第121話 彼のこころ、彼女のこころ。
有斗は部屋に戻ると大きく溜息をついた。頭の中がいろんなことで一杯になっている。
本当にあの王女を生かしてよかったのか?
関西の諸侯はこれで僕についてくるかもしれない。だが関東の、それも南部の者は僕に失望して離れたりしないだろうか? トータルで考えたら僕は支持基盤である関東の諸候を考慮し、王女を殺すべきではないのか?
なにより・・・僕が油断しなかったら、あの王女と一緒に動かなければ、アエティウスは死ななかったのではないか?
次から次へとすぐには解決できない難問だけが有斗の前に積まれ続けた。
一人で考える時間が必要だった。それもゆっくりと。
だけど、今は何も考えられない。いろんな考えが頭で渦巻いて何一つ形にならない。何かをやらねばならないという思いだけが先走って、焦りを感じるだけだった。
「・・・とりあえず、アリアボネの部屋に見舞いにでも行くか」
寝所かもしれないとも思ったが、念のためそっと執務室を覗きこむと、アリアボネはもう椅子に座って、深刻そうな顔で竹を細く切って束ねられた物を厳しい顔つきで見ていた。。
「こんなことが・・・それに気付かなかったとは、私は・・・!」
竹簡を持つアリアボネの手は
「もし、この竹簡を届いたときに見てさえいれば、こんな事件などなかったのに・・・!」
その言葉を聞いて、有斗は思わず声をかけた。
「・・・それはどういうこと?」
「・・・! これは陛下、どうなされました!?」
突然現れた有斗にアリアボネは驚いたようだった。椅子から立ち上がり、腕を組むと、慌てて礼をする。
「それよりさっきの言葉だよ。何かがどうしたらこんな事件など・・・って、どういうこと?」
「・・・反乱の兆候を掴んでいた者が、この竹簡で警告してくれていたのです・・・私が読んでないばっかりに、このような結末になってしまいましたが・・・」
「そんな・・・! もしかしてアエティウスの死は防げたということ?」
「・・・はい。申し訳ございません・・・もし私が昨日のうちにでもこの竹簡を読んでさえいれば、たぶんこのようなことには」
申し訳なさそうにアリアボネは深々と頭を下げる。
「!」
有斗は大きく息を呑む。それが本当だとすれば、アエティウスの死を防げたかもしれない。
「・・・しかしアリアボネやアエティウスも気付かぬ反乱を未然に察知していたような凄い臣がいたのか・・・で、誰?」
そんな臣下ならもっと重職を与えてその能力をアメイジアの為に活用したい。名前を覚えておこう、と有斗は思った。今すぐとはいかないだろうけど、次の除目でなら可能だろう。
「それは・・・その・・・・・・」
目を伏せ、視線を合わせようとしない。
有斗は嫌な予感が心の奥底から這い上がってくるのを感じた。
「まさか、ラヴィーニアじゃないだろうね?」
「・・・・・・そのラヴィーニアです」
有斗は後頭部にガツンと一撃を喰らわされたかのような衝撃を感じた。
その名前を聞くのも、話すのも不快だった。
だが、もしセルノアの件を許し、ラヴィーニアを活用していれば、アエティウスの死は防げたということになる。つまり有斗が不快に思うが故、その才能を活用できなかった、だからアエティウスは殺されてしまったということになる。
「・・・」
口ごもる有斗にアリアボネは深く頭を下げる。
「申し訳ありません」
「アリアボネが謝ることはない。悪かったのはラ・・・彼女を使いこなそうとしなかった狭量な僕だ」
「・・・」
二人とも口を結んだまましばらく一言も口を利かなかった。二十分は黙りこくっていた。
やがて有斗が溜息混じりに、こう呟いた。
「やめよう、この話はここまでにしよう。お互い嫌な気持ちになるだけだよ。それに終わったことを悔やんでも仕方がない。今更どうやったってアエティウスは
「・・・はい」
アリアボネは手にした竹簡を有斗の目から隠すように背後にそっと置いた。この竹簡を見るだけでもきっと有斗は不快に思うであろうから。
「アリアボネ・・・体は大丈夫なの?」
そう尋ねる有斗に、アリアボネはいつもの笑みを返した。
「ええ小康状態と言ったところでしょうか。でも今は私の体のことよりアエティウス殿のことが」
有斗は椅子を引き出すとアリアボネに座るようにすすめた。
「・・・騒ぎになっているかな?」
「城内その話で持ちきりのようです」
「もう一度・・・」
「・・・?」
それだけではなにがいいたいのかわからず、アリアボネはなんでしょうかと言うふうに首を傾げた。
「もう一度、さっきの話をしちゃだめかな? 王女の処遇についてアリアボネの知恵を借りたい。今度は冷静に、ゆっくりと慎重に考えたいんだ」
アリアボネは先程と同じように理を説いて、有斗を納得させようか、とも思ったが、それで納得できなかったからこそ、もう一度話し出したいのだろうと有斗の心を推測した。ならば自分の意見を押し通さず、有斗の話から枝葉を広げて納得させるべきだ、と思い直した。
「・・・はい」
「あれでよかったのだろうか?」
「何がです?」
「アエティウスは僕を支えてくれた功臣だ。僕にとっては臣下と言うより、友人とか兄とかに近いものがあったんだ・・・その彼が僕を助けるために身を
「どうしてそう思います?」
「僕は南部の人間には感謝しきれない想いでいっぱいだよ。徒手空拳の何も無い僕を助けてくれた。多くのものが僕を王にするためだけに死んでいった。それにも関わらず僕は南部の人々に充分な恩返しができたわけではない。むしろ度重なる出兵で犠牲を強いるばかりだ。だから南部の人にすれば僕に対して貸出超過だと感じても仕方が無いと思う。その代表であるアエティウスが殺されたんだ。南部の人々に僕が南部の人々のことを忘れていないと示す必要があるんじゃないかな。それが理だよ。特にベルビオやプロイティデスをはじめとしたダルタロスの者たちの不満を
「陛下、それは目先のことに囚われておりますよ」
「・・・どういうことかな?」
「一時の感情に流されてはいけません」
アリアボネはそれが間違いであることを論理立てて説明した。
「なぜならアエティウス殿は陛下の夢に未来を重ねたのです。天下一統、国家安寧の夢に。関西の王女の命を奪うために兵をあげたのではないのです。陛下がアエティウス殿に真に
「・・・」
「何よりアエティウス殿がそう望んでいるはずです」
「でも王女を処刑すれば、関西が負けたということを知らしめる側面もあるよ。マイナス面だけじゃない」
そう、それに殺してしまえば、今後この王女を
「関西を安定して支配するには、あの王女を生きたままそれなりに遇するほうが、臣民の反発は少ないはずと、陛下はあえてその道を選んだはず。天下平定への最短距離になる、とね。ならばその道を貫くことがアエティウス殿に報いることになるはずです」
確かに気に入らぬものを叩き潰すだけでは平和にはならないとは思う。叩き潰そうとしても潰し損ねるものはきっとでるだろうし、そういった者たちはきっと復讐に駆られて、死ぬまで僕に敵対するだろうし。
「それに君主が臣下に迎合してどういたします。確かにベルビオやプロイティデスは功臣です。だがそれを考慮して賞罰を行うようになれば、きっと彼らは
なるほどこれも正論だ。でも・・・
「・・・もうひとつ問題があるんだ」
「なんでしょう?」
「あの場に行ったのは王女に隠れるのにいい場所があるからと言われたからなんだ。情けないことに僕はその言葉を信じて、ほいほいついて行っちゃったんだ。・・・つまりアエティウスが死んだのは僕のせいでもある。僕は自分で自分を罰しないと気がすまない」
ベルビオが言った通り、アエティウスは何も持たぬ有斗に助力して王に復させ、その後も支え続けてくれた。アエティウスに報いたいという気持ちが有斗の中にはあった。それなのに、命を差し出させるようなことになったのだ。いったいどうすればこの感謝の想いを返すことが出来るのか、有斗は苦悩していた。
「陛下。君主は過ちを改めるも決して過ちを認めず、です。アエティウス殿もそうおっしゃっていたではないですか。もう起きてしまったことに後悔しても遅い。そして過ちを認めてしまったら君主の権威はその瞬間霧散してしまう。陛下を罰しても、もうアエティウス殿は冥府より帰って来ることはないのです」
何度も耳にしたその言葉、だがその言葉を言うアエティウスの声は二度と聞くことが出来ないのだ。アリアボネのその言葉は有斗のこころの中では何故か空しく響いた。
「この失敗を生かして次は行動すればいいのです。どうかご自愛ください。・・・だからもう決して信頼できぬ者と一緒に、我々の眼の届かないような、人の少ない場所に行くようなことは慎んでください」
「・・・わかった」
結局、目の前のこの道を進むしかないか、と有斗は改めて決意した。
「陛下」
「何?」
まだ何か問題でもあるのだろうか。特に見当たらない気はするんだけど・・・
でも有斗には考えられなくても、アリアボネには見えるものとかあるのかもしれない、と思い直す。
「アエティウス殿の死を今すぐここで公表しますか?」
「あ・・・」
有斗はおもわず絶句した。
それはアエティウスの死を東京龍緑府に、いや、アエネアスに伝えることを意味した。
アエネアスにアエティウスの死を伝える・・・
それは、関西を攻略するよりよほどの難事であるかのように有斗は感じられた。
「・・・」
「私は陛下ご自身の口からお伝えになることが必要だと思います」
「そうだね、それは・・・僕の役目だろうね。僕が起こした事件だから」
「陛下が御辛いのならば、私がその役目をお引き受けしますけれども・・・アエネアスとは長い付き合いですし・・・」
「いや」
有斗はゆっくり首を横に振る。
「これはやはり僕が伝えるべきだろう」
「・・・はい」
アエティウスの死の責任の一端に有斗がいる以上、逃げるわけには行かない。
「それにしても君はいつも冷静だね、助かるよ」
有斗の本音であった。アリアボネがいなければ、アエティウスがいないこの状況を、どうやって乗り切ればいいのか判断がつかなかっただろう。感謝する思いで一杯だ。
でもそれは彼女には少し皮肉っぽく聞こえたのかもしれない。
「・・・」
アリアボネは下唇を噛んで一度目を伏せた。
そしてようやく
「私とてアエティウス殿とは長き付き合いです。あの王女を殺したい気持ちでいっぱいなのですよ」
本当はアエティウスを殺されたことに対して心の底から怒っている、冷血な人間ではない、有斗にだけはそれをわかってほしい、そんな不満げな感情がその言葉にはこもっていた。
それは冷静沈着な彼女がかいま見せた、ほんの小さな感情だった。
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