第174話 後始末

 書類をアリスディアに引き渡し、中書省へ戻るラヴィーニアに何故かアエネアスが同行する。

 その理由はアリスディアと有斗は書類仕事で忙しく話し相手になってくれそうもない、そうなるとセルウィリアの顔を見るために執務室に残るような形になるので、それが嫌だったのだ。

「でも意外」

「何が?」

「陛下に向けてあれだけカヒと戦うなと言っていたじゃない? また嫌味を言うんだって思ってたのに、責める言葉ひとつ言わなかったよね。どういう風の吹き回し? 何かいいことでもあった?」

「何をわからないことを言っている? 我ら臣下は陛下に助言するのが勤め。そして陛下は数多の臣下の助言を聞き、国家としてどの道を選ぶか決めるのが勤め。自分の意見が選ばれなかったからと言って、不満を持つなど不敬であろう? そもそも気分の問題で陛下に対する態度を変えるなんて、この世で赤毛のお嬢ちゃんだけだ」

「・・・」

 ラヴィーニアの言葉にアエネアスは怒るでもなく、驚きの眼差しを向けた。

「おどろいた。四師の乱を起こした張本人の言葉とは思えない」

 痛いところを突く、とラヴィーニアは苦笑する。この様子でずけずけ物を言われては陛下とて腹の立つこともあるに違いないだろう。よく遠ざけられないものだとラヴィーニアは有斗の度量の広さに感心した。

「あの頃の陛下は新法派の言うことだけを聞くだけの操り人形だった。王として失格なのだから、我々が臣下としての責務を果たさなかったとしても責められるいわれはない。むしろ国家のことを考えれば排斥するのが当然のことだ」

「ものは言いようだね」

 ラヴィーニアは他人だけでなく自分の過去をも振り返らない性格であるようだ。

 アエティウスのことばかり振り返っているアエネアスから見るとその生き方はどこか眩しい。とは言ってもアエティウスのことを忘れたいわけではない。決して忘れてはいけないとも思う。ただ、どんなことがあろうと未来だけを見る前向きさだけは羨ましいと素直に思う。

「それに終わってしまったことを悔いても現状は何も変わらない。悲劇の主人公ごっこに耽溺たんできするくらいが関の山さ。望んだ未来をその手に掴みたいのなら、過去を振り返るのではなく、現在の状況を正確に把握し、望むべき未来になるよう行動しなければならない」

「へへぇ・・・じゃあお賢い中書令様による現状認識では、まだ陛下が勝利する術があると思っているってわけ?」

「戦場で王師はカヒの無敵の騎馬軍団に敗れた、これは事実だ。だが王朝がカヒに負けたわけではない」

「確かにまだ王師は全滅したわけじゃないよ。でも一万もの精兵を失ったのは数字以上に痛いことだよ」

 東西合一した王朝は額面どおりに税が入ってくるのなら、おそらく一時的ならば十万を超える兵を養うことも可能だ。

 だが何年もかけて作り上げた精鋭一万は新兵三万にも五万にも相当する。新兵を急遽雇い入れても、それがカヒの騎馬軍団に相対できるとはとても言えない。一瞬で蹴散らされ、逃げまわるのが精一杯であろう。戦いは数ではないのだ。

「そう、容易いことではないな。だがあたしがいるんだ。カトレウスの思うがままには決してさせない」

 そう言って正面を見るラヴィーニアの目は自信と決意に満ちていた。

 この小さい体のどこにそれだけの頭脳と度胸が隠されているのだろう、とアエネアスは感心する。

「たいした玉だね、おまえは。その自信を半分くらい陛下に分けてやって欲しいくらい」

「フン」

 アエネアスの感心とも呆れともとれる言葉にラヴィーニアは鼻を鳴らすことで返答と代えた。


 ラヴィーニアが緊急を要するとして運んできた書類の中には、租税や訴訟のことなど内戦案件もあったが、その過半は最も緊急を要する、別の一件についてのものだった。

 そう、河東の後始末についてである。

 韮山で大敗した王師であったが、その残存兵は堅田城に逃げ込む形となった。

 ベルビオら一部の将兵は変事を恐れて王都に帰還したが、その大半は王である有斗が行方不明だったせいで未だ河東対岸で身動きが取れないままだ。

 もし王が死んでいた場合なら、前線の将軍あるいは朝廷の命令だけで兵を動かすことも可能だったのだが、そうではない上に、今回の出兵が王の親征である以上、兵を動かす根拠が法令上、誰にもないからである。

 さて、今現在の河東大河流域の情勢はというと、王師は野戦では負けたが、堅田城という要害に籠ったことでかろうじて息を吹き返した。

 もちろん、カトレウスは勝利の勢いに乗って、この機に河東沿岸域を完全に手中に収めんと兵を進めたのだが、そこでちょっとした障壁にぶちあたってしまった。

 河東沿岸域の諸侯はそろいもそろって吹けば飛ぶような小諸侯ではあるが、大河の氾濫原を根城にし、夜陰に紛れて襲撃をかけてくるから、得意の野戦に持ち込めずに、さすがのカヒの兵も対処のしようがなくて苦戦を強いられたのだ。

 攻撃すれば逃げ、追えばさらに逃げる彼らに対する即効薬は無い。根城をひとつづつ潰して支配域を広げるしかない。だがそれには時間がかかりすぎる。

 ならばとカトレウスは考えた。彼らが何よりも頼りに思うのは堅田城に籠る王師である。いざとなれば後詰があると思うから彼らはカヒという大勢力に愚かにも刃向かうのである。

 カヒが河東沿岸域を支配下に置きたいならば、まずは何より河東より王師を追い出すことだ。

 だが諸侯の執拗なゲリラ攻撃をしのぎつつ、ようやくたどり着いた堅田城の守りは固く、大敗の後だというのに士気も高く、速戦での陥落は無理だと判断した。

 こうなるとカトレウスはあっさりと見切りをつける。歴史上、勝つことができる将軍は多いが、退くべき時に兵を退くことを冷静に判断できる能力を持つ将軍は少ないが、カトレウスはその数少ない将軍の一人であった。

「いったん、兵を退く。これ以上の対陣は無意味だ」

「ここまで来て、もったいなくはありませんか」

「この勢いを使って河東から王師を追い出すべきでは」

 ガイネウスや四天王たちは口々に無念の思いを口にするが、カトレウスは判断を揺るがすことはない。

「負けた王師も辛いが、勝った我らもこれ以上戦い続けるのは辛い」

 カトレウスは王師が渡河したのを知るや、神速の勢いで兵を動かした。兵の心身に負担を強いたし、なにより長期戦を戦う準備を一切、行っていなかったのだ。

 カヒは王師と違って兵站を支える人や組織を持たない。独力で長期戦を戦うのなら不利になるのはカヒである。

 地元諸侯から兵糧や物資の提供を強いるという選択肢もなくは無かったが、河東西部の諸侯はカトレウスに心酔していない。いらぬ反感を買って、大切な味方を減らす必要はないだろう。

「我が兵を引けば、王師も兵を退く」

「そう思い通りにいくでしょうか」

「朝廷も河東に長期にわたって大兵力を縛り付けておく体力はないはずだ。兵力を減らせば、付け入る隙はある」

 同じ兵力を維持するのでも、勢力圏内に駐屯地を置くのと、敵地や辺縁部に置くのとでは維持に掛かるコストに雲泥の差が存在する。東西合一したとはいえ、朝廷もそこまでの出費は避けたいはずだとカトレウスは考えた。

「では・・・!」

「いずれ再戦の機会が訪れる・・・と?」

「当然よ。ワシが畿内へ渡って天下を手中にするには、あの城を越えねば行けぬのだ。岸壁にへばりついた蛙をいずれは必ず大河の中へ叩き込んでやる」

 その後の戦略を考えると同時に、撤退するにあたってそれなりの形をつけるために、王師側についた諸侯の城を一つ落とすと、カトレウスの言葉通りにカヒは兵を返した。

 だがカトレウスの目論見は半ば当り、半ば外れることとなる。


 通常の歳費、連年の出兵、さらには王師の再建で必要となる経費が積みあがると朝会で朝臣たちは一斉に顔色を曇らせた。

 とてもではないがやっていけない。現在の基準なら財政再建団体に転落すること必至であった。

「陛下には財政状況を鑑み、数年はじっくりと内政に専念していただきたい」

「今現在、朝廷にカヒに攻め込むだけの力はござらぬ。大河の向こう側を支配しても利は薄い」

「さようさよう。河東など放棄して大河を防衛線としてしばし守勢の形をとるのが百年の大計というものよ」

 当初、有斗は右府アドメトスら、内政畑の朝臣が主張する意見に傾きつつあった。

 それはそうであろう。自分の判断で一万もの兵が命を失い、その数倍の家族を悲嘆にくれさせた。それで何かを得たならばまだいいが、実利は何一つ得はしなかった。

 消極的になろうというものである。

「河東を放棄し、大河を防衛線とする」

 そう言いかけた有斗の口を慌てて塞いだのが王師の将軍たちの代表として王都に戻ってきたヘシオネである。

「陛下、堅田城を手放してはなりませぬ」

「なぜかな?」

「確かに大河を防衛線とするのは一見すると理にかなっており、朝廷にとっても利ありと申し上げましょう」

「じゃあ何故反対するの?」

「だがそれはカヒにとっても同じ事と申せましょう。カヒも大河を朝廷に対しての防衛線として使えるということになります。また、河東から王師の兵がいなくなれば、河東沿岸の諸侯も一斉にカヒに棚引きましょうから、河東は早晩カヒの手に落ちます。そしてカヒが河東を手中にすれば、一度は諦めなざるを得なかった芳野に次は狙いをつけることになりましょう」

「まぁ、そうなるだろうね」

 直にその脅威を味わった身としては、カトレウスの実力とカヒの兵の強さの前には並みの諸侯など敵ではないと思われた。

「王師の掣肘せいちゅうを受けなくなった以上、カヒが芳野を手に入れることを妨げるものはありますまい。さすればカヒは河北、畿内、南部と三つの攻め口を持つこととなり、防衛側の朝廷としては敵の動きに合わせて兵を移動させねばならず、一気に不利な体勢と相成ります。堅田城は敵地に突出した孤塁ですが、少数の兵でも城を堅守していればカヒの動きを封じることができる急所と申せましょう。それを忘れてはなりませぬ」

「ふむ」

「さらには臣下に対する心理的影響を忘れてはなりませぬ。韮山での大敗で将兵はもとより、朝臣や諸侯は大きく動揺しております。このうえ戦うことなしに堅田城を手放せば、王の器量、朝廷の実力、ともにあなどられましょう」

「諸侯や朝臣からカヒに通じる者が出ないとも限らないってことか」

「御意。もちろん現状でもカヒに心を寄せている者が皆無とは申せませぬが、裏切り者は少しでも少ないほうがよいに決まっております」

 ラヴィーニアもヘシオネに賛同した。

「あたしもヘシオネ卿の意見に賛同いたします。諸臣は一を知って十を知りません。確かに堅田城を放棄すれば朝廷の負担は減りますが、カヒも堅田城を落とすのに戦費を費やさずに済むことを忘れてはなりますまい。カヒとの戦争は長期に渡る持久戦となるのです。自分たちの出費を減らすことばかりに目を向けるのではなく、それによって敵の出費がどう変動するのかも考慮に入れなければなりません」

 有斗は結局、ヘシオネの意見を採用することにする。

「わかった。ヘシオネの言う通りにしよう」

 とはいえ全軍を河東に置いたままにしておくのは無駄の極致である。王都や関西で何かあった時に即応できない。

 そこで堅田城に第五軍、第八軍、第十軍を、堅田城と正対する大河沿岸に第二軍、第七軍、第九軍を配置し、残りを王都に帰還させる。

 対岸に三師を置いたのは大河流域の河賊を駆逐して堅田城への連絡、補給路を確立するためと、堅田城から王師の過半がいなくなったことで何か返事が起きれば、それに対応するためである。東側に戦力の大半を集中させる形となるが危急の時であるからには仕方がない。

 後は堅田城を守ってカヒの攻勢を凌ぎ切る、東方戦線の主将を誰にするかである。

「ヘシオネ、やってくれるね」

 有斗はそれをヘシオネに託そうと思った。

 アエティウス、アリアボネがもはやこの世にいない以上、有斗に言わせれば他に適任者がいない。代わりに傍にいて軍事政治両面で有斗を支えてくれる人物がいなくなるのが心配ではあったが、今は朝廷が立ち直るまでの間、カトレウスを相手に互角の立ち回りを演じることができる器量と才覚の持ち主を堅田城に置いておかねばならないのだ。

「はっ」

「無茶はしないで欲しい。危ういと思ったらすぐに王都に知らせて欲しい。救援を送るから」

「御厚意、感謝いたします」

「くれぐれも無茶はだめだよ。何かあれば遠慮なく畿内へと退いて欲しい。ヘシオネの役目は朝廷が立ち直る時間を稼ぐことであって、河東を堅持することじゃないんだからね」

「陛下の御意に決して背きません」

 ヘシオネは有斗に向かって深々と腰を折った。


 河東から王師が撤兵したと聞いても、ふたつの理由からカトレウスは喜ばなかった。

 ひとつはまた越よりオーギューガが上州に兵を下ろしてきたからであり、もうひとつは大河を挟んで王師が河東近辺に兵を集中させているからである。

 これでは大兵を堅田城に向けるわけにはいかないし、もしそれができても河東沿岸部を手中に収めることが難しい。

 このままではせっかくの韮山での勝利が無駄に終わってしまう。

 だがカトレウスは時間を無駄にする男ではなかった。

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