第147話 密約露見

 朝会を終えた有斗は、アリスディアに手伝ってもらい、今日も溜まっている書類を片付けていた。

 静寂の中、順調に進んでいた公務は、突然起きたひとつの大声と共にその歩みを止める。

「陛下! 大変よ!」

 扉を開けて王の執務室に入ってきたアエネアスだったが、そこに小さな影がいるのを見つけて口の端をゆがませる。

「・・・むっ、お前もいるの!?」

「あたしは中書令だ。朝廷と王との折衝をしなければならない立場だ。いてもおかしくないだろう」

 ラヴィーニアがアエネアスに向き直ると、腰に手を当てて言い返した。

「とても重要な情報を仕入れたんだけど・・・」

 とラヴィーニアをちらちら見ながら口篭る。重要な情報なのでラヴィーニアには聞かせたくないといった態度をありありと表していた。

 いい加減仲良くなってくれないものだろうか、と有斗は溜息混じりに返答する。

「いいよアエネアス。ラヴィーニアは朝廷の重臣だ。聞かれて困ることは何も無い」

「・・・でもさぁ・・・」

 後頭部をかいて悩んでいる様子を仕草で見せたアエネアスだったが、有斗がラヴィーニアの同席を認めたうえ、ラヴィーニアが空気を読んで消え去ってくれないのを見て、とうとう諦めたのか口を開こうとした。

 が、

「ちょっと待って」

 と、別の何かを見つけて発言を止めた。

「アリスディアがこの場にいるのは当然だよ。だって尚侍ないしのかみだし、南部挙兵以来の仲間だし、何より聡明だし。次にヘシオネも分かる。ハルキティア公だものね。そしてこのちんちくりんもまだわかる。何の間違いか中書令だもん」

 と、ここでギロリと目を剥いた。

「でも、この女がいるのは道理が通らない! 私が陛下にお知らせようとしていることは国家の重大事なのよ! また反乱を企むかもしれない悪いやつを機密に触れさせるなどおかしいじゃない!」

 と執務室の隅っこにいつものように鎮座するセルウィリアを指差して有斗に文句を言った。

「あ・・・わたくし、席を外しましょうか」

 セルウィリアが空気を読んで出て行こうと立ち上がると、有斗が止めに入った。

「いや、いいよ。一緒に聞けばいい」

 有斗の口から信じられない言葉を聞いて、アエネアスは飛び上がらんばかりに驚いた。

「陛下! なんで!?」

 責めるような口調で有斗に叫んだ。

 そんなアエネアスに有斗はいたって気軽な口調で話しかける。

「だって彼女はアエネアスが羽林を使って外部との監視をさせている。それに疎漏は無いんだよね? だったら彼女が何を知っても外部に洩れることはないんじゃないかな?」

「う・・・まぁそれはそうだけどさぁ」

 アエネアスはあくまで不満そうだった。

 一方、セルウィリアは大いに当惑した。

 どうやら大事な情報であるようなのに、それをついこないだまで敵国の王、そして反乱騒ぎまで起こした人物に聞かせるなど考えられないことだ。

 それに機密情報とは極少ない人間だけが知っているから機密なのである。もし信用できる人物であっても、関係がないのならば、なるべく聞かせないというのが鉄則なのである。情報じょうほう漏洩ろうえいの可能性は少しでも少なくさせるべきなのだ。

 もし今の有斗の立場が彼女だったなら絶対にそうする。

 だのに何故か出て行こうとする女を塞ぎ止めようとは。


 ・・・たまにこの目の前の男のことが分からなくなる。

 小心者なのか大胆なのか、寛大なのか不寛容なのか、馬鹿なのか賢いのか、この男には何故か全てにおいて背反する両面を持っていた。しかも時によってはどちらも混在しているようなのだ。

 伝説の天与の人? それとも只の少年?

 いったいこの男の正体は何なんだろう・・・

 セルウィリアは大いなる好奇心を有斗に抱くようになっていた。


 有斗がセルウィリアをここに留めたには訳がある。

 ひとつは純粋に彼女の考えを知りたかったのだ。関西の女王として君臨してきたのだ。有斗と違い、一般的な王の考え、対処法といったものを理解しているであろうから。

 もうひとつは彼女に居場所を作ってやらなければ、と思い立ったからである。住み慣れた場所から移住させられ、それまで仕えてきた侍女や家臣から隔離されたのだ。

 きっと心細いに違いない、話し相手すらいないのだから。

 確かに、この王女には心の奥底では言ってやりたいことが無いわけではない。ぶつけたい怒りがある。

 だからと言って全てを彼女の責任にするべきではないし、それに一旦許した身、物質的、精神的にある程度の生活を許されてしかるべきだ。

 現代人である有斗にはこの世界の住人がまだ見たことも無い『人権』という概念を持っていたから、そう考えた。

 衣食住はここにいる限りは問題は無い。それなりのものを与えているつもりだ。だが知り合いが一人もいない中で毎日を生活するのは精神的に厳しい。この世界に来た時、そしてセルノアと別れ、南部まで逃げていた時の有斗がそうであったように。

 ならば人間的な生活を送らせるということは、有斗にセルノアやアリアボネやアリスディアがそうしてくれたように、王女にも話し相手になる人を与えなければならないだろう。

 最初は王女付きの侍女にその役目を割り振ろうかと考えたが、その場合王女に丸め込まれて裏切り、外部と接触できるようになる危険がある、と思い立った。考えた末、有斗とアリスディアがその役目を担うことにした。これなら外に洩れる心配は皆無だ。

 それに大事であっても聞かせることで、心を開いてくれるかもしれない。改心してくれるかもしれない。

 だから出て行こうとしたセルウィリアを有斗はあえて引き止めたのである。


 渋面を浮かべていたアエネアスだったが、諦めたのかしぶしぶ話し始めた。

「こういう噂があるの」

 アエネアスが聞きつけた噂とは聞き捨てならないものであった。

 諸侯が盟約を結んだらしい。

「正当なるサキノーフ様のすえ、セルウィリア様は囚われの身、僭称者からこれをお救いして、天下に正道をもたらすべしと盟約が行われたと言う。坂東の諸候、関西の諸候のいくつか、河北の賊の残党、王臣はもとより南部の諸候まで加わっているという聞き捨てならぬ噂」

 本当だとしたら、それは重大事件である。再び有斗たちは四方を敵に囲まれたことになる。

「・・・それは本当かな?」

 有斗はラヴィーニアに訊ねてみる。

「噂はともかく使者が各諸侯を往来しているのは事実だね。実際、南部も騒がしくなっている」

「でも僕は一切聞いてないよ」

 有斗はそういった報告が上がってきていないことに不満を示した。

「まだ噂段階だからね。もう少し確証を得てから奏上するつもりだった」

 ラヴィーニアはそのような流言飛語などいちいち奏上していけばきりが無い。密告を奨励して、政権を陰謀の巣にするつもりですか、と肩をすくめた。

 言われてみればその通りだ。そういった流言に有斗が過剰に反応を見せることを知れば、朝臣たちはよってたかってあることないこと告げ口し、気に食わないものを排除しようと動くだろう。そうなれば朝臣たちは誣告ぶこくばかりを考え、民のための政治など省みられることは無いだろう。

「あ・・・あの、申し上げたき議がございます」

「なぁに、王女様?」

 王女は胸に手を当て前かがみで有斗に詰めよるようにして自身の潔白を主張した。

 おもわず目の前で存在感をアピールするセルウィリアの大きな胸にばかり視線が行く。

 いかん、今は大事な話をしているんだ、集中しろ、と有斗はあわてて目線を逸らす。

「わたくしはその企みを聞いてはおりません。聞いておれば陛下にお伝えいたします!」

 王女は真剣そのものだった。有斗は確認するように傍のアエネアスに顔を向けた。

「それは間違いない。私の知る限り王女に最近接近を図った外部の者はいないよ」

「あたしも関西の動きは把握しているけど、そのお姫様に接触を図った者はまだいないね」

 アエネアスとラヴィーニアの言葉に有斗は大きく頷く。ならば大事になるまい。反乱の名目はこの王女様なのだ。彼女の密書なり言葉なりが無いと、反乱を起こす側も拳を振り上げることすらできないであろう。

「そっか」

「だけど、そのことがかえってことの大きさを表している気がするね」

 ラヴィーニアはそんな有斗に安心するのは早いとばかりに釘を刺した。

「どういう意味?」

「これまではあくまで関西の者だけによる復古運動に過ぎなかった。この王女の了解の下、動くものに過ぎなかった。白鷹の乱のように、ね。だから王女がそれを了承しなければ反乱は起きないということです。ですから我々は王女と外部との連絡を絶つことで予防できたと思っていた。だがこれからは違うということです。関西の復興というのは単なるお題目。王女の意思など介入する余地は無い。例え王女が止めろと言っても、たとえ王女が死んだとしても、彼らは槍を収めたりはしないでしょう」

 白鷹の乱のことをラヴィーニアが指摘すると、セルウィリアは唇を噛み締めて下へうつむく。

「しかし・・・おかしいな」

 ラヴィーニアが首を捻る。

「あたしはまだ何もしていないぞ」

 まだしていない、つまりするつもりだったということか? 一斉に視線がラヴィーニアに集中した。

「どういう意味?」

 アエネアスが問いただす。

「これとまったく同じ策をあたしは立てていた。もっともやるのは来年だったんだが」

「なんですって!? あなた、まさか我々を裏切って!?」

 アエネアスが柄に手をかけるのを見ても、ラヴィーニアは顔に皮肉な笑みを浮かべるだけだった。

「・・・もし、そうだとすれば、なんであたしがそれをここで今告白したのか不思議には思わないのかねぇ、赤毛のお嬢ちゃんは」

「確かにそうだね。でもこの策はどう考えても僕らに不利をもたらすものだ。何故味方のはずの君が?」

 有斗の当たり前とも思えるその質問に、何故かラヴィーニアはびっくりした顔を向ける。

「陛下は天下を太平にしたいと願っているのではないのですか?」

「むろん、そうだよ」

「天下安寧とは全てのものの上に立つ権威を陛下が持つということです。商人、農民、諸候、官吏、それぞれが自分の権益だけを声高に主張し、反対するものは実力で黙らせ、少しでも利を貪ろうとする。それが戦国の世。そんな世界を太平にするということは力を持っているものからその力を剥ぎ取り、全ての権力を王に集中させることが必要です。・・・むろん権力を取り上げられる側は大いに反発するでしょう。今まで自由にできたことができぬのですから。でもそれ以外に戦国の世を終らせる方策があるとお思いで?」

「それはわかってるよ。だけどそれと、この陰謀とがどう結びつくの?」

「いいですか、陛下はあくまで外の世界から来た部外者だったことをお忘れなく」

「そんなこと言われてもなぁ・・・」

 勝手に呼び出して王に祭り上げられたのに、今更そんなことを言われても困るというのが有斗の本音である。

「陛下を責めているのではないのです。この朝廷は南部、河北、畿内、関西の人間が様々な思惑の下に集まっている不安定な宮廷なのです。それが曲がりなりにもまとまっているのは陛下が天与の人であるという一点に過ぎません。であるならば、陛下の名になるべく傷がつかない方法で相手から権力を取り上げるべきなのです。例えば此度、関西を手に入れた時のように、相手から戦を仕掛けられたからやむなく征討した、とかね。カヒが巨大な権力を持って、将来的に危険だから軍を向けた、では道理が通りません。そういうわけであたしは向こう側からことを仕向くようにさせようと考えていたわけです」

 なるほど理屈は理解できる。でも・・・

「他の方法もあるんじゃないかな? カヒと共生していくとか・・・」

 別に他人から奪わなくても、王朝そのものを立て直し、王の持つ権力を肥大化させることで相対的に他の権力を小さくすることで平和になるんじゃないかな、とも思うんだけど。

「陛下が生きているうちはそれでもよろしいでしょう。もしカヒと和議ができれば、の話ですけれどもね。陛下は天与の人であり、そして確かにカトレウスよりお若い。だけれども永遠に生き続けることができるわけではない。例えば今ここで、もしカトレウスと和議が相成ったとしましょう。ですが明日陛下が亡くなられたとしたら後はどうなると思います? 後にはそれぞれの思惑を持ったバラバラの廷臣がいる朝廷と、三万の大兵を擁し、綺羅星のごとき猛将名将を傘下に持つ大いなる野心家が残るのですよ。天下は再び大乱となる。共生といいますが、それは次の世代に問題を先送りしたに過ぎない。陛下がアメイジアに真の安定をもたらすには、カヒとオーギューガのような朝廷を上回る力を持った巨大諸侯はなんとしてでも潰すなり、力を削っておく必要があるのです」

「だけどなんかこっちからわざわざ仕掛けなくてもって気もするなぁ・・・」

 戦国の世で甘っちょろい考えだとは思うけれども、やっぱり他人を謀略でおとしいれるってのは気がひけるんだよね。

「まぁ・・・それは私が行うまでもなく、敵がやってしまったことです。今はこの事態にいかに対処するかを考える時です」

「そうだね」

 また、あの時のように各方面の敵を各個撃破していくしかないか・・・

「しかしおかしいとは思わないかい?」

「なにが?」

「この盟約には数多くの諸侯が加わっている。であるからどんなに隠そうとしてもどこからか洩れる。だから洩れたこと自体はおかしくない。しかし挙兵まではどんな人間も慎重に動くもの、洩れたとしても断片的で不確かな噂程度のはず。なのに諸侯の名前がここまで具体的に出てくるのは尋常じゃない」

 有斗はラヴィーニアの言いたいことを悟った。

 計略を行う者は慎重に行動するはずだ。陰謀とは実行するその直前まで影すら現さないからこそ成功するものだ。

 四師の乱でも白鷹の乱でも情報がこんなふうに全ておおやけになることはなかった。

 もしそうであったなら・・・有斗はセルノアもアエティウスも失うことなどなかったはずだ。

「つまり誰かが意図的に漏らした・・・と?」

「そういうことだね」

 有斗のその言葉にラヴィーニアは大きく首肯する。

「何のためにそんなことをする必要があるの?」

 アエネアスが不思議がる。それはそうだろう。敵にわざと情報を漏らして何の得があるというのだ。

「狙いは二つかな」

 ラヴィーニアは少し考えてから口を開いた。

「ひとつは盟約に加わった諸侯に後戻りを許さぬため。参加した諸侯の多くはおそらく保険を掛けただけだと思っていたはず。別に進んで兵を挙げる気は無く、カヒが優位になった時に参加する程度の心積もりだったと思われます。だが当然いざという時のために準備だけは行っているはず。兵糧の確保、武器の購入、傭兵の雇用。こうなった以上、我々としては名の上がった諸侯を調べなければならない。調べればすぐに足がつく物証ばかりだ。申し開きはできないでしょう。名を上げられた諸侯は兵をあげざるを得ない」

 名前を挙げられた諸候は今頃驚き慌て、挙兵の準備を加速させているんだろうな、とラヴィーニアは思った。

「もうひとつは我々の眼を分散させるってところかな。我々は再び包囲網に囲まれている。以前と違い関西という大敵はいなくなったものの、それでもこの包囲網は我々にとって脅威です。一対一の戦いより複数対ひとつの戦いのほうが対処が難しい。どこか一点に注力すると、他方から激しい攻勢が来るでしょうし、かといって全てに均等に兵力を配分すると手薄になる。一斉に攻められると対処しきれない。我々は難しい選択を迫られることになります」

「一体犯人は誰なんだろう・・・?」

「密約をばらして一番得をする者を考えればよろしいのです。この密約が明らかになることなく、予定通りに包囲網が完成したとして、どういう風に物事が進むのかを考えてみるとわかりやすい。そうですね・・・前の包囲網と同じく誰も最初に兵を挙げようとはしないでしょうね。最初に戦うものは我々の矢面に立つことになりますから。王師と戦うことで兵力を消耗しますからね。となるとこの包囲網の中で最大の力を持つ者がまず兵を挙げ、陛下と剣を交えて優位に立つまでは諸侯は兵を挙げません。つまり貧乏くじを引く者が必要です。前は関西がいました。だがもはや関西の朝廷は無く、地方の諸侯にはそれだけの力が無いでしょう。さぁ、最初に兵をあげることができるだけの余力を持った者は誰でしょうか?」

「カヒ・・・だろうね」

 有斗のその言葉に、よくできましたと子供にほめるような表情で手を打ってラヴィーニアは賛意を表す。

「その通り! だがカトレウスは慎重で貪欲な男です。貧乏くじを引くのが嫌だった。ですから盟約に加わる諸侯の名前をわざと漏らし、陛下が他の場所に討伐に向かうようしむけたというところでしょう」

 なるほど・・・これはカヒが仕掛けた謀略戦ということだな。

「とすると、噂に名があがった諸侯を詰問し、ひとつひとつ征討していくというのは敵の思う壺・・・ってわけか。どうすればいい?」

「多方面作戦などしようものならばアメイジアを右往左往したあげくに敵にいいように翻弄ほんろうされて消耗するだけです。ネズミを根本的に家から追い払うには、猫を飼っているだけではどうにもならないということですよ。ネズミは巣を駆除しないといつまで経ってもいなくならない」

「つまり・・・?」

「カヒ家を討つしかありません」

 ラヴィーニアはそう言うと有斗を仰ぎ見た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る