第153話 撒餌(Ⅴ)
有斗は河東に出兵する前に東西の王師を再編成しようと思い立った。
王師一軍は一万が定員だが、度重なる戦で大きく定数を割っているのが実情だった。このままでは右翼が八千あるのに左翼が六千しかいないと言ったふうに全体の釣り合いが取れないと思ったのだ。
だが有斗の考えに反対した人物がいる。
ラヴィーニアだ。
「太古、サキノーフ様の御世、王師は中軍左軍右軍の三軍でした。東西に分かれる前は六軍、東西に分かれてからは四軍が基本となっています」
有斗は東西四師と鼓関や鹿沢城守備隊などの大規模な軍を合わせて十軍を再編成して七軍としようと思っていた。
やっぱりあれかな、維持費がかかるから四軍四万以上には反対なのかな。でもなぁ河東のカヒってやつは相当に強いって噂だ。それに勝利して平和になってから兵を減らしてもいいじゃないかと思うんだ。
「ということは、王師は四軍って決まっているわけではなく、六軍とかも先例としてあるんなら、少しばかり多くても何の問題もないんじゃないの? 今は戦国の世だよ。軍は多ければ多いほどいいと思うんだけれども」
「軍の数が問題だと言っているのではないのです。これを契機に一軍一万という編成そのものを改めるべきだと申しているのです」
「・・・ごめん。何のこといってるのかさっぱりわからないや」
「一軍一万という各地の駐屯兵を合わせても、五万程度でしかない全軍の約二割を一人の将軍が指揮していた現状が危険だったのです。歴史上、何度か起きた反乱騒ぎでも、地方の諸侯が挙兵したというとき以外は、一軍を掌握した野心家によって引き起こされたものが多い。一軍あれば王を討つなど容易いこと。四師の乱でも最初の反乱を起こしたのは羽林と王師の一部の兵だけだったではないですか。それに先のダルタロス公のことを考えていただきたい」
「先のダルタロス公・・・アエティウスのこと?」
あれれ話が飛んだ気がするぞ・・・
アリアボネは有斗にわかるように噛み砕いて説明してくれるんだけど、ラヴィーニアは他人が付いてこられないことなぞお構いなしで、自分のペースで話を進めるから困る。
「
似たようなことはアリアボネも言っていたな・・・
「・・・そう言われると権力が集中しているようにも思えるけど・・・でもアエティウスなら大丈夫だったよ。反乱を起こすような人じゃなかった」
彼に与えた権限も全て有斗が与えたものだ。彼からの希望ではなかった。
そもそも最初の出兵だって、兵を出してくれただけでなく軍資も兵糧も全て出してくれた。有斗が何気なく思った天下安寧の夢に助力することに骨身を惜しまなかった。何よりも最期は有斗の身代わりとなって凶刃に倒れることとなった。
そんな彼が反乱など起こそうなど天地がひっくり返ってもありえ無いではないか。
「いいですか、巨大な権力というのは野心を呼びます。アエティウス殿だっていつ目の前の禁断の果実を食したいと気が変わらないとも限らない。それに本人にその気が無くても周囲のものが放っておかないでしょう。王の階段に片足をかけているも同然なのです。本人はそう思わなくても、取り巻きは違います。王さえ除けば天下が取れる。そうすれば主君は王になり、配下は単なる陪臣から天下を動かす権臣となることができる。本人にその気は無くても、周囲に勝手に動かれて、反乱しなければならなくなった臣下など歴史には大勢います」
「アエティウスの悪口が言いたいのか? 僕の為に命まで落とした無二の忠臣を?」
それではアエティウスに対してあんまりではないか、有斗はさすがにラヴィーニアの物言いに反感を覚えた。
「ご不快にさせたのなら謝ります。あたしが言いたいのはそうではないのです。一人の臣下、一人の将軍に権限を集めると、反乱を起こしかねないということを言いたかったのです。諸侯に爵位を与えるのは結構。朝廷内で寵臣に官位を与えるのも結構。頼もしい将軍に一軍を任せるのも結構なことです。ですがどれも与えすぎてはいけない。が、現状で一人の将軍が一軍一万を率いるというだけで与えすぎていることになると指摘したいのです。ですから軍を合流させたり、再編したりして一人の将軍が率いる兵数を多くすることには反対いたします」
「具体的には?」
「一軍一万という兵式を改めます。最終的には一軍五千で十から十二軍にしたい。これならば一人の将軍が野心を抱いても現実問題としてすぐには反乱は起こせない」
「軍を分割して再編するということか・・・」
「いえ、分割も再編もいたしません」
「どうして? 一軍を五千にしたいんじゃないの?」
「軍というのは組織なのです。組織というのは人間の集合体です。五千という人数まずありきで軍を分割、合併、再編してしまうと、互いの信頼関係と上下関係を一から構成するということになるのですよ。新兵ばかりの軍よりは役には立ちますが、王師に恥じぬ精鋭とは言えなくなる」
そうか・・・学校のクラスでも話し相手や仲間、そういった人間関係が確定するまでは生徒たちだってどことなくぎこちない。
先生も探り探りでクラスを率いているものだ。単なる学生の集団でもそうだ。
まして命の奪い合いをする戦場で戦わなければならない兵士ならなおさらだろう。そういった些細なことが大事に繋がりかねない。
「一つの有機体として今現在機能しているものを新兵を入れたり、分割したりしては、軍はかえって弱くなるものです。幸いと申しますか、東西王師も大きく定数を割っています。多くて八千、中には六千を切る軍も。新兵を調達して再編している関東の王師右軍もまだ六千を超えたばかり。このまま、それぞれをもって一軍といたしましょう。ただ関西の王師は指揮官を代えたほうがいいかもしれませんね」
「そうだね」
軍隊というのは上官の命令を聞き動くものだ。まだ関西王師が信頼できない以上、将軍だけでも有斗に味方する人物をつけるべきであろう。
ラヴィーニアの提案どうりに、軍は再編せず、現在あるそのままの数をもって一師とすることにした。
ただ今までの呼び方だと関西の中軍、関東の中軍というように同じ名前が二つあることになってしまい分かりにくいので、順に数字を割り振っていく。
関東王師中軍 第一軍 プロイティデス
関東王師左軍 第二軍 エテオクロス
関東王師右軍 第三軍 ヒュベル
関東王師下軍 第四軍 リュケネ
鼓関守備隊 第五軍 ヘシオネ
関西王師中軍 第六軍 ステロベ
関西王師左軍 第七軍 ベルビオ
関西王師右軍 第八軍
関西王師下軍 第九軍
鹿沢城守備隊 第十軍 ガニメデ
ここまではすんなり決まった。ヒュベルは関東きっての豪勇を誇る人物だし、ステロベは関西王師でも名高い将軍だ。プロイティデスは有斗のそばで全軍を指揮するアエティウスに代わって王師中軍を指揮していた実績がある。数々の戦場で王師の騎馬隊を指揮したベルビオもまず文句の出ない人選だった。
この中で突出して規模の大きい、というより鼓関にいて損耗の無かった第五軍はヘシオネに預けることにした。といってもヘシオネは有斗の傍にいて政治軍事的なアドバイスをしてもらわなければならないので、実際の指揮を執る人物として老練なバルブラを主将、副将としてエザウを配した。
第十軍はヘシオネ、ラヴィーニア両者の推薦があってガニメデに決まった。有斗は会ったことがないので人物的に評価するだけの材料を持っていないのだが、報告書によると関西遠征中、鹿沢城を守り切った功績が大であるというので、特に反対する理由もない。
揉めたのは残る第八軍と第九軍の司令官だった。心当たりがいない。
そこでリュケネとエテオクロス双方から適切な人物を推挙してもらった。
アエティウスのいない今、彼ら二人こそが有斗が一番頼りにしている武の人材と言えるだろう。関東王師内のことはよく知っている。きっと推薦する人物に間違いがあろうはずは無い。
上がってきた名前を見て有斗は驚いた。リュケネはアクトール、エテオクロスはエレクトライと二人とも諸侯の名を並べたのだ。
どちらも有斗の下で活躍した良将だ。実績も申し分ない。
そこで第八軍をアクトール、第九軍をエレクトライに指揮してもらうことした。
だが朝廷では関西の王師に人がいないわけではない、旅長の中から選べばいいという声も多かった。もしくは関東の王師の中から選べばいいではないか、と言うのだ。王師の将軍ともなれば朝議に出る権利も生まれるし、後々公卿に任じられることが確定しているので、そこに諸侯を入れることは心情的に拒否したいようなのだ。
ラヴィーニアも諸侯に王師を率いさせることにあまり良い顔をしなかった。
とはいえ二人が配下の旅長を差し置いて推薦してきただけの人物なのだ。それくらいで諦めるのはもったいなさすぎる。
だからそんなラヴィーニアに、何よりもまず才能で決定すべきだ、それに彼らはダルタロスほど大きな諸侯ではないから気にすることではない、と有斗が粘り強く説得を試みると渋々その人事を了承した。
ちなみに決定した後に「軍才だけでいいのなら、もっと適任の人物が関東にはいます」とラヴィーニアが言うので、興味をそそられた有斗がいったいそれは誰かと訊ねると、
「マシニッサ。カヒもその才を恐れ、アエティウス殿もその手腕を認めた辣腕家ですよ」とにやにや笑いながら言った。
「却下する」
冗談ではない。マシニッサにそんな兵を与えたら、反乱を起こすに決まっているじゃないか。
有斗はしかめっつらをしてその提案を退けた。
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