第177話 劫の一手

 帰るなり有斗は節部尚書を呼び出し、自分の腹案を披露してみたが、王の発言なので明確に否定こそしないものの、関係する省庁に掛け合ってみてからなどといった曖昧な官僚答弁に終始して賛同してはくれなかった。

 半ば予想はしていたものの、直にその態度を見ると失望しかない。

 官僚とはとかく新しいことに対しては行動が鈍いものなのだ。

 かといってこのまま引き下がっては、この件はこれ以上進展しない。

 だがいきなり王命を下すと言った強硬手段は取りたくない。王と官吏が反発しあっていては朝廷はうまく回っていかない。

 何か他に良い手がないのか誰かに相談したいところではあるが、アエティウスやアリアボネはもうこの世にはいないのである。

 ・・・かといってアエネアスはこういったことにはまるで役に立ちやしないし、アリスディアは表向きの政治のことには口は差し挟まないようにしている。セルウィリアの口から出てくる意見はいまいち信用できない。そしてヘシオネはここにはいない。河東にて堅田城を守っている。

 そこで有斗はラヴィーニアを呼び出して相談してみることにした。心理的な抵抗が無かったわけでは無いのに迷いながらもラヴィーニアを登用したのは、こういった時のためであるはずだ。


「反対です」

 だがラヴィーニアはどう見ても小学生高学年にしか見えないその幼い顔いっぱいに苦い表情を浮かべて有斗に反対した。

「どうしてさ? 大切な人を亡くして悲しむ遺族を慰めることになるし、共に戦った兵士たちもこれを聴けば勇気づけられると思うんだけど」

「確かに遺族の悲しみは少しは薄まりましょうし、いつ己が戦場で果てるか分からぬ兵士たちの士気も高まりましょう。ですが問題がございます」

「問題って何さ」

「戦国の世になって以降、税を収める人民が四散し、支配領域が縮小したこともあって朝廷は財政が豊かではございません。しかもここ最近、王師の大規模な出兵が立て続きました。財政はただでさえ火の車です。この上、遺族に一定の金額を給付し続けるということはそれだけ自由になる金銭が朝廷からなくなるということです。出兵や飢饉・・・何か急な事態に満足な対応が取れなくなる可能性が高くなるのです」

「でも何もしないってのはちょっとどうかと思うんだけど」

「二将軍には功があります。ましてや陛下お目見えの事実があります。この二家族に慰労金を送ることに関しては臣もあえて反対は致しません。むしろ賛成いたします。そもそも陛下の盾となって戦場で果てたのに一家が路頭に迷うなどといったことが起これば、陛下と朝廷の威信が地に墜ちます」

「戦場で僕の盾になって死んでいったのは何も彼らだけではないよ」

「先ほど申し述べた通り、エザウ殿、バルブラ殿の家族に慰労金を送るのは、あくまで彼らの活躍が巷間に知れ渡っており、なおかつ陛下おん自ら遺族を見舞ったという事実があるからです。そもそも将兵は消耗品だと考えねばなりません。王にとって臣下とは全て替えがきく存在であるべきなのです。陛下はそのあたりが少し甘いのではないかと前々から思っておりました」

「家臣を道具として使い捨てるような人間よりも家臣を家族同然に思う人物の方が王に相応しいと思うけどなぁ」

 有斗の言葉にラヴィーニアは何も言わず、手を胸の前に出して組み合わせ頭を下げることで返答と代えた。一見すると諾の意味である揖の礼に見えるがそうではない。顔を横に向けて頭を下げているのでそれは相手を尊敬し譲って礼は示すが、『あたしは陛下の意見に賛同できません』とはっきりと意思表示したということである。

「それに例え今、陛下が将兵の遺族に報いたとしても、明日カトレウスが陛下を打ち破って天下を得れば、それらは画餅になってしまうのです。ですから陛下と朝廷がまずなすべきことは韮山の敗戦で動揺した国内を鎮め、王師を再建して、坂東の主、カトレウスとの次の戦いに備えることです。陛下が真に将兵の労苦に報いたいのなら、天下平定の暁にいくらでも報いればよろしいでしょう。陛下には物事の優先順位を考えていただきたいものです」

 ラヴィーニアにも賛同を得られず、有斗はこの件をこれ以上進めることができなくなった。

 今回の件で有斗はラヴィーニアとアリアボネの差を痛烈に感じざるを得なかった。

 アリアボネは意見が異なる場合でもあくまでも有斗より一歩引いて、有斗が理解できるまで懇切丁寧に何度でも説明してくれたし、理だけでなく情にも訴えたので最終的に有斗も納得しやすかった。有斗に合わせて折れてくれることも多かった。

 だがラヴィーニアは己が正しいと思えば、有斗が王であることなどお構いなしに意見をぶつけて押しとおろうとするタイプの人間であるようだ。

 しかも有斗であっても理では正しいと思わざるを得ないほど的確に正論を吐くので有斗としても渋々納得せざるを得なく、腹立たしいことこのうえなかった。

「まぁエザウやバルブラの家族だけでも救うことができるだけマシなのかな」

 有斗はそう思うことで傷ついた心を慰めようとした。


 朝廷は韮山の敗戦で綻んだ体制をなんとか繕おうと日々悪戦苦闘していた。このまま敗戦の傷が癒えるまでカトレウスが動かないでいてくれるなら有斗としては大いに助かるのだが、現実はゲームではないのでそういうわけにはいかない。

 有斗と同じように、いや、有斗以上にカトレウスも次の布石を着々と打っていたのである。

「サビニアス、そなたにはまた旅をしてもらわねばならぬ」

 カトレウスはサビニアスを呼び出すと、そう告げた。

 カヒという大家の主カトレウスが外様衆筆頭であるサビニアスに直々に頼むのだ。単なる物見遊山の旅では無い。

 これまでもしばしばあったことだが、これはつまり敵地にて外交や調略を行えと言うカトレウスの命令なのだ。多少の些事ならば他の者にもやらせるが、難事が持ち上がるたびにサビニアスはカトレウスに命じられ、そしてその度に結果を残してきた。

 カヒに綺羅星のごとく人材はおれど、事こういったことにかんしてはサビニアスの独壇場である。余人の入り込む余地はない。カトレウスに才覚を認められ信頼されている証である。

 だが不満がないわけではない。

「兵を起こして堅田城を攻められぬので?」

 行き先が関西か河東か芳野かは分からないが長い旅が想像される。そうなれば目前に迫った堅田城攻めにはサビニアスは加われない。やはり武人にとって戦こそが華なのだ。

「攻めないでか。だが今直ぐにというわけにはいかぬ。堅田城の守りは固い。落とすとならば兵力を出し惜しんではならぬが、ここ連年の芳野、上州、河東への度重なる出兵で旗下の諸侯が悲鳴を上げておる」

「諸侯に気を遣われるとは、お館様には珍しいことで」

 カトレウスは時に暴君に見えるほど高圧的な君主である。そうしなければ諸侯に舐められてしまうというよんどころない事情があるからではある。カヒも歴史ある諸侯だが、やはり地方の一諸侯でしかない。有斗やセルウィリアのような諸侯の上に立って命令を下すという明確な権威というものを持たぬのだ。一代で肥大化した内部には様々な軋轢があるのである。

「ワシもそう思う。だがここは慎重にもなろうというものだ。韮山の戦での勝利で掴んだ諸侯の心をしっかりと繋ぎとめておかねばならぬ。その先の畿内攻めのためにはな」

「さようで」

「それに今攻めれば畿内に退いた王師も戻ってこようが。それでは勝てぬかもしれぬし、勝てたとしても被害が大きい」

「ということは私の仕事はその下準備ということになりますかな」

「さよう。ワシが天下を取れるか否かは、そなたの舌先三寸にかかっている」

 多少、演技じみた物言いをしつつカトレウスは不敵に笑んで見せた。


 三か月後、サビニアスの姿は北辺の荒野のただ中にあった。

 軍の移動ではなく少人数での軽装での旅だ。普段ならここまで時間はかからない。

 ここまで時間がかかったのは、広大な北辺の荒野の中を常時移動しているザラルセンの部族の位置をなかなか掴めずに彷徨さまよっていたせいである。

「俺がザラルセンだ。カヒの使いってのはお前か」

 噂には聞いていたが、身の丈八尺を越える巨体がもたらす圧迫感にさすがのサビニアスもたじろいた。

「北辺に豪勇鳴り響くザラルセン卿にお会いできて恐悦至極」

「御大層な挨拶はいい。用件を言いな。手短にな。俺は暇じゃない」

 どうやらザラルセンという男は礼儀とか修辞とかとは無縁な世界で生きる男らしい。だがサビニアスはこれくらいで気を悪くしたりしないし、対応に困ったりすることなども無かった。これまで様々な修羅場を乗り越えて来た苦労人なのである。

「御屋形様はザラルセン殿のご活躍を聞いて、以前より頼もしく思召しておりました。王と戦うためにカヒと手を組みませんか。御屋形様と違って王はザラルセン殿の無頼を許すことなどありますまい。倶に天を戴かざる敵のはず」

「カヒを手伝えだぁ? この俺がか!?」

「手伝いではありません。共に手を取り合って戦おうというのです」

「カヒの支配する河東とこの地とは離れている。河北を間に置いて両者が手を結んで利益があると思うか?」

「あります。それに当然、御屋形様も両者をつなぐ必要は感じており、河北にも十分な策は施してあります」

「河北でうろついているあのチンケなこそ泥どものことか」

 ザラルセンは鼻で笑った。河北でうろつく流賊の後ろにカヒの影が揺曳ようえいしているのはザラルセンも知ってはいたが、彼らは数十か多くても数百であり、朝廷にとっては邪魔で消し去りたい存在ではあろうが軍事的な脅威とまでは言い難い。

 そのようなものを当てにするなど気は確かかと叱りつけたい気分だった。

「あの者たちの後ろにカヒがいることは否定はしませんが、我らが御屋形様は一つのことを行うのに一つの策だけで満足することはございませぬ。我らは既に河北の諸侯を抱き込むことに成功しております」

「河北の諸侯・・・? 誰だ? 数は?」

「名はこの場では申せませぬが、二千から三千。王師の前では吹けば飛ぶような戦力ですが、ザラルセン殿の側面援護するには十分すぎる数だと思いますが」

「頼りになるのか、そいつは。いざとなったらケツをまくって逃げるような奴とは俺は一緒には戦えねぇぞ」

「王に逆らおうというのです。腹が座ってないと決心はつかないでしょう」

 サビニアスはここに来る前に会った能もないくせに欲と野心だけは人一倍に詰め込んだ一人の男の顔を思い出し苦笑した。

 だがあれくらい権力欲があるほうが利用しやすい。ただ利をちらつかせばダボハゼのように食いついてくるので御しやすいのだ。調略でもっとも厄介なのは人生に変に美意識だとか理想だとかを持っている、目の前にいる男のような輩である。

 サビニアスの回答に少しは満足したのかザラルセンは笑みを浮かべた。

「さすがはカヒだ。手回しが良いな」

「ザラルセン殿と我らが組めば天下無敵。ザラルセン殿は北から、我がカヒは東から王を攻めます。韮山で大敗した王師に二方向からの攻撃を支える術を持ちませぬ。御屋形様とザラルセン殿とで天下を二分いたしましょうぞ」

「天下を・・・二分?」

「しかり。共に大業を為しましょう」

「天下を二分するだぁ・・・? ふざけたことを申すな! 昔っから天下の主は一人と相場が決まってんだ。共に大業とやらを為したはいいが、俺とカトレウスとで天下を争うんじゃあ結局は無駄じゃないか!」

「私はそうは思いませぬ。思いませぬが、ザラルセン殿がそうお思いならば、その時は天下をめぐってお館様とザラルセン殿で戦になるもやむを得なしと存ず」

 もちろん嘘である。カトレウスは誰とも天下を分かち合う気はない。ザラルセンなど王師の兵力を減らすための捨て駒である。だがここは嘘を真実と思い込ませる必要があるのだ。ザラルセンは神妙な表情を作った。

「喧嘩になるのが分かってんのに、手を組んで戦うっていうのか!?」

「それまで喧嘩は預けおく、でよろしいではありませんか」

「喧嘩を預けおく?」

「はい」

「預けおく・・・か」

「未来のことは誰にもわかりませぬ。現状に不満があるのなら、今のことだけを考えて行動あるのみです」

「決まった!」

 ザラルセンはニヤリと笑うと、膝を叩いて小気味よい音を鳴り響かせた。

「ではご協力いただけると?」

「天下のことは全て王を戦場で打ち破って後のことよ。今くよくよと思い悩んでも仕方ないさ。天下を二分するという発想が気に入った! このザラルセン、カトレウス殿に力を貸そう!」

「かたじけない。このサビニアスの顔も立とうというものです」

 サビニアスはザラルセンに頭を深々と下げた。天下に名の知れたカヒの重臣が己に頭を下げたことがザラルセンの矜持をくすぐる。

「気にするな。王とかいったお高く留まった連中に一泡吹かせてやるのも悪くはないさ」

 ザラルセンは上機嫌に哄笑した。


 サビニアスが退出すると、二人の会話を黙って聞くだけだった部下たちがザラルセンの下に何か話したげに集まってきた。

「兄貴、いいんですかい? あんな奴とあんな約束しちまって」

「カトレウスは関係ねぇ。王と戦ってみたいのさ。男として生まれたからには何かでっかいことをやりとげてみたいじゃねぁか」

「でも王や王師はいくら兄貴でもでかい相手すぎやしませんかい?」

「馬鹿野郎が。でかい相手だからこそ戦う意味があるんだろうが。戦う前から怖気づくんじゃねぇよ」

 弱気の虫に取りつかれた部下をザラルセンは怪力で突き飛ばした。


 一方、サビニアスも自身に課された使命を果たして上機嫌だった。

 供と馬上の人となり南へと馬首を向けた。

「やれやれ、これで御屋形様に良い顔を見せれる」

「畿内には行かれないのですか?」

「私が直接畿内に足を踏み入れるのはちと危険すぎる。朝廷とて無能ではあるまい。そちらにはそれにふさわしいだけの者を派遣している」

 例えそちらの工作が失敗してもザラルセンは一向に構わなかった。ザラルセンが立てば朝廷は嫌でもそちらに目を向けざるを得ない。ザラルセンは流賊と言っても一万の兵を擁する大物なのだ。王師の一軍や二軍を派遣しなければ収まりきらないだろう。畿内の方はおまけに過ぎない。

 サビニアスがおかしそうに笑うのを供周りの者たちは不思議そうに眺めた。

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