第151話 撒餌(Ⅲ)
王の問責に対して関西の三諸侯が叛旗を
いや、違う。ラヴィーニアが手を回して、馴染みの商隊を使って河東へと意図的に広めさせたのだ。
もちろん王がそれに対応して、王師二軍を関西へ向けて出兵させたという機密情報も、夜中に王都から響く馬蹄の音、急に要して買い付けた
ところが河東には兵を集めるだとか、兵糧を集積しているだとか、秣を積み上げるだとかいった不穏な動きこそあるものの、肝心の明確に兵を出兵させたという知らせが入ってくることはなかった。
「ねぇ、三諸侯が挙兵して二週間は経つよ。もう河東まで知らせはとっくに伝わっているはずじゃないの? おちびちゃんの話ではカヒはそろそろ動き出すという話じゃなかったっけ? 話が違うよ!」
アエネアスの嫌味たっぷりのその言葉にもラヴィーニアは動じることは無かったが、同じような違和感は感じてはいたようだ。
「・・・おかしいな」
不思議顔で首を
「まさかカヒはこのまま彼らを見殺しにするつもりかな? ・・・もしくはカヒが立ち上がろうにも、準備がまだ整ってないとか? ・・・それとも盟約が結ばれたという噂が真実じゃなかった・・・とか?」
「最後のはありませんね。もし噂だけだったら関西の三諸侯が反乱を起こすわけがない」
「あ、そっか」
ラヴィーニアの言葉にアエネアスも同意するように頷いた。
「準備が整ってないという話もない・・・ってことは捨て駒にでもするつもりということ?」
しかしアエネアスのその言葉にもラヴィーニアは同意をしなかった。だとすれば何のためにそんなことをするのかという疑問が生まれるからだ。
このまま動かなければ、カヒはせっかく獲得した自らの味方をむざむざ捨てることに他ならない。関西でも南部でも河東でも他の諸侯が呼応する様子は見られなかった。朝廷でも不穏な動きはない。河北の流賊の残党こそ暴れまわってはいるものの、その規模は小さく、地元民の共感を得られてはいないので拡大することはないだろう。それにあの者たちは関西に呼応して立ち上がったというよりは、盗賊としての普段の活動をしているに過ぎない。
これが意味することはひとつ、どこもカヒが動き出すのを固唾を呑んで見守っているのである。
カヒが彼らをこのまま見殺しにすれば、盟約を結んだ者たちもカヒが当てにならぬとふんで保身に走り、以後カヒに味方をすることはないだろう。この包囲網は崩壊する。
だがそんな簡単なことがわからぬカトレウスではあるまい。ならば何か理由があるはずだ。
しかしいくら考えても捨て駒にする理由がわからなかった。
「捨て駒というのは真に重要な事柄から敵の目を逸らすためにやる行動です。この場合我々の眼から隠さなければいけないことを思いつかない」
ラヴィーニアに思いつかないことを有斗に思いつくはずも無かった。
「カヒが盟約の主であることも、挙兵の準備をしていることも、もう僕らは知ってるしねぇ」
「もっと反乱が広がって、王師を各地に散らばらせ、カヒが挙兵した時に相対する兵士を減らそうと考えているのかな?」
そのアエネアスの言葉には幾ばくかの説得力が見受けられた。
だとすると新たに問責使を発して、向こうから挙兵するように仕向ける必要があるな、と有斗は思った。それは再び関西か、それとも南部だろうか。
「それは考え辛いでしょう。我々から行動を起こさぬ限り、カヒの挙兵無くして反乱に及ぶ諸侯などいない。そんな危険な手段をあえて取る必要が我々には無いことはカトレウスだって知っている。慎重な男だとは言え、待っても何も進展しない現状を放置するほど愚かではないでしょう」
「・・・まぁ、今回反乱を起こした諸侯はいつかカヒが攻め込んできたときに、それに呼応する気だったんだよ。それを前もって討伐できただけでも儲けものだったと思えばいいんじゃない?」
それでいいじゃないか、とばかりにアエネアスは納得したようだった。
「あるいは・・・王都から関西へ向けて派遣した王師二軍の行動が本当は擬態で、いまだ鼓関に留まらせ、いつでも王都に戻らせることができるような態勢を取っていることに気付かれているか・・・だな」
だがそれはこの宮廷でも十指に満たない極わずかな人数しか知らないことだ。
「考えすぎじゃないかな。近づいてくる敵兵ならともかく、そこまで細かく全ての軍の動きを把握しているとは思えないよ」
敵の情報は戦の結果を左右するといっても過言ではない。だが全ての軍の動きを常に探るには、結構な人数と莫大な金が必要なはずだ。
「やっているかもしれないぞ。カヒの諜報網は侮れない」
カヒはラヴィーニアと同じように商人や傭兵隊や巡礼団などを使って敵地にも情報の網を張り巡らせている。
正確にはラヴィーニアがカヒの諜報網を真似て作ったものを持っているというのが正解なのだ。
一官吏に過ぎないラヴィーニアのそれと、アメイジア一の富豪であるカヒ家のそれが同じであるとは、ラヴィーニアのような
「とはいえ確証は無い。鼓関の二師を動かしたからカヒが動くとは限らない。それに昨日の報告ではリュケネはコス伯に勝利したようだ。順調に攻略を進めているらしい。あの慎重なリュケネから援軍の要請も無い以上、リュケネだけでこの反乱は治められるかもしれないね。ならば鼓関の二軍を動かさず、今回はこのまま終わらしてしまおう。アエネアスの言うとおり今回は関西の三諸侯を包囲網から取り除いたことで満足しようよ。こちらは連年の出兵で国庫は空、さらには東西王師の再編成という重大事項を抱えているんだし」
「まぁ・・・そうですね」
自分の見立てが外れたからか、少しラヴィーニアは不機嫌そうだった。
ラヴィーニアが不機嫌だったのは、敵の意図を読みきれなかった自分へ苛立ったことと、現在の状況を認識できないことに気持ち悪さを感じたからだ。
カヒは王師を分散させたいが為、盟約をわざと漏らした。ならばそれに添う形になった今、兵を関東に向けなければならない。
これでは
敵が愚かならばそういうこともあるだろう。だが相手はあのカトレウスなのである。何か理由があってこうなったはずだ。
ラヴィーニアは朝議の間も、公務の間もそればかり考えていたが、答えにたどり着くようなヒントすら思いつかなかった。
その回答を与えてくれたのは、息も絶え絶えに河東からやってきた一人の男だった。
男はツァヴタット家の使者だった。
ツァヴタット伯はカヒ家では外様衆と言われるカトレウスの代で支配下に入った諸侯だ。先代のころはカヒ家と領土争いを繰り広げたこともある、河東の勇だった歴史ある諸侯である。
しかし今はカヒ家の外様衆に組み込まれていた。だがそれは周辺諸侯を打ち滅ぼすカヒ家の勢いを恐れてやむなく支配下に入っただけで本意ではない。
だから関東に新たに王が立ち、関西をも併合する勢いを見て、カヒを離れて王に付きたいと思った。
おりもおり、有斗が河東に兵を入れて大河東岸諸侯を支配下に入れたことも、ツァヴダット伯の心を揺すぶったという。
だがどこからかその計画は洩れ、カヒの軍勢に城を取り囲まれてしまい、至急来援を請う、との口上だった。
とりあえず使者を下がらせ有斗は執務室に皆を呼び寄せる。
「ということなんだけど、皆どう思う?」
「なるほど・・・カヒが畿内に攻め込まないのは、自分の足元に火がついて、その消火に手間取っているからか」
アエネアスのその顔に有斗も頷きで応える。確かにこれなら全てが納得できる。
「これで辻褄が合うね」
だが一人だけ納得しきれないという表情の持ち主がいた。
「罠だな」
ラヴィーニアは一言の下にそう切り捨てた。
「・・・罠?」
「はい。これは陛下を誘い出す罠だと断言できます。謀反を起こすならともかく、敵に下るならば、投降が許されるかをまず最初に確認するはずです。だが今の今までツァヴタット伯から陛下に接近を図った形跡が見られない」
「ほんの初期の段階で嗅ぎつけられてしまい、接触を果たせなかったのかもしれないよ?」
そういう可能性も無くは無い。
「・・・もしツァヴタット伯が本当に裏切ったとしても、これは罠だと断言できます」
「なぜ?」
「カトレウスは城攻めも巧者だと聞き及んでおります。その男が何ゆえ地方の小城一つにここまでてこずるのでしょうか。おそらく落とせなかったではなく、落とさなかった、ではないでしょうか。つまり陛下が彼らを助けようとして来るのを待っているのです。もし城を落としてしまえば、我々が援軍を出す理由がなくなりますからね。そもそも使者が王都に無事に着いたことが一番怪しい。敵は城を取り囲んだのです。外部への使者をみすみす見逃すなぞ有り得ない」
ラヴィーニアのその言葉も一定の説得力を持っていた。有斗は判断に迷った。
「陛下、中書令の申すことはもっともです。カヒが動かないというのなら、我々は関西を平らげることを優先するべきでしょう」
「で、あり・・・じゃなくて陛下はどうするおつもりなの?」
そう、今大事なのはツァヴタット伯やカヒが謀略を企てているかどうかではない。
それは遠く離れた王都の一室でいくら話したってわかりはしないのだから。
そうではなくて、この事態にどうすればいいか、だ。
「僕はもし許されるのなら兵を出して彼らを救ってやりたい。彼らは今この時も僕からの援軍を信じて戦い続けているのだから」
「陛下、これは十中八九罠です。それもカヒとツァヴタット伯が組んで三文芝居をし、人の良い陛下を騙そうとしていると思われます。出兵のことは考え直すよう具申いたします」
ラヴィーニアが腰を屈めて深く拝礼する。
だが有斗はラヴィーニアのその提案を退けた。なぜならば───
「僕は信じなくて人を裏切り勝利を得ようとも、信じて人に裏切られて敗北したほうがいい」
そう、有斗は信をもってアメイジアに平和をもたらそうと決めたのだから。
だが、かっこいいことを言ったつもりの有斗にアエネアスは
「はぁ?」
と眉の間に皺を作って有斗を憐みの目で見た。
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