第142話 大義名分

 バアルたちを乗せた船は、一旦大海へ出ると東進し、海路坂東へと向かった。

 河東最大の港町である舳倉湊へぐらみなとで船を下り、サビニアスらに連れられ神原かんばら平野を川沿いに北西へと進む。

 そろそろ作付けの季節、農民が老若男女村中総出で、水の張られた泥田に順番に稲を植えつけていた。

 かつてはこの一帯全てが内海だったと伝わっているが、流入する三つの河川が運んでくる土砂の堆積によって次第に埋め立てられ、今では複雑に入り組む川とひとつの巨大な池を有する堆積平野となっている。

 肥沃な土壌が堆積したために地味も豊かな土地ではあるが、長年、洪水とそれがもたらす伝染病が大きな問題となり、関東や関西に比べて人口が多いとはいいかねる状態だった。

 だがカヒ家歴代の当主による懸命な治水工事によって、洪水を払拭し、近年では屈指の米の生産高を誇る。それが歴史あるとはいえ、土着の一諸侯に過ぎなかったカヒ家が近隣諸侯を糾合きゅうごうし、戦国最強の軍団を作り上げることができた理由である。

 川沿いを離れて峠を越えると、山で囲まれた七郷盆地にたどり着く。そこがカヒ家発祥の地である。

バアルは驚いた。大き目の館があるくらいで、この広大な盆地の中には、城壁に囲まれた城郭都市が一つも見当たらなかった。

 なるほど。四方を囲んでいる山を城壁に、盆地を城郭に見立てた特大の巨大な城ということか。

 盆地に住む住人とカヒ家の一体性がそういったものを盆地内に造らないことに繋がったのであろう。

 七つ口と呼ばれる盆地の入り口では、全てで厳しい警戒体制が取られている。山を切り崩して作られた、両方を崖で挟まれた人工の道だ。そこを塞ぐ形に待ち受ける関は木造じゃなくて石造で、楼閣まで備えられた本格的なものになっている。いつどこから敵が来てもいいように、そこには完全武装した兵たちが大勢詰めていた。

 バアルはもちろん、カヒ家の重臣であるサビニアスですら手形改めを始め、ひととおりの検査を受ける。

 こうやって余所者を排除することが、盆地の民とカヒ家の緊密な一体感がはぐくまれたのであろう。

 だがそのことは少しばかりバアルの脳裏に嫌なものをよぎらせた。

 どうやらカトレウスとカヒ家は、いや七郷の人間は、保守的で猜疑心の旺盛な気風であるらしい。

 サビニウスという同じ関東の、いや坂東の出身でもこうなのだとしたら、関西の出身という、彼らからしてみれば遥か彼方からやってきたバアルたちが、心底から歓迎されることはなかなかに難しいことであろう。

 そこは十分心しておかねばならぬ、そうバアルは思った。


 高祖神帝サキノーフが来た時、アメイジアは四百余の国が割拠する古代世界であった。

 もっとも、それは国といっても、柵で囲まれたひとつの集落、またはそれの集合体といったものの域から出ないものではあったが。

 そこでかつていた日本を参考に、その国々を地域性を考慮しながらまとめ、新しく国と郡を置き、国司と郡司を任命した。中央集権を推し進め、地方支配を完全なものにしようと目論もくろんだのだ。

 だがサキノーフがこの世界で生きていた時間は短い。

 その制度が根付く前に彼は死に、国司も郡司も中央が任命するものではなく、地方の豪族に世襲されることとなり、公、侯、伯爵といったものに変容していった。

 その国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市を国府と言い、その地方の中心となった。

 カヒ家の根幹地である国府台こうのだいはそんな国府が置かれていた高台である。

 七郷の支配のためだけでなく、かつて坂東攻略の拠点となるように作られた都市であったが、朝廷が東征を続けた結果、神暦百年頃にはその役目を終え、今ではそのよすがしのばせる物は地名以外には残されてはいない。

 今のそこには富力を誇示するかのような巨大な館が立ち並んでいた。それこそがカヒ本家と一門衆が暮らす場所、巨大諸侯の心臓部である。

 サビニアスは先に部下を一騎走らせ、客人が来訪したことをカトレウスに知らせる。

 豪邸にふさわしい巨大な門構えが立ち並ぶ中をバアルら一行は奥へと進んだ。

 西京でもこれほどの建物はそうそうちょっとはお目にかかれないといった規模の建築物だ。

 サビニアスの話では遠く東京や西京から職人たちを呼び寄せて作ったのだという。

 本来なら王の住まう京で建築物の補修や新築、増改築にその一流の腕を振るう彼らも、戦乱で仕事が無ければ、止むに止まれず諸国を流浪し諸侯相手に日銭を稼ぐしかない。その中にはカヒに居つくものもありますぞ、とサビニアスが自慢げに話した。

 それはこのアメイジアで真に力持つ者が関西でも関東でも無いことを暗に表していた。


 幅六十メートルはある三都の大通りほどではないが、それでも一諸侯の拠点としては不釣合いなほどの幅の広い目抜き通りを奥へと進むと、目の前にひときわ巨大な館が姿を現した。それは段丘の制高点、この七郷盆地全てを見渡すことができる、そんな場所に鎮座していた。

 と、門が突然開き、中からわらわらと武装した兵が湧き出した。

 一瞬、不穏な空気がバアルたちの周囲に流れるが、武装した兵は別に向かってくる様子は見られなかった。

 門外に綺麗に整列するためだけだとわかると、安堵の溜息がバアルたち一行に流れる。

 それを見てサビニアスはニヤリと不敵な笑みをして見せた。

「安心なされよ。自ら招いておいた客人を殺したとあっては、カヒの名がすたるというものです。それに貴殿を殺したところでカヒにとっていいことなど何一つ無い」

 それもそうである。バアルたちは赤面する想いだった。

 左右に整列した兵が一斉に頭を下げた。サビニアスに礼儀を表したかと思ったが、そうではなかった。

 門の中から続いて大人たいじんの風格がある一団が楽しげに話しながら出てきた。兵たちは彼らに頭を下げたのだ。

「親方様!?」

 サビニアスは驚愕の声を上げると転がるように馬を降りた。

 ということはその集団の中心人物である、目の前の見事なひげの男が名高いカヒのカトレウスということになる。

 慌ててバアルたちも下馬し立礼する。バアルたちは利用価値はあるかもしれないが、王に敗北した唯の落ち武者でしかない。

 カトレウス直々に門外で出迎えることは想定外だった。

 カトレウスはそんなバアルたちに笑って答える。

「いやいや、礼など不要。そなたたちは我々の招きに応じて、わざわざこんなひなまで来られた客人。気を楽にしてくだされ。それに貴殿は従三位で先の黄門。対して私は無官で従五位下の野夫やふに過ぎぬ。礼が必要なのはこちらのほうですな」

 カトレウスがそう言って深々と礼をすると、周囲のカヒの重臣たちも慌ててバアルに立礼する。

「客人をいつまでも立ち話させるわけには参りません。ささやかですが酒宴でもてなす準備をしております。ささ、どうぞこちらへ」

 カトレウスは門内へと手を差し出して、バアルらに入るように促した。

「それはわざわざ申し訳ありません。では・・お言葉に甘えさせていただきます」

 頭を下げるバアルの肩を親しげに叩き、笑い声をあげてカトレウスは館へと一行を招き入れる。


 バアルたちを客席に座らせると、カトレウスはまず紹介を始めた。

 まずは自分から名乗ると、筆頭のベラケティオスをはじめとした一門衆、告いでその名も名高きカヒの四天王であるマイナロス、ニクティモ、ダウニオスの三人を紹介した。誰もがアメイジアにその名を知られた名将である。最後の一人デウカリオは芳野と上州の境あたりで攻略を進めている為にここにはいないとのことだった。

 一通り紹介を終えると改めて乾杯の音頭を取り、杯を傾ける。

「敗軍の将に過ぎない私を招いていただけたのは、一体どういった目論見があるのでしょうか?」

 酔いが回っては本心を聞けまい、とバアルはカトレウスの前にぬかづいて、宴の最中にも関わらず本題を切り出した。

「目論見などあろうはずはない。関西を襲った悲しい運命を聞き心を痛めただけでな。このカトレウス、是非とも忠烈の戦士たるバルカ卿にお力添えしたく思う次第です」

 と、バアルの杯に酒を手ずから満たす。

 だが顔と違い、笑っていないカトレウスの目を見ながら、バアルはなおも切り込もうとする。

「我々を利用するおつもりなのでは?」

 それは不遜な発言だった。例えカトレウスが利用する気だと疑っているとしてもバアルたちは客人なのである。供宴でもてなそうとする主人の面子を潰すことなど控えるべきことなのだ。

 さすがにその言葉には我慢がならなかったのであろう。一斉に怒りを目に光らせてカヒの諸将が立ち上がる。刀の柄に手をかける者までいた。

 数多の戦場を潜り抜けてきたカヒ家の猛将たちの怒りで、場が一気に殺気立つ。常人ならばその気だけで殺されかねないほどの殺気だった。

「無礼であろう!」

 まさに掴みかからんと、バアルに詰め寄ろうとしたその時だった。

 カトレウスがさっと手を上げるとその動きは全て止まった。一瞬でその場に静寂が戻る。

 たったの一挙手でその場を収めてしまうとは、さすがはカトレウスと言えよう。部下を完全に掌握している。

「それで?」

 カトレウスも今度は顔すら笑っていない、辛うじて不快を隠してはいたが、厳しい顔つきでバアルに問い返す。

「関東の王と戦うには錦の御旗がいる。他の諸侯や兵に納得させられるだけの理由が、です。それが関西の復興というだけなのでは?」

「ハハハ、これは痛いところを突く。だが何故、我々が王と戦わなければならない? カヒ家は代々の関東の諸侯、王に膝を屈して臣従するのが筋だ。そうは思われぬのか?」

 関西の左府と組んで東西から挟撃しようと企んだ事実を片隅において、カトレウスはぬけぬけとそう言い放った。

 すぐに撤退したとはいえ、畿内の地に足を踏み入れ剣を交えたのは事実だ。例えカトレウスが忘れても、王が、いや戦いで死んだ王師の家族が許さないだろうに。

「関東の王は、おそらく天下統一を狙っていると思われます。だとしたらカヒのような朝廷を上回る力を持つ巨大諸侯など政権の不安定要素にしかならないものを、そのまま存続を許すほど王は甘い男ではありますまい。東西合一した朝廷よりもカヒ殿は兵を持ち、富を所有しているのですから。例え頭を下げて臣従したところで、政権基盤の安定のために難癖をつけて潰して来るでしょう。滅ぼすとまではいかなくてとも、最低限少なくとも、その巨大な力をごうとするはずです。それがカトレウス殿ほどの英雄に我慢できましょうか? カヒ家が文字通り血を流して手に入れたものを易々と手放すことを? だとしたらカヒとしては遅かれ早かれ王と戦うことになります。ならば不利な状況に追い込まれる前に、王の政権が磐石にならぬ前に、兵を挙げることを考えねばなりますまい」

「ふむ、この小僧の言うことは一理ある。確かに王と我々はいずれは戦わねばならぬことになりそうだ」

 カトレウスは乾いた笑い声を出した。

「だが、我々がそなたらを利用するのだとしたらどうするのだ? そなたらには他に行くところがあるというのか? 王に叛旗を翻す気概のある者が、そなたらに助力するお人よしが我らの他にこのアメイジアのどこかにいるとでも?」

 バアルは崩したひざを直し綺麗に向き直ると、目前のカトレウスに手をついて伏礼した。

「我々は利用されてもいい。ただ、セルウィリア様の身の安全と関西の再興を約束していただきたい。それが約束されるなら、我らは喜んでカヒの為に働きましょう。悪くない取引だと思いますが? 我らが助力することでカヒ家は王と戦う大義名分を得ることができるのですから」

「ふむ」

 カトレウスはその見事な髭を手で撫でつけると、満足そうにうなづいた。

 若造ではあるが、一筋縄ではいかぬ相手のようである、味方にするに値する人物のようだ。

「わかった、約束しようではないか。必ずやセルウィリア様を奉じ、関西王朝の再興に力を貸す、と」

 カトレウスのその言葉に、バアルはもう一度深く深く伏礼して感謝の意を表した。

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