第143話 影武者

 席に戻るとサビニアスが早速、徳利とっくりを持ってやってきて、バアルの杯に酒を注ごうとする。

「親方様にあんな口を聞くことができるのはこのアメイジアでもそうはおりませぬぞ。さすがは名高き『七経無双』だ。ぜひあやかりたいものですな」

 と、言うと、たちまち我も我もとカヒの諸将が、わらわらと砂糖に群がる蟻のように集まってきた。

 先ほどまで怒っていたのが嘘のように、笑顔で酒を飲みあった。

 どうやら交渉の結果、カトレウスから譲歩を引き出した手腕にいたく感服したとのことだった。

 宴もたけなわ、あちこちで人が輪を形成する。

 移動しては酒を注いで注がれて、大いに盛り上がる中、バアルには自身と酒を酌み交わしていない人物が何人かいることに気が付いた。

 その中には大物もいる。四天王の一人、ダウニオスだ。

 ここは挨拶だけでもしておかねばならぬであろうと、バアルはこちらから歩み寄った。

「ダウニオス殿もお一つ」

 と、酒を注ごうとしたが、

「いや、下戸でな。せっかくのお言葉ではあるが申し訳ない」

 と、バアルの杯を受けようとしなかった。

 先ほどまで不満そうにあおるように酒を飲み干していたというのにである。

 どうやらカトレウスに対して無礼を働いたことで嫌われたのかな、とバアルは苦笑する。

 自ら招いた結果とはいえ、これにはバアルも頭をかくしかなかった。

「お気を悪くなさいますな」

 自分の席に戻ると、横からサビニアスが膝を叩きバアルの杯に酒を注いだ。

「私のしたことに気を悪くなされたようですね」

「いえいえ、違います」

 と手を振ると、耳元に近づいて、

「お恥ずかしい話ですが家臣団や四天王のなかでも反目がありましてな。貴殿は私が連れてきた。だからマイナロス殿やニクティモ殿の派閥だと考えられてしまったのです。彼らとダウニオス殿は仲が極めてよろしくない」

 と、小声で言った。

 バアルは関西での自身と左府との権勢争いを思い出した。

 どこも同じか。人がいれば派閥が生まれ、争いが生じる。

「カヒほどの大諸侯ならば、そういったことは仕方が無いかもしれませんね」

「せいぜい気をつけなされよ。貴殿は客人だ。何もカヒの中の争いに手を突っ込むことは無い」

「ええ」

 心したほうが良いだろう。いずれはたもとを分かつ相手だ。深入りは厳禁だ。


 宴会を終え、サビニアスにバアルの当面の世話を命じ、部下を帰らせ、カトレウスは自室に引き下がる。すれ違う家人たちが頭を下げるたびに手で応えつつ、カトレウスは館の最深部へと足早に向かった。

 自室に入ると辺りに気を払いながら、そっとふすまを閉じ、奥の襖を開け中に入った。

 部屋の中には既に上座に一人の男が座っていた。カトレウスがその男に声をかける。

「兄上戻りましたぞ」

「おう」

 と声を上げて振り返ったその顔は、なんとカトレウスとそっくりであった。いや、部屋に元々いたその男こそが本物のカトレウスである。

 バアルたちがカトレウスだと思って接した人物はカトレウスの実弟グラウコスであった。

 それはまるで双子であるかのように極めてよく似た影武者であった。門外で出会った時にサビニアスが見間違えるほどそっくりなのである。

 カトレウスは念には念を入れて用心したのだ。

 バアルはこのアメイジアに行くところの無い男ではあるが、何かの弾みでカトレウスを殺そうとするかもしれないと思ったのだ。

 例えばカトレウスの首を持って王に降伏するだとか、カヒ家を乗っ取ろうと企んでカトレウスを殺すだとかである。どちらも理性的に考えれば成功はありえぬと結論付けられることではあるが、バアルは若い男なのだ。

 実力や経験に裏打ちされた思考なしに自分の実力に絶対の自信を持ち、独善的で他者の考えを排除しがちであり、物事を客観的に見ることができない、それが若さである。

 ならばそんな無鉄砲なことでも起こす可能性がある。

 だからその性根が分かる前から、自らの体を手を伸ばせば刃が届く距離にさらすべきではないと判断したのである。

 カトレウスは実に用心深い男であった。いや、極めて猜疑心の強い男と言うべきであったかもしれない。

「また目利きですかな」

 カトレウスの膝には柄もこしらえも全て取り払われた抜き身の刀身が置かれていた。

「出入りの商人が持ってきたのよ。なにやら宗近の弟子の作らしいが・・・見事なものよ、これは師を越えるやもしれんぞ」

「兄上は本当に刀剣のこととなると子供のように夢中になりますな」

 カトレウスは弟に目もくれず、刀身にほんのわずかなゆがみが無いか、刃文に乱れは無いかを刀を傾けてじっと見入っていた。

「刀剣はいい。いいものは一目で分かるし、手間をかければかけるだけ美しくなる。女や部下ではこうはいかん」

 あいかわらずの人間不信ですな、とグラウコスは苦笑する。

 確かに物である刀剣は目利きの兄を裏切りはしないだろうが、共に戦場に出て戦う部下や、五人もの子を設けた妻くらい信用してやればいいのに、とも思う。

 いったい何が兄の心をここまで頑ななものにしてしまったのか、たまにグラウコスも考えることがある。だが考えても結論がでることは無い。同母弟であるグラウコスにもこの兄の心底は見えはしない。

「さて、ことの次第を聞くとするか」

 カトレウスは掛台に刀身を安座させると、ようやく弟の方へ向き直った。

「そうですな」

 グラウコスは両手を床につけ、兄のほうへにじり寄った。

「関西に名高い七経無双とはいかなる男であった?」

「噂通りの良将と見受けます。酒が回る前に私と交渉を始めましてな。翌日になって酔っていて覚えていないと言わさぬためでしょうな。すなわち、攻め時をわきまえているということです。戦機を見ることができるのは良将の基本ですからね。助力と引き換えに己の目的である関西再興と王女救出を認めさせようとしましたよ」

「・・・その要求を呑んだのか?」

 カトレウスは自分に相談せず決定を下したのか、とじろりと弟をにらむ。

「呑みましたよ。条件は関西の再興です。関西による統一王朝の誕生ではない。つまり関東はカヒが手に入れることができ、なおかつカヒは関西の傘下に収まるわけではない。得物は山分けということになりましょう。それなら兄上の目論見とほとんど違わないのでは?」

「ふふ、さすがはグラウコス。よくわかっておるな」

 カトレウスの望みは天下なのである。ならば最終的には関西をも手に入れなければならない。

 利用することはあっても、その傘下に入ることだけは避けねばならぬ。ひとたび王と認めたのにすぐさま叛旗を翻しては諸侯への受けが悪いであろうから。

 戦国の勇として知られるカトレウスだが、意外と見栄や体裁を気にする人物でもあった。

 それにいずれ倒すべき相手に膝を屈する必要は無いのだ。

「そうそう、兄上の目論見といえば、賢明なことに彼は王女の身については、命以外は要求しませんでしたよ。つまり兄上が考えるであろう、兄上の子と王女とを結婚させることによる事実上の関西王家の乗っ取りの道は残されたことになります。もちろん、それはおそらく彼らには受け入れがたいことではあるでしょうから、共闘戦線を組むのに障害になるその話題を避けたというべきでしょうな。計算を働かしたということでしょう。なかなかしたたかな男です」

「知恵も回るか、悪くない」

 カヒには猛将は多いが、一軍を預けて満足に進退をさせることができる武将が少ない。

 そういう将軍をあと一人か二人欲しいな、と考えていたところであった。

「なにより周囲をあの古強者どもに囲まれながら、己が要求を私に抜け抜けと言い放つ性根はたいしたものですよ。殺気立つカヒの侍大将たちに囲まれながら、臆すことなく平然としておりました」

「ほう。あの者どもを相手にか」

 それは周囲を敵に囲まれても冷静に対処できるということだ。バアルという男は、将器として必要な要素を全て兼ね備えた男であるらしい。

「なかなか良き男ではないか。全てを兼ね備えた者など二十四翼にもおらぬ。我が配下に欲しいくらいだな」

「だが、兄上のような英雄とまでは言いかねますな」

 グラウコスはバアルを気に入ったらしいそんな兄に、自身が導き出した結論を披露した。

「どうしてそう思う? いっておくがワシを褒めても褒美はやらんぞ」

 と、カトレウスは冗談交じりにニヤリと笑みを浮かべた。

「今日は両者の顔合わせの日です。いらぬいさかいを起こす必要などどこにもない。後日、話し合いを持てばそれで済む話では? 部下たちも、バルカの言に怒ったというよりは、酒宴を開いてもてなした兄上の面子を潰されたことに怒ったのです。それにそうなることは容易に想像できたはず。それが分からぬほど愚かな男ではありますまい。だがまずは自分たちの要求を認めさせようとした。もしそこで認めぬようであったならば、酒宴すら拒否することもあると強い意思を表すことを優先させたということでしょうな」

「我々を脅したということか。酒宴に招いたのに酒に手をつけずに帰しでもしたら我々の面子は丸潰れとなるからな。だが、それはそれで徒手空拳の身でもカヒに一歩も引かぬという気概を表したもの・・・と好意的に捉えることはできぬか? 今現在のカヒに正面切って喧嘩を売る者など、テイレシアを除けばこの世界にはおらぬからな」

「まさに。たしかにその通りでしょう。だがこれから槍を並べて戦う味方の中に不必要に敵を作ることなど無い。現に部下の中にはバルカに悪感情を抱いた者も見受けられました。相手が誰であっても、どんな苦境でも自分を通す。それは見事な生き方といえましょう。だがバルカの目的は自分をあくまで押し通すことではない、関西の復興なのです。ならばどんなことがあってもまず第一に目的を達成することを考えるべきなのでは? すなわち大義の為に自分を殺すことのできぬ者と言えます」

「なるほどな・・・確かに英雄と呼ぶには何かが足らぬ・・・か」

 バアルが英雄と呼ぶには何かが欠けているという事実にカトレウスは何故か悲しくなった。

 それは関西までも制圧し、天下統一に着実に近づいている関東の王に比べると、何年も坂東の端で小競り合いをするだけだったカトレウスにも、バアルと同じように何かが欠けているのかもしれないという心の中の疑惑を思い出したからである。

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