第135話 流浪

 今は戦国である。

 関東と関西、越と河東などの大勢力の最前線だけでなく、戦はいついかなるところであっても存在する。

 例えば王都にいる有斗は知らないが、南部でも諸侯同士の小さなぶつかり合いなど日常茶飯事なのだ。

 といっても実際に大きな戦闘になることはめったにはない。

 なぜなら大抵の場合、双方の諸侯が本気で戦う気が無いからである。お互いに武辺の意地・・・というか領民に対してお前らのために戦っていますよとか、配下の者に対して、喧嘩を売られたからには、受けて立つ勇気ある領主であることを見せ付けることが目的なのだ。

 大事になって今や巨大な権力を持った王である有斗に紛争を知られることになったら、今度は諸侯としての面子が立たない。所領没収だってありうるのだ。

 であるから、両者ともに兵を布陣しても、戦機が熟さないなどと、もっともらしい理屈をつけて、実際は戦わないことが常だった。万が一、戦ったとしても小競り合いで終始するのが暗黙の了解なのだ。

 本気で戦うのはよほど他人から物を奪うのが好きな諸侯、例えばマシニッサのような、だけなのである。

 とはいえ周辺の諸侯、配下、自領の領民に領主の威厳を見せ付けるいい機会でもあるから、少しでも勢力の大なるところを見せ付けたい。

 そういう時に役に立つのは傭兵である。

 常時数多くの兵を抱えておくのは財政上の問題から極めて難しい。そこで諸侯はなけなしの金を払い、傭兵を雇って兵を多く見せ付けるのだ。

 というわけで、いくさが起こりそうなところ、たとえば今の関東と河東とか河東と越とかだけでなく、南部や関西のように戦の気配が無いところにも傭兵は仕事を求めてうろついているものなのである。

 もちろん生死に関わるような実際の戦に出るほうが遥かに見入りは大きい。そのかわりそれほど、というか、ほとんど死ぬことの無い、そういった楽な戦を専門にする傭兵もいるくらいなのである。

 であるから南海道を東西に行き来する傭兵の姿は南部では珍しいことではなかった。

 もっとも傭兵は気が荒い。いらぬ災厄が降りかかってこないとも限らないから、住民は会ったら道を避け、係わり合いにならぬようにするものだ。

 そんな一傭兵団であるかのように一見見える集団の中に彼はいた。

 バアル・バルカである。


 白鷹の乱の失敗で、多くの関西の官吏、関西の王師の将兵が行方をくらましていた。

 鼓関や西京では今も激しい取り締まりが行われており、白鷹の乱で反乱側に加担した者を今このときも探索中である。

 といっても公卿などの大物はすでに捕まっているか、自死して果てており、王師でも一般兵は武器を放棄して自首すれば、軽い罪ですまされるので、いまだ逃げているものはそうは多くない。

 だが、まだ何人かは逃亡をいまだ続けている。その中でも大物はなんといってもバルカ卿である。

 リュケネは血眼になって南部中でバアルを捜させたが、その行方はようとして知れなかった。

 既に白鷹の乱の時に、雑兵の中に紛れて人知れず死んでしてしまったのかもしれない。冬が過ぎ、春になる頃には目撃情報の無さに皆そう思い始めていた。

 だがバアルはまだ生きていた。

 その警戒網を部下たちと共に険しい朱龍山脈に潜んでやり過ごし、春になって警戒も緩んできた関東へと降り立ったのである。関東と関西を繋ぐ鼓関で未だ東西の検問を行っていることもあり、思ったとおり南部の警戒はすっかり緩んでいた。

「御頭、ここからどうします」

 バアルと関西王師の生き残りたちは、そんなどこにでもいるようなありふれた傭兵団に偽装して、南京南海府に辿り着いた。

 ここまでくればバアルたちを知る者も少なかろう。

 とはいえ見る人が見れば彼らが傭兵で無いことは一目でわかったはずである。傭兵団にしては統率も取れているし、休憩するときにまでわざわざ組む陣には一部の隙も見当たら無い。立ち居振る舞いも整然としすぎている。


「ここからは河東まで船で行こう。そのほうが早い」

 それに何より道を行くよりも危険が少ない。

 いつ何時揉め事に巻き込まれるやも知れないし、バアルたちの顔を見知った者に出会わぬとも限らない。河東と朝廷は今は休戦しているに過ぎない。ということは当然国境近くでは警戒のため兵が巡回しているだろう。いくら傭兵団と言っても取調べくらいは受けるであろう。ひょっとしたことからバアルたちの正体がばれてしまうことは十分ありうるのだ。

 ならば水行して河東へ入ったほうが良い。

 幸い西京を出るときにいくばくかの金を持ち出していた。河東までの旅で不自由することは無いだろう。河東にさえつけば道は開かれる。

 河東は関東の・・・いや、この世界の王に膝を屈していない男がいる。

 きたるべき決戦の時に備えて、一兵でも多く兵は欲しいであろう。訓練された兵である彼らはきっと歓迎されるはずだ。

 それに天与の人としてあがめられつつある有斗に弓を引くには、世間の人を納得させるだけの正当性が必要だ。今までは関西の女王というそれに並ぶ権威があったから、カヒが有斗と戦っても、それほど批判されないだけの正当性があったのだ。

 だが、そのセルウィリアが敵の手にある以上、その手は使えない。

 だから次に尊貴な血筋であり、関西きっての名将として誉れも高いバアルがカヒ家に加わることは、河東が起こす戦にいくばくかの正当性を与えることになるだろう。例えば関西復興を御旗に掲げるとか、だ。その利用価値がわからぬほど、カトレウスは愚かな男ではあるまい。

 バアルらが加わることを喜びこそすれ、面倒が来たと思うことはないはずだ。


 というわけで河東行きの船を捜すが、船での交易が盛んな関西と違って、戦国の世になってからすっかり交易都市の座をモノウに奪われた南京南海府では、商船自体が少なくなっていた。

 そのうえ得体の知れぬ傭兵団を乗せてくれるような船は皆無といってよかった。

 当たり前だが海賊の手先と疑われたのだ。そうでなくてもこの人数だ。海上で襲われればひとたまりも無い。そんな危険を冒す商人などいるはずが無かったのだ。

 だが捨てる神あれば拾う神あり、とでも言うべきであろうか、当てが外れて、すっかり途方にくれ、港のはしけで次の打つ手を考え込むバアルたちに後方より声をかけた者がいた。

「もし」

 振り返るとそこには黒く日に焼けた恰幅の良い中年の商人が立っていた。

 商人にしてはやけに発達した筋肉が、バアルたちの心に警戒を呼ぶ。皆知らず知らずのうちに得物を体に引き寄せる。

「・・・おっと! 怪しいものではございませぬ」

「・・・我々に何か用件でもあるのか・・・?」

「いえ、船が見つからず、お困りのご様子。どうですか、私の船に乗りませんか? ちょうど河東へ帰るところだったのです。お力になりたいと思いまして」

「それは有難いが・・・」

 語尾を濁した。確かに渡りに船の話だが、迂闊うかつに信じてよいものか・・・

 これが罠であるとは言い切れぬのだ。バアルの首には千金の懸賞金がついている。

「警戒なされることはありませんよ。探していたのです貴方を。バ《・》ル《・》カ《・》

「・・・・・・!!!」

 息を呑む瞬間。刹那せつなに幾人かが商人の後ろに回りこみ、退路を遮断しようとする。

 流石だな、とサビニアスは感心する。戦に破れ、所属すべき国を失い、流浪するのだ。誇りも失い、気力も無くし、捨て鉢になってもおかしくない。それでもバルカ卿を信じて関西を捨ててまで付いてきただけの武人たちだ。危機に対して瞬時に的確な判断を下せる。ひとりひとり、武人としてそれだけのものを持っている。しかも感心するサビニアスに次の行動をとる時間を与えなかった。

 同時にバアルの腰から、常人には目にも留まらぬ速さで剣が抜き出されて、気付いたときにはサビニアスの首元に突きつけられていた。

「貴様・・・! 何が目的だ!?」

 不思議なことに焦りを感じているのは包囲して剣を突きつけているバアルたちのほうだった。

 喉元に剣先を突きつけられても眉一つ動かさないサビニアスの落ち着きぶりのほうが不気味だった。

「私を殺さないほうがいいと思いますよ」

「・・・なんだと!」

 気色ばんだ一瞬、周囲が殺気に包まれた。

 気がつくとはしけの入り口、こちらの商船、向こうの漁船、明らかに漁民とも商人とも違う雰囲気を持つ者達が次々と姿を現す。

「しまった・・・! 囲まれた・・・!!」

 急いでバアルと怪しい商人を囲むように円陣を組みなおす。

 囲まれたと言ってもサビニアスはまだバアルらが押さえているのだ。まだバアルらの優勢は崩れてはいない。

「ま、話し合おうじゃありませんか。我々と貴方がたは敵ではないのですから」

 ちょっとしたことでバアルたちが暴発して、物の弾みで命を奪われぬとも限らないのに、平然としている度胸には並外れたものがあった。

「それにもし貴方がたを殺そうとか突き出そうと思っているなら、わざわざ私が近づいて声をかけるなどと言う危険を冒す必要は無いとは思いませんか?」

 言われてみればその通りである。それに、もし懸賞金目当てにバアルたちを殺そうと思っている連中なら、バアルたちがこの男を人質に取ったところで襲い掛かってくるだろう。

 であるならば、戦う前にこの男たちの話を聞いてみるだけでも損ではない。

 どうやら選択の余地はバアルたちには無いようであった。

 剣を鞘に収めるとバアルは不機嫌にその男に問いただす。

「で、話とは何だ?」

「・・・ここではなんですので・・・こちらにどうぞ」

 指し示したのは小さな漁船。ということは伏兵はいなさそうではあるが・・・それでも決め付けるのは危険だった。浅い船底に伏せるようにして刺客を潜ませることだって考えられる。

 とはいえこのままというわけにもいかない。バアルたちは覚悟を決めると、船に飛び移った。

「私はサビニアスと言います。カヒ家で一翼を担っている者でしてね」

 船を漕ぎ出し、立ち聞きの心配の無い沖合いまで出ると、バアルたちにお茶を出すついでに、その男は何気なく自分の名を告げた。

 その名前にバアルたちは驚きで顔を見合わせた。

 カヒ家は強力な地縁血縁集団を母体とする。

 サキノーフ様御降臨以前より河東に根を張る豪族であるカヒ家は、大きく分けてカヒ本家、カヒ家より別れたる御一門衆、有史以前より脈々とカヒ家に仕えてきた譜代衆、そしてここ三代で新属した外様とざま衆、カヒ家と従属関係にある諸侯に分かれる。

 サビニアスと言えば外様衆の中でも、攻城と離間工作の名手として知られ、さらにカヒ二十四翼のひとつの翼、千の軍を与えられたカトレウスの寵臣として知られていた。

 カヒ家中全体でも、武人としての手腕はカヒ四天王に次ぐと言われている大物である。

 それが河東を離れて、南部のこんなところに、しかもバアルを探していたなどと言われても、にわかには信じることなどできなかった。

「私は親方様の命令で南部の工作と偵察を兼ねて、度々たびたび南京ここには来ているのですよ」

 それが顔に出てでもいたのだろうか、サビニアスはわざわざ己がここにいる理由を説明した。

「今回の訪問もその一環なのですが、ちょっとしたつてがありましてね、そこから近々、貴方が来られると聞きました。ですから、しばし帰還を延ばして待ち構えていたというわけです」

 ということはバアルが生きていることも、河東へ向けて移動していることも把握している人物がいたと言うことになる。

 それが関東に洩れていないなどと誰が断言できるだろうか・・・?

「大丈夫です。私は供の者たちにも話さなかったし、情報をもたらしたその者たちも他言はしていないはずです。いたって口の堅い連中でしてね。それに南京に手配が回っていないのが何よりもの証拠ではないですか」

 確かにそれはそうではあるが・・・

 しかし・・・我々を密かに追跡していたものがいたとは・・・南海道でつけられた気配をまったく感じなかった・・・

 その者たちとはいったい何処の何者なのであろうか?

「それより私の目的を話しましょう」

 考え込むバアルにサビニアスが声をかける。

 サビニアスは胡坐あぐらから膝を直して背筋を伸ばす。居住いを正すと、そこには幾つもの戦場を踏破してきた武人が現れる。

「バルカ卿、我がカヒに是非ともお越しください。我らが親方様もそれを望んでおります」

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