第176話 家族二景

 韮山では大勢の王師が命を落としたが、その中でも大物と言えば、なんといってもエザウとバルブラの両将軍ということになる。

 それもたんなる戦死ではなく、敗戦の中、戦場から王を逃す為に自ら望んで戦場に残って(エザウの場合は真実は真逆なのだが、ともかく世間的にはそう伝わっていた)王の代わりに命を落としたのだ。

 何よりも困難な撤退戦での殿しんがりという大役を果たしたことといい、その英雄的で悲劇的な結末といい、他人の心を揺さぶるに十分で、軍内部だけでなく文官から一市民まで同情の声が上がっていた。

 だが有斗は王城にこもりきりで日々の政務に忙しく世事には疎い。代わりにその気配を敏感に感じ取っていたアリスディアが有斗に献言した。

「陛下、残された家族を御弔問なさいませ。陛下おん自ら御弔問なさったと聞けば、残された家族にとってどれほど慰めとなりましょうか。またこれを聴けば、同じ戦場で戦った将兵を鼓舞することになりますし、市井しせいの人々にも良い印象を持たれることとなります」

「なるほど、それもそうだ。バルブラたちには悪いことをしたと思っていたんだ。彼らの犠牲の上で僕はこうしてまだ生きていられる。残された家族にせめてお悔やみを述べに行くのが筋が通っている」

 有斗がそう返事をすると、アリスディアはいつものように微笑んだ。

「ぜひ、そうなさいませ」

「そうと決まれば善は急げだ」

 有斗は早速、弔問に行こうと決心して立ち上がった。

 するとそれまで部屋の隅で椅子に座って、いつものように気ままに居眠りしていたアエネアスが有斗の言葉に反応して起きた。

「なになに? どこに行くの?」

 遊びにでも出かけるのかと思ったのか、いつになく乗り気で語りかけてくるアエネアスを有斗は冷ややかなまなざしで眺めた。


 邸宅のある場所を考えて、有斗はまずバルブラの家族から見舞うこととした。

 訪れた有斗らをバルブラの妻だという気品ある一人の老婦人が出迎える。

 老婦人は有斗を王であると知ると、慌てて地面にひれ伏して、立ったまま出迎えたことに対してひたすら詫びた。

「てっきり弔問使の方が派遣されるとばかりに思いこんでおりました。このようなあばら家に陛下の行幸を賜うなど一生の誉れでございます。ですが陛下のお越しなのに何も用意できず、本当に申し訳ないことです」

 バルブラの老妻はただただ有斗に平伏して陳謝した。有斗の威厳の無さはこんな時でもいかんなく発揮されたようだ。

 だがその言葉は決して謙遜ではない。バルブラの家は都城内にはあるものの、外壁近くの庶民が暮らす区域にあり、しかもとても将軍の家とは思えない質素でみすぼらしい家だった。

「予め訪問することを告げずに来た僕が悪い。突然訪ねて迷惑じゃなかったかな?」

 有斗の気遣いにバルブラの妻はただただ恐縮するばかりだった。

「陛下に御配慮していただくなど、もったいないことです」

 同じ女性なのにバルブラの奥さんはアエネアスとはだいぶ違って、有斗を王として立ててくれる品のいい老婦人だった。っていうかアエネアスが有斗に気を遣わなすぎなだけなのだ。アエネアスが相手だと有斗はたまに自分が王であることを忘れてしまうほどだ。

 まぁそのぶん、有斗もアエネアスに一切気を遣わなくていいから気が楽でいいのだが。王という立場はとにかく毎日気を遣うことが多すぎて気が休まらないのだ。

 しかしそこそこ大きなお屋敷なのに人の気配があまりしない。

 家人くらいはいるようではあるが、なんというか・・・家がモデルハウスのようにあまりにもきれいに整えられすぎていて無色透明なのた。それが有斗には気になった。

 普通はもう少し個性がある。子供がいれば子供のおもちゃが転がっていたりするし、武人の家ならこれみよがしに自慢の武具が飾ってあったりするものだ。おしゃれ好きなご婦人がいるのなら、それぞれの趣味に合わせて、例えば香が焚いてあったりだとか、美々しい飾りで部屋が飾り立てられていたりだとか、着物をしまう葛籠つづらがたくさんあったりだとかするものだ。

 だがこの家にはそういった家人のを感じさせるものが何も───何一つさえも無かった。まったくといっていいほど生活感がないのだ。

「・・・お子さんは?」

「男の子が二人ございましたが、ずいぶん前に二人とも戦死いたしてございます」

「じゃあお孫さんは?」

「おりませぬ。二人とも子を残さずに逝ってしまいました」

「・・・・・・悪いことを聴いちゃったね」

「いいえ、お気になさることはございません。戦国の世の常です。それでもわたくしめのような者にも細やかな心遣いをされるなんて、陛下は本当に素晴らしいお方ですね」

 子に先立たれる辛さは年月を経ても決して消えることはないだろう。現実とは言え殊更に耳にしたくはないだろう。なのに有斗にそのことを聞かれてもバルブラの妻は感情を露にせずに、淡々と受け答えする姿が印象的だった。

「夫婦二人っきりなのに、バルブラを死なせてしまった。本当にすまないと思っている」

「武人の妻ですから。いつかこのような日が来ることは予感しておりました」

 有斗の謝辞にも老婦人は感情を面に出さずに返答を続ける。

「あの人は栄光とは無縁の生涯でした。陛下に拾われなければ、河北の小さなくだらぬ戦いでいずれ犬死していたに相違ありません。それが東西十万の軍勢がぶつかる大戦、晴れの場で討ち死にすることができました。天与の人たる陛下の御役に立てたのです。あの人もあの世でさぞかし満足していることでしょう。ならば私も喜びこそすれ悲しむことなどありません」

 老婦人は一切表情を崩さず、姿勢も乱さずにそう答えた。

 有斗は何か物足りないような不可思議なを感覚を抱えたままバルブラの家を後にした。


 有斗と同じように感じたのか、珍しくアエネアスもしばらく黙りこんだままだった。

「立派な人だったね」

 有斗がそう話しかけると、アエネアスは堰を切ったかのように勢いよく話し出した。

「立派過ぎるよ! 絶対無理してる! 話が嘘くさいもん!」

「・・・かもね」

「でもちょっと分かる。大事な人を亡くしたんだもの。ああして無理して張り詰めてないと、きっと自分が壊れてしまいそうになるんだよ」

 それはアエティウスを亡くしたアエネアス自身の姿と重ね合わせて言っているのかもしれない、と有斗は少しだけ思った。


 次いで訪れたエザウの家はあらゆる意味でバルブラの家と正反対だった。

 エザウの邸宅は朱雀大路にほど近い一等地に建てられたそこそこ広い豪邸である。

 四師の乱で命を落とした中級官吏の家を買い取ったとのことだ。

 だが王師の将軍は名誉な仕事ではあるが、朝廷の官吏に比べて俸給の低いことで知られているから、無理をして買ったのであろう。

 しかし一歩中に足を踏み入れると、そこはこじゃれた外見とはかけ離れた空間だった。

 庭には桶やら火付けの束ねられたしばやらが乱雑に転がり、こういった邸宅には珍しく庭の大半は家庭菜園となっていた。

 残った庭木には洗濯物がかけられた物干し竿がかけられ、家の中からは子供特有の頭の上から出しているような金切り声が絶え間なく聞こえているような状態だった。エザウの家は外見の豪華さとは裏腹に、庶民的な生活感に満ち溢れていた。

 王の訪れに慌てて真っ先に現れたのは、これまた生活感に溢れた、いかにも『お母さん』といった風体ふうていの中年の女性だった。

「エザウの妻でございます」

 王の来訪を告げられるとエザウの妻は大慌てで平伏し、後をついてきたまだ小さな子供たちの頭を上から押さえて伏せさせた。

 子供たちは母親に合わせて地面に伏せるも、興味津々といった感じで有斗をちらちらと窺い見る。

「エザウの母です。陛下に御目文字いたすことが叶い、光栄至極でございます」

 と礼儀に適った丁重な挨拶を受けた有斗が挨拶の主を探して首を動かすと、邸宅の玄関前で平伏する老婦人を見つけた。身体の脇に杖がある。表まで出迎えられないほど足が悪いのであろうかと心配になった。さらに気になることに、その傍にもう一人、同じように平伏した白髪交じりの老婦人がいる。

 平伏している場所や身なりなどから判断すると、単なる家人とも思えないが、だとすると家族構成上謎が残る。

「じゃあこちらの御婦人は?」

 不思議に思った有斗が尋ねると、

「私の母でございます」

 その老婦人の代わりにエザウの奥さんが有斗の問いに答えた。

「婿殿は優しい方で、娘以外身寄りのなくなった私を引き取ってくれ、こうして養っていただいていたのです。本当の親であるかのように孝養を尽くしてくれる自慢の婿だったのですよ」

 エザウの妻の母だというその老婦人は、有斗に辛うじて聞き取れる小さな声で言葉をぼそぼそとひねり出した。

「本当だったんだ・・・・・・」

 と、いつぞやエザウが言っていた嘘っぽい言葉が真実であったことに有斗が驚いていると、

「お調子者な面もありましたが、あの子は昔から根が優しい良い子でした。・・・それがどうしてこんなことに」と言って実の母のほうの老婦人が顔を伏せて泣き出した。

「・・・・・・」

 有斗はとっさにかける言葉が見つからなかった。なんて言えばこの不幸な家族を慰めることができるのか分からなかった。

「陛下をお助けするために命を落としたのです。嘆くことなど不敬ですよ。誇りに思わなくては」

「でもねぇ、あの子が死んだら私たちはどうすればいいのだろう。老いた身でどうやって生きていけばいいのだろう」

「大丈夫だよ! 僕がいるよ! 僕が皆を守って見せる!」

 父親が死んだのだ。本人たちのほうが泣きたいだろうに、物悲しい空気に包まれるのを嫌った幼子が大人を励まそうとする姿が健気で涙を誘う。

 エザウの妻も母も妻の母も泣き崩れて、それ以上会話を続けることができなくなった。

 有斗はここでもまた、いたたまれない気持ちになって長居することなく退出した。


 このたびの敗戦は出兵も有斗の意志だったし、現場で指揮を執ったのも有斗だった。敗戦の全責任は有斗にある。というか有斗にしかない。

 それでも有斗は王であるから、遺族は泣き喚きたい気持ちや怒りをぶつけたい気持ちをぐっとこらえて対応したことが想像できる。

 有斗が見舞ったのは、この二人だけだったが、河東でむくろになって帰ってこれなかった兵は一万を数えるから、単純計算して現実にはこの五千倍の悲劇が生産されたということになる。

 そのことが有斗の気を重くし、帰りの馬車で有斗は何も話す気が無くなり、ただ街の景色をぼんやりと眺めるだけだった。

「本当だったんだ。エザウが母親だけでなく義理の母親も面倒見てるとかいう話。わたし嘘だとばっかり思ってた」

 アエネアスの言葉で有斗はいつぞや河東でエザウを捕らえた時のことを思い出した。王師に捕まったエザウは、その二度とも平身低頭して泣きながら命乞いをした。

アエティウスが見抜いたとおり一度目は裏切ったこともあって、エザウがした家族の話も有斗らの同情を買うための嘘ではないかとずっと思っていたのだ。

「・・・僕も助かりたいだけのエザウの嘘だと思ってたよ」

「わたし、なんだかエザウに悪いことしちゃった気分」

「僕もだよ」

「奥さん、これからどうするんだろう。お年寄りが二人もいるし、子供も小さいし」

 アエネアスはそう言って表情を曇らせた。

 あの家に残された家族の中で満足に働けそうなのはエザウの妻だけである。とてもあの大家族を養っていけるだけ稼げるとは思えない。エザウが幾分かの財産を残していれば別だが。

 有斗は何かしら保証をしなければいけないと感じていた。だが有斗は王とは言え個人的な財産は無いに等しい。

「一家が暮らしていけるよう、エザウの子らが独り立ちできるまでの間、エザウに代わって国庫から生活費を支給しようと思うんだ」

「それがいい! そうしたほうがいいよ!」

 有斗の言葉を聞いてアエネアスはぱっと顔を明るくし、何度も首肯した。

「・・・バルブラの奥さんにも渡そうと思う。受け取ってもらえるか分からないけど」

 あの誇り高い老婦人はおそらく受け取ろうとしないであろうが、それでも国からそういった申し出があったというだけで幾分か傷ついた心が慰められるに違いない。

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