第140話 新中書令(上)

 アリアボネの死去に伴い、臨時の除目が行われた。

 公卿の最末端である宰相や、定員八名の拾遺(侍従)はともかく、朝廷の要たる中書省の長官を欠けたままにしておくことは許されなかったからだ。

 そこでラヴィーニアは中書令として任命され、正式に中書省を仕切ることとなった。

「よろしく」

 就任の挨拶に中書省の役人みなが息を呑む。

 元からの官吏も、求賢令で加わった官吏も皆、彼女が四師の乱の首謀者で、王に憎まれていることを知っている。知らないのは関西から来た官吏だけだ。だがその彼らも中書省を覆う剣呑な雰囲気に飲みこまれていた。

 王に嫌われ左遷されたはずの彼女が戻ってきた、それもなんと中書令として。彼らにしてみれば、どう考えても理由が分からなかった。

 新しく来た上司にダルタロス出身の中書侍郎二人は少し遣り難そうであった。

 警戒しているな、でも無理も無いか、とラヴィーニアは思った。彼らには事情が分からない。

 王の命だから上司としてうやまい上手くやったほうが良いのか、それともラヴィーニアは王に嫌われているのだからあまり近づかないほうが良いのか。どう接するべきか考えているのだろう。

 この彼らとの距離感の解消には時間がかかるかな、とラヴィーニアは思う。アリアボネとラヴィーニアでは気質も違うし、今までの成り行きもあるし。

 とはいえラヴィーニアは良くも悪くも自ら派閥を作るタイプでもなければ、出身で部下を区別することもない。昔から中書省にいた役人であれ、求賢令で得られた人材であれ、元関西の官人であれ、能力以外では区別する気はさらさら無い。

 ならば、ここにいる人物たちはアリアボネが有能と認めた人物なのだから、おいおい上手くやっていけることだろうと楽観視していた。

 挨拶を終え、仕事に取り掛かろうとすると、尚侍ないしのかみアリスディアという後宮の大物自ら、中書省にラヴィーニアを呼びに来た。

 王直々のお召しなのだそうである。


 長い廊下を尚侍に連れられて内宮に向かう。

「陛下、中書令をお連れいたしました」

 一礼をし、ゆっくり顔を上げた二人は部屋内の異変に気付く。

「あれ・・・?」

 部屋中を見回すが、どこにも有斗の姿が無い。

 まだ食事の時間にはほど遠いし、机の上には本日中に処理をしなければならない上奏文が山のように残っている。いなくなるはずがない。となるとトイレか、気分転換に庭園を歩いているか、だ。

「少しだけお待ちください。陛下を探してまいりますので」

 叩頭するアリスディアに対して無言でラヴィーニアはうなづいた。


 王室でラヴィーニアは王の帰還を待つ。剛腹なラヴィーニアといえども、そこは宮廷人として、非礼に当たらないように立ったままだ。

 廊下でにぎやかな靴音が響き渡る。王の帰還かな、と首を向ける。

 と、部屋に疾風の如く赤い風が舞い込む。先触れも、部屋に入る許可を求める声もなし、ノックもなしにだ。

「・・・あんた誰?」

 その人物から開口一番いきなり出た言葉は誰何すいかの声だった。それはこっちのセリフだ、とラヴィーニアは心中でつぶやく。

「・・・」

 騒がしく現れたアエネアスにラヴィーニアは不快そうに眉を寄せたが、幸いなことにアエネアスは有斗を探して違う方向を見ていた。

 その表情は、アエネアスがもし見ていたなら、ひと悶着あること間違いなしの表情だったのだが。

 どうやらアエネアスはその見慣れぬ顔を新しく入った小間使いとでも思ったらしい。

 やれやれ、知らない顔が王の部屋にいるのに疑問も持たないのか、この赤毛の小娘は。あたしが泥棒だったらどうするのだ。後宮の官吏のたるみ具合はここまで酷いのか、とラヴィーニアは呆れ顔だった。

「ねぇ小間使い。陛下がどこに行ったか知らない?」

 自分を小間使い扱いするのはともかく、王に対してあまりにも馴れ馴れしい態度を取ることに、さすがのラヴィーニアも驚いた。

 だがおかげで目の前の赤い人物が誰であるか察しがつくこととなる。

 宮中きゅうちゅうでその言動が問題視されている、先のダルタロス公の従妹で、羽林中郎将のアエネアスとかいう小娘か。

「小間使いではない」

 鼻で笑うようにアエネアスに返答する。

 だとすると、この年にもかかわらず女官と言うことになるが・・・と思うと同時に、羽林中郎将である自分に対しての、その生意気な言葉遣いにアエネアスはカチンと来るものをおぼえた。

「だとするとなに? 女官ってこと・・・」

 そこまで言ってアエネアスは口篭る。

 まさか・・・

 まさかとは思うが・・・

「さすがに自分がもてないからってひがんで、こんな子供に手を出そうなんて、陛下は考えてないよね」

 アエネアスは有斗がそこまで変態だとは思いたくは無かった。そんな変態が王ではさすがに仕える気もなくなろうというものだ。

「いや、まって・・・」

 アエネアスはもう一度上から下までラヴィーニアを隅々まで見回す。

 ・・・困ったことに美少女といえないこともない。少しばかり気が強そうな顔をしているが、十分、有斗が好きになる可能性はある。

「しかし、大人の女性から見向きもされないからって、こんなまだ手足も伸びきってないような子に手を出すなんて・・・これは犯罪よ! 王とはいえ、これは批難を受ける行為よ!」

 アエネアスはその少女の貞操を心の底から心配して言っているのだが、その当人であり事情を知っているラヴィーニアにはいらぬお世話であった。

「そこの赤いの。何をわけのわからぬことを話しているのだ? 病気か? 典薬寮てんやくりょうならここではないぞ。一旦内裏を出て、智部省へ向かうがいい」

 目の前の子供から、明らかに悪意を感じる言葉が発せられた。

「な・・・なんですって!?」

 瞬間湯沸かし器と有斗に揶揄やゆされる、その激昂を見せたアエネアスだったが、だが辛うじて振り上げた手を止めた。

 さすがに年端も行かない少女を殴るのは、アエネアスといえども気が引けるらしい。

「くっ・・・!」

 一度振り上げた拳をゆっくりと下ろすと、怒りを飲み込んで言い聞かせようとする。

「今回だけは許してやる。でも、お前はアリスディアに目上の者に対する言葉遣いとやらを、きちんと教えてもらったほうがいいよ。これからの為に」

「・・・それはこちらのセリフだ」

 皮肉がたっぷりと込められたラヴィーニアの遠慮の無い物言いに、とうとうアエネアスは我慢の限界点に達してしまった。

「き・・・貴様ッ! この私に向かってそんな口を利くなんて・・・! 命が惜しくないようね!!」

 こめかみに血管を浮き上がらせ、真っ赤になった顔で、すらりと腰に差した剣を抜き放つ。

 だがそれを見てもラヴィーニアは顔色を変えなかった。眉毛一つ動かさなかった。


 アリスディアは中庭の木立の中で、ようやく有斗を発見した。

 有斗がなぜ部屋にいなかったかと言うと、中書省に行く前に、女官たちに仕事の指図をしていたため、なかなか戻って来れなかったアリスディアを待ちかねて、気分転換に庭へ出たら、蟻の行列を発見して、それを見るのに熱中していたためだ。

 やらなければならない嫌な仕事とかがある時に、部屋の掃除をしたりとか、どうでもいいことで時間を潰すといった、あの現象の一種。そう、現実逃避というやつである。

 ちなみに警護の羽林たちは、蟻を見たまま身じろぎもしない王に微妙な顔をしながらだが、辛うじて自分たちの職分を全うしていた。

「陛下! あまり勝手に出歩いてはいけないと、申したではないですか!」

 アリスディアはまるで車道に飛び出した我が子を叱る母親のように有斗を叱った。

「でも羽林の兵も一緒だったし・・・内裏は警備が厳重だしさぁ・・・」

 ここは西京と違って安全だと思うんだけど・・・

 アリスディアに申し開きをしながら自室へと戻ると、なにやら屋内が騒がしい。

 あ、もう皆集まっていたか、待たせちゃったかな、とちょっとだけ反省する。

 だから部屋に入るやいなや、

「ごめんごめん、待たせちゃったね!」

 と、明るく元気に大声を出し場を取り持とうとする。

 しかしその有斗の目に、とんでもない光景が飛び込んできた。

「わっ!!!」

 目の前に剣を抜いて今にも襲い掛からんとしているアエネアスと、そのアエネアスに対して分厚い本を盾のように構えているラヴィーニアがいた。

 慌ててアリスディアが血相を変えてアエネアスを羽交はがめにする。

「離して! アリス!!」

 引き剥がそうとするアエネアスをアリスディアは必死に押し止める。

「陛下の御前で抜刀など言語道断です!」

 アリスディアに簡単に取り押さえられるところを見ると本気で切り殺す気は無いようだ。それもそうか、と有斗は悟る。

 ラヴィーニアは見かけは子供だ。まだ紹介していない以上、たぶん子供だと思っているに違いない。

 武器を持たない子供を切り殺したりでもしたらアエネアスだって寝覚めが悪いだろう。そんな行為は武門の恥でもあるし。

「そうだそうだ」

 ラヴィーニアが半笑いで棒読み調に賛意の声をあげると、再びアエネアスが突進しようとする。今度は有斗とアリスディアとで辛うじて止めることに成功した。

 うわ、ラヴィーニアってば絶対にアエネアスをあおってるよ・・・なんて命知らずなやつなんだ。才能はアリアボネに匹敵するのかもしれないけれども、性格悪そうだなぁ・・・

 アエネアスといい、セルウィリアといい、このラヴィーニアといい、段々周りにろくでもない性格の人間が集まってきていることに有斗は内心大いに嘆息していた。

 セルノア、アエティウス、アリアボネ。

 性格の良い人ほど早死にすると言う先人の言は過言ではなかったんだな・・・

 もはや有斗の心の支えはアリスディアだけということになりそうだった。

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