第149話 撒餌(Ⅰ)
リュケネは王師の中で旅長としても将軍としても、私情を挟まず部下を扱う公正さで知られている男であった。
だがこの事件により関西の民にもその公正さは知れ渡り、関西の治安の安定に大いに貢献することとなった。
関西の民は安堵すると共に、新しい支配者としてリュケネを、そして王としての有斗を許容する姿勢を見せていた。
とはいえそれは事件の当事者である西京の民、それも末端の民衆の間の話である。
関西の、それも地方の諸侯は民に対する自身の支配者としての根拠を、正当なサキノーフの後継者である関西王家に伯や公に任じられたことで持っていたから、はいそうですかと、すぐに有斗に乗り換えるわけには理論的にいかなかったのだ。
もし諸侯の上に立つ王という大きな権威が、諸侯にとってすぐに変えられる程度のものであるならば、当然王というものに与えられた諸侯の権威というものも、すぐに代わりが利く程度のものでしかないということなる。
すなわち、領民は領主が気に入らなければ、実力で排除をしようと試みるだろう。領民統治に自信の無い諸侯ほどその不安は大きかった。だから彼らは関西復興というお題目に飛びつくようにして賛同したのだ。
カヒが単に彼らを利用しようとしているのは頭では大いに理解していても、心情的に味方せざるを得なかったということなのだろう。
その動きをリュケネは把握していなかった。とはいえリュケネばかりを責めるわけにはいかないであろう。
リュケネに付けられた官吏は多くはなく、鎮西府の立ち上げと、西京を正常化し関西経済を動かしていくことの二点を優先したため、諸侯への監視に回す人員がいなかったというのが実態である。
なぜなら朝臣の反対で、鎮西府にはわずかな人員しか配されなかったのだから。
だから反乱の動きを知ったのは、東京から発せられた問責使に託された王の親書を読んだときであった。
王からその知らせを聞いてリュケネは大いに恥じ入った。
守の武人であり、治の文人であるリュケネにこの任が与えられたということは、王は関西の安定を何よりも主軸においているということを表す人事だったと思っていた。それはおそらく間違いではない。
とはいえ、これは本来は彼の一存で処理すべき事態であったのだ。
もはや王都でなくなった西京に王師一軍をあえて駐屯させたのは、治安の維持や秩序の回復の役割を果たすためというよりは、何よりもそういった軍事的な動きを
とはいえ王はその怠慢を責めてはいないようだった。謀反の動きを見せている諸侯に問責使を送るから、下軍から護衛と領内偵察を兼ねて兵を添えて欲しい。そして不測の事態に備えて、準備を怠らないように、とだけ書かれていた。
もし、というよりはおそらく、十中八九は起こるであろう反乱に備えて軍備を整えておけという意味だとリュケネは捉えた。
何かが起これば、その予感はもはや確信となってリュケネの中にあったが、すぐさま出兵できるよう兵糧、荷車、馬、武器の手配をし、兵士には戦場にいるのと同じ二十四時間の警戒態勢を取らせた。
王が今回特別に特使を派遣したのはプリュギア公、コス伯、リディオ伯の三諸侯だった。
盟約に加わったと噂された関西諸侯は十を超える。その中から考えて選んだのはラヴィーニアだ。特にその三つを選定するには、当然のことながら理由があった。
まず三諸侯間の距離が近く、まとめて早急に鎮圧することができる。時間を掛ければ掛けるほどその騒乱に便乗して兵を挙げる諸侯が出ないとも限らない以上、これは重要なことに思えた。
次に三諸侯とも関西の重鎮であり、千を超える兵を動員できる大諸侯であること。核となる諸侯がいなくなれば関西での反乱の芽は一気に
南部で有斗が挙兵した時を思い出せばいい。
南部は中央に対する根強い反感があった。だが有斗という大義名分と、核となるダルタロスがいて初めて、諸侯は立ち上がったのである。
核となる諸侯がいなければカヒが望む関西諸侯の反乱など起きはしないのだ。
しかも彼らの近隣には仲の悪い諸侯か、南部から移封した諸侯がいて、加勢が見込めるのである。
まさに戦う前から勝利が約束されたようなものだった。
アリアボネのような戦場における応変の才は無いかもしれないが、ラヴィーニアは戦う前に敵の謀を伐ち、必勝の体制を作ることにかけては右に出るものがいないと自負していた。
問責使は翌日には西京を後にし、三諸侯の城砦へと足を巡らす。
といってもわかりきったことではあったが、結果は散々であった。
領内では
「少々城が古くなって壊れていたから補修をしているのが悪いと申されるか? それにいつ陛下から召集が掛かっても応えられるように準備するのは諸侯としての勤め、勘違いなされてははなはだ迷惑だ」
などと人を食ったような答えが返ってくるばかりだった。
リディオ伯にいたっては城に入ることも許されず、矢をもって追い払われた。
乱暴な歓迎だったが、使者を殺さないという最低限の礼儀だけはまだリディオ伯にもあったようだ。
だが、これこそがラヴィーニアの望んだ結果であった。
彼らがカヒと組んで有斗に反乱を起こすと決定しているように、朝廷もすでにカヒが挙兵するより前に、彼らを排除する方向で動き出していた。
つまりこちらから攻撃するということだ。
理由無く諸侯に攻め込むのは他の諸侯の心情を考えると極めて危険だ。他の諸侯もいつ自分が攻められるかと恐れ、有斗を不信の目で眺めることになるだろう。
今は有斗に大人しく従っている諸侯をも敵側に追いやることになるかもしれない。
言い訳のためには一度問責の使者を送ったというアリバイが必要だったのだ。
これで三諸侯に攻め込む大義名分を得た有斗は、さっそく東京から王師二万を出し西へと馬首を向けて進発させる。
だがリュケネは援軍を待たなかった。
王の命令が来るより前に、西京を出て、まずは一番近いコス伯の領土へと侵攻した。兵符を持つ彼には独断で兵を進める権限があった。
道中で南部から関西へと移封されたストラダ伯とエレクトライが合流する。
あらかじめ戦争の準備をしていなかった彼らは五十騎ほどでしかなかったが、それでも諸侯が加わったという事実は、カヒとの密約に加わらなかった様子見の関西諸侯にいい影響を与えることであろう。
道々でこれも小規模な部隊ではあったが、関西諸侯も槍を担いで加わることになった。
コス伯は血気盛んな
兵数に格段の差があるにも関わらず、高所に布陣したコス伯は持ちこたえた。
こういう戦いで最後にものを言うのは体力、そして兵士たちの気力である。自らの家族と住む地を守るため、そして高所という敵よりも有利な地形に布陣したという余裕からか、当初はコヒ伯が優勢であった。
だが一刻を過ぎると、旗色が変わり始めた。
終始、戦い続けなければならないコス伯の兵は疲れ始め、数に勝る王師のほうが余裕が出てくる。
リュケネは頃合よしと判断し、牙旗を前進させた。それを見て王師下軍が静かに、そして猛々しく動き出した。
それを合図に丘を迂回したエレクトライが斜め後ろから突き刺さると、コス伯はもう陣を保つことができなかった。コス伯に唯一できることは敗兵にまぎれて逃げることだけだった。
だがリュケネは敵が敗走すると全軍に追撃を命じ、籠城を阻止しようとする。
この戦場だけでなく、もっと大きな流れを考えると、とにかく時間を掛ければ掛けるだけ相手が有利で、こちらは不利になる。反乱する諸侯も増えるかもしれないのだ。つまり最大の敵は時間であるとリュケネが考えたとて無理はあるまい。
関西諸侯も加わったこの盟約に、気付かなかった責任がリュケネには大いにある。
だからそれを不問にしてくれた王のためにも素早く鎮圧し、目覚しい戦果をあげるつもりだった。
いつまで経っても追い続けてくる王師にコス伯はうんざりした。
勝利したのである。普通は戦場を確保し、陣形を整えるものだ。追撃があったとしても全軍で追撃することは稀だし、ほどほどのところで打ち切るはずである。
だが雲霞の如く湧いて出た敵は、一向に止める気配を見せていない。
少なくない兵が
コス伯はすっかり戦意を喪失してしまっていた。
逃げながらふと後方を見ると両横に回りこんだのに必ず挟撃するわけでなく、むしろ追い越そうとさえするかのような敵のいぶかしい動きに首を傾げた。
それを見て何か思うところがあったのか、コス伯はあっと小さく叫ぶ。
敵兵のこの動きはコス伯や兵士を追ってきているのではなくて、城に入って籠城されないように追撃しているだけなのだと思い当たった。
つまり自分が城に向かって逃げている限り、追撃は終わることなく続くだろうということだ。
溜息を吐くと、ついにコス伯は自分の城に帰ることを諦め、プリュギア公領を目指して落ち延びていった。
エレクトライの騎兵を先頭に、押し寄せた王師の大軍を目にしたコス伯の城の守備兵は、どうやら主は負けてしまったらしいと顔面を蒼白にさせ、早々と諸手を上げて降伏した。
リュケネは城に入ると、抵抗した一部の者を始末し、降伏した者は武装解除して家へ帰らせた。
わずか一日で、いや半日でコス伯を下すことができたリュケネだったが、それで満足するわけにはいかない。
「これから一刻の休憩を与える。各自炊飯の準備をし、腹を満たしておけ。休息の後、プリュギア目指して出陣する」
リュケネは各旅長に足早にそう指示をすると、飯を手早くかきこみながら、どの道を通ってプリュギアへと向かうか、さっそく地図と相談を始めた。
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