第169話 一難去ってまた一難
有斗は周辺を探ってアエネアスが
さて移動しようと思った時、パラパラと、アエネアスと一緒に最初に滑り降りてきた崖の上から、小石交じりの砂が降り落ちて来る。
「敵か!?」
有斗はアエネアスを背中に隠すように身構え、剣を抜いたが、上から滑り降りてきた人物を見てほっと安堵する。
次々と連なるように降りてきたのは羽林の兵たちだった。どうやら上での戦いも決着がついたようだ。さすがは精強を持って知られるダルタロスの兵からアエティウスが選び抜いた精鋭たちだ。あのくらいの人数差はものともしなかったらしい。
有斗は死んだ後もアエティウスが今でも守ってくれているような気持ちに包まれ、嬉しかった。
「ご無事でしたか!?」
「うん・・・なんとかね」
「申し訳ありません! 全員を食い止めようとしたのですが、何人か逃してしまい、降りていくのを防ぎきれませんでした」
周囲を警戒しつつ有斗に接近してその無事を確認する。
と、その後ろで片足を引きずるようにして杖を頼りにアエネアスが歩いている姿を発見して、彼らは一様にショックを受けた。
アエティウス亡き後、新しくダルタロス公となった人物とは彼らは縁が薄い。そんな彼らにしてみれば、長年の馴染みもあれば、直接の上司でもあり、アエティウスにもっとも血縁的に近い本家のお姫様でもある彼女が今や主君も同然なのだ。
死んだアエティウスの代わりに自分たちが守らねばならないという騎士道的な思いを持っているのである。
「だ、大丈夫ですか、アエネアス様!?」
むさくるしい男どもに囲まれたアエネアスは彼らの手を邪険に振り払う。でも心配してもらえるのは嬉しいのであろう、顔は笑っていた。
「大丈夫じゃないよ! 陛下が上から乗りかかってくるから、足が変な方向に曲がっちゃったんだよ! いたたたたた・・・これはたぶん骨をやったかも!」
ちょっとでも振動が伝わるとアエネアスは顔を苦痛に
よくあんなので大丈夫だから逃げろとか言えたな・・・と有斗が感心するくらいだった。
「アエネアス様の上に乗りかかった・・・?」
羽林の一人が
「・・・ひょっとして、それでアエネアス様の服が破れ───」
・・・なんで、有斗がアエネアスの服を破らなければいけないんだ? 極めて見当違いの回答を導き出した彼らに真実を告げなければならない、と有斗は思った。
「いや、それは僕のせいじゃな───」
と、言いかけた時だった。皆が一斉に納得したかのように有斗を見て頷いた。
「・・・あ!」
・・・???
何が彼らをして統一された行動に走らせたのか、まったく理解できていない有斗に対して、アエネアスは彼らのその行動が誤解から生じたものだということを正確に把握していた。
「ち、違う! それは違う! みんな、絶対に勘違いしてる!!」
アエネアスは顔を真っ赤にして、彼らの考えをやっきになって否定する。
「お嬢、お嬢だって年頃の女の子です。それにいつまでも若に操を《みさお》立て続けるわけにもいかないでしょう。若だって相手が陛下なら・・・って、きっと納得してくれます。私らもお相手が陛下なら何の文句もありませんし」
うんうん、と同意するように全員が首を縦に振った。
「敵に襲われた後だのに、一戦交えようとはさすが陛下、豪胆ですね。そういうことならば、俺らは気を利かせてしばらく席を外してきてもいいですよ」
そう言っていらぬ気を回して立ち去ろうとする羽林の兵をアエネアスは慌てて袖を掴んで止める。
「待って!! だから勘違いだと言ってるでしょ!!」
そのやりとりでやっと有斗は皆が何のことを話しているのか理解した。
「・・・え・・・ひょっとしてみんな僕がアエネアスを襲ったとか勘違いしてるの?」
有斗の言葉に直接の返答は無い。だが有斗を見る彼らのその目が、有斗が言ったその言葉が正しいと肯定していた。
有斗は大きく憤慨する。
有斗が本能のままに女の子を襲うような王だと思われていることも腹立たしい。それに、アリアボネとかアリスディアとかを襲うと思われているならまだ分かる。あんな美人で性格のいい子は男子にとって憧れだ。いけない妄想をしちゃっても、しかたがない。
だが後宮には他にもいっぱい美人がいるのに、なんでよりによってアエネアスみたいな凶暴なメスゴリラを襲わなきゃならないんだ!
「いくらなんでもそれは酷い! 僕は血に飢えた虎に手を差し出すような、そんな危険なことをするほど馬鹿じゃないぞ!」
それはあんまりだ、と冤罪を強く訴えた。
「なんですって!!!!」
アエネアスは何が気に入らなかったものか、凶悪な猛獣のように吼えながら、有に詰め寄った。だが動いた反動で足をまた痛めたらしく、アエネアスは涙目でうずくまる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
その場に何かやりきれない雰囲気が漂った。有斗は大きく溜息をつく。
「それよりさ。今日はもうちょっと移動してからまた休もうか。あいつらがまた来ても困るしさ・・・」
アエネアスに殴られた頬をさすりながら、有斗はいつまでもここにいてもしかたがない、と移動を提案する。
「う・・・うん。そうしよっか・・・」
背中におぶさるとか、肩を貸すと言った羽林の兵たちの提案を全て断って、アエネアスは杖を突いて立ち上がった。
始終痛みをこらえて呻くアエネアスのペースに合わせて、有斗たちはゆっくりと移動を始めた。
アエネアスの足のこともあって、山岳地帯を抜け出たのは三日後、大河の岸に辿り着いたのはさらに二日たってのことだ。
大河東岸の諸侯は朝廷の息がかかっているとは言っても、この度の敗戦で心変わりもおこしたかもしれないと羽林の兵らは主張したので、なるべく人目を避けるようにして、田畑や小屋を避け草地や林の中を移動した。
途中、諸侯の兵ででもあろうか、幾度か小部隊を見かけることがあったが、念のために草むらに隠れてやりすごし、見つかることなく大河の岸辺に到達した。河岸ではヨシが高々と生えそろい、有斗らの姿を隠してくれた。
川に向かって歩くと少し潮の香りがする。だいぶ南に出てしまったらしい。
「陛下、お気をつけを。ヨシ原があるということはこの先は干潟です。足を取られてしまいますので危険です。お戻りください」
後は川を渡るだけだ。全員がそのことについて意見を出した。
「当初の予定通り、川沿いを北へ北上して、堅田城にいる他の皆と合流したらどうだろうか?」
だが皆は有斗の意見に反対する。
もはや堅田城を目指すには遅すぎる。道々にカヒの兵が満ちているかもしれないし、堅田城を包囲している可能性も高い。別の手段で畿内へ戻らなければならない、と言うのだ。
少しだけなら金もあるし、渡し守か漁民を探して対岸へ渡してもらおうかという話にもなったのだが、よくよく考えると、もはや河東にはカヒの勝利の報が駆け巡っていると考えたほうが良い。
親切なふりをして、隙を見て捕らえ、カヒに売り渡す危険性がある。
結局こっそり船を拝借するという非常手段を取ることにした。つまり平たく言うと泥棒だ。
「とにかくなんとかして船を捜してきます」
と羽林の一人が鎧兜を脱ぐと、泥で着物を汚していかにも農民といった格好をし出て行った。有斗らは吉報を待つしかない。
やがて陽がほとんど落ちかかった頃、近くの漁師の隙を見て
だが羽林の兵もアエネアスも有斗も舟を操った経験が無かった。ならば夜の渡河は危険だ。無理はできない。
船が盗まれたと騒ぎになれば村中総出で探索されるだろう。一晩待ったことが命取りになるかもしれないと思いつつ、焦りは禁物といい聞かせて翌朝を待つ。
これが失敗すれば今までの苦労が無駄になる、とみな焦れる思いでろくに眠れない。東の空が薄っすらと明るくなると、一秒でも早くとばかりに船に乗り込んだ。全員乗ったから少し安定感が無い。
「河の中ほどを過ぎさえすれば、一息つけるはず」
アエネアスのその言葉に皆一様に頷く。
帆は風をはらみ、やがて速度を出して舟は順調に滑りだした。出立した岸側で目立った動きは見られなかった。
ここまで離れてしまえば、例え舟を盗んだことがばれても大丈夫だ、そう皆が一息ついてしばらく経ってからのことだ。
海へと続いている大河の南の水平線上に何か違和感を感じた。
目を凝らしてみると、それは最初は黒い点であるように見えた。それは段々大きくなり、横へと広がる。
船だ。南から大きな船が何艘も河を
「・・・まずい」
有斗の指摘にアエネアスを表情を曇らせる。
「あれは軍船だよ。まさかカヒの軍船が落ち武者狩りをしているとは考えられないけど・・・」
大河は広く長いのである。東西を行き来する船を全て調べていたら、いくら船があっても足らないだろう。そんな無駄なことは普通はしない。それにカヒは水軍の練者というよりは馬上の勇者である。
だがあれだけの軍船を持っている者は限られている。関西、関東の両政府、ダルタロス、カヒなどなど。カヒが韮山での勝ち戦に乗じて畿内か南部に攻め込むという可能性もなくはない。
それとも・・・
「民間の船かな? 大商人ならあれくらい持っていても不思議ではないけど・・・」
「とにかく近くを通らないことを祈ろうよ。河はこんなに広いんだ。近くで見ないと僕達の正体なんて気付きっこない」
「そうだね・・・」
風は海から吹いてくる。大船の船足は思った以上に速かった。
このまま行くと接触こそしないものの、かなり近くを通ることになる。
みな民家から拝借した
だが想像以上に軍船は早かった。あやうく船尾を擦るほどの距離。軍船が起こす引き波で小船は回りながら大きく揺れた。
「きゃ・・・!」
と叫ぶとアエネアスは船べりに掴んでなんとか投げ出されることを防ぐ。
と、突然頭上から声が聞こえる。
「帆を畳め! 引き寄せるための竿を持って来い!」
見つかったか、と有斗たちは青ざめた顔を見合わした。
そっと羽林の兵たちは船底の剣を引き寄せ、いざという時に備える。
「これはこれは!
緊張した有斗たちに飛んできたのは詰問の言葉でも、捕獲するための網でも、殺傷するための矢でもなく、陽気な笑い声だった。
「ここで会うとはなんたる奇遇! これはやはりあれかな、そう、運命とかいうやつですな。前から思っていたのですよ。貴女とは前世からの宿命めいたものがあるということを!」
甲板から身を乗り出し、満面の笑みで有斗たちに笑いかけていたのはマシニッサだった。
とりあえず敵ではない。敵ではないが味方であるという確証もなかった。
満面の笑みを浮かべて嬉しそうに笑うマシニッサに対して、有斗はひきつった笑いを浮かべるのがやっとのことであった。そして隣のアエネアスもまた、まったく同じ表情を浮かべていた。
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