪どもが父上の望まれる臣下ですか?」

 と、景帝は父帝に過激な言葉を発した。

 そもそも景帝は潔癖症で、他の私欲を肥やしたり、派閥を作って権勢を拡大しようとばかり企んでいる臣下たちも気に入らなかったのだ。

 激昂する景帝に対しても、恭帝はあくまで静かに言葉を発する。

「確かに彼らにはそれぞれ欠点を持つということは否定しないが、だが同時にそれぞれに見れば能力に優れ見識のある者たちではないか。それが証拠に朝廷は日々滞りなく政務が行われている。私はそれで十分だ。私だって忠臣や能臣が欲しくないわけではない。だがそういった者達は望んで得られるものではないのだ。王というのは集まった欠陥だらけの臣下を相手に、なんとか上手くやっていくしかないのだ。それに私は忠臣も能臣も持ってはおらぬが、かわりに良臣を得ている。それで満足だ」

 良臣とは何かと不思議に思った景帝は父帝に訊ねた。

「良臣とはいったいどんな臣下のことですか?」

「忠臣は帝のことを考えて、帝を不快にするような言葉は決して言わない。また、能臣は自分に不利になることは決して帝に言わない。そうではなく時には逆鱗に触れ、自らの首が無くなる事も覚悟のうえで、帝に諫言かんげんをし、国家を誤った方向に向かわないようにする人物、自らの身のことよりも、自らが仕える帝のこと、自らが属する国のことを考える家臣のことだ」

 そんな者が宮廷にいたのか興味深く思った景帝は父帝にその者の名を訊ねました。

 恭帝はそれに笑って答えたという。

「先程そなたが非難していたあの老臣だよ」

 老臣はいずれ国王になる東宮のために、広い視野を持つ王になって欲しいと思って小言を言っていたのだ。

 景帝は深く恥じ入り、それ以降は人が変わったように老臣に教えを乞うたと云う。


 有斗はセルウィリアのその昔話を興味深く聞きいっていた。

 そして大きく溜息をつくと、ラヴィーニアに向き直った。

「君は忠臣ではなく能臣だと思っていたけど・・・違ったんだね。君は良臣だよ。でもできれば二度と前の新法の時のことや、四師の乱のことだけは言わないで欲しい。どんな理由があってもだ。ちっちゃな男だと思うかもしれないが、僕は君の口からはそのことだけはまだ聞きたくないんだ」

「・・・御意」

 そう言ってラヴィーニアはしばらく深く頭を下げ続けていた。

 いつのまにかラヴィーニアの姿は執務室から消えていた。

 その頃には有斗は目の前の書類を片付けるのに必死で、先程のセルウィリアの説話も、ラヴィーニアと口論したことも、いやラヴィーニアがここにいたこともすっかり忘れて、仕事に没頭していた。

 ラヴィーニアは後宮の廊下をまっすぐ進み、王の間が見えなくなるとようやくその顔を上げる、そして角を曲がるとその場にすとんと崩れ落ちた。

 何度も荒く息をし、心臓の鼓動を落ち着かせようとする。首筋に大きく汗をかいていた。

 顔を二、三回ぺちぺちと手の先で叩き景気づけて、ようやく立ち上がることができた。

 ラヴィーニアほどの傲慢な女であっても、やはり王に偉そうに上から目線で直言することは勇気がいることだった。

 なんと言っても、ラヴィーニアは只でさえ王に嫌われている。そして王には気に入らない人物を殺すだけの権力があるのだ。それに昔の有斗と違って今の有斗には、王としての威厳が少しずつ備わってきている。それがラヴィーニアに無言の圧力をかけていた。本人はまったく気付いていないようなのだが。

「忠臣や能臣や良臣は史書をひも解いてみて分かるとおり、数を数え上げることができるほど少ない。だが一つの王朝で見ると、彼らは夜毎よごと現れては消える星のよう、そう、何人も現れては消える。彼らを存分に働かすことが出来る賢帝こそがこの世で一番得がたいのですよ、陛下」

 ラヴィーニアはそう言うと、もう一度有斗がいるであろう執務室に向けてゆっくりと頭を下げた。

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