第175話 鳴動

 アメイジアを駆け巡るのは王の敗走、謀反の噂、カヒを中心とした王を囲む強大な盟約。街道を走り回る使者は何を目的として四方へと散って行くのか。

 近隣の諸侯が兵を集めだせば、行方を見守っていただけの諸侯も疑心暗鬼に囚われ兵を集めざるを得なくなる。日一日と騒がしさは増していくばかり、特に河東西部は一気にきな臭くなった。傭兵は一斉に東へと向かった。

 たった一度の敗戦で朝廷の権威は大きく傾いたのだ。

 各地より密告とも誣告とも取れる諸侯同士の告発が相次ぎ、朝廷内でも自身の勢力を増すチャンスとばかりに公卿はそれぞれ各諸侯の後ろ盾となっていがみ合いを始める。中にはカヒに通じるものもいると、まことしやかに噂が流れていた。

 それは宮廷内の政敵を追い落とすための誣告ぶこくなのか、あるいは真実、カヒに心を寄せている裏切り者なのかは有斗には判別のつけようがなかった。

 それでも河東での敗戦、王の行方不明などで大きく動揺を見せていた間は、今は合い争う時ではないと辛うじて一枚板であったのだが、王が帰還したことでそれらのことが一気に噴出して朝廷は騒然となったのである。

「すでに兵を集めている諸侯は数十にのぼるとか」

 右府アドメトスがこれは見過ごせない事態です、と各地の地方から寄せられた山のような報告書を振り上げながら力説する。

「いったい何のために?」

「ある諸侯はカヒに備えるため、またある諸侯は近隣で不穏な動きがあるためとか、それぞれもっともらしい理屈を申しております。兵を集めるだけでなく、兵糧も集め、籠城の仕度に余念がないようです」

「とにかく大乱が起きると見て備えているのかな・・・」

「そういったところだと思われます」

「警戒すべきことだとは思うけれども、僕に対して兵を挙げると公言していない以上、攻めるわけにもいかないし、今しばらく放っておくしかないんじゃないかな」

「そうはいっても諸侯の間には使者が激しく往来していると言います。何かを企んでいることは確実かと」

「それについては臣が言上したき議あり」

 綾瀬黄門がつと一歩横に出て、有斗に向かって深々と腰を折る。

「発言を許す」

 何か有力な情報を知っているのかもしれない、と有斗はすぐさま発言を許可した。

「臣がプレヴェサ伯から掴んだ情報によれば、近隣のベルニック伯の動きが妖しいと報告を受けております。篭城するにしては不釣合いな量の武器を商人から購入したとか。詰問の勅旨を派遣することを提案いたします」

 そんな綾瀬黄門と常日頃から仲が悪いと評判の三位宰相が、横から聞こえよがしに毒づいた。

「いやそれはおかしい。臣の下に届いた情報ではプレヴェサ伯が先に兵を城に集めだしたと聞いているがな」

「なんだと! 私が嘘を陛下に言上したとでも言うのか!?」

「まさかまさか・・・ただ人の良い貴殿が真実をお知りでないのでは・・・と思いましてな。それにプレヴェサ伯は銅臭がすることで有名ですからな」

 アメイジアの一般的な貨幣は銅銭である。つまり銅臭とは銭の臭いということである。綾瀬黄門が銭で買収されたのではないかと皮肉を言ったというわけだ。

「ふざけるな!」

 朝会はたちまちに二派に分かれて罵りあう場となった。

 これなどは、ほんの一例である。毎日似たような提言、そして上奏文の山だ。

 諸侯は隣接している仲の悪い諸侯をこれを好機と訴え出、朝廷の臣はそんな諸侯に恩を売って権勢を増そうと企み、ここぞとばかりにあることないこと有斗に吹き込もうとする。当然訴えられた諸侯も仕返しとばかりに別の朝臣と組んで訴えた諸侯を逆に訴え返す。

 これではカヒが攻めてくる前に足元が空中分解しかねないな。有斗は頭が痛い思いで、目の前で繰り広げられる惨状を眺めていた。


「怪しげな動きをしているだけでなく、既にカヒにつくと明言して兵を挙げた諸侯がいくつかいます。関西、南部。河北はリュケネ卿が河東へ追い払った流賊がカヒの後援の下、戻ってきて暴れているようです。一旦根付いたと思われた民の中からでさえも、反乱側へと身を投じるものも後を絶たないとか」

 ラヴィーニアは現在の王朝が置かれている情勢を簡潔に有斗に示して見せた。

「土地と当面の食料を与えるだけではだめなのかな・・・」

 それでも流賊なんかよりはよっぽどマシだと思うんだけどな。

「荒れた田畑は一年や二年で満足な収穫が得れるようにはならないもんね・・・」

 生活が苦しいんじゃないか、とアエネアスは言いたいようだ。

「へ? ってことは収穫が満足に取れなかったってこと? だとしたら援助は続けないと駄目じゃないか。打ち切ったりしたら、可愛そうだよ」

「やってる。私を舐めないでいただきたい」

 有斗がラヴィーニアを責めると、それくらいのミスなどしないと不満げな顔を見せた。

「へ? じゃあなんで彼らは流賊に戻ったの?」

 あと考えられるのは、諸侯や官吏に悪人がいて悪政を強いてるとかかな。調査する必要があるかもしれない。

「野良仕事は初心者にはきついからねぇ・・・生まれたときからずっとやってればそうでもないんだけど。他人から物を奪うほうが手っ取り早いと考えたんだろうね。長年やってたことだ。良心の呵責もないだろうし」

「南部がやっかいだよ。やっぱりトゥエンクという南部屈指の大物が鮮明にカヒへと旗色を表したと言うことは諸侯に悪い影響を与えてしまった。南部の諸侯は一も二もなくカヒへ下ったと見たほうがいいかも。ロドピア公くらいかな。南部の東側でカヒに靡かないのは。恥ずかしい話だけど、我がダルタロスですら家内では中立に大きく傾いているという知らせがあったもの」

 とはいえマシニッサが裏切る形を取ることは本人から既に聞いている話だ。今すぐ攻めてくるということはないだろう。

 もちろんこれ以上、有斗が大きく負けでもしたら話は別だろうが。

「南部諸侯はかつて四師の乱で追われた陛下を王都に戻すために尽力しました。だからどこの諸侯よりも陛下のことを自分たちの王だという思いいれが強く、陛下との結びつきは強い。カヒに旗幟を鮮明にしたとはいえ、積極的に責めてくることはないと思います」

「ということはまずは南部は後回しにするか・・・」

 なんといっても今の有斗には余裕が無い。兵の数も、兵を動かす金銭も兵糧も、そして時間も。

 カヒは王師を破った余勢を駆って大河を渡らず、とりあえず撤兵し、幸いなことに今直ぐに畿内へ侵攻してくる動きは見られない。

 とはいえ油断は禁物だ。いつ不意に侵攻してくるか分からない。特に今年の収穫が終われば兵糧にも不安がなくなる。そう考えると一刻も早く河東国境に兵をいつでも集中できる態勢に持って行きたい。

「なんと言っても関西が深刻です。リュケネ卿がリディオ伯の城を攻めあぐねている間に、七つもの諸侯が叛旗を翻しました」

「全て集まればやっかいなことになるね。リュケネだけでは対処できないかも」

 アエネアスが指を折って兵力を計算した。

「集まれば七千から八千になる計算になるよ。しかもそうなればもっと多くの諸侯がその連合軍に加わるかもしれない。とはいえ七つの諸侯全てが集まる様子は見られないらしいけど」

「それは良かった」

 七千から八千と言えば四師の乱で逃げ出した有斗が南部で挙兵した兵力に匹敵する。一つにまとまれば、あの時、有斗が大きな力を持つ朝廷を倒したように、逆に今度は有斗が倒されるかもしれない。ほっとした有斗にラヴィーニアから認識が間違っていると指摘が入る。

「残念ながらそれは逆です。まとまれば平原で決着を付けるにしろ、一城に籠もるにしろ対処がしやすい。何箇所も同時に籠城されれば、その数だけ押さえの兵を置かねばならない。兵力は分散し、糧道は伸び、一城を落とすのにも苦戦するものです」

「兵力を分散してると長引く・・・か。それぞれに討伐の兵を向かわせるよりも、兵力を集中して叛旗を翻した諸侯をひとつひとつ殲滅していくほうが結果的に早く鎮圧できるということか」

「御意」

「よし、まずは関西と河北に兵を派遣し、急ぎ反乱の鎮圧を進めることにしよう」

「御意」

 ラヴィーニアが頷いて賛意を表すのを確認すると、有斗はアリスディアにさっそく命じた。

「アリスディア。王師の将軍たちを呼んでくれないかな」


 王都に帰還していたのは第一軍、第三軍、第六軍の三つである。

 プロイティデス、ヒュベル、ステロベの三人ということになる。さみしい限りだが、河東に兵力の過半を振り分けている以上、これが有斗にとって動かせる最大限の現有兵力ということになる。

「皆も朝廷や辺土での騒ぎは知っていると思う。放置しておけば、さらに騒ぎは広がるかもしれないし、カヒが出兵した時に歩調を合わせて背後で動かれると厄介だ。カトレウスはどういうわけか兵を退いたけど、慎重なカトレウスも収穫の終わる秋を迎えれば、満を持して出兵するだろう。河東から帰ってきたばかりのところ、さっそく悪いんだけれども、ことは一刻を争う。みんなに兵を率いて各地の騒乱を鎮圧してきて欲しい」

「もちろん王命とあれば喜んで参りますが、今の朝廷は大規模な出兵に耐えられるのでしょうか?」

「そこは大丈夫。たしかに今の朝廷にとっては大きな負担ではあるが、国家危急の時、中書令がなんとかしてみせると言ったからにはなんとかしてもらう」

 将軍たちは一斉に顔を見合す。言いたいことはあるのだが、有斗に遠慮してなかなか口に出せないのであろう。

 と、プロイティデスが一歩前へ出て遠慮する各将軍に代わって訊ねる。

「派兵と言いましたが、どのような形で出兵することになるのでしょうか?」

「何か不安に思う点でもあるのかい? 忌憚きたんのない意見を聞かせて欲しい」

「陛下、今回は前の包囲網の時とは事態が少し違います。前回と違い、カヒ以外の勢力は王師と正面からぶつかろうとはいたしません。兵を引き付けて城に篭り籠城して時を稼ぐつもりです。もしカヒが動いた時に、我々が各地に散ってそれぞれの敵と睨み合いを続けていれば、取れる手が限られてしまいます。我々は引こうにも背後から襲い掛かられて身動きが取れないでしょう。守備兵のいない王都が簡単に陥落する危険があります。それぞれの勢力に小分けした兵を派遣するのではなく、兵力を集中して運用し、速やかに敵を排除していくべきと考えます」

「わかっている。軍を二つに分けて事に当たるとする。河北は流賊相手だから割ける王師は一軍でしかない。ここは精鋭の元関東王師中軍を率いるプロイティデスに任せたい。王師の相手として物足りないものがあるかもしれないけど、これを放置しておくと後々大変なことになりかねない。火種の小さなうちに消しておきたいんだ」

「陛下の御命令とあらば否応はありませぬ。速やかに御敵を排し、陛下の宸襟しんきんを安んじる所存であります」

「では我々は?」

「主敵は関西の諸侯だ。敵の戦力も侮れない。プロイティデスとステロベは関西へと行ってもらい、リュケネと合流してもらう。主将はステロベとし、諸侯に倍する兵力でもって速やかに反逆の徒を討って欲しい」

 この人事案には有斗の気遣いが多分に含まれていた。

 関西出身のステロベを関西にやることで地の利を生かすことができるであろう。現地での人脈も期待できる。

 さらには誇り高く、生半可な人の下につくことを潔しよしとしないステロベを予め主将に任じたのだ。同格の将軍にして派遣すると、いざ戦闘という時に意見が対立して統一行動がとれず、敗北することだってありうる。それに将軍間の足の引っ張り合いとか起きたら大変だと考え、有斗は上下関係をきちんと決めて派兵することにした。

 アエティウスがいたら全部アエティウスに投げれたのになぁ・・・と有斗は心の中で愚痴る。

「政情不安のこの時期に大兵を動かせば民も不安に思うのでは?」

 ステロベは派兵には賛成ですが、と前置きしつつ、そう言った。不安になった民が流言に踊らされて、逃亡したり反乱を起こしたりすることが心配のようだ。

「朝廷も諸侯も民も多少は不安に思うだろう。だが今のまま放置しておいては、もう朝廷には地方の反乱を収める力もないなどと諸侯に噂され、もっと深刻な事態になるかもしれない」

 そうなれば今以上に各地で諸侯が蜂起し、もはや手の打ちようがなくなってしまう。

「早ければ秋、遅くとも冬にはカヒはきっと攻めて来る。それまでにどれだけ足元を固めておけるかが勝負になると思う。将軍たちが戦場での戦いに専念できるように、僕は王都に残って政治と外交に専念し、諸侯の心を繋ぎとめ、将軍たちの要請に応えられるように後方を整えておこうと思う」

 有斗のその考えは将軍たちにも十分に納得できるものだったようだ。将軍たちからそれ以上、反対の言はあがらなかった。

「それがいいよ! 将軍たちは歴戦の強者だし、直接、陛下が行くよりも何倍も早く物事を解決してくれるよ!」

 アエネアスのあいも変わらず自由奔放なその発言をもって、その日の会議は締めくくられた。

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