第155話 撒餌(Ⅶ)

 ベルビオとエザウは競うように兵を馳せらせ、ツァヴタット伯領へと雪崩れ込んだ。

「う~む」

 ベルビオは丘に登り、高所から城近辺を一望すると大きくうなり声をあげた。あげざるをえなかった。

 山岳に立てられたツァヴタット伯の虎臥城は有事の時にふもとの居住地を逃れて篭るための典型的な山城であった。険しい山頂に立てられただけあって、少々の兵なら寄せ付けないだけの堅固さを持ち合わせていた。

 それで攻めあぐねたのか、敵は周囲の山々に陣を配し、ぐるりと取り囲んでいたのだ。

 近くの山々には立錐の余地が無いほど旗と兵で埋め尽くされていた。これでは騎兵の持ち味である騎馬突撃を生かすことはできなさそうであった。

 それに気に食わないことがひとつある。

「たかが一地方伯の征伐にしては兵が多いですな」

 ベルビオは山々を彩る旗を数えて目算するとエザウの言葉に頷いた。

「一万といったところか」

「しかし四つ菱の旗は少ない。大半は地元諸侯の兵ですかな」

「油断するなよ。諸侯主体とはいえカヒの兵だ」

 だが警戒が必要なのは、あくまで交戦した時の注意事項である。

 幾度か兵をふもとまで押し寄せて挑発を繰り返したが、小競り合いこそ起きたものの本格的な戦いにまで発展することはなかった。

 その小競り合いで全て優勢に戦闘を進めることができたのが、せめてもの収穫とはいえるが、騎兵による高速機動で備えの無い敵軍を強襲するという当初の目的を果たせたわけではなかった。

 結局戦局が動いたのは、有斗の本隊が到着してからである。

 有斗が五万もの大軍を山々に向かうように平野部に布陣させると、旗がざわめきたつ様子から敵軍の動揺が目に取れた。やがて旗が動き出す。するすると山の稜線へと登って向こう側に消えていった。大軍に恐れを抱き退き始めたのである。

 例え退却する兵に加えた攻撃だとしても、戦国の世に名だたるカヒに一撃を加えたおとこという栄誉はなかなかに魅力的なものである。

 幾人かの将軍が追撃したそうなそぶりを見せるが、有斗はその誘惑をね付けた。

 一旦、山に兵を入れてしまうと進退がままならなくなる。しかも山道は狭い。数の論理が通用しなくなる。こちらの強みは兵数の過多にあるのだ。その長所をあえて捨てる選択は取るべきではない。それに追撃して敵の後備に喰らい付けたとしても、その隙に回り込んだ部隊に山の入り口を塞がれたら・・・と考えると、とてもそんな手段は取ることなどできない。

 前後を少数の敵で塞がれただけで山中に閉じ込められることになるのだ。

 そうなると大軍であるということがかえってマイナスに働いてしまう。補給路を絶たれれた有斗らは、あっという間に干上がってしまうだろう。

 敵兵の退却を眺める有斗に、先行していたベルビオとエザウが報告に訪れた。

「すみません、陛下。あれだけ大口叩いたのに俺らだけで片をつけられなくて」

 ベルビオは大した戦果も上げられなかったことに面目無さそうだった。

「しかたないよ。まさか敵も城を取り囲むのに山に陣取っているとは知らなかった。それに援兵を目にしても、戦うでもなく退くでもなく対陣を続けるという消極策を取るとは思わなかった」

 だがベルビオとエザウを急行させたことはそれでも意義があった、と有斗は思った。

 少なくとも麓に敵の援軍を見たことは、敵の将軍たちに幾ばくかの心理的影響を与えたことであろう。当然、防備の対策に兵を回したはずだ。城攻めに全ての兵力を回せなくなったことで、もしかしたら城の陥落を防ぐことになった可能性はゼロではない。

「そうそう、こんなこともたまにはあります。なぁにベルビオ殿と私を見て恐れたに違いありません。うわっはっはっはっは!!!!」

 もう一方の当事者であるエザウは気落ちするなと笑って、ベルビオの肩を二度三度と叩いて慰めた。

 しかしエザウという男、どこまでも自分の都合のいいように解釈する男である。


 五万にものぼる王師の姿に恐れを抱いたのか、敵が去って行くのを見て、虎臥城から人々が歓喜の声を上げて出てきた。

 その先頭に立ったツァヴタット伯はさっそく有斗のもとを訪れ、要請に応えて援軍を派兵してくれたことに感謝の意を表した。

 ツァヴタット伯は五十がらみの愛想のいい笑いを浮かべている男だった。

 戦を潜り抜けた証である腕の刀傷、部下を恐れさせるための眼力と部下を引き付けるための作られた笑み、天上の人に等しい王と会話する喜びと畏れ、それでも目だけは油断無く王相手であっても値踏みする、といった良くも悪くも戦国の世界に生きる地方の小諸侯そのものだった。

えん所縁ゆかりも無い河東の一小諸侯の為に兵を出していただけるとは・・・しかも陛下自ら大兵を率いておいでくださるとは・・・このツァヴタット伯、感謝の念に堪えません」

「いや間に合ってよかった。領民も無事だったようだね」

 領民たちも次々と城から出て、ふもとに広がる自分たちの住処すまいに戻ろうとしているようだ。

 計算すれば二週間以上は籠城していただろうに、家に戻る領民の顔には笑顔も見える。思ったよりも疲れてはいないようだった。

「陛下のおかげをもちまして」とツァヴタット伯が頭を下げて再び感謝の意を表す。

「残念なことだが朝廷にはまだカヒと正面きって戦い続けるだけの余力は無い。ツァヴタット伯には悪いが畿内に来てもらうことになるよ。もちろん生まれ育った地を離れるというのは耐えられないと思うかもしれないけれども、いずれ来るべき時が来るまで我慢して欲しい」

「陛下のおっしゃることなら、もちろん承ります」

 有斗は安堵に顔を綻ばした。ツァヴタット伯がどうしても故地を離れたくないと言い出したらやっかいだなと思っていたのだ。

 要請に応えて兵を出して、敵に囲まれていた伯を救出したのだからそれでいいではないか、などとラヴィーニアあたりは言うであろうが、その後にまたカヒに攻められて滅ぼさたら、根本的に解決できなかったという無力さで有斗には悔しさだけが残るだろう。

 だがこれで出兵の目的は全て達した。後はカヒがやってくる前に去るだけでいい。

「それより、長旅でお疲れでしょう。どうですか我が館に行幸していただくという訳にはまいりませんでしょうか? 我が家始まって以来の栄誉です。代々のほまれとなりましょうし、感謝の言葉に代えて、ささやかながらも宴席でも設けさせていただきたいと思うのですが」

 ツァヴタット伯は有斗の前で平伏しながらそう懇願した。河東の諸侯は平和な時代でも、王都に行って王にお目にかかるなど公爵ででも無い限りめったに無かったという。

 ましてやこの長い戦国乱世の世、王と会話することなど何代も経験が無いに違いない。よほど舞い上がっているのか汗だくだ。

 籠城後の宴だ。食料もままならないであろうし、ツァヴタット伯や領民に負担をかけることになるのではとも思うのだが、ここはむしろ断るほうが角が立つだろう。不味い田舎料理が出てきても顔に出さないようにだけはしなくちゃと思いながら、有斗は了承した。

「そう、悪いね。じゃあお言葉に甘えさせていただこうかな」

「ありがとうございます!」

 一礼するツァヴタット伯に退席の許可を与える。

 ツァヴタット伯の姿が消えたところで、そばで近侍していたアエネアスが有斗の袖を引っ張った。

「敵が退却したからって、あまり油断するのはよくありません。撤退は見せかけで私たちを油断させ、密かに近づき奇襲をかけてくるかもしれませんよ?」

 アエネアスは何が気に入らないのか、少し眉をひそめていらついていた。

 南部以来の長い付き合いなので、不本意ながらアエネアスの細かい表情や仕草から、今アエネアスがどういう精神状態なのかが大体わかるようになっていた。それがいいことなのか悪いことなのかは微妙ではあるが。

「わかってるよ。当然、敵の動きは偵騎を出して調べさせるよ」

「ならいいけど・・・ここは敵地だもの。それを忘れちゃだめですよ」

「わかってるよ」

 それにしてもやけに今日は心配性だなぁ・・・

 アエティウスやアリアボネがいなくなった分を自分が補わなければならない、とでも思っているのかな? だとしたら有難いとは思うけど・・・ちょっと迷惑かも。

 もうそろそろ僕だって独り立ちできるぞ、と有斗は少し不満に思う。

 と、外に出たツァヴタット伯が配下の者に饗宴の指示をする大きな声がここまで響いてきた。

「陛下が我が館へお越しくださるとのことだ、饗宴の準備をせよ! 急げ!」

 偉い張り切りようだな・・・ちょっとはご馳走を期待していいのか・・・?

 宴と言ったら、酒と肉だろ! といっても酒は何が美味いのか有斗にはまだわからなかったのではあるが。

 だが、肉がある。

 今の僕ならたぶん肉が出ただけで大喜びするんだけどな、と有斗は期待に胸を膨らませる。

 何せ宮中料理は肉どころか魚もたまにしか出ないのだ。しかもあいかわらず冷めたまずいやつ・・・

 出てくるであろう料理に少しだけ心を浮きたたせながら、待つこと二時間、お腹もちょうどほどよく空腹になったところで待望の知らせがもたらされた。

「ツァヴタット伯から来た使いが陛下に拝謁したいと申しておりますが、いかがいたしましょう?」

 もちろん有斗は喜んで使者を招きいれた。戦陣に似つかわしくない小奇麗ななりをした、年の頃十七くらいの少女が頭を上げずに近づいて、平伏した。

「君は?」

「私、ツァヴタット伯の姪のウェスタと言います。以後お見知りおきを」

 少し遠いからよくはわからないけど、あのツァヴタット伯の姪にしては整った顔立ちだった。

 きりりとした意思の強そうな眉が印象的だ。嫌いじゃないぞ。

 時代劇とかだったら、「今晩、陛下のお情けを下さいませ」とかあるんだけど、そういうのってないのかなぁ・・・あっても罰は当たらない気はするんだけどなぁ・・・あれほど毎日仕事を頑張っているんだし。

「陛下、陛下。顔! 顔!!」

 後ろに控えていたアエネアスが肘で有斗の背中をつつく。地味に痛いのが妙に腹が立つ。

「なんなんだよアエネアス。何が気に食わないんだよ」

「・・・別に何でもありません」

 やけに機嫌が悪いな・・・女の子の日かなんかなのかな。

「何に怒っているのかわからないけれどもさ、何か嫌なことがあるなら、無理してついて来なくてもいいよ?」

 だがアエネアスは有斗の好意を無にするように、

「えーっ! 私もついていくに決まってるじゃないですか! 近衛隊長なんですよ!? 私は」とドラクエのキャラのように有斗の後ろにぴったりと張り付いた。


 結局、羽林の馬廻うままわりと幾人かの将軍を連れてツァヴタット伯の館に向かうことにした。

 と言っても全ての将軍を連れて行ったら迷惑だろうし、将軍たちには将軍たちで周囲の警戒や各隊の布陣と色々やることがある。

 布陣をあらかた終えていたエテオクロスとベルビオを連れて行くことにし、有斗は館に向かった。

 御馳走を食べれると知ったベルビオは飛び上がらんばかりに喜び、いそいそとアエネアスの後ろについて来る。


 ツァヴタット伯の館へと向かう途中には家々が立ち並ぶ。

 民家の中からは、自宅に久しぶりに戻れた喜びからか、楽しげな笑い声と香ばしい料理の匂いが漏れ出してきていた。

 良かった。今回の戦ではそれほど戦禍にあわずにすんだのだろう、と有斗は良いことをした気分になって嬉しくなった。

 ふと見るとアエネアスも有斗と同様に民家を見ていた。

「どうしたのアエネアス? 何か珍しいものでもあった?」

「いや、軒先に吊るしてあるのはカブだろうか大根だろうかと思ったんです」

「あれはカブですよ。この辺りでは米と豆、大根やカブがよく取れます」

 説明するウェスタにアエネアスが尋ねた。

「後は菜種?」

「・・・よくお分かりになりましたね」

 ウェスタは驚きで目を見開いてアエネアスを見る。

「特有の臭いがした。南部でもよく取れるからね。葉物として野菜にもなるし、栽培は盛んなの」

「ええ。ここは気候が南部に近い。ですからここでも作付けは盛んですね。おっしゃるとおり食用にもなりますし、菜種油を作れますし、油粕はいい肥料になります。どちらも高値で売れますよ」

「油かぁ・・・料理にでも使うのかなぁ」

 その割りにてんぷらとか王宮で食膳に出てきたこと無いけど・・・ああ、てんぷら食べたいなぁ・・・

「陛下、陛下。陛下が毎晩消費している灯りの元は菜種ですよ。あれは夜間に火を灯すのに使うんですよ」

「へえ、そうなんだ。意外と僕の周りで使われているんだね。知らなかった」

「まったく! 陛下ったら本当にこの世界のことに疎いんだから!」

 いつもの有斗の無知っぷりにアエネアスが呆れた声を上げる。

「あの・・・本当に陛下であられますので・・・? 影武者とかでなく・・・?」

「うん、本人だよ」

 と有斗がそう言うと、ウェスタは再び目を丸くした。

「お嬢はいつもああなんですよ。気にしないでください」

 と、ベルビオがガハハと笑い飛ばした。

 しかしカブとかが特産かぁ・・・肉じゃなくて野菜料理だけだったらどうしよう・・・

 せっかく盛り上がった気持ちが急速に萎えていくのを有斗は感じずにはいられなかった。

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