第178話 化かしあい
サビニアスの代わりに畿内の工作を託されたのはガルバである。
カヒのためというよりは、己が野心の為にガルバはこの危険な役回りを進んで受け入れた。
ガルバは関西朝廷の重臣と付き合いがあったから、東西合一後の朝廷でも元関西出身の高官たちならば直ぐにでも繋ぎを付けることができる。
だがガルバは関西出身の高官には今回、興味を示さなかった。やはりまだ関西出身の官吏と連絡を取るのは危ないと踏んだということもあるが、一番の要因は大物や骨のある人物が白鷹の乱で壊滅したからだ。
残りの有象無象共を纏め上げたところで王に冷や汗一つかかせることはできないだろう。
そこでガルバは関東朝廷内で重きを占める一人の人物に狙いを定めた。それは朝廷の首座、右府アドメトス。超の文字が付くほど、とびっきりの大物である。だがアドメトスは王の忠臣の一人として知られていたから、凡俗の人物ならば接触することすら考えやしなかっただろう。
ガルバはよくよく考えた結果、朝廷内でカヒの尖兵となる男としてアドメトスに白羽の矢を立てた。アドメトスは王の歓心を買おうとして忠臣を気取っているだけで、その実、内心では大いなる権勢欲の塊であることをガルバもまた見抜いていたのだ。
もっとも朝政よりもより熱心に、政敵を蹴落とし、中級官吏を恫喝し屈服させ、新参の官吏に恩を売ることで派閥を拡大させていたから見るべき人が見れば一目瞭然であったのだが。
そのようなアドメトスであったから、ダルタロス公と
とはいえ朝廷の首座、今を時めく右府である。商人風情ではなまじっかなことでは会うことすらできない。かといって依頼者であるカヒの名前を明らかにして大手を振って会いに行くわけにもいかない。
ガルバは悩みはしたが、己が職業の本義に立ち返って、商人らしい手段に訴えることにした。つまりは贈賄である。
この時代、官吏に対する賄賂が明確に何らかの法律に触れるというわけではない。もちろん倫理的にはこの時代にあっても良いことではないし、送り主に利便を図れば結果的に法を曲げることになるから、罰せられないというわけでもないでもないのだが、慣行として賄賂が横行している。
ガルバがこの日の為に今までアドメトスの家宰に握らした金銭はゆうに王都内で一軒家が買えるくらいの金額になっていた。
だがガルバはそれを少しも惜しいとは思わなかった。これは投資なのだと思った。投資ならば、最終的により大きな見返りが得られるのだ。
ようやく念願かないアドメトス直々に謁見できる栄誉を与えられたガルバは、なんといきなり客として招かれることとなった。
それもそのはずである。ガルバは今回の手土産として家宰に握らせた数倍もの金をかけて風流人のアドメトスが喜びそうな、貴重な文物や関西の茶や河東の珍味などを取りそろえて献上した。出入りの商人が献上する通常の賄賂とは金額が桁すら違った。
相手が新参の商人であって、アドメトスのような貴人でも喜んで会おうというものだ。
「いやあ貴殿は果報者ですぞ。忙しいご主人様が時間を割いてお会いなさるとおっしゃるのは本当に珍しいことなのです」
「天下にその名を知られた右府様ですからな、当然でしょう。これも家宰殿にご尽力していただいたおかげです。このガルバ、ご恩は生涯忘れませぬぞ」
そう言いつつガルバはさりげなく銀貨の詰まった革袋を家宰の手に握らせた。
「あ、いや、これは・・・いつもいつもかたじけないことで」
「これからもよろしくお願いいたします」
家宰が浮かべる下品な笑いに合わせてガルバも笑みを浮かべた。
いかにガルバが裏の顔をも持つ大商人であっても、右府たるアドメトスとは地位に厳然たる格差がある。普通なら主従の形で南北に席を作っても文句はいえないが、東西に席を配置する主客の形で宴席は作られていた。
それだけガルバがアドメトスの心に存在を刻み付けることに成功したということだ。
「貴殿がガルバ殿か。私がアドメトスだ。会えて嬉しく思うぞ。にしてもガルバ殿は分限者よの。贈物のあまりもの素晴らしさにこのアドメトス、思わず腰が引けた。果たして受け取ってよいものやら」
「そうおっしゃらずに、ご挨拶の代わりとして是非ご笑納ください」
「そう言われるのなら遠慮なくいただくとするかな。ガルバ殿に恥をかかせるわけにもいかぬし」
「ありがとうございます」
「ガルバ殿の名前は知らなかったが、
「手前、関西にて手広く商いを行わせていただいております。以前は朝廷の方々にも随分と贔屓にしていただいておりました。願わくばこれからは右府様にも御贔屓にしていただきたいものです」
「ほう、そうか」
なるほどとアドメトスは納得した。新参の商人にしては進物が大仰すぎると思ったが、関西が滅んで後ろ盾を無くし、これまでのように手広く商いができなくなったことで、新たな後ろ盾が必要になった大商人がアドメトスに接触してきたのだと理解したのだ。
その程度のことで太い
アドメトスの位人臣を極めるという野心には金もあるにこしたことはないのだ。
「しかしガルバ殿の目利きは実に確かだ。送られた品はどれも一流の物ばかりだった」
「恐れ入ります」
「その目利きのガルバ殿が馴染みの関西出身の朝臣と旧交を温めるでもなく、関東の朝廷の中でこの私を特に選んで交流を持とうとしたのはいかなる理由か? 何か望みがあるのであろう。なんなりと申すが良い」
「御賢察恐れ入ります。ですが手前の話は右府様にも必ず利益をもたらすお話でございます。決して悪いお話ではございません」
「ほほほ、ガルバ殿は敏腕の商売人のようだの。では聴こう。この私にどのような益をもたらしてくれるのかな?」
「より豊かで確かな繁栄をアドメトス様に」
「ほう、どのようにして?」
ガルバは姿勢を殊更に改め、顔も厳粛に作り直した。
「カヒのカトレウス様の為に働いていただきたいのです。カトレウス様が天下を手に入れた暁には右府様は建国の元勲として朝廷の首座におさまり、その功績は未来永劫語り継がれることでしょう」
「なんだと!」
ガルバの言葉にアドメトスは仰天し、席を立ちあがり手元の鈴を鳴らした。
すると周囲の部屋からいくつもの固い靴音が鳴り響き、四方から剣や槍を手にした家人たちが入ってきてガルバを取り囲む。
初対面の相手がどのような人物であるかわからないので、一応、用心のために兵を潜ませていたということか。四師の乱で自分より高位の官吏が一掃されるという幸運があったとはいえ、そこは曲がりなりにも右府まで上り詰めた男だ、手抜かりは無い。
だが徒手空拳で周囲を囲まれ、逃げ道を塞がれてもガルバは冷や汗ひとつかかないかった。
もともとたった一人で王都という敵の総本山に来て、アドメトスという敵の大物に会おうというのだ。よほど肝の座った男でなければこの務めは果たせない。
「この者を殺害せよ! 賊と繋がる悪人である!」
「お待ちください。早まられると大損いたしますぞ。もしこの場でわたしを殺したらどうなるか、考えたことはおありですかな?」
「なにを馬鹿なことを。陛下に対して私の赤心を御披露できる。陛下はこのことに満足を示されることだろう」
「確かにそうかもしれません。ですが陛下は右府様の忠勤など臣下の当然の務めと考え、直ぐにお忘れになることでしょう。そしてそれ以上にカトレウス様の怒りを買うことになりましょうな。得るものに比べて失うものの方が大きいとは思われませぬか」
「・・・・・・」
「わたしを無事に帰した方が後々の為でしょうな」
「・・・確かに今回はガルバ殿の言葉に従った方が賢明かもしれぬな」
「ではカトレウス様の為に御働きいただけると?」
「ガルバ殿の言葉に真を見たのは無事に帰すことだけだ。陛下を裏切ることはできぬ」
確かに韮山で王師は大敗し、軍事力では劣ったかもしれぬ。だがまだ畿内以西を失ったわけではない。政権としての正統性と地力では朝廷の方がまだ上回っている。
この段階でカトレウスに寝返るというのは早計というものだろう。
「裏切り者になれと言っているのではございませぬ。カヒと朝廷の戦いがどういう形で決着するにしろ、それまでの間、交渉事を行う人物が双方に必要ではありませんか。カトレウス様に渡りを付けられる人材が朝廷におられますか? それに天下の天秤の針がこうして左右に振れ、どちらに傾くか分からときに一方の陣営のみに足をかけているのは危険です。勝利した時はともかく、負けた時はその陣営と運命を共にすることになります。賢人はいざという時の為に足掛かりをいくつも持っておきべきであるとは思いませんか? もし万が一にもカヒが天下を手中にしたらアドメトス様はどうなさるおつもりなのですか?」
「・・・我ら朝臣は天下の才能が集まっておる。官僚機構は天下を運営するために欠かざるべき存在。朝廷の主が変わったとしてもそれは変わるまい。カヒとて我ら官吏を必要とするのではあるまいか」
「カトレウス様がそのように生ぬるいお方であればよろしいのですが」
「・・・」
そう言われてアドメトスは不安を感じた。確かにカトレウスという男がこれまで歩いてきた道は帝道や王道というよりは覇道に近い。
戦国の申し子と称されるカトレウスの人生には様々な血なまぐさい事件が存在する。同じような人物にマシニッサがいるが、マシニッサのような単なる野心家と違うところは、既存の秩序を破壊し己が望む秩序を確立しようとしている節が見られることだ。
そんなカトレウスがアドメトスら朝廷をそのまま内部に取り込んだほうが得策と考えてくれるかは疑問の余地がある。
古くさい体制を打破すると称し、アドメトスらを一人残らず粛正することは十分にありうる未来予想図だ。
若干青ざめたアドメトスの顔を見て、ガルバは心中ほくそ笑んだ。
「とはいえそれがしに接触を命じられたということは、それだけカトレウス様がアドメトス様を高く評価しているということなのです。朝廷を打ち滅ぼしたのち、天下を経営していく時に必要である才だと考えておられるのです」
もちろんまったくのでたらめ、ガルバの作り話である。アドメトスを選んだのはガルバの独断であるし、カトレウスはそもそも朝廷を内部から揺さぶる間者を探しているのであり、天下を得たのちの役割など求めてはいない。
だがその嘘こそ自己評価が極めて高いアドメトスにとって受け入れやすい話であった。
「我が主人は主上のみ。カトレウスのために働くことはできぬ。だが双方、和平を結ぶこともあろうから繋がりを持つことも悪くあるまい」
「それでよろしいかと存じます」
これでまずは朝廷という巨大な
この一手は何気ない一石に見えるかもしれないが、致命の一手にいつのまにか化けることをガルバは微塵も疑わなかった。
ガルバは内心の高笑いを押し殺してアドメトスに神妙に頭を下げた。
河北、畿内と水面下で
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