第167話 かつて見ぬ風景。

「あいつらは陛下だと知って追ってきているんじゃないんです。よい獲物だと思って落ち武者狩りをしているだけです。それにどうやら目的は私のようです。身なりがよい貴族の女だということで追ってきているみたいなんです」

 と、アエネアスは言った。

「いいですか、ここは逃げるんです。どんなことをしてでも逃げ延びてください。陛下がここで死んだら兄様の死が何の意味も無くなってしまうもの。どんなことをしても生き延びなきゃだめです」

「でもアエネアス一人じゃ・・・とても、あの人数と戦えないだろ?」

「まかせてください! わたしは強いんです! 武榜眼ぶぼうがんは伊達じゃない!!」

「強いっていったって・・・」

 そう言って有斗は口ごもった。一対一ならともかく、数の差がありすぎる。

 しかも足首を怪我している。ステップひとつ踏めやしない。まともにかわす動き一つできないだろう。ならば剣で剣を受けとめるしかない。そうすると男に比べて非力なアエネアスに勝ち目は無い。アエネアスの剣術は体捌たいさばきで相手の剣をかわし、相手の向かってくる力を利用することで、相対的な筋力不足を補う剣だ。唯一の武器である動きを封じられたアエネアスでは一対一でもきついであろう。

 そんな有斗の心配をアエネアスの言葉がさらに倍加させる。

「もし・・・もしも私が帰らなかったときは・・・」

「何を言うんだ!」

 縁起でもない前提条件を言うアエネアスに有斗は驚きの顔を向ける。

 アエネアスお得意のあまり深い意味の無い冗談かとも一瞬思ったが、そう話したアエネアスの横顔は真剣其の物だった。

「もし、の仮定の話です。そうなった時、私を探してくれますか?」

「探す・・・?」

 どういうことか分からず、有斗はアエネアスを見つめた。

「私は女です。それにいちおうダルタロスの一族で羽林という要職にあります。殺すと厄介なことになるのは、いくら知恵のない山賊でもわかることです。それに狙いは身代金かカヒからの褒章目当て。命までは取らない。私をカヒに突き出しても褒賞があるとも思えない。だとすれば金を払えば解放するはず。もっともダルタロスとの厄介ごとを恐れて私を弄玩ろうがんした後、殺すこともあるかもしれないけど・・・それよりはお金を得るために手っ取り早く女郎部屋にでも売るか、奴隷として売りさばくと思う。だけど・・・きっとどんな境遇に陥っても、陛下が探してくれるという希望さえあればきっと耐えられます・・・生き延びてみせます。私は兄様やアリアボネが陛下に見た未来ゆめをこの目で見とどけなければならないもの。陛下に頼むなんて恐れ多いことだとはわかってます。でも・・・お願い、そう言ってください。その言葉だけでわたし・・・」

 アエネアスの顔はこれまで見たことも無いくらい真剣な、そして哀願するような表情だった。

 だけど・・・僕はどこかでこの顔と同じ顔を見たことがある、と有斗は胸が痛んだ。

 そうか・・・これはあの廃屋でセルノアが去り際に見せた表情・・・

 有斗は頭の奥底がぐらぐら揺れ、胸の奥底がしくしく痛んだ。

「わかった・・・約束する。どんなことになっても、きっとアエネアスを見つけるまで探し続けるよ」

「・・・ありがとう」

 それでアエネアスの気持ちが収まるのなら・・・と有斗は約束をする。

 そうさ、こんな弱気なのはアエネアスじゃない! いつも王に対して思ったことをそのままうっかりと口にしちゃうのがアエネアスだ。思ったより足が痛むので、ちょっとだけ弱気になっているだけなんだ・・・! 大丈夫、直ぐにいつもの気丈なアエネアスに戻るさ。

「でもまだ諦めるのは早い! 逃げよう、二人で!」

 有斗はアエネアスの袖を掴んで引っ張る。

 そう、逃げて時間を稼げば、上で戦っている羽林たちが援軍に駆けつけてくれるかもしれない。

 ひょっとしたらあいつらだって追いかけることを諦めるかもしれない。

 例え逃げ切れなくても最後は二人で戦えばいいじゃないか。二人ならアエネアス一人よりも勝つ確立は上がる。そりゃあ僕なんかじゃ足手まといかもしれないけれども。最後まであがかずに諦めるなんて、僕は嫌だぞ。

「陛下、陛下は本当に優しいです」

 アエネアスはそう言って今まで有斗に向けたことの無いような優しい目をした。かつてアエネアスはアエティウスを見る時、そういった目をしていた。

 こんな目をするアエネアスをしばらく見た記憶が無かった。

「だけど王は優しいだけじゃ務まりません。切るべきときに部下を切り捨てるのも正しい王の資質です」

 アエネアスは右手で有斗を突き飛ばした。

 一瞬バランスを失いかけるが、片手を地面につき、足を踏ん張って体勢を整える。

 が、そこはもう斜面だった。ゴムがないこの世界の靴底は斜面にてはグリップ力が足りない。有斗は坂を滑るようにずり落ちていった。

「行って!!」

 そう叫ぶアエネアスの顔と声が遠ざかり、小さくなってゆく。

 アエネアスは剣を抜くと有斗から目をそむけるようにして背中を向けて敵を待ち受ける。

 滑落し続ける有斗の目からは、木々や下草が間を阻むように立ちふさがり、いつしかその姿は見えなくなってしまった。


「・・・・・・っつ!」

 有斗は谷底まで滑り落ちてようやく止まった。

 石やら、木の枯れ枝やら、草やらで手のひらはあちこち切れて血まみれだった。

 だが、その痛みを感じる余裕は有斗にはなかった。滑落してきた急坂の上を見上げ様子を探る。遥か上方はほのかに明るい。有斗たちが灯した焚き火の明かりだ。まだ消えていない。

 羽林たちは敵を撃退したのだろうか? それともアエネアスが言っていたように、もうみんなやられてしまったのだろうか・・・?

 そして・・・何より一人残ったアエネアスは・・・果たして大丈夫だろうか?

 ・・・大丈夫なわけは無い。そう感情はささやく。

 だがアエネアスが、羽林の兵たちが命を賭して戦っているのは有斗を逃がすためである。有斗が彼らの行為にむくいる方法は、逃げ延びて王都に無事帰還することだ。そう理性は言っていた。

 迷いが生じた有斗は頭を抱えて考え込む。ふと、何気なく横を向いた。

 一瞬、時間が止まった。

 そこには青い髪の少女が悲しそうな目をして立っていた。その顔を忘れるはずもない。

 慌てて目をこすると少女はもうそこにはいなかった。当然だ、それは幻。だがその幻は有斗の目を覚まさせるだけの効果はあった。

 そうだ・・・そうだった。

 そう、有斗が選ぶべき道は一つだ。

 有斗は暗闇の中で目を凝らし周囲を見渡し、谷底から脱出する道を探した。


「てこずらせやがって」

 そう言った男はアエネアスの上に馬乗りになって、後ろ手に縛り上げる。

「いや、おめぇたいしたもんだよ。女にしてはたいしたもんだ」

 女だと思って甘く見て、危うく命を落とすところだった。落ち武者狩りでこんな怪我人を出すなど、彼らにとっては前代未聞だった。傷口を布で縛って止血している者もいる。

 男たちをののしる口に手早く猿轡さるぐつわを噛ませ、暴れる足を固定する。

 アエネアスは怪我をした足首を縛られる際に変な方向に力を加えられ、苦しげなうめき声をあげた。

 やれやれ一仕事終えた、と男はようやくアエネアスの上からどいた。

「あっちのほうもたいしたもんだと嬉しいんだがな」

「違いねぇ」

 五人のその男たちは下卑げひた笑みを顔に浮かべて、地面に転がした彼らの獲物、アエネアスをじっくりと監察する。

「にしても上の連中は降りてこないな・・・」

 彼らにしてみれば、圧倒的な人数差を考えるとそろそろケリがついてもおかしくないといったところだろう。

「それなりに人数いましたからね。てこずってるのかもしれませんぜ」

「そうだな・・・おめぇ手助けに行くか?」

「へへへ、冗談でしょ? こんな上物を目の前にして、上に戻れって言うんですかい?」

「そうだな。さっそく楽しむとするか。貴族の女ってのはどんななんだろうな」

 男たちはもがいて逃げ出そうとするアエネアスを押さえつけると、衣服を引きがしにかかった。

「~~~~~~~~~んん!!」

 突然、長い間忘れていた感情がアエネアスを襲う。

 それは恐怖。

 そっか・・・そういうことだったんだ。

 自身の心の奥底に、こっそりしまい込んでいた本当の自分がいることをアエネアスは始めて認識した。

 いつもダルタロス家の威光がアエネアスにはあった。アエティウスの後ろ盾があった。ダルタロスの御令嬢、当主の従妹。当然、初対面の人であっても、王朝の重臣であっても、アエネアスには気を使う。

 他人に対して強く出るアエネアスは、自身の脆弱さを気付かれまいとする感情が作り出した鍍金めっきに過ぎなかったのだ。

 鍍金がはがれれば、地金のアエネアスが現れる。

 それは世の不条理にあらがうこともせず、押し黙り、直ぐに諦めるか弱い少女。倉庫の隅で暮らし、使用人たちの横暴な命令を黙って聞くだけの、諦観ていかんが心を支配する小さな女の子。

 涙が溢れて止まらなかった。

 助けて兄様・・・!

 アエネアスは心の中で手を伸ばす。

 だが、かつてアエネアスを助けてくれたアエティウスはもういない。

 倉庫に追いやられ、死んだような目をしてこき使われていた時のように、救い上げてくれる人はもうこの世にはどこにもいないのだ。

 助けて・・・お願い・・・

 誰でもいいから助けてよ・・・! お願い・・・!


 有・・・斗・・・


 何故かそこで浮かんだのは思いもかけぬ人の名だった。

 だが有斗が戻ってくることなど無い。

 だってあいつは知っている。助けようにも自分にそれができるほど強くないということを。そして何よりセルノアという人の犠牲で今の自分があるということを。ならばあいつが今ここで取るべき道はただひとつ。

 そう、ここにアエネアスを置いて逃げなければいけない。

 セルノアの犠牲を無駄にしないためには、有斗は生き延びなければいけないのだから。生き延びなければ、伝説の『天与の人』になることはできないのだから。

 アエネアスを助けてくれる人はもうこの世界にはいないのだ。

「チクショウめんどうだな」

 アエネアスが暴れるせいで、服を上手く脱がすことができずに男たちはイラついていた。

「どけ、着物なんか切っちまえばいいんだよ」

「でも売ればきっといい値が付きますぜ。もったいねぇ」

 金が入ってもすぐに使ってしまい、いつも素寒貧すかんぴんな彼らには、魅力的であろうその言葉だが、興奮で聞き入れる余裕も無いのか、絹の着物を躊躇ためらいも見せずに短刀で切り裂いた。

 男たちが裸に剥いたアエネアスに襲い掛かろうとした瞬間だった。

 ガサリ、大きな音と共に草むらが揺れた。

「誰だ!!!」

 男たちは一斉に武器を取り、音のした方角を見据える。

 この女の仲間が来たのかもしれない。もしくは彼らと同じ落ち武者狩りをしている者が獲物を横取りしようと来たのかもしれない。

 それに人以外にも怖いものがある。熊だ。この山には人を喰うクマが出ると言われていた。

 大きく下草と木々を踏みしめて何かが近づいてくる音が確かにする。彼らはゆっくりと武器を構えた。やがて闇の中に黒々とした影が形作られる。大きさは・・・人くらい。とはいえ油断は禁物だ。そのくらいの大きさでも猛獣であるならば危険な存在となりうる。

「盛り上がってるところ悪いんだけど」

 影から声が投げかけられた。どうやら人であるらしい。男たちは一安心した。人間ならば相手側の人数次第だが彼らでもじゅうぶん太刀打ちできるはずだ。

 男たちが返事をしないことを了解の意とでも思ったのか、声は影から続けて投げかけられた。実にとぼけた声だった。

「その女はぼ・・・俺のものだ。返してくれないかな」

 その男はいいところを邪魔をされていきり立つ、武器を持った五人の屈強な男たちの姿を見てもひるみもしない。一人で平然と近づいてくる。思わず気押けおされて男たちは後ずさった。

 そんな・・・! どうして・・・!!?

 アエネアスがそっと目を開くと、そこにいるはずのない顔が存在していた。

 見間違えじゃない。男の顔を見て、アエネアスはショックで心臓が止まらんばかりに驚いた。

 剣を構えて立っているのは・・・有斗だった。

 まるで歴戦の戦士ででもあるかのように堂々と立っていた。

 なんでここに戻ってきた・・・!? ろくに剣術も使えないくせに・・・!

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