第126話 報いるべきは(下)

「た・・・たすけてください!」

 転がり込んできたのは関西の王女様だった。髪を振り乱し、胸元も崩れ、裾の端を両手で持ち上げるという王女様にあるまじき姿が事態の緊迫性をアピールしていた。

 彼女は有斗を見ると嬉しそうにかけよった。

「よかった。まだこちらにいらして。お願いします、あの方を・・・あの方を止めてください!」

 その言葉からすると、どうやら叛乱さわぎということではないようだ。またこの王女様の企みじゃなければ、だが。

「あの方・・・?」

「突然、刀を抜いて襲い掛かってきたのです・・・もう何が何やら」

 有斗は怪訝な顔をしたが、その疑問はすぐに氷解した。

 抜き身の剣を片手に、般若のような顔をしたアエネアスが入ってきたのだ。

 ははぁ。有斗は納得した。止めて欲しいというのはこのことか。

 おそらく止めようとしたのだろう。身体には羽林の男を三人も引きずっていた。甲冑を着た大の男三人を、だ。マジかよ。

 その突破力は目にした有斗すら信じられない。惜しいな、この身体能力。僕のいた世界に生まれていたなら、きっと歴史に残るサッカーなりラグビーなりアメフトなりの選手にでもなっていたこと間違いなしだ。

「どうしたんだよ。アエネアス」

「どいて」

 背後に隠れた王女に近づこうと、立ちふさがる形になった有斗を回り込もうとした。

「何があったか知らないけど・・・とりあえず落ち着いて」

 有斗は王女を庇うようにアエネアスの肩に手をかけてなだめようとした。

「陛下は引っ込んでて!」

 その有斗の両手を腕をあげて外すと、怒りは有斗に向かう。

「陛下、この女のことを何故私に言わなかったの!? これのせいで兄様が死んだことを!!」

 『それは・・・こうなることが目に見えていたからだよ』とは言えないよなぁ・・・

 アエネアスならかたきを取ろうとするのは目に見えていた。しかし関西の諸候に対する重石おもしとして王女には生きていてもらわねば困るのだ。


「死にたくなかったら、陛下もどくのよ。今の私は気が立ってるんだから。どうなるかわかりませんよ」

 そう言って立ち塞がった有斗を押しのけようとするが、あくまでも有斗が王女の盾となるような位置取りをすることに、アエネアスは苛立ちを抑えきれない。

「よく陛下は平気でいられますね! 陛下もこの売女ばいたに殺されかけたんでしょ!?」

 アエネアスはからみつく有斗を振りほどこうとする。男とはいえ有斗みたいなモヤシにはあらがいがたいほどの力だ。足を踏ん張って倒れないようにするのが精一杯だった。

「この女が余計なことをしなければ・・・兄様は生きていたんだ!」

「わかってる」

「わかってるならどいて! そいつ殺せない!」

「アエネアス、落ち着いて聞いてくれ。もうアエティウスは死んでいない。だとするとアエティウスの望みを僕らが叶えることこそが、彼に報いることになるんじゃないかな?」

「だから殺すの、どけっ!」

「アエティウスの望みは天下安寧であったはずだよ!」

「そりゃ、命が助かった陛下にしてみれば許せるかもしれませんね。亡くなったのは兄様、所詮人事だもの。この女は中身はゴミ以下だけど、見てくれだけは綺麗ですものね。命を助ければ、喜んで股でも何でもホイホイと開くとでも思ったんでしょ!?」

「アエネアス! 陛下に無礼ですよ」

 アエネアスは怒りで何もかも見えなくなっているのか、今度はアリスディアにも胸中のもやもやしたものをぶつけるように怒鳴った。

「うるさい! 兄様の仇は私が・・・この私が取る!」

「敵討ちは僕らの心を救済することにはなるけど、アエティウスの望みじゃないんだ!」

 有斗は懸命に押さえようとするがアエネアスは止まらない。

「やめなさい、アエネアス!」

 アエネアスが有斗を害することはない、とアリスディアは信じている。

 でも抜き身の剣を手にして暴れているのは事実だ。事故が起きないとも限らない。あいだに入ってを作らないと危険だ。

 アリスディアは慌ててアエネアスの前に立ち塞がった。

「陛下だってツライのは同じなのよ! 自分ひとりだと思わないで!」

「うるさい!! こいつは兄様を失ったことなんて、どうでもいいのよ! 蚊が止まった程度にしか思っていないんだ!」

「・・・わかった」

 すっかり血が上ったアエネアスを前に、有斗は大きく溜め息をつく。

「なら、僕をまずその剣で刺し殺すがいい」

 いけない、とアリスディアは思った。他の者なら王を前にすれば多少の自制は働くが、アエネアスはそういう挑発にむしろ乗ってしまう娘なのだ。

「・・・!?」

「彼女は必要だ、東西の融和を図るためにはね。それに臣民はまだ僕のことを半信半疑で見ているに違いない。僕が本当に信じられる人物かどうかを。それは僕がこの王女をどう扱うかということで判断するに違いない」

 もしセルウィリアが死んだなら、アメイジア中が有斗に非難の目を向けるだろう。

「僕の天下平定には彼女が必要なんだ。だから頼む・・・この通りだ」

 有斗はアエネアスの前でゆっくり膝をつき、頭を下げると土下座した。

 アリスディアがそれを見て悲鳴を上げる。

「陛下! 陛下がそんなことをなされてはいけません!」

 それはセルウィリアには信じられない光景だった。彼女も彼女の父も王だった。

 頭を下げたことなど無かった。決して他人に屈することのない存在、それが王なのだ。

 そもそも天下は臣下のものではなく、王のものなのである。王は臣下に命じればよく、頼むなどおかしなことなのである。

「え・・・なぜ・・・?」

 思いがけない事態に、セルウィリアの口からは疑問の声までが出た。

 自分の首がかかっているのならば、王といえどもどんなことをしても助かろうとするだろう。土下座だってするかもしれない。セルウィリアが有斗に媚びて見せたように。

 でもかかっているのは赤の他人の私の首なのだ。

 セルウィリアには己の器量に自信がある。傾国の美女、崑崙に咲く白百合と巷間で呼ばれていることも知っている。

 だけれどもその美貌の為にこの王が一羽林に頭を下げていると自惚うぬぼれるほど愚かではなかった。

 なぜ、この人は私のためにそこまでするのだろうか?

「もう・・・! どうしてそこまで・・・!! 勝手にして!」

 アエネアスはセルウィリアと有斗とを交互に苦々しげに見ると、ついにきびすを返し部屋から出て行った。

 後には有斗とセルウィリアとアリスディアが残された。有斗はひとり溜め息を吐く。

「僕はもう少し落ち着いてから全てを話そうと思っていたんだ。でも僕の口から説明すれば、怒りは僕のほうに向くかもしれない・・・そういう考えが話をすることを延期させる方向に持っていったことも事実なんだ。アリスディア、やっぱり僕は間違っていたのかな・・・だとしたらどこから間違っていたんだろう?」

「わたくしにはことの是非はわかりません。・・・ただ」

「ただ?」

「陛下がアエネアスに対して配慮をしていたということが、いつか彼女にも分かる日が来る・・・そう思います」

 そんな日来るだろうか? 今のアエネアスはアエティウスの死と、その原因でもある王女の存在、そしてどうあっても王が彼女を殺すことを容認しないという諸々のことでショックが大きいだろう。

 いけない・・・ふと有斗は嫌な想像が頭をよぎった。自殺・・・とかしないよな・・・?

 それはアリスディアも同じなようだった。

「それよりアエネアスが心配です、わたくし少し行ってきますね」

「アリスディア」

「・・・はい」

「ありがとう」

 アリスディアは有斗の感謝の言葉に力なく笑った。

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