第152話 撒餌(Ⅳ)
有斗は翌日の朝議でさっそくツァヴタット伯の救援を議題に上らせた。
朝議は一瞬で反対する大合唱の嵐に包まれた。賛成の意見など一つもない。
「陛下、これは罠です。のこのこ河東まで出兵した我らは、味方と思ったツァヴタット伯とカヒから挟まれ身動きができぬまま襲われることでしょう。天下の笑いものになります」
「陛下、陛下は関西征服を終えたばかりです。戦塵は収まったばかり、是非とも今は休息なさってください」
「陛下、新しく臣民になった多くのものは、まだ陛下の徳に懐いておりませぬ。今は東西融和に注力すべき時です。戦などなさらず、民に恩徳を施されますようお願いいたします」
「陛下、例年の出兵で国庫は疲弊し、民は平和を求めております。ここは腰を落ち着けて政治を行うべきです」
・・・いろんな理由を構えて反対するが、どうやら見たことも無い河東の小さな一諸侯を救う為に、朝廷があえて血を流す必要など無いというのが本音のようだ。
そもそもツァヴタット伯は偽降ではないかと皆は疑っているのだ。
それに例えツァヴタット伯が本当にカヒを裏切り救援を求めているのだとしても、カヒを破ること自体が容易ではない。
いや、勝てると思うことすらおこがましいといったレベルなのだ。いったいどれほどの犠牲を払うことになることやら。
王師は精強である。だがそれは長年の鍛錬によって得られたものである。一朝一夕に得られるものではない。もし、この戦いで王師が失われでもすれば、ここまで順調に進展してきた有斗の天下統一は大きく回り道をしなければならなくなることだろう。
よしんばカヒを破ってツァヴタット伯を一旦は救ったとしてどうなるというのか。
ツァヴタット伯領は大河の向こう側、河東南部の奥だ。いつまたカヒが軍を整えて復讐に来るやも分からない。守るためには王都からでは明らかに遠い。河を下るだけでいい大河沿岸部とは明らかに違うのだ。
いつでも救援に向かうためには堅田城の兵力を増強しなければならないだろう。それにはまた金も兵糧もかかる。しかも河東南部はカヒの勢力圏だ。敵の懐で戦うのだ。たとえ王師を全軍駐屯させても、守りきれるものだろうか?
わずかな土地しか持たない一地方伯を味方にするがために、多くのものを失うということになりかねない。
皆の思いは大体そんなところに帰結するようだった。
「でも」
と有斗は朝臣皆に語りかけた。
「何万というカヒの兵に囲まれ、孤独な戦いを強いられ、いつ来るかわからない僕の助けを待っているかもしれない人がいるんだ。彼らは朝廷の保護下にある人々じゃなく、河東にいる人々だけど、その人たちもアメイジアの人々だ。もし僕がアメイジアに対する天与の人だとするならば、その人たちをも助けてこそ、そう名乗れるのだと思う。例え裏切られると知っていても、信じてみる必要があると思うんだ。それでこそ天下に信をもって平和をもたらすという、僕の空虚な絵空事が真実になるのだと思う。もちろん戦ということになれば、大勢の兵の命が失われるということも理解している。でも戦国に平和をもたらすということは、敵対するものを全て討ち沈めなければならない。犠牲を恐れては何もできない。今回のことはカヒを討つ絶好の大義名分であるとも思うんだ。怯まずに戦うべきだ」
ちらほらと賛同の声が上がりだす。だがそれでも大勢は参戦に否定的だった。急がなければ城が落ちてしまわないとも限らない。
有斗は最後には伝家の宝刀、王命で無理やり正面突破を図り、出兵を宣言した。
朝議から戻ってきた有斗の前にアエネアスが立ちはだかると、開口一番こう言った。
「今回は私も行く! 関西遠征みたいにお留守番はしないよ!」
そう宣言したアエネアスに有斗は心中の懸念を表明する。
「前から思っていたんだけど・・・戦場に女性を連れて行くってのはあまりいいことじゃない気がするんだ。どんな危険があるかわからないし」
たしかにアエネアスは並みの男よりは腕も立つけれども、それでも複数の男相手にも圧倒できるかと言ったらそうではないだろう。
戦場は気の荒い男たちの集積所だ。傭兵のような荒くれ者もいる。なにかの間違いで襲われないとも限らない。それも・・・敵じゃなく、味方からだって。
もしもそんなことが起きたなら、有斗はアエティウスに二度と顔向けができないだろう。
アエティウスの最期の言葉はアエネアスのことだったのだから。
「でも毎朝稽古をしているのに、陛下はいまだに剣の腕はさっぱり上達しないんだもん。護衛が必要だよ。私のような腕の立つ人物の護衛が! 一人では危ないよ!」
「今度の戦は全軍あげての総力戦になる。ヒュベルやベルビオみたいな一騎当千の人物もいるし、わざわざアエネアスが来なくても大丈夫だよ」
「ヒュベル殿は此度、王師右軍の将軍になられたもの。軍を指揮するので精一杯だよ。それにベルビオは駄目」
「どうして?」
「王の護衛っていうのはね、本陣そばで戦闘が行われている間、じっとしていなきゃならないのよ。ベルビオが目の前に好きな戦が転がっているのにじっとしていられると思う? はらぺこの野犬の前にエサを置いて『待て』をやるようなものよ。すぐに待ちきれなくなっちゃう!」
「あ・・・そうだね」
実に説得力のある意見だった。反論の余地は無い。
「それに兄様のように、私のいないところで陛下が死んだら私、困っちゃうもの」
アエネアスの口からそんな言葉を聴くことになろうとは毛ほども思ってもいなかった有斗は、驚いて顔をアエネアスに向ける。
ぽかんと口を開けて自分を見る有斗にアエネアスは、先ほどの言葉が取り様によっては違う意味になることに気付いた。
「か・・・勘違いしちゃだめですよ! こ、これは羽林中郎将としての職分をま、全うするためにです! べ、別に陛下のお身が心配だとかそういうのじゃなくってね・・・!」
「アエネアス殿は陛下がどうなろうと知ったこっちゃないって? それって羽林中郎将としてどうなんだろうね」
「心配なのは心配よ! 当り前じゃない! でもそれは羽林中郎将として心配なだけって言ってるんです!!」
困ったように、むきになって反論するアエネアスを見ると、有斗はおかしくなって笑いが止まらなかった。
「わかったよ。わかったってば」
「だったらその笑いはなんなんですか! 陛下ってば違う意味に勘違いしてませんか!?」
「違う意味って・・・どんな意味?」
「・・・!」
有斗の返しに顔を赤くし、口を真横に一文字にしてアエネアスは口ごもった。
「ふ・・・不快です!」
最後にそう叫ぶと、顔を真っ赤にしながらアエネアスは急いで有斗の部屋から飛び出していった。
「どうしたんだろ、アエネアス・・・変なやつ」
有斗は不思議そうに首を傾げた。
執務室を離れたアエネアスはいつものたまり場ではなく、中書省の窓から心地よい風が当たる特等席に、どかっとお尻を下ろしていた。
最近、日中暇な時はそこでラヴィーニアと話すのが常だった。
ラヴィーニアとアエネアス、正反対の存在だし言いたいことを口にする性格だから、有斗なんかから見るとお互い角突きあって大変なことになるんじゃないかなどと心配するのだが、不思議なことに意外と馬が合うらしい。
「おちびちゃんは行かないの?」
「あたしが行ってどうする。あたしは剣一つ満足に振るえない身だ。戦場に行ってもお荷物にしかならない。王都で政治や兵站を担っていたほうが陛下の役に立つ」
「アリアボネはそれでも従軍したんだけどね。ま・・・それもそうね」
とはいえアエネアスは仲良くなったといっても、アリアボネのようにこの女と
だとすると残していく羽林の兵に命じて動きを見晴らせておくべきか。王師も王もいない朝廷で何を企むか分かったもんじゃない。
「しかし・・・」
ラヴィーニアは書きかけの書類の手を休めて、急に目の前の虚空を見つめる。
「ん?」
「心のそこから呆れたわ。ほんとに陛下は大人物だねぇ。それかとてつもないマヌケか」
「それは言い過ぎ! まぁ・・・ちょっとだけ間の抜けたところがあることは否定しないけど」
「だってそうじゃないか。何が『僕は信じなくて人を裏切り勝利を得ようとも、信じて人に裏切られて敗北したほうがいい』だ。んな、あまっちょろい考えじゃ他人に利用されるだけされて
「ま、それはそうだけど、それが陛下のいいところだよ」
あんなに他人が善意で動いてると思っている人物をアエネアスは見たことが無かった。そのお人好しぶりに呆れることも多々あるが。
「いいところつったってさ、陛下にはもうちょっと考えて行動してほしいもんだね。王というのはその一挙手一投足に何千の兵と幾万の民の命が係っているってことをしっかり認識してもらわないと」
戦国を終わらせるのには戦いは不可避だ。だけれども無謀な戦いは避けるべきなのだ。それこそが結局は天下一統への近道となるのだ。
「これが罠だったら・・・。おそらく十中八九はそうなんだが。我々は敗北する。敗北すれば大勢の兵士の命がなくなり、その数倍の家族が泣くことになるんだよ。我々の首どころか陛下の首だって危ないんだよ。胴と首が離れてから後悔しても遅いんだがねぇ」
ふうと溜息ひとつついて、机の上で頬杖をついた。
「・・・でも見てみたいな」
「何を?」
「陛下が生まれた世界。ああいう心のままでいられる世界」
この血で血を洗う戦国乱世ではない優しい世界。
「他人を利用したり踏みつけたりしないでも生きていける世界があるなら、見てみたいな」
ラヴィーニアは、眩しげに目を細めた。
そうか、とアエネアスは思った。
この皮肉屋で他人を
眩しげに輝くのは有斗じゃなくて、そういったものをまだ信じていた、今は失われた彼女の心に違いない。
その幸せな時を思い出せるからこそ、このような顔ができるんだ。
ラヴィーニアだけじゃない。
きっとこの世の誰彼にもそういったキラキラした時代があったに違いないんだ。
皆が無くした大切な何かを持ち続ける有斗だからこそ、みんなついていくんだ。
アエネアスはそう思った。
そう、やっと理解した。
有斗がこの世界に王として呼ばれたその
親しい者の理不尽な死を目にし、信じた者の裏切りにあってもなお、いまだ人を信じられるというのは
たしかに有斗はこの戦国を終らせる王になる資格というやつを誰よりも持っているのかもしれない。
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