第154話 撒餌(Ⅵ)

 河東に出陣するのは王師八軍のみと決まった。

 ツァヴタット伯は今も城に篭って戦っている。全土の諸侯に召集をかけて、兵力を集まるのを待っていられる時間の余裕はない。

 参加しないのは、いまだ関西にて反乱の鎮圧を行っているリュケネの第四軍と、第五軍が堅田城に移動した結果、鹿沢城から空いた鼓関に移動し、東西に睨みを利かす役割を果たすガニメデの第十軍だけ。今の朝廷で外征できる全戦力と言っていい。

 もっとも第十軍の方は四千の兵をいて後方の兵站を担ってもらうことになっている。なるべく遠征打撃群の戦力を減らさないためだ。

「いいですか。今回の目的はツァヴタット伯の救援要請に応えることです。カヒに勝利することでも、ツァヴタット伯の領土を守ることでもありません」

 ラヴィーニアが口うるさいしゅうとめのように執拗しつように有斗に念を押す。

「わかってるよ。うるさいなぁ。ツァヴタット伯がなんと言ってこようとも、兵を駐屯させて守ることはせず、彼を連れて王都に一刻も早く帰還する、だろ?」

 それは出兵を決意してからラヴィーニアから毎日のように聞かされている小言だ。もう一言一句暗記したぞ。しばらくは忘れられないくらいに。

「本当にわかっておいでですか? ツァヴタット伯を救出する必要もないことを。兵を出した、その事実だけで陛下の信義は世間に向けて立ったとあえて申し上げておきます」

「まさか、ツァヴタット伯を見捨てて、カヒとは戦わず撤退しろってこと?」

「そこまでは申し上げませんが、出兵したという事実だけで当初の目的を果たしたということだけはお忘れなきよう。少しでも勝ち目がないと思ったら戦わないことも、長い目で考えると必要なことです」

 ・・・

 まぁ、勝ち目が無く、避けられる戦闘はやらないほうがいいというのはわかるけど、そこまで強調するほどカヒってのは強いのか?

 だいたい、『やる前に負けること考えるバカがいるかよ!!』って名言があるじゃないか。

 とはいえラヴィーニアの言葉にも理があることは認めなくてはならない。

 敵に勝つには、それもカヒのような強敵に勝つためには、外交で敵を孤立させ、敵を圧倒する大兵力を準備し、戦局が好転するまで敵が持久戦策を取ったとしても長期にわたって攻撃を続けられるだけの兵站を用意しなければいけないだろう。

 今回の兵力はカヒと一戦するだけなら十分だとはいえ、電撃戦で攻め滅ぼすなど思いもよらぬことだし、それに長期の遠征に耐えられる兵糧もない。

 ならば、目的を達成したならば、傷を負わないうちに素早く退却することを考えて出兵するべきなのだろうな・・・

「わかったよ。なるべく戦わず退くことを第一に考えるよ」

 有斗がそう言うと、ラヴィーニアは満足したかのようにうなづき叩頭する。

「是非、そのことをお忘れなきようお願いいたします」

「うん」

「ご武運をお祈り申し上げております」

 ラヴィーニアが有斗にその小さな身体で、ちょこんと可愛らしく頭を下げる。

 ・・・・・・

 アリアボネのような美しさも派手さも、あと優しさもないけれども、ラヴィーニアはラヴィーニアでいいところがある。頭がいいし、書類仕事や高官との折衝、各省との調整など、めんどくさくてあまり評価を受けない仕事でも丁寧に片付ける。それに有斗にもちゃんと一定の敬意を持って接してるようにも見える。

 裏切るための擬態とも思えないし、陰謀を企んでいる様子もないようだ。

 有斗がずっと心の中で憎み続けていた『想像していたラヴィーニア像』とはだいぶ違う。

 ちょっと皮肉屋だけど、有斗に対して献策もしてくれるし忠告もしてくれる。それほど悪い人間には思えない。

 ・・・セルノアのことを考えると、ちょっとだけ複雑な想いが浮かんでしまうけれども。


 とにかく事態は一刻を争う。一日先延ばしにすればそれだけ落城する危険性が高くなるのだ。

 当面の兵糧を確保すると、長期的な兵站計画はラヴィーニアに任せて、有斗は馬上の人となった。

 五万を超える大兵が出陣するさまを、王都の民衆は歓呼で見送った。

 戦国の雄たるカヒの強兵のことは知れ渡っていても、天与の人である王自らの親征、しかもこれだけの大軍である。将士も市民も勝利は疑いなし、と楽観視していた。

 だが有斗には正直言えば不安がないわけではない。皆が恐れるカヒの実力、有斗に心酔しているとは言いがたい関西王師、大河を超えなければいけない補給線、アエティウスもアリアボネもいない初めての戦争。どれもこれもが不安だらけでしかたがない。


 とはいえ、ない物をねだっても仕方がない。

 それに僕は以前の僕じゃない。数々の激戦を体験したし、アリアボネやアエティウスからいろんなことを教えてもらった。まったくの素人というわけじゃないんだ。きっとできるはず。そう言い聞かせる。

 もちろん打ち寄せる波のように押し寄せる不安から、逃げ出したいという気持ちが湧き上がってくるのは事実だ。

 だけど逃げちゃ駄目なんだ。いや、逃げるわけにはいかないんだ。

 アメイジアを平和にする。それがみんなとの・・・なによりもセルノアとの約束なんだから。

 もしここで戦場で死ぬかもしれないという恐怖とか、大勢の命が有斗の肩にのしかかる重圧とか、アエティウスやアリアボネがいなくなって、本当の有斗は張子の虎でしかないと皆にばれて、馬鹿にされるんじゃないかという劣等感とかから、出兵に反対するラヴィーニアの言葉を言い訳に使ってカヒへの出兵を取りやめたら、つまりここから逃げ出してしまったら、有斗は天与の人ではなくなる。ただの異世界から来た人でしかなくなる。

 そうなったらセルノアは何の為にあそこまでして有斗を助けようとしたのか分からなくなってしまうのだ。

 だめだ。それだけは認められない。それは有斗にとって死ぬよりももっと辛いことだ。


 大河の淵に来ると、既に南部、畿内から集められた船が川岸を埋め尽くしていた。

「手回しがいいね。待たずに済む」

 アエネアスは待つことなく船に乗ってあっさりと河東へ渡れたことに上機嫌だった。

 それを可能にしたのはラヴィーニアの卓越した吏務の才だ。

 有斗が出兵を決意した翌日には、河東に行くまでの必要な物資の計算だけでなく手配までも終え、翌々日には一ヵ月後までの物資の輸送計画と、大河を渡るに必要な船舶の確保まで終えていた。

 いったいあの藍色の小さな頭の中には自分とまったく同じ脳とやらが入っているのだろうか、と有斗は考える。顔の真ん中がぱかっと割れると、中からコンピューターか灰色の小さな宇宙人が顔を覗かせる図を有斗は想像するくらいだった。

 普通に考えたら五万の軍に大河を越えさせるのだ。一日がかりでもできるかどうかという大仕事だ。

 それを王都にいながらわずか一日で作った計画書と寸分違わぬスケジュールで実行されていく。イレギュラーなど差し挟む余地がないほど完璧だった。

 大軍を渡河させることは危険が伴う。

 有斗が敵の立場だったら、半分渡ったところを強襲し、陣形の整わぬ部隊を河へと追い落とす。王師の将軍たちもその危険性が高いという意見だった。

 堅田城に第五軍が駐屯しているとはいえ、河東はどちらかといえばカヒの庭である。朝廷の威光は大河沿岸部しか届かない。いつ敵に強襲されるかわからないのである。

 だが先行させた偵騎によると三里四方に敵影はなかった。

 しかもラヴィーニアの頭脳によって立てられた輸送計画は完璧で、無駄なく迅速に部隊は運ばれ、四時間かからず全軍の渡河は完了した。

 先行した部隊はすぐに岸から離れ、見晴らしのいい高所に堅固な防衛陣地を築く。これでカヒが襲い掛かってきても、後続の部隊が上陸するまでの時間を稼ぎ出すことが可能となった。

 とはいえ、予想されたカヒの来襲は無く、王師の将士はひょうしぬけたような思いだった。

「順調に渡河が進んでます。カヒの来襲も無さそうだし、どうやら一番の山は越えたようです」

 アエネアスは船が大河を往復するたびに指を折り折り数えた。

「次で最後かな」

 アエネアスの言葉が正しいことを示すかのように、最後に来た船団の船上は疎だった。

 これで一番の難事を終えた、と有斗はようやく一安心する。

 もっと広く周囲を探らせるために再び斥候を出すと、有斗の目的と意図を共有してもらうおうと将軍を集め会議を開く。

「ツァヴタット伯領は俗に言う河東南部にあります。南部に近い。東山道を外れここから南東へと向かうことになります」

 ヘシオネは地図の一点を指差す。

「ざっと五日か。それほど遠くはない」

 ステロベは地図からおおよその距離を割り出した。

「堅田城に寄りますか?」

「いや、とにかく今回の作戦は速度が命だ。ツァヴタット伯攻めにどの程度の兵力をカヒが注ぎ込んだかは不明だけれども、さすがに一諸侯相手に全軍送り出しているとは思えない。カヒが傘下の諸侯に動員をかけたり、増援を送って厄介なことになる前にケリをつけたい。堅田城へ寄って無駄な日数を費やすことだけは避けたい」

 有斗がそう言うと同意の声があちこちであがった。

しかり。こちらは大兵力です。ということは食料の消費もそれだけ早く、なおかつ輸送に関わる人数も桁違いとなります。カヒと長期にわたって戦う愚だけは避けたいところですな」

「対岸にカヒの兵がいなかったことを考えると、この動きは悟られていないか、悟られているとしてもここまで兵を送り出す時間的余裕が無かったということでしょう。敵は後手後手に回っていると考えてもいいのでは?」

「だとすると速戦でツァヴタット伯を攻めている部隊を叩けば、無傷で退くことができますな」

 アクトールは皆のその希望的な観測に釘を刺した。

「とはいえ、この沿岸部はともかくも河東深域に兵を進めれば、我々を見た農民などから領主などに動きが伝わるでしょう。カトレウスの耳に我らの動きが入るのは時間の問題です。あまり油断はできません。急がなければ」

「それもそうですな」

 会議の趨勢すうせいが速戦にあると判断したエザウがすかさず相槌を打つが、そこにヘシオネが割って入り有斗に注意を促した。

「陛下、一刻も早く兵を動かすことに異論はございませぬが、周辺諸侯には使者を発して領土を通る許可を求めることをお忘れなきよう」

「諸侯に知らせるのはどうかな。カヒに通じる者が居たらどうする?」

「それに許可が下りるまで諸侯領を通過せぬというならば時間を無駄にするのではないか」

 他の将軍たちは戦の勝敗、有利不利といった観点から口々に反対の言を挙げるが、ヘシオネはそれは見当が違うと弁明する。

「もちろん貴重な時間を無駄にはしません。諸侯の返事を聴くまでもなく軍は先に進めます。ですが形だけでも諸侯の同意は必要です。無断で立ち入ったとなれば諸侯の面子は台無しになりますし、気分も害します。まず陛下がおられるのですから、諸侯は否とは言ってこないでしょう。河東攻めの橋頭保として、大河沿岸諸侯には先々まで味方になってもらわねば困るのですから、ここでいらぬ恨みを買うことはありますまい」

 確かに正論である。将軍たちは自分たちの立場と属する組織(すなわち王師)に良い意味で利するように考えるが、それがすなわち王として最適解かと言われれば、そうでないことも多々あるのではないか。これは同じ諸侯だから言える言葉であろうと思った有斗は、ヘシオネの提言を受け入れることにする。

「この大軍勢だ。どこからでも目立つ。どちらにせよツァヴダット伯領に攻めこんでいるカヒの軍にはいずれ知られることになるさ。不意を突くのは難しい。そして内応していても今からカヒの本隊を呼び寄せるのには時間がかかりすぎる。僕が諸侯の同意を取り付けて気長に攻め込んでいると向こうが思えば、逆に不意を付けるかもしれない。諸侯がカヒに内通していたら、むしろ好都合かもしれないよ?」

 それに数名の使者を出すか出さないかの差だ。その程度の手間は惜しむべきではない。


 有斗が使者を発するよう命じると、

「陛下、軽騎兵をもって先行し、敵の出方を探ってみようと思います。もちろん機会あらばそのまま敵を打ち破って御覧に見せます。是非、先陣の大役をこの火眼将のエザウにお任せあれ!!」

 味方はこれだけの大軍勢、楽に勝利は拾えるであろうから先陣の功を得ようと思ったエザウが声を張り上げると、

「それでは俺も!」とベルビオまでもが名乗りを上げた、

 ・・・ベルビオは第七軍の指揮官なんだぞ。いままでのように気軽に騎兵隊を任せたりはできないとも思ったが、王師の騎兵を合わせると八千は越えそうである。それだけあればさすがに一度の戦闘で壊滅することはあるまい。

 それに騎兵だけなら大きく先行させることが可能だ。敵が少数なら撃破することだってできるであろう。そうなれば有斗がツァヴタット伯領に着く前に、全てが終わっていることだってありうる。

 カトレウスが遅まきながら兵を起こして有斗と戦おうとしても、そのころには有斗たちは先に大河を渡ってしまうことだってあるだろう。

「よし、許可する。ただし敵の数を知るのが今回の目的だ。敵と戦うなとは言わないけれども、無茶な戦闘は極力避けて欲しい。騎兵なしでは野戦も覚束おぼつかないのだから」

「「はい!」」

 手柄を立てる機会を得た喜びからか、ものすごく嬉しそうな顔をした二人を見て、有斗は少し不安になった。

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