第150話 撒餌(Ⅱ)

 次の目標になったプリュギア公だが、彼は挙兵を決めたその瞬間から攻め込まれることを覚悟していた。いや、己に課せられた役割を熟知していたというのが正しい、か。

 彼に与えられた役目はこの包囲網の一角として、一部であっても敵軍を引き付け、決戦の地に赴く兵力を減じさせること。

 王師の大軍を撃破するなど彼の分限では元々不可能なのである。王はカヒに破ってもらおう、と気軽に考えていた。

 それで関西の復興はなり、再び彼は関西の一諸侯として枕を高くして寝られるというものである。

 であるから長期間の籠城に備え、食糧を蓄え、密かに南部や河東から傭兵隊を雇い、呼び寄せるなど準備を整えていた。

 とはいえ、その苦労の全てが実ったわけではない。多くは盟約の存在を知り、厳戒態勢を取った鼓関こかんで通行止めを喰らってしまい間に合わなかった。

 しかし合計して二千三百にもなる大兵を三つの城に籠め、いまや遅しとリュケネが来るのを待ち構えていた。

 コス伯を撃破したリュケネは進路を南南西へと変え五日後、まずは安積城と言われる支城を取り囲んだ。

 安積城は西国街道の脇街道の一つを眼下にする急峻な崖の上に立つ要塞だ。

 だがあくまでその直下を通る脇街道の監視のために立てられた支城であるから大きなものではない。籠められた兵も二百いるかどうか・・・といった小城だった。

 丘をくりぬいて走る脇街道に面した片方の崖の上に立っている安積城は、確かに脇街道から見るぶんには高くそびえ難攻不落に見える。

 だが他の三面から見れば多少高所に立ってはいるが、攻撃を阻む川も湿地帯も崖もまったく存在しないたわいない城、それほど警戒するべきものではないと判断した。

 とはいえ少なりとはいえ軍隊が駐屯している以上、リュケネらと西京との連絡を阻むような形のままで放置しておくわけにもいかなかった。

 当日は城攻めの準備に追われたため、城攻めは翌日から本格化した。

 寄せ手は王師を始め一万五千いるのである。守兵も敢闘したが数の差はいかんともしがたく、圧倒され、多大な犠牲を出して、夕刻前には抵抗を諦めて、城は落ちた。


 幸先よく勝利を挙げたことに、将兵は早くもプリュギア公に勝利することは決まったかのようにはしゃいでいたが、そんな彼らにリュケネは楽観を戒めた。

 プリュギア公の城は細い登山道を何百メートルも登り、狭い足場を踏み外さないように歩き、辿り付いた先にある難攻不落の山城なのである。何かの間違いでその堅固な山城をわざわざ捨てて、数に勝るリュケネとの野戦という賭けに打って出てくれればいいが、当然そんな可能性はゼロに等しいであろう。

 先行したエレクトライら騎馬隊の無勢を侮り、城下で軽く一戦し、交戦の意思を大いに示そうとしたプリュギア公だが、南部、王師の騎馬に手も足も出ず叩き返された。まるで役者が違う、そんな感じだった。特にエレクトライは疾風の二つ名に恥じぬ、戦いながらの高速機動を見せ、敵を腹背から襲い、散々に打ち負かした。

 プリュギア公は慌てて敗兵を急ぎ収容すると、固くその門を閉ざし、思い切りよく籠城戦に切り替えた。

 リュケネは無駄であろうとは思いつつも降伏を勧める使者を送った。

 一応、この戦に理があるのは王の側で、反乱を起こしたプリュギア公の側ではない。それでも念には念を入れた。プリュギア公の扱いは、明日のわが身かもしれないと、関西の各諸侯はおののきつつ、聞き耳をそばだてているのだろうから。

 ところが使者は追い払われること無く、プリュギア公に会うことができ、盛大に歓待された。

 降伏し武装解除したあかつきには、助命だけでなく領地についても、リュケネからも寛大な処置を陛下に乞うとまで聞かされたときにはプリュギア公は大いに心を動かされたようだった。

 と、帰ってきた使者は興奮もあらわに城内での出来事を語る。

 まだ半信半疑なのか言葉を濁していたが、降伏を匂わす態度をチラつかせていたという。

 ならばと次は書面できちんとそのことを書き連ね、使者に持たせて使いをやると、今度は軍を城下から半里退いて欲しいだの、陛下直筆の助命確約の書が欲しいなどと毎回違う要求を求めた。

 使者はプリュギア公が言を左右するたび、それをリュケネに伝え判断を仰ぐこととなる。

 そんなこんなであっという間に一週間は過ぎ去る。

 将軍も諸侯もこれはプリュギア公の時間稼ぎのための詭弁に過ぎない、即刻打ち切って城を攻めるべしと口々に主張した。リュケネも馬鹿ではない、当然それには気付いていた。

 だがあえてそれには目をつぶっていたのだ。

 手は尽くしたが、それでも相手はこちらの手を跳ね除けたため、しぶしぶ戦った。そういう体裁を整えたかったのだ。

 だがついに一週間後、プリュギア公もこれ以上相手を馬鹿にする言い訳を考えられなかったのか、ついに開城交渉は向こう側から打ち切られた。

 これで陛下の御名も傷つかぬであろう。ほっとする気持ちで、リュケネはようやく攻撃の許可を与えた。

 王師も諸侯もさすがにプリュギア公のこの人を愚弄したやり方に腹が立ったのか、猛然と城へと攻めかかった。

 盾で頭上を防ぎつつ、一歩一歩城への狭い道を確保する。中には垂直に切り立った崖に杭を打ち込んで上へ上へと登っていく猛者もいた。

 弓隊も何とか足場を確保したのを見て、リュケネは一斉突撃の陣鐘を鳴らした。

 城門の前はすぐに激戦の場となった。数を頼みに押し寄せる寄手に対し、守兵はこの日の為に用意しておいた木材やら大石を遠慮なく頭上へと落とした。

 それでも寄手は全体として優勢だった。足場を確保した弓兵は絶え間なく城へと矢の雨を降らせ、城壁を這い上がる味方に向けて物を落として妨害しようとする敵兵を片っ端から始末した。

 だがプリュギア公の城は難攻不落とうたわれるのが伊達ではないことを証明した。

 弓兵の援護がある間は優勢だった寄手も、やがて矢が尽きると再び頭上から降り注ぐものによって城門に近づくこともままならなくなり、負傷者を増やしていくにつれ、劣勢を示していた。

 矢を補給しようにも山頂へと通じる一本道は兵でごった返して、移動すらままならなかった。

 その時、堅く閉ざされていた城門がゆっくりと開いた。

 驚きで口を半開きにする兵士たちの目に、槍をそろえて城を打って出る敵の姿が映った。浮き足立った兵を蹴散らし、城兵は坂を五十メートルも駆け下る。寄手は算を乱して壊走する。それでも逃れられたものは幸いであった。狭い一本道なのである。足を踏み外せば谷底へ真っ逆さまという箇所も少なくない。

 敵兵に殺された兵よりも、足を踏み外したり、味方に押しつぶされた兵のほうが多かったのだから。

 リュケネはその日一日で四十もの兵士を失い、百五十を超える負傷者を出した。


 リュケネは正面からの攻撃を一時中止させ、複数個所からの同時攻撃で城を攻めることを考えた。

 この狭い山道は攻城兵器を上げることすらできない。人海戦術を取ろうにも、道も狭ければ城門の前も狭い。いたずらに攻め込めば、被害を増やすだけである。

 だが、城はこの山の最高点を占めていたが、連なった山々の最高点というわけではなかった。奥の山の峰伝いに攻撃できるのではと考えた。

 さっそく山育ちの兵を選び、斥候を放ち調査させた。その予感は見事に当たることとなる。

 峰付近は比較的平坦で木々を切り払いさえすれば幅二間(3.6メートル)ほどの道を敵城まで敷けそうであると云う。

 リュケネはさっそく兵に命じてふもとから道を敷かせた。

 幸い獣道だか猟師道だかわからない細い道があり、それを拡張すればなんなく峰までたどり着けそうであった。

 だが、近づくにつれて木を切り倒す音が耳に聞こえ、道が開かれる様子は目で見えるようになる。

 プリュギア公はそれを知るや、作業の妨害を命じ、裏口から兵を発した。しかしリュケネは道を切り開くと同時に、先頭には十分な兵を配置し奇襲に備えていた。

 激しい戦闘が始まった。だが五分の条件ならば王師は強い。一方的に叩かれたのは今度は城兵の番であった。

 そしてくる日もくる日も懲りもせずやってくる城兵を撃退しながら王師はじりじりと道を作る。

 城まであと百メートルというところまで来て、リュケネに重要な知らせがもたらされた。

 そこまで近づけば木々の隙間から城の全景を見ることができた。城を偵察していた見張りは、水を汲みに来ていた城兵を発見したのである。

 山の頂上に城を建てた場合一番の問題となるものは水だ。

 稀に山頂付近から水が湧き出るようなところも無いわけではないが、ここではそのような地点はなかった。

 井戸を掘ろうにも岩盤が邪魔をして水まで辿り着けなかった。そこでプリュギア公は城の裏手から水を汲ませに行かせていたのだ。

 リュケネはすぐさま兵に命じ、出入り口を監視し、水場までの道を封鎖させた。水なくして人は生きられない。狭い城内、貯めておく水には限りがあるはず。ましてこの城には二千人に近い兵がいるのである。水の減りは早いだろう。

「これで陥落は決まった。一ヶ月も持たないであろう」

 リュケネは側近にそう笑って言う。その顔は安堵で彩られていた。

 めったに内心の焦りや怒りを見せないリュケネが垣間見せたその表情を部下たちは物珍しげに眺めた。


 プリュギア公は水の手が絶たれても勇をくじかなかった。

 もう当の昔に彼らが挙兵したことは各地に届いたはずなのである。各地で盟約に加わった諸侯が、いやなによりもカヒが立ち上がってくれていることだろう。

 そうなったら全土が蜂の巣を叩いたような騒ぎになる。

 関西のこんな僻地の田舎城に一万以上の軍を縛り付けておくのは愚の骨頂だ。きっと退くはずだ。

 たしかに手持ちの水は少ないが、それまで持ちこたえればいいのである。

 だがそれすらもリュケネは許さなかった。

 峰を通って城に近づく道を完成させると、大手と搦手両方から火の出るような激しさで城に攻撃を加えた。

 今度も城兵は頑強に抵抗をしたが、前と違ってその激しい攻撃に耐えきることができなかった。次々と城壁に兵が登り、城門が開かれた。城兵たちは傷つき、刃に倒れてく者が増えていった。もはや反撃が叶わないと悟った兵が投降すると、次々に武器を投げ捨て命乞いを始めた。

 だが一部の兵とプリュギア公は本城に入ると梯子を引き上げ、そこに篭って抵抗を続けた。

 もはや四面は全て敵、援軍は影も形も見えず、水の手は絶たれて、仲間の多くは降伏した。だが彼らはなおも一週間、本城だけで持ちこたえる。

 最後は城内に内通者が現れ、それと呼応し城に侵入し、プリュギア公を討ち取った。

 プリュギア公の生首は怒りとも驚きとも取れる表情を示していた。

 速戦を目論んだのにそれを果たせず、堅い守りに兵を損耗し、最後は後味の悪い結末。

 リュケネにはやるせなさだけが残る戦となった。

 しかもリディオ伯へ攻め込む道を幕僚たちと考えていたリュケネの下に良くない知らせが二つ舞い込んだのだ。

 ひとつはプリュギア公という大物が破れた後だというのに、リディオ伯に呼応して立ち上がった関西諸侯が現れたということ。

 そしてもう一つは、それは先ほどのリディオ伯に関西諸侯が呼応したということの理由でもあったが、カヒが兵を動かしたという知らせだった。

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