第127話 誓い

 有斗が溜息をついて振り返ると、そこには元から大きなその目を、さらに大きく真ん丸に見開いた関西の王女様が立っていた。

 そういえばいたんだったな。すっかり忘れていたが。

「怪我はない?」

「あ・・・はい・・・はいっ!」

「たぶん、これでもう大丈夫だと思うんだけど、もし今回みたいなことが、もう一度あったら僕に言って欲しい」

 と言っても有斗がアエネアスの心をどうすれば変えることができるのか目星はつかない。

 まぁ今回のように、前に立ち塞がって、なんとか止めるしかないか。土下座も一回目はインパクトがあるから通用したけど、二回目は通用しないだろうなぁ・・・アエネアスに剣で真っ二つにされる己の姿が目に浮かぶようである。

 しかしこの王女をどこか他の場所に動かすのも危険だ。陰謀を企むかもしれない・・・

 いや、本人にその気は無くても神輿みこしとして担ぎ出されるかもしれないのだ。

 そう言った陰謀が起こらなくても、幽閉してるなどと噂がたって有斗の評判はきっと悪くなるだろう。

 でも降伏を許し、アエティウスが死去した内乱があってもその命をとらなかったのに、アエネアスと揉めごとが起きるから、いまさら処刑します、なんていうのは誰が考えても道理が通らないし。

 どうすればいいのかなぁ・・・

 セルウィリアは唇に拳を当てて考えこむ有斗に静かに話しかけた。

「陛下、ご質問してよろしいでしょうか?」

「いいよ。なんだい、言ってみて」

 小首を傾げてセルウィリアは不思議なものを見る目で有斗を見た。

「何故そこまでしてまで、わたくしをかばっていただけるのでしょうか?」

 この男は何を考えて私を救おうとしたのか、その答えがどうしてもわからない、そしてそれをどうしても聞きたい、セルウィリアはそう思った。


「前に言わなかったっけ。元々、関東と関西は仇敵同士だ、さらにアエティウスのことがあるなら、誰もが僕が君を殺すのが当然だろうと思う。正直言うと、僕も一度はそう思った。だが僕はあえてそうしない。なぜなら一度君の命は取らないと公言したからだ。君が生きているということが、天下の人々に僕を、一度約束をすれば決して裏切ることのない、信頼できる人物であると証明してくれることになるのだから」

 それを聞いてもセルウィリアにはまだ納得できかねるようだった。

「・・・あの」

 セルウィリアは王たる存在である者に向かって言うにしては、その言葉は失礼に当たると思った。もし彼女が臣下にそんなことを言われたら不快に思っただろう。だが、言わずにはいられなかった。

「前々から思っていたのですが・・・それは本心で言っていらっしゃるので?」

「え・・・? 冗談か何かと思っていたの?」

 有斗の目が驚きで一杯に広がるのを見て、セルウィリアもまた驚いた。

「はい。てっきり寛大な王と見せかけるための方便かと・・・稀代の大気者を気取って、ご自身を臣下に大きく見せようと演じてらっしゃるとばかり・・・」

「そんなに芝居っ気があるように見えるのかな・・・」

 でもそうならば小学校の頃、文化祭のクラスの出し物で、有斗は木Bなどという端役は割り振られないはずなのだが・・・

「僕はただ戦乱に明け暮れるこのアメイジアを平和にしたい。ただそれだけだよ」

 その言葉に信じられないものを見たとばかりに、今度はセルウィリアが大きく目を見開いて王を見る。

「それも本気でおっしゃっているので?」

「え・・・? 今のも本気には見えなかった?」

 ひょっとして、と有斗は困惑した。・・・僕がいつも真面目に言っているつもりのことが、まわりの皆には冗談で言っていることだと思われたりしているのかな?

「まいったなぁ・・・」

 頭をかいた。かくしかなかった。どうすれば有斗が本気であると皆にわかってもらえるのだろう。

「戦国乱世が始まってから、もう百年以上経ちました。関東も関西も幾人もの王が即位し、その数倍の賢者が廷臣となりました。でも誰一人としてこの世界を変えることはできなかったのですよ?」

 戦乱を治めようとした者たちは、一人残らず戦国という悪魔に食い殺されてしまったのだ。

「それなのに、ご自身ならそれが可能だと本当に思っているのですか?」

 それはとんでもない思い上がりだ。戦乱が始まって、もう百年も経っているのだ。何人もの賢者が英知を集めてもかなわなかったことなのだ。もはや誰であろうと戦塵せんじんを鎮めることなどできはしない。

 そう、きっとこの世界が滅びるその日まで。

 そう思うセルウィリアに目の前の風采ふうさいの上がらない男はこともなげに言い切った。

「思っているよ。君は王位についた時、そう願わなかったのかい?」

「願う・・・? 何故ですか?」

 笑わせないで欲しい。不可能なことを願うなど子供がすること、いい大人なら不可能ごとを夢見たりはしない。政治は特にそうだ。現実に即して治めねば玉座とて誰かに奪われてしまうのだから。

「なるほど、僕はようやく分かって来たよ、この世界で戦乱が収まらないわけを」

「え?」

「簡単なことさ。そうだね、君は魚を食べたいとしたらどうする?」

「え・・・わたくしなら・・・そうですね、今日は魚料理をと膳司に命じます」

 なるほど王女として産まれた彼女らしい答えだ。きっと料理などしたこともないのだろう。

「そうだね・・・君ならそうするだろう。ある者は魚料理を露天で買うだろうし、またある者は魚を買って調理するだろうし、また別の者は釣竿を担いで魚を釣りに行ったりするだろうね」

「・・・何をおっしゃりたいのですか?」

 魚を食すことと戦国を終わらせることと何の関係があるのか、セルウィリアは途方にくれるばかりだった。

「魚を食べるにはいろんな手段があるけど、ひとつだけ共通することがあると思わないかい?」

「あ・・・」

 セルウィリアはようやくこの男が言わんとしたことを察した。

「もしかしたら天から料理された魚が突然目の前に皿に盛り付けられて落ちてくる奇跡だってあるかもしれない。だけどそんな幸運は何千何万年に一回もあるかどうか・・・だから人は天を見上げて待っているだけでは駄目なんだよ。それじゃあ魚はいつまでたっても食べられない。魚を食べるとまず思いつき、そしてそのための手段を講じなければいけないんだ」

 誰か他の人がしてくれるだろう、などと他人まかせにしているばかりでは決して物事は動かない。

「世界を平和にするのも同じことだよ」

 そう、だから戦国は終わらなかったのだ。

「この世界には、僕より賢く力のある王もいただろう。君だってその一人さ、少なくとも異世界から呼び出され、お飾りの王に納まった僕より、きっと君のほうが賢く力もあったはずだよ。王になる教育を受けて、関西の王として君臨していたのだから。でも今なら言える。君や先人にできなかったことでも、僕ならできるかもしれない、と。なぜなら君はこの世界が平和になれると信じていない。だからそのために何もしなかった。でも僕は違う。僕は平和になれると心から信じている、そしてその為になすべきことをしてみせるからだ」

 セルウィリアには目の前の冴えない男が天与の人と何故呼ばれるか、やっと初めて理解した。

 サキノーフ様の血を引くわけでも、才気煥発さいきかんぱつでもない男。何故こんな男が、と見下した相手が畿内と南部、河北を平定し関西を手中にできたその訳を。

 この人はわたくしや、わたくしが見てきた朝臣たちとは違う。

 見えない何かが見えている、だからこそ天与の人と呼ばれるのだ。


「クソッ・・・クソッ・・・!」

 アエネアスは靴音も高らかに響かせ、ひともなげに廊下を驀進ばくしんしていた。すれ違う女官も兵士もアエネアスのその表情に怯え、譲るように道を開ける。その後を小走りにアリスディアは追いかけた。

「アエネアス・・・待って、待ってください」

「うるさいッ!!」

 後ろを振り返ることなく怒鳴る。アエネアスはアリスディアの言葉を聞く耳を持とうとしない。

「どうせ、アリスは陛下の命令で、あの売女をかばうようなことをいうだけなのでしょう!!」

 アエネアスは怒りをぶつけるように歩みを速めた。

 両裾を持ち上げて小走りしないとアエネアスに並ぶことは出来ないほどだ。

「アエネアス、陛下だってセルノアさんを亡くされたのに、ラヴィーニアを許されたことを忘れましたか?」

「すぎたことよ! 陛下にとってそれも所詮他人だったってことなのよ。陛下は楽でいいよ。悲しんでるふりをしてればいいもの! アリスみたいな取り巻きが可哀想可哀想って大事に大事に扱ってくれるんだから! そう、所詮陛下にとってはその女とて兄様と同じ、人生ですれ違った一片の記憶でしかないんだ! 綺麗ごとを言って悲しみを過去に追いやれる、その程度のことでしかないんだ!」

「あの時の陛下は傷ついておられた、今の貴女とおなじように! でもラヴィーニアを生かすことで朝廷の群臣の心を得、関東を纏め上げることができた」

 ようやくアリスディアはアエネアスのたもとを掴んだ。

「今回の王女はそれと同じことよ」

 その言葉にアエネアスは振り返った。

「彼女には関西の諸侯や臣民を不安にさせないためにも、生きていてもらわないといけないのよ」

 アリスディアは懇願するようにアエネアスの手を握り締める。

「だからって兄様の命が軽んじられていいわけがない!」

「戦争がこのまま続いてもいいの・・・? 戦争が続くからこういう悲劇が繰り返されるのよ」

「戦争が何なの! 他人のことなんか知ったこっちゃない! 私は・・・私は・・・!!」

 アエネアスは自分の気持ちで一杯なのだ。そこから一歩でも踏み出して欲しい、アリスディアはそう訴えた。

「自分のことでいっぱいなのはわかる。アエネアスとアエティウス殿のことはわたくしとて知らないわけじゃないもの。でも陛下だってアエティウス殿を亡くして傷ついてる。アエネアスが許してあげなければ陛下は救われないわ!」

「うるさい! 説教はもうたくさん!」

「お願い、陛下を勇気付けてあげて。陛下の、いいえみんなの夢、天下安寧の為に」

 そう、いまさらどうやってもアエティウス殿は帰って来ない、だとするとアエティウス殿が見た夢の一片でも追いかけたほうが、きっと・・・いいに違いない。


「ふぅ・・・」

 アエネアスがいなくなると有斗にどっと疲労が押し寄せて来る。その疲れを振り払うかのように大きく伸びをした。

「今日も色々あったなぁ・・・」

 その中で、なにより心配なことはやはりアエネアスのことだ。

「アリスディアがアエネアスを説得してくれるといいんだけど・・・うまくいくかなぁ」

 有斗は四師の乱を思い出していた。

 あれは有斗の稚拙ちせつな政治手法が招いたせい。そのせいでセルノアを失った。

 理では分かっていても、今でも有斗はラヴィーニアを許していないのだと思う。

 その名前を聞くたびに、また考えるたびに有斗にはあの時と同じ気持ちが渦巻いてしまう。殺してやりたい、しかも楽には死ねない方法で。頭の中では何十回と無くラヴィーニアを殺している。それも考え付く限りの残忍な方法でだ。

 有斗はセルノアとそう長い間過ごしたわけじゃない、それでもその喪失感は大きなものだった。

 だがアエネアスとアエティウスの過ごした時間はもっともっと長い。そしてその関係はもっともっと深い。アエネアスの居場所はアエティウスの横にだけあったのだ。

 アエネアスの心の傷は当然・・・セルノアを失った時の有斗の傷よりも何倍も深いことだろう。

「はぁ・・・」

 大きく溜め息をついた。

 その時、誰も勝手には入ってはいけないはずの王の部屋の扉が突然開いた。

 扉を開けたのはアエネアス、そして部屋の中にズカズカと遠慮なく入り込んできた。

 え・・・急に入ってこられると困る。こっちにもいろいろ心の準備が・・・ていうか表情が怖い。しかも剣帯したままだ。まさか有斗を殺しに・・・!?

 一瞬固まった有斗の襟首を掴むと、凄い力で持ち上げて自分の顔に近づけた。そして大声で怒鳴った。

「誓え!」

「・・・え、な、なに?」

「兄様に誓え! 立派な王になると誓え! 乱世を終らせると私に大言壮語しましたよね!? もう忘れた!? それを今、ここでもう一度誓え!」

 一気にそこまで言うとアエネアスの両の目から涙が溢れ出した。

「・・・そうすれば王女の命を奪うことはしない、だから誓って・・・」

 アエネアスの声は小さく、もう泣き出さんばかりだった。

「・・・誓ってください・・・お願い・・・」

「・・・誓う」

 有斗は涙で濡れるアエネアスに誓いを立てる。

「必ずこの乱世を終らせる。アエティウスの死は無駄にはしない」

 ・・・しばしの時間が流れた。

「なるのよ・・・必ず立派な王になって戦国を終らせてみせて・・・それが兄様の願いだったのだから・・・」

 それだけ言い終わるとアエネアスは声を殺して泣きだした。

 きっと・・・きっとアメイジアを平和にしてみせる。セルノアの為に、アエティウスの為に、アエネアスの為に、そしてアメイジアの全ての民の為に。

 有斗は改めてそう固く誓った。

 そして心の中で、もうひとつ誓うことがあった。

 約束したんだ・・・アエティウスに君の未来のことを。

 有斗ではどうやってもアエティウスの代わりなんてなれそうにないけれど、アエネアスに幸せな未来を見せてあげたい。

 子供のように泣きじゃくるアエネアスを見てそう思った。


 アエネアスは笑っている時が、何より一番魅力的な女の子なのだから。


 [第四章 完]


 アエティウスという、己の右手とも半身とも頼りにしていた人物の死は有斗にとって大きな打撃となった。

 しかも運命の女神は有斗を見放したのか、次々と更なる試練を与えようとする。

 それらは有斗が天下を手中にするのに必要な代償なのであろうか。

 有斗は何かを得るということは別の大事な何かを失うことであるとようやく気付いた。

「よかろう。ここを王の墓場にしてやろうではないか」

 不敵に呟くはカトレウス。常勝不敗を謳われるカヒの無敵の騎馬軍団が、今まさに有斗に牙を剥いて襲い掛からんとしていた。


 次回 第五章 亢竜の章


 亢竜悔いあり。果たして天空高く上り詰める龍はカトレウスなのか、それとも有斗なのか。

 戦国の覇者を決める驚天動地の戦いが今、始まろうとしていた。

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