第125話 報いるべきは(上)

 王宮の広場横にある一室は、いつのころからか暇を持て余した武官たちのたまり場になっている。

 有斗もそれを良しとし、机や椅子を安置し、さらには毎日パンとワインがそこに給仕されることになっていた。

 暇をもてあました将が、配下の一般兵を必要以上に鍛錬したり、宮廷内をうろうろしては文官の邪魔をしたりするという苦情が多々寄せられたからでもあるが。

 ようは飲食とスペースを与えるから余計な行動を慎んでくれよ、ということだ。

 南東の日当たりのよい角が南部の、特にダルタロスの将たちの定位置となっていた。

「よっ!」

 そこに現れたのはアエネアスだった。

 アエネアスはすっかり以前と同じような快活さを取り戻していた。

 なるべく前と変わらないよう、努めて明るく振舞っているのかもしれないが、それを判断するのに必要な材料は、南部出身の彼らとて、立ち入れないアエネアスの心の奥底にあるのだ。わかろうはずもない。

「アエネアス様。お元気になられたようで」

 プロイティデスが安堵した表情を浮かべる。

「お嬢が塞ぎこむと俺たちまでツライ」

 ベルビオは肩と眉を同時にひそめて悲しそうな表情をおどけて作る。

「ごめんね。おまえたちにまで心配をかけちゃったみたい」

「でも・・・本当に大丈夫なんで?」

 ベルビオはおそるおそるアエネアスの目を覗き込んだ。

「そりゃあショックだったよ。でも塞ぎこんでいても兄様は帰ってこないんだもの。しかたがないよね。気持ちを切り替えないと」

 それに、とアエネアスは言を繋げる。

「兄様には叶えたい夢があった。この国を平和にするという、ね。その為にも陛下の手助けをしてやらなくちゃ。陛下は私たちがいないと何もできないんだから!」

 おどけて肩をすくめるその姿は、ベルビオの目にはいつものアエネアスに映った。

「それにしても陛下は何を考えているんでしょうね」

「ん?」

「あのクソ王女の命を助けるのはともかく、何もお嬢のいる東京ココにまで連れてこなくったって」

「なんの話?」

 アエネアスはわけがわからず首を傾げる。

「若はあのアマが殺したようなものなのだから、顔を見るたび若のことを思い出してしまうじゃねぇですか。私なんか顔を見るたびムカムカして首を絞めてやりたいって思ってますよ。陛下の寛恕かんじょがなければ殺してやったのですが。お嬢だってあのアマの顔なんて見たくないでしょう?」

 一拍の静寂。

「・・・・・・なんだって?」

 語尾に殺意が混じっているような黒い声色だった。

「馬鹿が!」

 プロイティデスはベルビオの左袖を掴んで余計なことを言うな、と合図する。

 がベルビオはその意味を理解できなかったようだ。

「へ・・・? ひょっとして・・・陛下からお聞きになっていないんで?」

 アエネアスはベルビオの襟首をきりきりと捻りあげるように掴み、その巨体を持ち上げると、血走った目を近づけた。

「言って!」

 その口調には有無を言わせない強固な意志すら感じられた。

「あの関西の王女は一体何をしたの!?」


「・・・その奏上さっき処理した灌漑かんがいの要望と中身一緒じゃないかな・・・?」

「あ、そういえばそうですね。場所も近いですし、差出の郡司がちがうだけなのかも」

 夕日が山に飲み込まれる時刻になってもまだ、有斗は執務室にいた。

 目の前に積まれた山のような書類を死んだ目で眺める。一向に減る気配がない・・・

 とうとう東西朝臣の調整が終わったらしい。次から次へと山のように書類が運ばれてくる様を見て、有斗は心底ウンザリした。

 新しく支配地に入った関西の案件が特に多い。あの王女様ときたら、真面目に仕事をしてなかったな・・・

 尻拭いをさせられる身にもなれと言うものだ。

 あと原因はもう一つある。

 アリアボネが体調を崩したまま病欠しているので、全ての奏上が緊急度、必要度に関わらず一斉に有斗に上がってくるのだ。

 普段は緊急性が低いものは山の下のほうに、自分の権限内で処理できる者はアリアボネが処理し、また関連する奏上は束にしてまとめあげ、さらにはわかりにくいところは注釈まで入れてくれているので、有斗の仕事といえば、『初めての方にも安心! 判子を押すだけの簡単なお仕事です! 時給1250円! 残業なし! 人気があるのでご応募はお早めに!』と求人サイトに載ってもおかしくない程度なんだけれども。

 しかたがないのでアリスディアに全奏上を読み上げてもらって自分で判断するしかないのだ。

「今日はお疲れのようですし、ここまでにいたしますか?」

 首を回して疲れを取ろうとする有斗にアリスディアが優しく微笑む。

「もう少しやるよ。さっきの疫病の報告みたいな緊急の案件が入っているかもしれないし」

 しかし読み上げるアリスディアだって疲れているだろうに、それでも有斗のことを気遣ってくれる。

 そういう気遣いができ、失敗もたしなめる程度で怒ることも無く、いつもニコニコと愛想もよく、おまけに美人だ。本当にアリスディアって完璧な女性だよねぇ。

 アエネアスとは偉い違いだ。気遣いゼロ、がさつでおっちょこちょい、まぁ・・・美人といえば美人だが、とにかくアリスディアとはまさに百八十度違う。

 と言うことは、だ。・・・アリスディアとアエネアスを足して二で割ると普通の女性が二人誕生することになる。

 ・・・つまり世界は均衡が取れているというわけだ。・・・ほんと世界ってうまくできているな。と、有斗はどうでもいいことを考えた。


 その後も二人で淡々と仕事を片付けていた。

 突然どこかで何かが倒れるような物音がして、有斗は顔をあげた。

「なんだ?」

 かなり遠いところで起きた気配があるのに、聞こえたってことは・・・実際はかなり大きな音じゃないのか?

「・・・今、大きな音がしましたね」

 アリスディアも気付いていたようだ。

 続いて悲鳴、それも女の人の悲鳴が聞こえた。

 もう表の官僚はほとんど帰ってしまったはずの時間だ。いつもなら静かな時間帯。それなのにこの騒ぎ、これはただ事ではないぞ・・・

 有斗はこの間のアエティウスを失った関西での反乱と、セルノアを失ったあの四師の乱を思い出し慄然がくぜんとした。

 まさか・・・また?

 アリアボネが病気で臥せってる今ならば、と思い決行した者がいてもおかしくはなかった。

 またも悲鳴が聞こえた。しかも走ってくる足音、それも複数。

 有斗は執務机から立ち上がると壁に飾られていた剣を手に取る。

「アリスディアは裏から逃げて! 外門にたどりつければ金吾がいる!」

「そんな! わたくしが盾になりますので、陛下こそお逃げください!」

「大丈夫さ、前と違ってアエネアスに剣を教えて貰ってるから。羽林が駆けつける時間くらいは稼げるさ」

 実際はまだまだ全然ものになっていないのだが、アリスディアの前だから少し格好をつける。

 それに何より二度とセルノアのような人を有斗は出したくなかった。いや、出してはいけないという思いが強かった。

 物音はやはりこちらに近づいてくる。どうやら狙いは有斗ということになる。

 それにしても羽林の兵が止める気配がない。なぜだ・・・?

 まさか羽林まで抱きこまれたか!?

 しかし今、羽林を構成している兵はダルタロス出身者で固められてある。裏切ることなどないと思うのだが・・・

 だが、そういうことよりも今は戦いに備えなければいけない。

 あの扉から敵が入ってくるとして・・・この大きく頑丈な執務机は暗殺者から僕を守る盾代わりになる。

 羽林の一部が抱き込まれたのだとしても、全部ではないはずだ。少なくともアエネアスは裏切ることはない。そうさ、彼女が来るまでの時間さえ稼げばいいのだ。

 そう思うと、有斗は前途に光明が開けた思いだった。

 アリスディアが有斗のそばによって不安げに扉をながめた。


 と突然、扉は勢いよく開き、ひとりの人間を吐き出した。

 入ってきたのは女性だった。

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