第148話 正義の宰相

 そんなラヴィーニアにアエネアスは馬鹿も休み休み言うがいいと言いたげな顔つきを見せた。

「カヒを討つだって・・・? 気軽に言ってくれるな。カヒはダルタロスですら足元にも及ばない巨大諸侯だぞ。直轄地だけで三万、従属する諸侯を合わせれば七万とも言われる。もしカヒの領内で戦うのなら人数はさらに増えることだろう。しかもカトレウスは常勝無敗をうたわれる戦の申し子、坂東兵は精強で知られ南部兵と戦っても引けを取らない、配下には名将猛将が綺羅星のごとくいる。例え東西の王師全軍を率いた兄様であっても勝つのは容易な相手じゃない。ましてや今の軍の頭はこれだからな」

 と、ちらっと有斗に目線をくれる。

 そりゃあアエティウスに比べたら僕は軍事の才なんて欠片かけらもないに等しいだろうけど・・・と有斗は微妙な顔をする。

 僕がトップで悪うございましたね、とすねるしかない。

「なんとか戦わずにすむ方法はないかな?」

 有斗のその願望が多分に込められた発言にラヴィーニアは否定的だった。

「確かにカヒは難敵です。だが天下を取ろうとするのであれば、勝てないからと言って戦わないわけにはいかない。それではいつまでたっても戦国の世は終わらない。それにこれは向こうから売ってきた喧嘩だ。こちらが戦いたくないからと言って、向こうがはいそうですか、と振り上げた拳を引っ込めてくれることなんか考えられない」

「それはそうだけど・・・」

「それにそこの赤毛のお嬢ちゃんも言ってたじゃないか。勝ち目がないと言っているのではなく、容易ではない、と。すなわち戦いようによってはいくらでも勝利することが可能だ。兵力の差、兵質の優劣は戦場でひっくり返せる。例え戦場で一敗地にまみれようとも、戦略で勝利する方法だってある。その為にかつてアリアボネがいて、今はあたしがいる。そうじゃないのか?」

 有斗は今まで影でラヴィーニアがアリアボネを助力していたことを知らない。

 だから青野ヶ原で王師を壊走させ、四師の乱を起こしたラヴィーニアの野望をくじき、関西遠征において魔術師のような活躍を見せたあのアリアボネに匹敵する才能の持ち主だと自ら言うなんて、もの凄い自信家だな、と思っただけだった。

「勝つことができると思う?」

 その有斗の難しいと思える質問にあっさりとラヴィーニアはいらえを返した。

「不可能ではありません。条件が付きますが」

「条件とは?」

「何よりもカヒの領内で戦わぬこと。敵を畿内に引き込めば引き込むほどいい。補給線が延びるし、遠征となればカヒも全軍を挙げて出兵はできない。数で優位に立てます。さらには敵を引き込んで、野戦で戦わぬこと。カヒの騎馬軍団の機動攻撃は王師にとって大いなる脅威です。馬の走れない険阻けんそな地形で敵の足を止め、後方を撹乱かくらんし、糧道を断ち、敵を退却に追い込むこと。そこで敵の退却に付け込み追撃をかけて打撃を与える。そしてできうることなら大河に残兵を叩き込み完膚なきまでに勝利する。これが今の我々に取れる最善の策だと申し上げておきましょう」

 なるほど、河東の侵攻に備えて、畿内には城砦がいくつか建設されている。そこで迎え撃ち長期戦に持ち込めばあるいは勝てるかもしれない。

「なんだ・・・意外とまっとうなことを話すじゃないか。ただの子供ではなかったのだな」

 アエネアスはよしよしと子供を褒める時のように、ラヴィーニアの頭を優しく撫でた。

「頭を撫でるな! 子供ではない!」

 とさすがのラヴィーニアも不快そうにその手を払いのける。

「しかし、アエネアスの耳にも入っているということは、この噂は広く広がっているということかな?」

「御意」

「とすると・・・このまま黙っていることは王の威厳を損なうことになりますね」

 それまで黙っていたセルウィリアがこういう時こそ自分の出番とばかりに声をあげる。

「詰問の使者を送りましょう。このまま手をつけずに放置したままだと、謀略を嗅ぎ付けることもできない愚かな王だと思われてしまいます。また諸侯をはばかって問責しなかったなどと影で笑いものにされます。度胸の無い王だと軽く見られてしまいます」

「でもそうすると反乱を起こさせてしまうんじゃないのか?」

 調べれば逃れられぬ証拠が出てくるであろう、弁護すらろくにできないような。

 だとすると自暴自棄になって反乱を起こす可能性が高い。

「そうですね」

 しかたがないのではないですかとばかりのセルウィリアの言葉に有斗は眉をひそめる。

 王の威厳とやらの為に敵の思惑通りに動いては、実際に戦場に出て己の生死がかかる立場になる王師の将士にしてみたらたまったものではないだろう。

「いや、それこそが我々が取るべき行動だと申し上げておきましょう」

 ところがラヴィーニアがセルウィリアの意見に同意を表した。

「え・・・? 反乱が起きたら兵を討伐に向かわせなければいけない。戦力分散はカトレウスの思う壺じゃないのか?」

 だってカトレウスはそれが目的で密約の存在をわざと僕達の耳に入るようにしたのだから。

「陛下、今回の我々の目的はカトレウスを倒すことです。カトレウスは待ってても恐らく自らは動きません。我々が地方の反乱の討伐に兵を出さない限りは微動だにしないでしょう。そして例えば諸侯に詰問の使者を送らずに過ごしたとしましょう。確かに当面は我々は戦わずにすみます。だが彼らは時が来たなら蜂起し、燎原りょうげんの火のように広がることは必定。つまり遅かれ早かれ我々はこの盟約に組した諸侯と戦わなければならない。ならば敵の準備が整わぬうちに、計が定まらないうちに、敵を討つのが良策です」

「でも・・・前の包囲網の時みたいに一斉に囲まれると困るなぁ・・・」

「当然ですね。ですから・・・詰問の使者を名の上がった全ての諸侯に送る必要は無いと思います。そうすれば詰問されなかった諸侯は軍事の準備に追われるくらいですぐには立ち上がらないでしょう。その隙に少しでも後顧の憂いとなるものを排除してしまいましょう」

「それはいい考えだね。でも詰問の使者はどこに送ればいいと思う?」

「そうですね・・・」

 ラヴィーニアは小さなあごに手を押し当てて虚空をにらんだ。

「・・・やはり関西かな。挙兵した諸侯に河東のカヒから援軍がやってくれば非常にやっかいな戦いになる。関西ならその心配が無い。しかもそのまま放置しておくとカヒとの決戦の時に背後で暗躍し、少々やっかいなことになりますからね」

「関西か・・・諸侯の中にはまだ僕のことを王と認めていないものもいると聞く。この機会に関西の掃除をしておくのも悪くないってことか」

 関西の諸侯は関東と違い、セルウィリアが生きている限り、有斗よりも彼女を正当な王位継承者と見なすに違いない。かといってセルウィリアを殺すわけにもいかない。

 ならばここらで、有斗の王位を認めず、カヒと組んで反乱を起こすような強硬派を叩いて、誰がこの世界の本当の王であるか、その身をもって思い知らすのだ。

「御意」

 ラヴィーニアが我が意を得たりとばかりに有斗に会釈し拱手した。


 長征から一季が過ぎて、関西はようやく落ち着きを見せていた。

 鎮西探題として関西ににらみを利かすリュケネは多忙の毎日を過ごしていた。

 西京におけるリュケネの仕事は多い。諸侯の監視、西京を初めとする元関西朝廷の直轄領の管理、西京の警備、治安維持をリュケネが処理しなければならない。もちろん王師に行政ができるわけはない。東京からリュケネの手足となる官吏が送られてきてはいる。

 おそらく同時に監視役も兼ねているのであろう。関西諸侯と、それとリュケネに対しての。

 なにしろリュケネは関西全域に渡る行政と司法、警察権を持っているのである。

 確かに立法権と諸侯の指揮権こそは所持していないものの、その強大な権限がいつ地元諸侯と結びついて反乱を起こさないとも限らない。王は鷹揚だから気にしないだろうが、周囲、いや朝廷が気にするであろう。実際、リュケネに大権を与えるにあたっては反対意見が根強かったという。

 だがしばらくは関西は安定しないと見た以上、複数人に権を分散してその人物たちが権勢争いを始めたり、縄張りを巡って対立したりした結果、不測の事態に迅速な行動が取れなくなるよりは、と王が押し切ったのだ。その王の信頼にはできるだけ答えねばならない、とリュケネは思った。

 少なくとも王の顔に泥を塗るようなまねだけはするわけにはいかない。

 その苦労が実ったのか、小さな揉め事こそ数限りなくあれど、大きな問題は起こさなかった。

 いや、正確にはひとつだけ大きな事件があった。

 それは梅がほころびかけた時期に起きた。

 王師といえども生身の男、戦場の緊張から解き放たれたからか、非番の日を待ちきれなかったのか、当直の日にこっそり歓楽街に繰り出したという。ほんの一杯ひっかけてくるつもりだったようである。

 それ自体はよくある話である。問題行動だが、当直全ての兵がいなくなるわけでもないし、もしこっそり戻ってきていたら何の問題にもならずに終わっていたレベルの話である。

 だが彼らは飲みすぎた。飲みすぎて酔っ払い、店にいた女性に乱暴し、しかも止めに入った店の者を斬り殺してしまったのだ。

 事件は翌日昼間には西京中に知れ渡り、西京の人々の大きな怒りを買うことになってしまった。

 関東でも関西でも殺人は重罪である。ほとんどが死罪、たまに流罪である。

 だが、今年は有斗が東西王朝の統合を果たした記念すべき年である。一年は刑を減免し、民の租税を軽減することと布告されていた。であるなら流罪が適当であると、西京に赴任した官吏たちは前例を調べて献言した。

 しかも王師下軍旅長を始めとして王師の大部分は酒を飲んだ上での犯行であるし、明確な殺意は無かった、事故であったと主張し、減刑を嘆願した。その場合は労役三ヶ月が妥当であろうと思われた。

 ここでリュケネが取った行動は堅実な守備の人と見られていたその人物像を大きく裏切ることとなった。

 殺害に関係した兵を全て斬首としたのである。

 リュケネの決断の根拠となったものは兵符だ。

 王師下軍を動かすのにいちいち王の許可を取るわけには行かない。王は東京でリュケネと下軍は西京なのである。だから兵符がリュケネに与えられたままだった。

 東京に帰り、王の元に兵符が返された他の王師は戦闘状態を解除されたと判断できる。だが下軍の兵符はいまだリュケネの下にある。これをもってリュケネは下軍を戦闘状態にある軍だと認識したのだ。

 戦争時に当直や見張りを途中放棄すること、これは重大な軍紀違反だった。もしその隙に奇襲を受けたら、軍は大きく傷つくのだから。当然死罪である。

 もちろん、これは占領下にある関西の人々の心を掴もうとしたリュケネのしたたかな計算が働いてもいたのであるが。

 この決定は狙い通りに関西の人々の心を捉えた。

 どうせ有耶無耶うやむやにして終えるだろうと、冷めた目で見ていた関西の人々の心を打ったのだ。関西と関東を同じに扱っていると彼らは感じたのだ。

 そして王師の人間でも、盛り場で働く遊女であっても、同じ一人の人間として扱っている公平さはとても好ましいものに思えた。

 そんな彼らはリュケネに親しみと尊敬の念を込めてこう呼ぶこととなる、『正義の宰相』と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る