第179話 第二次新法

 王師が王都より出兵して一週間がたった。

 当たり前と言えば当たり前だが、まだ良い報告はない。両方面軍とも、まだ敵の影すら見てないだろう。

 常に共に出兵していたからか、意外と待ってるほうが落ち着かない。

 共に行軍していれば、味方の状況も常に分かるし、敵の動きも逐一報告が入る。それに目の前の戦に集中しなければならないこともあって、思い悩むことはまったく無かった。

 だが王都で報告を待っているだけと言うのは実に落ち着かない。仕事をしているときも、食事をしているときも、寝る前のほんの一時の自由な時間も、河北と関西の戦況がどうなっているのか気になって仕方が無かった。

 そろそろ敵と接触しただろうか? 敵の規模は? 野戦、それとも攻城戦? 諸侯や民の動向は? カヒはまだ動き出さないだろうか?

 有斗にとって平穏な時間はぐっすり眠って夢を見ている時だけだった。

「陛下、お時間よろしいでしょうか?」

 書類の決裁に追われていた有斗に、午後になってラヴィーニアが訪ねてきた。

「以前より御下命のあった新法についての再提案ですが・・・」

 アリアボネもラヴィーニアも、プリクソスの作った新法については散々こき下ろしていた。だがその精神、そして法律の骨子だけは否定する言葉を放たなかった。だから法律の不備を埋めた試案を考えておくよう命じていたのだ。

 だがそれはアリアボネが存命していた頃の話だ。ラヴィーニアには何も命じていないし、命じた当人である有斗はといえばすっかり忘れていた。

「できた?」

「私が知りうる限りの穴は塞いだつもりです」

 有斗の執務机に一冊の冊子が置かれる。

「ご苦労様」

 有斗はラヴィーニアが机の上に積み上げた冊子をさっそくめくって確認を始めた。

 もちろん楷書で書いてもらったので有斗にも読めるようになっている。手間が増えると、ラヴィーニアは随分抵抗したが。

 なるほど塩を運ぶ官と検査する官を別にして、横領を防ぐと同時に、前の新法では現地の塩政官が勝手に決めていた価格を朝廷が一元的に決めるようにすることで塩の価格を安定させようというんだな。

 刑部省に商人との癒着や私的な金の流れを監視させ、節部省には公的な金の流れを監視させる。不正対策もばっちりである。

 通常時に塩を流通させるその仕組みを利用して、非常時にはその官が王師に兵糧を輸送する役目を担ったり、緊急を要さない公的な書簡を配送させたりもするのという提案には有斗も感心するしかなかった。実に無駄がない。

 きちんと法律の文章となった公的な文面のほうは有斗にはさっぱりだったが、横に書いてある注釈から文章の大意はおおよそつかめる。

 満足げに頷く有斗にアエネアスが根本的なことを聞いてもいい、と訊ねた。

「陛下、四方に敵を抱えている今この時にやるべきことなのかな? だって本当に新法は必要なの? 陛下に対してこう言っちゃいけないかもしれないけど、現実における王朝という体制から評価されていないという不満を持った人たちが、自身を認めようとしない今の体制を否定するために作り上げた空想なんじゃない?」

 新法に関してアエネアスは実に遠慮がなかった。

 確かに結果としてはとんでもないことにはなっちゃったけど、プリクソスが作ろうとした理想が現世に顕現したもの、それが新法だ。有斗はそう強く思う。

 だから必要なことだと有斗は信じている。セルノアに対する感傷が皆無だとは言い切れないけれど。

 だけどそんな有斗にラヴィーニアも遠慮が無かった。

「そうだね。これが作られた理由、そしてこれが一定数の支持を集めた理由はそんなところだろうね。人間は自己肯定しないと生きていけない悲しい生き物だからな」

「だとしたらいくら欠陥を埋めたと言っても、新法なんか導入しないほうがいいんじゃないかな」

 いったい何のために施行するの、とアエネアスは呆れてみせた。

「・・・それに関東の旧臣や新法で酷い目にあった民の動揺を招くだけなのではないでしょうか?」

 それまで三人のやり取りを聞いていたセルウィリアも口を出してきた。

「下手をするとそれ以外の者たちからも、陛下が敗戦で動揺していると思われてしまう可能性があります。国が立て続けに新しいことをやるのは、王朝を立ち上げる時と王朝が終焉を迎えるときと決まっています。もし後者だと思われてしまったなら、王危うしと見た諸侯が敵に寝返ることも考えられます」

「なるほど」

 セルウィリアの新法否定も十分納得できる内容だ。

 だが今、この時期を選んで有斗の下に持ってきたからにはそれなりの理由があるのだろう、とラヴィーニアに目線を向け、その説明を促す。

「あたしは今この危急存亡の時だからこそ、新法を推し進めるべきだと思います。直接に利益の上がる塩の専売だけでなく、貧民に低利息で貸付を行うことや、新田の開発、流民への農地給付は、回り回って将来の朝廷に収益をもたらすことになると言えば、軍事費にあえぐ朝廷としては、表立って反対しにくいですからね」

「それは新法を朝廷で押し通す理由にはなるかもしれないけど、新法を今、施行しなければいけない理由にはなってないんじゃない?」

 アエネアスが問題にしているのは新法が存在しなければならない意味だ。法律を通す通さないといった政治的な判断ではない。

「あるよ。今も言ったじゃないか、河東への出兵に引き続いて今度の出兵だ。既に借金は今年の予算の三倍の金額に膨れ上がっている。朝廷は財布を逆さにふっても一銭も出やしないんだよ」

「まぁ・・・! いけませんわ! 至急無駄遣いを無くし、国庫を正常化しないと!」

 そんなことになるまで放置していたなんて、呆れた中書令ですわね、とセルウィリアがラヴィーニアの無能を責め立てる。

 そしたら王女様付きの女官などをまず真っ先に減らすことになるけど、納得してくれるのかなぁなどと有斗は思った。

「王女様にこんなことを言うのは不快かもしれないけれども言わせてもらうならね。今の莫大になった朝廷の借金の中には、関西の累積された借金もだいぶ入っているんですよ」

「おかしいですわ。関西は平和でしたので、軍事費が財政を圧迫したことはございません。国庫には毎年財貨が積みあがり、各地の義倉では米が腐るほど積みあがってるという報告すらあったものです」

 その関西を吸収したのだから赤字はありえないと言うわけだ。

「確かに関西から持ってきた書類では相当額の金銭や武器、義倉では米穀が備蓄されていると書いてあった」

「ほら、ごらんなさい」

 得意げにセルウィリアは勝ち誇った。

「だが現実には国庫にはほとんど金が無かった。各地の義倉も大半が空。そりゃあ関西降伏前後のどさくさで持ち出しを計った不埒者ふらちものもいるだろうが、それにしても帳簿上と現実との間には乖離かいりがありすぎる。あんたのところの公卿に聞いても知らぬ存ぜぬ、最後には乱を起こした連中が持ち出したのでは、ととぼける始末だよ。あの無くなりようは尋常じゃない。たぶん元から存在してなかったんだ。王に上げる上奏文のほかに、きっと裏の帳簿があり、長年、官吏全体で国を食い物にしていたとしか思えないね」

 いつか必ず横領の尻尾をつかんでやるとラヴィーニアは憎憎しげに呟いた。

「まぁ・・・!」

 セルウィリアは顔を真っ赤にした。それが本当だとしたら、セルウィリアは王の務めを果たしていなかったことになるからだ。

「というわけで関西から引き継いだものは、大量に発行された軍票や商人からの請求書、数だけはいる王師や官吏といった金食い虫だけだったと言うわけさ」

 ということは、だ。有斗は急に不安になり訊ねる。

「・・・ひとつ聞いていいかな」

「なんなりと」

「今度の河北と関西の出兵も借金なのかな?」

「そりゃあね、そうですよ、もちろん。新兵を雇い入れ、武装を整え、戦死者の家族に見舞金を出し、兵糧を買い輸送する。全部、商人からの借金です。だって国庫には本当にお金が無いのですから」

「・・・だとしたら反対してくればよかったのに」

 そういった情報がないから、はじめから出兵ありきで考えてしまっていた。

「今の状態をこのまま放置しておけば戦火は広がり、我々はアメイジアの東西を右往左往するハメになるだけです。そこにカヒが攻めてきたら、まず間違いなく負けます。国庫が空でも動かざるを得ません。反対なぞするものですか」

「そっか」

 しかし国庫が空だというのは深刻な問題だ、と有斗は口の中でうなりをあげた。

「あと陛下、前々から言おうと思っていたことがあるのですが、言上してもよろしいでしょうか?」

「いいよ」

 そう有斗が許可を出しても、ラヴィーニアは何故か軽く咳き込んだり、せわしく目線を逸らしたり落ち着かない挙動を示した後、やっと覚悟を決めたとばかりに有斗に正対して訊ねた。

「陛下は賢帝でしょうか、愚帝でしょうか?」

 なんだ、この言葉は・・・訳が分からないぞ・・・?

「・・・は?」

 そもそも僕が賢帝なのか愚帝なのかは他の人が判断することで、自分自身で判断することじゃない気がするんだけどな。

「それは無礼! いくらなんでも酷すぎるよ!! そりゃあ陛下は兄様やアリアボネと比べると賢いとは言えないけれどもがんばってるんだし、愚帝とまで言っちゃ可愛そうだって。それにいくらほんとのことでも言ってはダメなことってあるよ! そこは曖昧あいまいにぼかさないと!!」

 語尾に「wwwwwww」が付きそうなくらいアエネアスは半笑いだった。

 セルウィリアなどはさすがに笑った顔を見せるのは悪いと思ったのか、不自然に顔を背けて有斗から隠す。だが肩が大きく震えているので内心どう思っているのかは明らかだった。

 ・・・そこまでラヴィーニアは言ってないと思うんだけどな、と有斗はちょっとむかっと来た。

 そんな喜劇じみた有斗とアエネアスの会話にも一片の笑みも見せず、ラヴィーニアは真剣な顔のまま、何故かゆうの礼をし、言葉を続けた。

「私が聞きたいのは、陛下は賢帝になりたいとお思いかどうかということです」

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