第139話 鬼謀の人

 反乱が起きて、結果としてセルノアが死んだということはまぎれもない事実だ。

 その反乱の原因が自分にあることは今では分かってる。理解している。

 でも理性と感情は別だ。有斗は今でもセルノアのことを考えると、怒りと悲しみがじった、行き所のない感情が胸の奥底で渦巻いてしまうのだ。反乱に加担した者たちを心の中では八つ裂きにしたいと願わないわけではない。

 でも自分が悪いと認めたくない有斗の心がその憎悪を作っていることもわかっていた。

 憎悪を抱くことは逃げ。僕は逃げているんだ。

 そうは思ってもラヴィーニアという名前は有斗の心に爪を立てる。

 あのままでは反乱が起きることは時間の問題だった。でもラヴィーニアが反乱を首謀しなかったら、セルノアは死ななかったのではないか、有斗がそう思うことは誰にも止められない。

 でも、その憎い相手と、この目の前の少女が有斗の中では一致しなかった。


「君が・・・ラヴィーニア・・・?」

「先ほど、そう申し上げたはずですが」

 口中で飴をもごもごさせながらラヴィーニアはそう言った。

 ラヴィーニアは王の前にいるというのに堂々としていた。表情一つ変えなかった。

 四師の乱終結後、有斗がアリアボネと反乱を起こした者をどう遇するかということで論戦になったことは、この宮廷内では知らぬものがいない事実だった。当然、ラヴィーニアも知っているに違いない。有斗がラヴィーニアにあまり良い感情を持っていないということを。

 だがこの態度は・・・

 有斗は王だ。その気になれば誰でも死刑に処すことができるんだ。

 それなのに・・・この態度。有斗のことを甘く見ているかのようで、怒りが心中を渦巻く。

「君は怖くないのか?」

 有斗は湧いてくる怒りを辛うじて飲み込んで、できるかぎり平静を装ってラヴィーニアに問いただした。

「君は四師の乱の首謀者だ。僕は王都から追い出されただけでなく、忠臣も多く失った」

 プリクソスを初めとする新法派の人々を、そして何よりセルノアを亡くした。

「そのことを僕が恨みに思ってるとか考えなかったのかい?」

「知っています。アリアボネがあたしの命を救ったことも、陛下があたしを仇として憎んでいることも、ね。人は他人に与えられた恩義は忘れても、他人から受けた恥辱や怨恨は忘れぬもの。アリアボネが死去した今、陛下があたしの処罰を思い立ったとしても不思議ではない。だとすると・・・」

「だとすると?」

「あたしにはどうしようもない。逃げようにもあたしには見張りが絶えずついています。それは陛下のご命令でしょう?」

 そう言いながら口をへの字に曲げて、ラヴィーニアは肩をすくめた。

「あたしだって自分の命は惜しい。もし自分が行動することによって運命が切り開けるなら行動します。四師の乱のようにね。でも今はどうしようもない。アリアボネのしたことだ、疎漏そろうなどあるはずもない。家に来た客人から、宮廷内の接触者、誰に文を遣わしたとかまで報告にあがっているのでしょう? いや外部との文だって中身すら把握しているかもしれない」

 有斗は少し感心した。有斗の命を受けてラヴィーニアを監視したのはアリアボネだ。

 アリアボネのすることだから尻尾を出すことはないと思っていたが、ラヴィーニアは把握していたということか。

 アリアボネはラヴィーニアの才を認めていた。天下に人材多しと言えども二人といない策士だと。

 賢人は賢人を知る・・・か。

「でも、そうではないのでしょう?」

「・・・何故そう思うんだい?」

「それなら獄吏ごくり一人をあたしのところに遣わされればすむはず。それで私は斬首、全てが終わりです。陛下の恨みが深い場合はご自身の手で殺さねば気がすまないということもありえますが、あたしの見るところ陛下はそこまで好悪をあらわにするお方ではない。それに一度処遇を下した者の旧悪を改めてもう一度裁けば、朝廷の多くの人臣は不安を感じましょう? それが分からぬほど陛下は暗愚なお方でもない」

 褒めてるんだかけなしているんだかわからない言い方だな・・・

 いちおう僕のことは認めることは認めているのか・・・?

「でもあたしを恨んでいることは事実です。そのあたしをいちいち呼び出したということは・・・ご自身であたしを直接その目で見てみたかったということです。だとすれば何のために?」

 指を立てて有斗に教師のように説明するその姿は、まるでアリアボネのようだった。

でもその姿はアリアボネより小さく、そして長く伸びた美しい紫ではなく、藍の切りそろえた髪。もうアリアボネがいないことを思い出し、少し悲しい気分になった。

「陛下が女官を呼び出すとしたら、お気に入って、後宮にはべらすためと考えるのが普通ではあります。・・・でもそれはない。まぁあたしはこのとうりですからね」

 ラヴィーニアは自分の未成熟な体に苦笑して自嘲気味に言った。

「宮廷で切れ者と言われこそすれ、美しいだとか艶やかだとか言った褒詞には一切縁のない身です。とすると残るは最後の一つ。陛下には今すぐにでも必要なものがある。それがあたしに適任かどうか見たかった」

「それはなに?」

「アリアボネの後を継ぐ者」

 有斗はそのいらえにあっと息を呑んだ。


「不快を承知で申し上げれば、陛下のここまでの成功はアエティウス殿とアリアボネがいたからこそです。そのお二人を亡くされた。アエティウス殿が亡くなってもエテオクロス殿やリュケネ殿はじめ数多くの猛将が代わりをなさることでしょう。だがアリアボネの代わりになる者はいない。王佐の才を持ち、大計を心に秘め、覇業を援けんとする人物はどこに? 宮中広しと言えど、いや、アメイジアを探しても、それはあたし以外ありえない」

「自信家なんだね、そこまで言うなんて」

「アリアボネが死んですぐにあたしを呼び出された。これが偶然の産物だと? ・・・アリアボネがあたしを推薦なされたのでは?」

 またびっくりした。ラヴィーニアはアリアボネが死んだ後に自分を推薦することがさも当然であるかのような口調だった。

「アリアボネが君を僕に推薦すると思う? 僕が君を嫌っていることを知りながら」

 有斗はラヴィーニアに問い返した。

「します。あたしが逆の立場でもそうする」

 それは断言だった。まるでアリアボネの心は誰よりも理解していると言わんばかりだった。

「アリアボネは大志を抱いていました。陛下も同じ高みを見上げていたと聞いております。だがアリアボネは志半ばで夭逝ようせいした。そして陛下はまだ天下を半分しか掌握していない。陛下の理想、戦国の終結には権謀術数に長けた者が必要なのですから」

「仮に君がアリアボネに匹敵する才能の持ち主だとしよう。だが君は忘れている。君は僕が王失格と思って反乱を起こしたはずだ。その僕に君が誠心誠意仕えると信じられると思う? アリアボネの代わりの者は大権を持つことになる。信頼できない人物を重職に就けるほど僕がお人よしだと?」

「もし言い訳を許してもらえるのなら・・・」

 ラヴィーニアは言葉を濁した。

「わかった。言ってみてよ」

「あの時の陛下は新法派のいうことを聞くだけの飾り物の王だった。古来、法を作るということはその法を律するための法も作ったものです。だがそれが一切なかった。あれはザル法だった。新法派の都合のいいように解釈できる抜け穴だらけの法。それがもたらしたのは宮廷内の混乱と民人たみびとの苦難。国は戦乱にまみれていて、それだけでも民草はきゅうしているのにあの悪法がどれほど民を苦しめたか・・・! 何度も訴えようとしましたが陛下は我々の意見を取り上げず、最後は後宮に篭られました。もう陛下に訴えようとも訴えるすべがない! ただでさえ戦乱で国家は疲弊している。せめてあれ以上悪化させないためには、あの手段しかなかったのです」

 演説のような長い言葉を言い終えたラヴィーニアはじっと有斗を見つめた。有斗はまだ口に手を当てて、ラヴィーニアに疑いの眼を向けていた。

 それを見てラヴィーニアは嘆息すると、首を振った。

「信じるか信じないかは・・・陛下のお心しだいですが」


 そう言って目線を伏せるラヴィーニアの態度は、有斗の中から憎悪を少しだけだが消し去った。

「・・・」

 だが一見神妙に見えるその態度も計算ずくで行っているのかもしれない。

 アリアボネとラヴィーニアはしばしば会っていた。

 有斗に推薦するにあたって実はラヴィーニアに意向を伝えていたことも考えられるんだ。

 アリアボネから有斗の性格をさりげなく聞き出して、この返答を考えに考えていたのかもしれない、有斗に取り入り権力の階段を上がるために。そして再び裏切る下ごしらえを念入りにしているのかもしれないのだ。

 信じるか信じないか・・・どうするべきだろう。

 長い沈黙の時間が過ぎていった。

「・・・じゃあ最後に聞こう」

「・・・あたしに答えられることでしたら、なんなりと」

「君が四師の乱を起こしたのは、僕が憎いとか、新法派を嫌っていたとか、自己の利益のためとかではなく、この国とこの国に生きる全ての民の為だと誓えるかい?」

「はい」

 いらえは一瞬。迷いや戸惑いはない、美しい言葉だった。

 長い沈黙の時間が二人の間を流れた。

 有斗は決心した。

「その言葉、裏切らないで欲しい」

 そうさ。有斗は人を信じることで天下に義をとなえようと決めたのである。ここでそれを覆すことなどあってはいけないのだ。それでは今までしてきたことを、アリアボネやアエティウスと一緒にやってきた時間を捨て去ることになるのだから。

 アリアボネを信じるべきだ。そしてアリアボネが信じたラヴィーニアをも信じなければ、有斗はもう二度と、信を持ってこの世界を一統するなどと、だいそれたことを言う資格などないだろう。

「君は明日から中書令、宰相、侍従を兼ねてもらう。正式な任官は先になるだろうけれど。それでアリアボネがしていたことの半分は与えたことになる」

「陛下!」

「裏切らないで欲しいな。君を後継者に推したアリアボネのためにも」

「ありがとうございます! この非才、犬馬の労をもいといませぬ!」

 ラヴィーニアは跪拝きはいした。おかしなことにその声はどこか嬉しそうであった。

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