第120話 亀裂

 有斗は呆然とアエティウスの亡骸なきがらの前にひざまずいていた。

 周りにいるプロイティデスはじめ羽林の兵たちも同様に放心状態だった。

 羽林は王師中軍の兵からなる。ほとんどがダルタロス家の出身だ。

 彼らにとっては、きっと有斗よりもアエティウスのほうが主君という感覚が強いだろう。だから彼らも悄然しょうぜんと立ち尽くしていた。目からは涙があふれていた。

 やっと医者が駆けつけてきたが、脈を取ると首を横に振って、もう何もできることはないと言った。

 プロイティデスはゆっくりとアエティウスのまぶたを閉じる。

「は・・・放しなさい! 無礼者ッ・・・!」

 その場に似つかわしくない騒がしい若い女性の声が鳴り響いた。

「陛下、主犯を連れて参りました!」

 ベルビオが手首を掴んで王女を引きずるように連れてくる。アエティウスの死を知ったベルビオは、怒りで今にも関西の王女をくびり殺さんばかりの形相だった。

「ち・・・違います・・・わ、わたくしは何も知りませぬ!」

 責任を逃れるように否定することが、ベルビオにはいちいち勘に障った。

「お前が陛下を連れ出した先に偶然、刺客がいたとでもいうのか!? それに若を刺したのはお前の侍女なんだぞ!!」

「ほんとうです! ・・・ほんとうにわたくしは・・・!」

 ベルビオみたいな巨大な大男に間近で怒鳴られることなど、育ちのいいお姫様には初めての経験だろう。恐怖にうち震えていた。

「わたくしはただ脱出したいと。バ・・・バアルに頼まれて・・・その男を・・・いえ、陛下をできればここへおびきよ・・いえ、お連れしただけなのです。信じてください! ただ歴史ある関西を再興したい、とだけ・・・陛下やその方を殺そうとしたわけではありません! それに侍女がこんなことをするなんて計画にはありませんでした・・・不幸なめぐり合わせ・・・そ、そう。じ、事故なんです!」

 王女は有斗の袖にすがりついて哀願した。

 息がかかるほどの近さまで顔を寄せ、その宝石のような光をたたえた瞳でじっと視線を合わせ、胸を有斗の腕に押し当てる。王女は自分の最大の武器である女を存分に、この場で一番権力を持ち、この危機から彼女を救える只一人の存在、有斗に向かってアピールする。

 これで大丈夫、セルウィリアは思った。彼女はいままでもそれでいくつもの我侭わがままを押し通して来たのだから。

 きっと、今回も上手くいく。そうセルウィリアは目の奥で笑っていた。

 だが有斗はそれをいつになく冷めた目で眺めていた。

 人が一人、死んだというのに、この計算ずくな態度は何だ!?

 わかっている。この戦国の世界では殺すか殺されるかだ。人の死など珍しくもないのだろう。

 ましてやこのお姫様にしてみれば、アエティウスの死など、知らない関東の人間が一人死んだ、くらいにしか感じられないのだろう。

 けど・・・!

 だけど・・・!!

 死の一端は彼女にだって責任はあるというのに、この態度は何だ!!

「この女を、連れて行け! 反乱の罪で死け────」

 有斗は汚いものでも近づいたかのようにセルウィリアを手で跳ね除けると、その顔を指差し、決定的な一言を言おうとした。

「陛下!!!」

 その時、大きな声が西宮に響き渡り、有斗の声をさえぎった。急いで走ってきたのか、壁に手をつき大きく息をしながらアリアボネが上げた声であった。

「アリアボネ? 無事だったの?」

 よかった。有斗と違い羽林の護衛のいないアリアボネのことは心配だったのだ。

「陛下! お待ちを!!」

 アリアボネはぜいぜいと咽を鳴らしながら、有斗に近づいた。

「・・・?」

「今、なんとおっしゃろうとしました?」

「この女を死刑にしようと───」

「ひっ!!!」

 セルウィリアは恐怖で小さく悲鳴を上げた。その顔をちらと見て有斗は眉を寄せた。

 人を傷つけることは平気でも、人に傷つけられることは平気でない、か。

 そもそも人はそういう生き物であると言ってしまえばそうなのだが、人ひとり殺しておいてそれは、あまりにも身勝手すぎる。

 だが有斗が死刑を命じようとするその口を、アリアボネは両手で塞ぐ。

「それはなりません! 陛下、関西の王女を殺しては決してなりません!」

 信頼するアリアボネの口から飛び出した思ってもいなかった言葉に、有斗は狼狽する。

「何故!?」

「関西に攻め入ってより何名の兵が死んだとお思いですか? 陛下の理想の実現の為に数千の兵が亡くなっております! それでも陛下は王女の助命に賛同したのです! だがアエティウス殿の死だけでその前言を撤回すると言うのならば、その者達の命を軽んじることになりはしませんか!? 黄泉こうせんにいる彼らだけでなく、関東で彼らの無事の生還を願っていた彼らの家族にも、陛下はどう説明するおつもりですか? 決して陛下の理想をげてはいけません!!」

「貴様・・! 死『だけ』だと・・・ふざけるな!! 若が殺されたんだぞ!! お前には関係ない! これは俺らとそのアマの間の問題なのだ、さかしらに口出しするな!」

 怒りに打ち震え、今にも襲い掛かりそうなベルビオの姿を見ても、アリアボネは一切怯まない。

「いいえ、言わせていただきます!!」

 これは重大なことなのである。有斗に早まって誤った選択をされないようにアリアボネは必死だった。

「まず陛下は何のために戦っているか思い出していただきたい」

「・・・そんなこと言う必要があるのかな?」

 アリアボネには何度も言っていることなんだけどな。有斗は疑問に思った。

「敵を全てほうむるためだ! ここにいる、口では和平を言いながら、裏でコソコソ動くこういう溝鼠ドブネズミどもを一掃するためだ!」

 ベルビオが王女の首根っこを捕まえながら叫び返す。

「ベルビオは黙ってなさい! 再確認です!」

 ベルビオにきりりと強い目を向けてアリアボネは一喝した。その目には有無を言わせぬ強い光がある。

「・・・それはアメイジアに平和をもたらすことだよ」

「その通り!」

 アリアボネはここにいる全員に聞かせるように大声で言った。

「陛下は天与の人としてアメイジアに平和をもたらしたいと願ったはず! ならば天与の人として民に仰がれる存在でなければいけません! 一度決した言葉をすぐさまひるがえすようなことをしてはならないのです!!」

「・・・けど」

「それとも陛下は目の前のその王女のような、凡百の王と同じ程度の王になりたかっただけなのですか!?」

「黙っていろ! 部外者が!」

「部外者ではありません! 私も、貴方も、アエティウス殿も皆、同じ王に仕える者なのですから!」

 だが有斗はアリアボネの言葉に、まだうなずかなかった。

 いや、どちらかと言えばベルビオのほうに感情を寄せているようアリアボネには感じられた。

 このまま、感情のままに王が関西の王女に死刑を宣告してしまえば、取り返しがつかないことになる。

 常人では取れぬ道ばかりを選択することによって、有斗は『天与の人』たる王の道を歩んできたのだ。

 有斗はセルウィリアのように、見かけだけで人を感動させる外貌をしているわけではない。ヒュベルのような超人じみた神技もなければ、バルカのような天才的な軍略も持ち合わせていない。誰が見ても、この人は天与の人だ、と納得させるわかりやすいファクターを持ち合わせていないのだ。

 有斗は天与の人である証をその言動を通してのみ、民衆に納得させることができるのである。

 あの人は普通の人物が取る安易な道を選ばず、苦難の道を、だけれども政治の正道を歩いている。なるほどまさしく、天与の人である。そう言われて初めてアメイジアに平和をもたらすという夢物語を民衆に信じてもらえるのだ。

 だからここでアエティウスの死に対して復讐するという、安易な常人がまま選ぶ道を歩かせるわけにはいかない。

 もし、常人と同じ道を有斗が選んでしまえば、その瞬間に有斗は天与の人となる術を失うということになるのだから。

 そう、だからアリアボネは、それだけは口にすまいとしていた言葉、決定的な一言を言うしかなかった。

「陛下はセルノアさんに、そう誓ったのではなかったのですか!?」

「・・・!」

 有斗は大きく息を呑んだ。

 それは大変卑怯な手段。

 その言葉にきっと有斗は逆らえない、王と言う仮面の下はそういうやさしい顔をした少年なのだということを、アリアボネは知っているのだから。

 アリアボネ自身もこういった手段を好むわけではない。

 いや、こんなふうに死人の名を使うなど、誰もいい気はしないだろう。有斗だってきっとアリアボネのことを不快な思いで見るに違いない。

 でも有斗を偉大な王にする為には仕方がない。

 アエティウス殿が凶刃に倒れた今、誤りを正すことができるのは自分だけなのだから、自分にできることはやっておかなければいけないという想いがあった。

 なにしろアリアボネには残された時間がそう多いわけではないのだ。

 それに有斗は、アリアボネにとって大事な・・・


 有斗が言葉に迷うその前で、突然アリアボネはむせんだ。そして体を曲げると、立て続けに咳き込み、ひざをついた。慌てて口を覆ったアリアボネの指の間から鮮血が流れ落ちた。

 有斗も、セルウィリアも、ベルビオも、プロイティデスも、羽林の兵も、皆が驚きで言葉を失った。

「アリアボネ・・・!」

 慌ててアリアボネに駆け寄った。

 その量は尋常じゃない。口から地面まで流れ落ちてもまだ途切れなかった。

「アリアボネ、休んだほうがいい! 部屋に戻ろう! 今は他の事を考えたりする場合じゃない、君は君の体のことだけ考えるんだ!」

 近づく有斗の手も、プロイティデスの手も払いのけて、アリアボネは立ち上がる。

「いいえ! このアリアボネ、陛下が私の意見に賛同していただけるまでは、決してここを動きません!! 例え死んだとしても動くわけには参りません!!」

 このやり方は卑劣だ、と有斗は思った。セルノアの件だけでも反論できない。さらにこんな状況で、そんなことまで言われて僕が反対できるわけ無いじゃないか。

 ずるい、ラヴィーニアの時より卑怯だ、そう思う。

 ・・・だけど・・・だけど、やはりここまでしてでも有斗の為になると思って言ってくれた忠言を無視することなどできなかった。

 そもそもラヴィーニアの時と違い、セルウィリアとアリアボネにはまったく結びつける接点も利害関係もないのである。

 それでも有斗が不快になるのを承知で言ってくれたんだ。その言には万金を超える重みがある。

「・・・」

 それを無碍むげにし、一時の感情を優先する、そんな生き方を選べるはずもなかった。それを選ぶのは自分を捨て去るのも同じだった。

「・・・わかった」

「・・・ありがとうございます」

 アリアボネは口元の血をそでで拭うと、にっこりと笑った。

 でも有斗が笑えるわけがない。アエティウスの死の悲しさ、だのに犯人の一人である王女を罰することも出来ない無念の感情、そしてアリアボネの再度の喀血かっけつ、笑うことなどできやしない。

「部屋に・・・戻ってくれるよね?」

「・・・はい」

 有斗は羽林の兵に両脇を支えさせてアリアボネを自室へと下がらせる。後姿を心配そうに眺めた。


 甲高い絹を引き裂くような悲鳴が後ろから上がった。王女のものであろう。振り返ると、ベルビオが王女から話を聞きだそうとしているようだった。

「わたくし・・・わたくし、本当に計画の細部は知らなかったのです! ただ・・・ただバアルと合流して西宮から脱出するとだけ聞いていただけなのです」

「その結果何が行われるか想像はしていたのだろうが!!」

 王女の胸元を掴むと片手で持ち上げ、詰問する。

「ひっ・・・わ、わたくしをここから出してくれるのだとばかり」

「しらじらしい!」

 ベルビオは手首ごと彼女を空中に持ち上げ、大声で脅しつけた。

「痛い・・・! 離してっ・・・!!」

 有斗はできるだけセルウィリアと目を合わせないようにして、ベルビオにその行為をやめるように言った。目を合わせたら怒りがきっとなく湧いてくる。

「もういい・・・彼女を部屋に戻すんだ。・・・一度この王女の命を助けると約定した。約定した以上はその言葉は守らなければならない」

「それはこの事件が起きる前の話です! 若の命をこのアマは奪ったんだ! こいつは死ぬべきだ!!」

 ベルビオはアエティウスの理不尽な死に逆上していた。その逆上が却って有斗の頭を冷静にした。

 ・・・そうだ。アリアボネの言は正しい。いつもそうだ。セルノアの時も、今回も。理屈だけなら正しいのだ。

「関西征伐では多くの兵士が僕の為に死んでいる。それでもなお、この王女を助けようと決めたんだ。いまさらアエティウスの死でその決定を覆すわけにはいかない」

 先程、アリアボネに言われたことをベルビオに言う。言っていることは正しいはずだ。だってアリアボネの言葉なのだから。

 でもなんでこうも正しさを認められない感情が浮かぶんだろう・・・

「関西の臣民は僕の一挙手一投足を見ている。その象徴が彼女なんだから」

 心の奥底では納得できないことをベルビオに言って聞かせる自分が、なにか偽善者か何かになったようでたまらなく不快だった。

「しかし・・・!」

「僕は信を持ってこの乱世に立っていたいんだ」

 先程と違い、落ち着き払った有斗の態度は、ベルビオにはアエティウスの死に対して何の感情も持たない冷血な人間であるかのように映った。怒りの矛先は有斗に向かう。

「なんだと!? 信とぬかしたな! 若は南部に乞食同然に現れたお前を拾ってやったんだぞ!? 誰のおかげで王などと呼ばる御大層な身分でふんぞり返っていられると思っているんだ!? あぁ!? その恩を忘れたか? 野良犬だって一宿一晩の恩を忘れんのにな!!」

 吠えるような大声で有斗に詰め寄る。

「よせ! 陛下だ!」

 今まさに有斗に殴りかかろうとしたベルビオをプロイティデスは体をぶつけ、抱きとめる形でなんとか止めた。ベルビオは有斗をきつく見下ろすように睨みつけたが、それ以上、手を出そうとはしなかった。

「勝手にしろ!!」

 怒りをあらわにベルビオは背を向ける。有斗は大きく溜息をつく。

「ありがとう、プロイティデス」

「陛下。私も理では陛下の行いが正しいと知ってます。だが情では納得できない。ベルビオと同じ気持ちです」

 プロイティデスも頭を下げるとベルビオの後を追った。一度も有斗と目を合わせようとせずに。

 彼らは失望したかもしれない。アエティウスの死を目にしたのに、その仇を討つどころか、保護するような言葉を吐き、感情も表さず冷静な僕に。

「あ・・・ありがとう・・・わたくし誤解していたようです。貴方は素晴らしい方です・・・わたくしをかばっていただけるなんて・・・」

 命拾いしたセルウィリアがその目にこびた色を浮かばせて近づいてきた。

「言っておくが君の為じゃない。僕だって君を殺したいと思わないわけじゃない」

 有斗がそう言ってセルウィリアをにらみつけると、王女の顔が再び青ざめた。

「だが約定したんだ。君の命はとらない」

 そう、約束は守らなければならない。それが有斗が自身に架した鎖だ。

「だが言っておく、東西融和の象徴として生かしておくことが君の利用価値だ。もう一度こんなことがあれば、いくら僕でも君の命の保障はできない」

 さすがに二度も三度も許しては示しがつかない。そもそも東西融和の象徴として王女が機能するのはしばらくの間だけなのである。そのうち民も諸侯も彼女の存在を忘れることになるだろう。関東はもとより関西からも忘れ去られる存在、そうなれば何か理由があれば、大手を振って処刑できるだろう。

 いや忘れさせるようにしなければならないな、と有斗は思う。関西の王女の御世が懐かしいなどと言われるようでは、天下を平和にしたとはとても言い切れない。今の王になってよかったと思われて初めて、天下を安定させたというものだ。

「監視はつける。そして関東へ君を連れて行く。外部や旧臣との接触は一切許さない。今までのような自由な行動も認めない。そのつもりで」

 王女は不満そうにうつむいたが、反語は発しなかった。

 それでいい、と思った。憎みたければ憎めばいい。有斗が望むもののためには誰であれ利用させてもらう。そうさ、誰かに憎まれようと嫌われようとかまわない。有斗はアメイジアに平和を取り戻すという天与の人とやらにならなければいけないのだから。

 それがセルノアに次いで、アエティウスも死に追いやってしまった、有斗に課せられた宿命なのだから。

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