第117話 白鷹の乱(Ⅳ)

「ところで」

 セルウィリアは有斗に向き直ると、素朴な疑問を投げかけた。

「どこへ行かれるのでしょうか?」

 そう言えばそれを聞いていなかった、と有斗はベルビオに振り返る。

「どこへ行くの?」

「とりあえず、敵から少しでも遠い場所としか考えていませんでしたから・・・」

 ベルビオは頭をかいて申し訳なさそうにした。体の大きなベルビオが小さく縮こまるに姿に有斗は可笑おかしさをこらえきれず、おもわず笑ってしまう。

 だがここに来ただけでも意味はあった、とベルビオは思った。セルウィリア警護の四名の羽林と合流できただけでも今はありがたい。ベルビオ一人なら例え万余の敵に囲まれても恐れはしないが、今は有斗の身を守らなければならない。どこから刃が飛んでくるのかわからない以上、味方は一人でも多いほうが良い。

 とはいえ元々後宮は王城の最奥、しかも塀で囲まれている。壁の外はともかく内部にいる羽林の兵は少ない。そうすると、敵がいるかもしれないが、あえて表に近い方向へと向かうべきか。

 応天門、大極殿、建礼門、承明門じょうめいもん紫宸殿ししんでん。王城の中心線であるこれらの諸門や殿舎には、信頼できるダルタロスの兵が多数、駐屯している。苦戦に陥っているかもしれないが、まさか全てが敗れていることはあるまい。それらを糾合きゅうごうするのは悪くない選択に思えた。

「陛下、城内で騒ぎが起きてからしばらく経つのに、まだ干戈かんかがおさまらぬことを考えると、今回の反乱は相当規模が大きいと考えられます。ここは積極的に動き、諸門に屯する兵士を集めて、組織的に敵に反抗すべきではないでしょうか?」

 その意見に有斗は大きく頷いて賛意を表す。兵力の集中運用は兵理に敵っている。

 そう、四師の乱の時の有斗とはもう違うのだ。もはやただ逃げ惑うだけの情けない男じゃない。


 だが後方で廊下が騒がしくなる。

 それは先程まで有斗がいた居室のほうからだった。金属がぶつかり、物が破壊される音。そして罵声。あのまま部屋にいたら、今頃、襲撃されるところだったのだ。実に危なかった。

「陛下、後ろにお下がりください」

 ベルビオは有斗を守るように後方に回り込み、騒音を立てて近づいてくる音源の正体を観察した。

 予想されたことであったが、それは敵であった。金吾の兵装をしているが、有斗を見ても一礼するでもなく、剣を構えてにじり寄る姿からは、明らかに友好的なものは何一つ感じられなかった。

 こんなところまで敵兵が入り込んでいるということは、敵は既に内裏へ到る諸門を征圧したということか。

 大きな混乱がベルビオを襲う。もし内裏へと通じる門を全て敵が確保したというならば、これから先、しばらくは敵兵は内裏には入れても、味方兵が内裏に入ることは無く、王は窮地きゅうちに立たされたということだ。

 それに関東の兵を排除できたということは、敵の数は間違いなく千を遥かに超えるということである。内裏と後宮あわせて千の兵が守備についていたのだから。

 実際は内裏の西側の宣陽門せんようもんに詰めていた金吾の兵が反乱に呼応し、王の姿を求めて後宮のこんな奥側に来ただけであったのだが。

「陛下、ここは俺が死んでも食い止めます。陛下は奥へと避難してください」

「わかった。ベルビオも無茶しないでくれ」

「ありがとうございます。二人残れ、あとは陛下をお守りしろ。行け!」

 一人だと陛下を追おうとし、脇をすり抜ける敵を食い止められない。自分の他に二人いればここで敵を足止めすることが出来る。陛下のほうは五名いれば、まぁなんとかなるだろう、ベルビオはそう考えた。

 目の前の非友好的な連中は十名だった。これくらいなら肩慣らしにちょうどいい。

 ベルビオは両手に一本ずつ大戟を短く持つと、獣のような唸り声をあげ突進した。右の手を振るっただけで、一番手前の兵は兜ごと頭をかち割られ、地面に叩きつけられた。関西の一金吾ごときにベルビオの双戟に相対できる者はおらず、剣といい、槍といい、盾といい、当たるを幸い砕かれるか弾き飛ばされ、死体が瞬く間に十積み上がった。

 さて次に死にたいやつはどいつだと、鼻息荒くその場でしばらく待っていたが、ベルビオの前には誰も現れず、きょとんとした顔を共に残った羽林の兵と見合わせた。

「・・・来ないな」

 諸門を突破したというなら、後宮目指して雲霞うんかのごとく敵兵が湧き出すはずなのだが。

 ベルビオは一瞬有斗が向かったであろう後宮の裏手に回り、有斗と合流しようかと考えたが、その考えを捨てた。

 まずここから奥に向かったといっても、どこに向かったかはわからない。それにここはちょうど後宮の裏手と内裏との狭間にあたる場所なのだ。王宮に侵入した敵兵が後宮の奥の王を襲うならば、必ずここを通ることになるのだ。

 ならば、ここに立ちさえすれば、敵が王のもとに辿り着くことを未然に防ぐことになる。

「しかたない。待つか」

 ベルビオも有斗も後宮の西手にある西宮の存在も、そこにいたる抜け道があることも知らなかった。


「陛下、陛下、わたくし安全なところがあることを思い出しましたわ」

 後宮を奥に進む有斗に王女が話しかけたのは、ベルビオと別れてしばらく経ってからだった。

「安全・・・?」

「はい」

「隠れ家とかでもあるの?」

 有斗は四師の乱の時の後宮の奥深くにあった、抜け穴に通じる部屋を思い出した。あの時は周囲全てが敵だったから抜け穴から出なければならなかったけど、もしあの時、時間が経てば援軍が来てくれるというのなら、あの部屋の床下にあった空間にこっそり隠れていればセルノアは助かっただろうな・・・と何度思ったことか。

 そういうのがこの西京にもあるのかもしれない。

「隠れ家というか・・・西宮です」

「西宮・・・?」

「第十八代景帝がお造りになった後宮の別棟です」

 確かセルウィリアが二十六代だから、だいぶ前の王様だな・・・

「もっともお后がたくさんおられた景帝の御世はともかく、ここ百年は使われた記録もあまりないお庭ですけれども。でもだからこそ、その存在を知る者も限られています。あそこであれば反乱を起こした者も気付かと思いますの」

 そういえば・・・王城を接収して見回ったときに、閉め切られた庭園が後宮の西側に張り出してあったような気がする・・・

 そうだな、後宮の中ですら、普通の兵士にはわかりにくい。さらに百年も使われてなかったとなると、その存在を知るものも関西の中でも極わずかだろう。ならばそこに隠れて難を避けるのは悪くない考えだ。

「じゃあ、案内してもらえるかな?」

「はい!」

 セルウィリアは嬉しそうに笑みを浮かべて返事をした。有斗は天使ってきっとこんな顔をしているんだろうな、とその時は思った。


 西宮へと通じる門はかんぬきで塞がれていた。兵に命じて開けさせると、西宮は中央に水をこんこんと湛える池を抱くように、コの字の形に建物が並んでいた。

「へぇ・・・綺麗なところだね」

 たまには掃除もされているのか、廊下はほこりが積もってはいなかった。

 そういえば、東京の後宮の奥のほうは使われていないだけでなく、埃も積もりっぱなしだったな・・・と、またセルノアのことを思いだしては切ない気持ちになる。

 そこだけは何故か静穏が場を支配していた。それが、今が動乱の真っ最中だってことを一時有斗から忘却させた。

 廊下を進むと池の上に張り出すように突き出た建物に入る。

「ここは・・・?」

「西宮の釣殿です」

 部屋から下を覗き見ると池の中に魚影が見えた。

「なるほど釣りをするのに便利に出来てる」

「・・・本当に釣りをするわけではありませんですけども」

「え・・・? 釣りをしないなら、なんで釣殿って言うの?」

 有斗はびっくりしてセルウィリアに尋ね返す。

「さぁ・・・? どうしてでしょう」

 セルウィリアは首をかしげて考え込む。

「昔からそう呼ばれておりますので、疑問を持ったことはありませんでした。そう言われると不思議ですわね」

 ここに住むものも知らないのか、案外名前なんてそんなものなのかもしれない。

「それよりもこちらに面白いものがあるのですよ」

 王女は有斗の袖を可愛らしく掴むと、釣殿から対屋たいのやに引っ張っていく。二人の侍女を守るように、その後を羽林の兵が続いた。

「ここにある鏡石は天下の奇石として有名なのです」

 それは庭園に面した小山の際にある巨石だった。ヌラヌラと上から水が滴り落ちている。磨き上げられたような真平らな壁面は水を含んで鏡のように光を反射していた。

「ほんとうだ・・・鏡のように僕と君の姿が映っている」

「ええ」

「陛下、このような時にお話するのもなんだとは思うのですが・・・お話したきことがあるのですけれども、よろしいでしょうか?」

「え・・・? 僕に・・・?」

 驚きでまじまじとお姫様を見る有斗の目線と目が合うと、セルウィリアは恥ずかしそうにうつむいた。

 そしてかすれるような声で小さくいらえをする。

「・・・はい」

 ・・・

 これは・・・

 これってあれだよね? 命の掛かっている、こんな時にわざわざ一対一でする話・・・他にはないよね?

 そう、アレ以外は。

 これは・・・告白ってやつだろ!!

 もうそこまでフラグが立っていたとは気付かなかったぜ!

 たぶん・・・アレだな。危機を目の前にした男女二人に愛が芽生えるとか言うやつだな! これが世に有名な吊り橋効果ってやつか!!!

 先輩系とか、同級生とか、後輩系とか、姉属性とか、妹属性とか、クール系とか、ツンデレとか、ヤンデレだとか、たくさんの人から告白されたけど姫属性ってのは無かったな!

 これは新展開だぜ!?


 ヒヤッッホホオオオオオオォォォゥウウ!!!


 ・・・まぁどれもエロゲの中でなんだけど。

 つまり学園生活で一回もなかった、リアルにおけるバラ色の展開キタコレ!

 なんだか急に反乱を起こしたやつを褒賞したい気分だ!

 有斗はできるだけにこやかかつ爽やかに、笑ってみる努力をした。

「うん、いいよ!」

 王女はこの騒乱がよほど怖かったのか、人がいないことを確認しているのか、しきりに辺りを見回していた。やがて安心したらしく、有斗ににこやかに笑いかけた。

「わたくし、陛下に個人的に恨みを抱いているわけではございません」

「う・・・うん」

「それだけはわかっていただきたいのです」

 なんだそんなことか。きっと戦争をしたから、僕が関西の全てを嫌っているとか思い込んじゃったんだな。有斗はセルウィリアの言葉を自らに都合のいいように解釈した。

「それは僕もだよ。関西と争ったりもしたけどそれは天下国家のためだ。君にも関西の民にも悪感情を持っているわけじゃないよ」

「よかった」

 王女はそれだけ聞くと顔じゅうに喜びの表現をあふれさせた。

 さぁ、来るぞ、と来るべき愛の告白に身構えている有斗に向かって、セルウィリアは顔を上げた。

 そして有斗に、いや有斗の後ろにいる人物に、こう言った。

「バアル、当初の策とは異なりましたが、ここに来ることが叶いました。でも偽王を連れてくることになったのですから、むしろ好都合でしょう」

有斗を見るその目は冷たかった。まるで触りたくもない虫を見るかのような本当に冷たい目だった。

「・・・!?」

 ぎょっとして振り返ると王女様の侍女の向こう、有斗についてきてくれた五人の羽林の向こうに人影があった。たちまちのうちに一人の羽林が切り殺された。凄まじい手練てだれだ。

「後はお願いいたします」

「・・・・・・御意」

 影は数を増し、西対にしのたいを取り囲むようにゆっくりと移動する。

 五・・・いや十はいる・・・!

 その手には剣か短剣が握られていた。あまり友好的な目的があるとは言いかねる集団だ。

「こういうことなのです。ごめんなさいね」

 王女は有斗からさらに離れ、いたずらっぽく笑った

 そして背中を向けると、一切有斗のほうを振り返ることなく別辞の言葉を述べた。

「さようなら、

 有斗は顔面から血の気が引いていくのを感じた。


 一方、ベルビオはその後も後宮の奥へ行こうとする敵を阻止すべく、廊下に仁王立ちして待ち構え続けた。

 だが期待に反して現れた数は少なく、わずか二人だった。しかも自慢の腕を振るうまでもない手ごたえのない相手だった。

 ベルビオは何度も首を捻る。おかしい、こんなはずではないのだが。

 押し寄せる幾千の敵、それをたった一人で防ぎきる。壁は血で赤く染まり、死体で埋まる廊下、その中で一人立つ勇士ベルビオ。アメイジア中にベルビオの名前が知れ渡り、女にもてまくる。そんな未来予想図を思い浮かべていたのだが。

「あっ、若!」

 前から現れたのはアエティウスに率いられたダルタロスの兵だった。

 長い苦闘の末、アエティウスは遂に建礼門から敵を叩き出すことに成功した。これで正面から内裏に敵が入り込むことはもうない。後は王城内だが、そちらも順調に片付いているという。時間の問題だろう。城外にいた部隊も、南の門から西京内に入ることに成功したとの知らせも入っている。だが問題は建礼門以外の門から後宮へ入った敵のことだ。門を奪還し、その場にいた生存者から聞いた情報を整理すると、少なくない数の兵が後宮に入ったと思われるということだった。その中にはバルカ卿という大物もいるという。

 ここに来るまでにその一部と思われる兵たちと交戦し破ったものの、数が合わなかった。それで全てだとは言い切れない。

 とにかくまずは有斗と合流し、その身を守ることだ。アエティウスはそう思って後宮を奥へと移動中にベルビオに会ったのだ。

「・・・」

 だがアエティウスはそこに有斗の姿を見つけることは出来なかった。

「陛下はどうした?」

「さらに奥に逃げていただきやした。戦闘に巻き込まれて怪我でもさしちゃいけないと思いましてね」

 ベルビオはアエティウスから褒詞を貰えるものだとばかり思っていた。しかしアエティウスから返っていたのは怒声だった。

「馬鹿、何故離れた!!」

「へ・・・でも・・・俺はここを守っていたんですよ。この先には猫の子一匹通しやしねぇ」

 得意顔のベルビオにアエティウスは一喝した。

「屋根伝いや縁の下を通って敵が移動したとは何故考えぬ! 敵の狙いは陛下か王女だ! 急げ!」

「は・・・はいっ!!」

 王は掌中の珠なのである。今の政権は色々な思惑を持った者が、王を奉じることでまとまっているだけの極めて不安定なものなのである。

 もしここで王が敵の手にかかれば大変なことが起こる。王の後は誰も継ぐ事ができない。関東の朝廷は全てが崩壊する。

 こんなことならアエネアスを連れてくるべきだったか。アエネアスなら、王にわざわざ信頼できるものを選んで近侍させている、アエティウスの意図を理解して離れなかったことだろう。

 アエティウスは焦った。

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