第136話 それぞれの目論見
その言葉にバアルは容易に返答しなかった。
じっとサビニアスから目を離さない、様子を
だがサビニアスが見る余裕ある姿と違い、バアルは心中では大いに驚いていた。
カヒがバアルたちを歓待こそすれど拒否はしない、とは思ってはいたものの、それはあくまでバアル自らが河東へ行った場合の話であると考えていた。
いわば向こうは受身の形であろうと思っていた。積極的にバアルたちを探す必要などカヒ家にはまったくないのだから。
だがそれは有難いという感謝の気持ちよりは、むしろ不安が心の中で湧いてくる。
バアルたちを体よく利用する策なのでは無いか、と。
とはいえ王から指名手配を受けている身としては選択の余地は無い。他に行く場所はないのだ。腹を括るしかない。それに例え利用されたとしてもかまわないではないか。こちらとて相手を利用しようとしている側面が無いとはいいきれないのだから。
関西を再興したい、ついてはご助力をお願いしたい、ただ見返りは何もありません、ではどんな聖人君子といえども
むしろ相互に利用価値のある間柄のほうが、協力体制も長く保たれようと言うものだ。
「して、ご返答は如何に」
「・・・それは願っても無いお言葉。我らとしても拒否する理由が見当たりません。ぜひこちらこそお願いいたします」
「いや、それは大慶。このサビニアス、大役を無事果たし終えて、肩の荷が下りた思いです」
にこやかに笑みを返すサビニアスにバアルは深々と頭を下げる。
顔を上げる時に、サビニアスの横に控える一人の男とふと目が合った。
こちらは本物の商人ででもあろうか、
「そなた・・・どこかであったことはなかったかな?」
バアルは一度見た人物を全て覚えるという優れた記憶力を有していた。その男の顔つきをどこかで見た記憶があった。脳裏にわずかに引っかかる程度ではあるが、確かに見覚えがある。
「いえ、お目にかかるのはお初でございます」
そう言っても、まだ疑いの
「でも、もしかしたら関西の宮廷内でお会いしたことがございますかも・・・私、関西の左府様とも親しくしておりましたので」
「そうか」
そういえば、確かに左府と一緒にいたところを見たことがあるかもしれない。顔を見たことが記憶にあるのも納得できる。そしてその記憶があまり定かでないことも。
だが、だとしたらバアルとサビニアスとの会見に同席していることが納得できない。左府とバアルとは決して仲が良いとは言いかねる関係であったのだから。左府と仲が良いと言うことは自然、バアルとは顔をあわせたくは無いはずだが・・・
場に
「このガルバはカヒの政商もしていましてな。その筋からカヒと関西の同盟を取りまとめたりもしたやり手の男です。ですから裏切ることはありませぬ。ご安心を」
「ほう」
なるほど。ようはカヒ家が関西の朝廷に働きかけを行う窓口であったのだな。左府との関係もそれだけであれば問題にはなるまい。
「この前の西京での反乱騒ぎの時にも、左府様のお言いつけで武器を回したりしたのですよ。ですからお味方と思っていただきたい」
「それはありがたい。が、利に聡い商人が何故関西やカヒに肩入れするのだ?」
意外と疑り深い性格だな、とガルバはうんざりした。とはいえ気をつけねばならぬ。
自分が関西のためでも、河東のためでもなく動いてることを毛ほども気づかれてはならぬ。
「このままでは関東の朝廷に太いお得意を持っている関東の商人どもが幅を利かせるようになります。そうなっては、こちらの商売も上がったりですからな」
いかにも利に聡い商人であるかのように
「なるほどな」
どうやら納得してくれたようだ。ガルバはほっと胸をなでおろす。
とはいえ油断は禁物だ。ガルバは河東の担当なのである。これからはバアルと何回も会うことになるであろう。疑われてはこれからがやりにくい。正体がばれでもしたら、何年もかけて組織が築きあげたものが一瞬に崩れ落ちてしまうのだから。
「そなたが私の行方を捜し、サビニアス殿に知らせたというわけか」
「はい」
「しかしどうやって私の行方を知ったのだ? 尻尾を出さぬよう行動していたつもりだったのだが・・・」
「商人には独自の諜報網があります。相場や天候状況から、どこで戦争が起こりそうかなどの情報を複数の商人で共有しております。それを使って貴方様を探しておりました」
本当は、バアルが連れている関西王師の中に協力者がいて、ずっと連絡を取っていただけなのだが。
「なるほど・・・商人ならば常に何組もの商隊を街道に行き来していると聞く。ならば足取りは捕らえることもできる・・・か」
どうやら疑い深いバアルも、それで納得してくれたようだ。
やれやれ、とりあえずバアルをカヒに連れて帰るという大仕事はこれでうまく行った、とガルバは安堵した。
これで河東と朝廷は戦争を始めることになるだろう。それも遠くない未来に。
バアルは王の腹心たるダルタロス公を殺した主犯の一人と言っても良い。関東の王としては殺しても飽き足らない気持ちであろう。カヒがそのバアルを
むろんカヒが匿ったことを黙認することもありうる。だがそうなってもかまわない。カヒがバアルを保護すると決めた裏には、滅んだ関西を再興するという旗印に利用すると言う腹があるからだ。
王がカヒを攻めなくても、いずれカヒが王を攻めることであろう。
ま、戦が始まるのは今年の秋か来年か。
穀物相場が高いうちはおそらく双方動けまい。ただ一旦動き出したら、状況は劇的に変化するだろう。どちらが勝つにしろ、双方大きく傷つく。
両者とも傷つき力を失えば、今は旗下に甘んじている諸侯も
そうなれば我々が大きく介入できる状況が生まれるに違いない・・・
しかしもうひとつ注視しなければならないことがあるな、とガルバは思い直す。
王が関西に攻め込んだと河東に伝わった時、ガルバはカトレウスに命じられ、急ぎ兵糧米の確保に動いた。
だが彼の動きを上回る速度で、米は何者かに買い付けされた後で、既に河東のどこを探しても、米一粒も見当たら無いという状況だった。どれだけ金を積もうとも買うことができないという異常事態が起きたのだ。
それでもカトレウスの命である。四苦八苦して兵糧を集めたが、その時には既に関西は滅んでいた。
後で調べたところによると、畿内の少なくない商人が穀物相場を吊り上げながら河東や畿内や関西で兵糧を買い込み、天井付近で放出し売り抜けていた。
それもまるで誰かの支持の元で統一的に行動したかのように動いていた。
いや、ここまで計算された動きをされては、敵の関与を疑わぬほうがおかしいということになる。
つまり、どこの誰だがは知らぬが王の左右にいながら商経済を把握し、それを軍略に生かすなどという恐ろしい存在が、このアメイジアにいるということだ。
なるほど、カトレウスやテイレシアは確かに戦が上手いかも知れない。
外交、調略、布陣、兵站に始まり、千変万化する戦場での鮮やかな手並みといい、まったく手出しをさせない
だが彼には彼らが戦がただ上手いだけの、時代遅れの戦争屋に過ぎないとさえ思っていた。
米ひとつでそれら全てを無効化するなどと、彼らでは思いもつくはずも無い。
金銭を単なる武器を買ったり、兵を雇ったり、贅沢をするための道具としか思っておらぬ者には、決してできないことだ。貨幣経済というものを完全に理解しているからこそできる芸当だった。
それだけでなく関東の朝廷深くに潜り込んだ我らに気取られぬうちに物事を進めたことといい、非常の人であると考えるべきである。
十分に気をつけねばならぬ、とガルバは思った。
その者はきっと我らの理想の実現の前に立ちはだかることになるに違いないのだから。
それが誰かは王宮深く潜り込んだ者たちが調べてくれるだろう。それから対処を考えても遅くは無い。
しかし彼にとって憂鬱なことばかりではない。
カヒがついに本気を出して王と戦おうと言うからには、戦乱は激化する。
今の朝廷は関西も手に入れ、鼻息も荒いがその実、寄り集まりに過ぎない政権基盤といい、多額の財政赤字といい、立っているのがやっとの、図体がでかいだけの半病人にすぎない。
それに比べると一人の絶対的なカリスマに率いられ、常勝不敗の騎馬軍団を持ち、綺羅星のごとき名将猛将を抱えるカヒ家は無駄な贅肉の一切無い若々しい戦士である。
オーギューガが王に味方し、カヒの前に立ちふさがるとやっかいだが、野戦に持ち込まず、籠城戦で時間を稼ぐ間に朝廷と決戦するならば、その領土の規模と違い、互角の打ち合いになるに違いない。
それにガルバが関われる。ガルバがカヒに味方をすれば、南部や関西の組織を使って諸侯を寝返らすことも可能であろう。商隊を使って軍の動向を掴むこともできる。おさおさ負けさせたりするものか。
なろうことならカヒに天下を取らせてやって、甘い夢を見させてもいい。
なぜならカトレウスは傑人だが、所詮は天下人というほどの器量は無い。生かしておくと面倒な王と女王をカトレウスに片付けさせ、万民の批判をカヒに向けさせる。そこで挙兵し、天下を手に入れたと慢心したカトレウスを討つのだ。
悪くない。
それはガルバには実に悪くない計画に思えた。
つまり畿内や南部の担当官に比べて影の薄かった彼が組織で主役になる時がついに来たと言うことだ。
メッサのやつが下手を打ってくれたおかげで俺にも運が向いてきたというわけだ。
関西で王と女王を殺せなかったことは組織にとって大いなる失策であったが、自分にとっては朗報であった。
ガルバはサビニアスと密談するバアルを観察しながら、そんなことを考えていた。
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