第138話 ラヴィーニア
アエネアスによると、アリアボネの墓は王都の外の小高い丘の上、アエティウスの墓の横に作られたらしい。
有斗はどうしても墓参りがしたくなって、アリスディアの目を盗んで、またまたアエネアスの馬車に隠れて王城を後にした。
安全のために王都の中では馬車の中でひっそりと隠れていた有斗も、町の外に出ると物珍しいこともあって、行儀悪く窓から顔を出して景色を眺めた。
王宮内は建物も多く庭も広いが、そこは仕事場という意識が働くし、皆が有斗を常に見ているので心安らがない。唯一外に出ると言えば軍の遠征で、こちらはいつも精神が張り詰めているため、外の景色を楽しむ余裕などない。
有斗は何も考えずぼんやりとただ流れゆく雲を見ていた。
丘のふもとに馬車をつけ、ゆったりとした坂道を上るとアエティウスの墓の隣に、真新しい小さな墓石が並んでいた。といってもアエティウスの墓も決して大きくはないのだが。
アエティウスの墓は綺麗に清掃され、葬儀から幾日も経過したのに真新しい花が供えられていた。もしかしたらアエネアスが備えているのかもしれない、と思った。
そして隣のアリアボネの墓の前にも真新しい花と供え物があり、そして白髪の老人が墓を前にして額づいていた。
どうやら先客がいたらしい。
老人は有斗らに気付くことなく、墓の横の篝火に巻物を投げ込むと、もう一度、墓に向かって額づいた。
その姿を見たアエネアスが嬉々として声を発した。
「先生! 月鏡先生!! いつの間に南部から!?」
アエネアスは子犬のように走って傍に行くと、白髪の老人を手ずから立たせた。
「これはこれはアエネアス殿、実にお懐かしい。ふおっふおっふおっ」
「陛下、この人は月鏡先生って言ってね、南部の有名なえら~い学者先生なんだよ! 兄様や私も勉強を教えていただいたの!」
「アエティウス様と違い、アエネアス様は勉強もそこそこに外で剣術の稽古をなさっていたので、私は何も教えておりませぬが」
「先生、しーっ! しーっ! 陛下にはわたしは真面目な生徒だったって言って! それは内緒だよ!!」
「ふおっふおっふおっ」
その白髪の老人の顔に、有斗は見覚えがあった。
ダルタロスに援助を求めて、アリスディアと南京南海府へと旅していた時に、途中の町で会った老人の顔だった。
「あの時の・・・」
有斗の言葉に老人は向き直る。
「いつぞやは失礼いたしました。陛下に拝謁いたします。非才は名をドラコン、号を月鏡と申す者。以後、お見知りおきください」
「あれ? 知り合いだったの?」
老人はアエネアスの言葉には直接は応えず、有斗に深く跪礼する。
「何をされていたのですか?」
「書を燃やしていたのです。あの者は弟子の中で誰よりも努力家で読書家でした。あの世で読む本が無ければさみしかろうと思い、こうして奉げておったのです」
「書を・・・」
日本だと火葬の時に故人の思い出の品を共に燃やすことがある。どうやらこの世界では、故人の為に墓前で供物を燃やすというのも一つの供養と考えているのだろう。
「御老人が言った言葉を僕はまだ覚えています」
「年のせいか、どんなことを言上したかは覚えておりませぬ。何か非礼なことを申したとあらば、お許しください」
「そうじゃなくて・・・確か・・・中原に権変の奇あらば、南部には王佐の才あり・・・だったかな? アメイジアに千年の一人の大人物がいると教えられたんだ」
「そのことならば覚えております」
「南部にいる王佐の才とはここに眠るアリアボネのことだね。確かに優れた人物だった。彼女無くして今の僕はないよ」
「御意。その言葉、アリアボネに対する何よりもの弔辞となりましょう」
「だけど不幸にも若くして亡くなってしまった。つまり僕はご老人の言葉を借りれば、片翼を失ったことになる。僕が大事を為すには代わりが必要ということになる。もう一人、権変の奇とは誰? 僕はその人の助けを得たい」
アリアボネだけでなくアエティウスを失った有斗は、本当のところは両翼をもがれた気分だったが、アエティウスの代わりはエテオクロス、リュケネやヘシオネらに担ってもらうことができるだろうと漠然と考えていた。だが彼らでは埋まらぬものもあるとも思っていた。だから、尋ねてみた。
「・・・陛下の御傍近くに、それらしい人物はおられませぬか?」
「いないから、こうして尋ねているんだ」
「本当に、お目に留まっていないのですか?」
月鏡先生はじっと有斗の目の奥深くを覗き込んだ。その眼はある特定の人物のことを有斗に思い出すように問うているようにも思える。
「・・・誰のことだか分からないね」
有斗は月鏡先生から視線を反らす。
「だとすれば悲しいことです。天はアメイジアを救い給わず」
老人はため息を一つつくと、悲し気に首を横に振った。
三日間、有斗は考え続けた。
アリアボネの遺書のこと、月鏡先生の言葉のこと、四師の乱のこと、セルノアのこと。
悩んだ末に有斗はラヴィーニアを呼び出すことにした。
とにかく会うだけは会ってみよう。
まだラヴィーニアを許せるわけじゃないけど、でもアリアボネの遺言を無下に否定できるはずもなかった。
彼女が悔い改めていれば、あの反乱に対して懺悔の言葉がありさえすれば、有斗も彼女を許せるかもしれない、そういった気がしていた。
そう自分に言い聞かせるように何度も何度も繰り返し同じ言葉を口の中で呟く。
それにだ、とアエネアスのことを思う。
アエネアスは今も関西の王女とはほとんど口を利かない。それはそうだろう。アエティウスは王女によって殺されたも同然なのだから。・・・死んだことの責任は僕にだってある。だが、そのことを一切責めずに、険悪な顔も見せず、この世界を平和にするためだと言い聞かせ、複雑な想いを我慢して有斗や王女に接しているのだ。
だとしたら有斗もアエネアスを見習わなくてはならないはずだ。
天下安寧のために王女は利用価値があるから殺さないとアエネアスに言ったのは有斗なのだ。
それをアエネアスに押し付けている以上、有斗も同じようにラヴィーニアのことを我慢する義務がある。過去のわだかまりを捨て、利用できるものは利用するべきなのだ。乱世を終らすために。
だからあるかぎりの勇気を振り絞って彼女と対面することにした。
と言っても決意は弱いものだった。
呼び出すことを決めて左大丞にそのことを告げたのに、彼女が来るまでの間、落ち着きなく部屋をうろうろと歩き回った。
抗いがたい魅力を持った妖艶な傾国の美女に違いない。人物にあわせて顔を使い分ける計算高い女に違いない。他人を貶めることに快楽を感じる魔女に違いない。人の命を奪うことに何のためらいもない、血の通わない冷たい女に違いない。
想像の中のラヴィーニアはクルクルと幾重にも容姿を変幻させた。
どんな女が現れるかわからないが、たらしこまれないように気をつけて行動しなきゃいけないと思った。
落ち着こうと思えば思うほど、胸の中にもやもやしたものが浮かび上がって、結局いらついただけの有斗は靴音を立てながら何度も何度も部屋の中を行ったり来たりした。
ふと廊下で小さな物音が響いた。
顔を上げると、いつからいたのだろう、開いた扉の出入り口傍に少女が立っていた。
いやこの世界だから実際の年齢はどうだかわからないが、さすがにどうみても小学生くらいに見えるその女の子は、こっちでもそのくらいの歳のはずだ。
しかしおかしいな・・・決められた人以外は有斗の部屋に入るには、その許可があるかどうか羽林の者が確認するはず。そうじゃなくても先触れとか案内をする女官とかがいないとおかしい。
なぜこんなところに少女が一人で・・・?
「・・・」
有斗が首を傾げると彼女も首を傾げた。
「・・・」
少しきつい印象を与えるキリッとした太い眉が特徴的な少女。どこかで見たような顔だが、どこで見たのか思い出せない。
だが彼女が小脇に抱えている分厚い本を見た時、何かが有斗のなかでチカチカした。
「・・・あっ!」
有斗はようやく思い出した。
最初にこの世界に来たときに、有斗の頭を本の角で思いっきり叩いた凶暴な少女がいた。
そういえばその後も何回か宮中であった気がする。会話らしい会話をしたことはない気がするが。
最近は見かけてないからすっかり忘れていた。確かにあの少女だ。
「ええと、何か用?」
彼女はその言葉にびっくりしたように目を見開いた。
ははあ、わかった。きっと下働きの子が迷ってこんなところに紛れ込んだんだ。
宮中の雑用をする下女には年端もいかない子が多数いる。子供には大変な仕事だが、簡単な教育も受けられるし、選抜されれば、大人になってもそのまま宮中に仕える道が存在している。今の尚侍もそうだし、昔には王に
そうでなくても宮廷の高官たちと毎日顔を合わせるのだ。得がたい人脈を容易く形成できる。その妻になる道だってある。
なにより科挙よりは門戸が広いので、下層貴族や商人階級で
だが警備上の問題もあるし、王の前に出しても恥ずかしくないレベルに達していなければならないこともある、王の執務室や住居である奥の院に入ることができる子は限られるはずだ。
この
「下働きの子かな? 道にでも迷ったの?
近づく有斗に上目遣いで警戒する少女の手に机の上にあった飴をふたつみっつ握らせて、やさしく微笑んでみせた。
だが少女はそこから立ち去ろうとせず、あろうことか手に入れた飴を「これはどうも」とその場でもぐもぐと口に放り込んだ。
あっけにとられてる有斗に少女はやけに老成した言葉を投げかけた。
「あたしをお召しとのことですが、何の御用でしょうか?」
いや、下女を呼んだ覚えはない。
人を呼んだ覚えも・・・
そこまで有斗は考えて、はたと立ち止まった。
いや、ある。
呼んだのはラヴィーニア。アリアボネの親友にして反乱の首謀者。そしてセルノアの仇。とんでもない悪女。
だが目の前にいるのは虫も殺さないような貌をした幼い少女だった。
「まさか・・・」
自分に指を向けて、言葉に詰まる有斗に、やはりな、というような表情で眉を
そして大きく
「陛下に
藍色の髪が揺れて上がった顔は、先ほどまでのあどけない少女の顔では無く、名高い策士にふさわしい顔をしていた。
「お召しにより参上いたしました」
その時の有斗はきっと相当マヌケな顔をしていたに違いない。
有斗を見る彼女の哀れんだ目がそう告げていた。
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