第115話 白鷹の乱(Ⅱ)

 有斗が出て行くのをニコニコと笑みを浮かべて見送ったアリアボネは、視界から有斗が消えると崩れ落ちるように椅子に腰を落とす。

「・・・ふぅ」

 体調が優れない。

 いや・・・違う。少し疲労がたまっているだけ。ただそれだけ。そう必死に自分に言い聞かせる。

 おかげで頭も上手く働かない。いつもの自分なら一刻で片をつけられることを始末するのに、二刻も三刻も必要だった。

 少し目を閉じて休まないと・・・

 と、机の端に見慣れないものが置かれていた。竹簡だった。

「またラヴィーニアからね」

 何か思いついたのだろう、関西の処理の仕方だとか、東西の合一王朝の運営の仕方とか。

 とはいえ今は何かをじっくり考えることもままならないし、やるべき仕事も山ほどある。竹簡を後ろの棚の未処理の書類の横にそっと置くと、アリアボネはしばし休憩を取る。

 椅子に深く腰掛けると、すぐに小さく寝息を立てて、夢の世界へと沈み込んだ。

 アリアボネはこの時、ラヴィーニアからの竹簡を直ぐに見なかったことを後々深く後悔することになる。


 それは当初はありふれた小さな騒乱であると思われていた。

 権力者が変わったのだ。いままで不合理を押し付けられていた者は、それを解消するいい機会だと新しい権力者に訴えたり、古い権力者に牙を剥いて襲いかかり、自力救済を図ろうとするものだ。

 互いに互いを疑い、人心は揺れ動き、不安定な状況が爆発して暴力沙汰になることは、ままあることだった。

 その騒乱もそんなことででもあろうと見られていた。

 先の左府邸前に集まった大勢の人を見ても、市中見回りの兵は「一旦事が起きれば、権門も大変だ」、などと笑いながら、ただの一兵卒に過ぎない自分たちでも、今の先の左府からしてみれば羨ましい限りだろうなどと言うばかりであった。

 だが、それは擬態だった。

 一見左府に訴えることがある、そういった上奏文らしき物を持ったものや、門前にて左府の家司に詰め寄るような演技までしていたが、勘のいい観察者が見れば、家司に話している内容も角の立ったものでもなく、ただ漫然と集まっていることに気付いただろう。

 さらにもしこの時、西京全域を同時に見ることが出来る目を持つものがいたら、そういう集まりが同時に何箇所かあり、合計すれば無視できない数の人数になると気付いたであろう。


 それは街中に正午の鐘が鳴り響いた瞬間から始まった。

 正午と言っても、この時代に昼食を取る習慣はないので、普通の民にとっては一日も半分終わったなぐらいの感覚である。一日三食の世界から来た有斗などは、関西との戦争も終わって一息ついて軍事出費も減るだろうし、関西分の増収もあるだろうし、なんとか皆を言いくるめて一日三食にできないかなぁなどと、やることもなく頬杖をついて窓から外を眺めて暢気のんきに考えるくらいだった。

「・・・?」

 なんだろう、あれは。随分人が集まっているな。さすが西京だ、賑わっている。きっと大安売りか何かで人が詰め掛けているんだろうな。


 有斗が見たそれは左府邸前に集まった元関西王師の兵たちだった。

 正午の鐘と共に、左府邸から一斉に鎧兜を着た武者が数多あまた出てくる。同時に黒い大きな長櫃ながびつが街路まで運ばれて、そこに集まった元王師の兵たちに次々と武器が手渡されていく。

 同じ光景は反乱に加担した元関西の朝臣たちの家々の前で見られた。

 それを見た西京の住人たちは腰を抜かし、悲鳴をあげ街路を逃げ惑った。西京の街路という街路は狂乱の坩堝るつぼと化した。

 武器を手にした者たちは街路を疾走する。出会った関東の兵は波に砂の城が崩されるがごとく人の波に呑み込まれた。

 なにしろ人数が違いすぎた。反乱兵は次々と主な街路の辻を占拠し、彼らが動きやすいように人の流れを止めた。

 その後、反乱側はいくつかの隊に分かれ京の各門へと派遣される。

 彼らの説得に応じて味方する者もいたが、歯向かうものは実力で排除し城門を次々と確保した。

 門を全て閉めることさえできれば、郊外に駐屯する関東王師が西京に入れなくなる。

 だが西京内には五千の関東王師左軍の兵、三千の関東王師中軍の兵がおり、王城に二千ほどの関東王師中軍の兵、一千ほどの関西出身の羽林と金吾の兵がいる。

 反乱側は武器も少ない。ここまでは先攻した者の強み、全て上手くいっているが、ここからが問題なのである。


 同時に王城内でも戦いが始まっていた。

 武装した兵士が何故か宮門をさえぎられること無く通り抜けて入り込み、関東の兵に襲い掛かってきた。

 すぐにその理由は判別する。その兵たちの中に多くの金吾や武衛の兵も加わっていたのだ。つまり内通者がいたのだ。王女も降伏したし、関西の兵もこれからは同じ王に仕える者同士だ。特に配置換えとかはする必要もあるまい、という有斗の寛大な方針が裏目に出た。

 既に敵は内裏の前に達し、承明門前まで敵は迫っていた。

 だがそこから先は王師中軍のそれもダルタロスからり抜いた兵たちが詰めている。

 勢いに乗って攻め込んだ反乱軍だったが、そこで壁に当たったかのように跳ね返された。

 アエティウスの手元には少ない兵しかいなかったが、門と言う立地を生かして戦うことでで衆を圧倒した。

 敵の目的は明確だった。王か女王なのである。だが目的がなんであれ、どちらにせよ女王が中にいる限り、敵は火攻めなどの極端な戦術を取れない。

 ならば防御側のほうが格段に有利と言えるだろう。

「とにかく今は目の前の防げ! それだけでいい! 時間が経てば西京内の兵が駆けつけてくれる、それまでの辛抱だ!」

 実際、増援が来るかどうかはアエティウスにも自信が無かった。だが戦う兵の手前、そう言うほかはなかった。まさか敵の総数もわからない。だからこちらも援軍が来るとは限らないが、とりあえず戦え、などと言ったら兵が逃げ出すことは確実だった。

 王城内には二千の王師中軍の兵がいるが、内裏前まで敵が達しているということは、恐らくどれも敵と交戦中だろう。合流できるかすら不明だ。

 王都内にはエテオクロスと王師左軍がいるが、そちらも当てに出来ないかもしれない。

 もし敵の総数が予想を下回る数だというならば、敵はおそらくまず、いの一番に王城の宮門を全て押さえるはずだ。

 増援を食い止めるためにも、王を王城から逃がさぬためにも必ずそうする。

 もし敵の数が多いとしたら・・・そこでアエティウスは愕然とある可能性に思い当たった。

 敵の王師の存在を忘れていたことを。彼らは武装解除したが、その多くは未だ王都に留まっている。もし、敵が何らかの方法で十分な数の武器を手に入れさえすれば、三万を超える兵が瞬時に誕生するというわけだ。その数は王都内の関東の兵の総数より多い。

 ・・・つまり、どちらにせよ増援は期待薄と言うことだ。

 なんたる失態! こんな簡単なことにも気付かぬとはどうかしていた・・・!

 アエティウスは己の不明を恥じるように天を見上げた。


 騒ぎが起きてしばらくのち、有斗の部屋の前で護衛についていたベルビオが入り込み、有斗の腕を掴むと外に連れ出した。

「陛下、ここにいると危険です! 移動しやしょう!」

 まったくベルビオの言うとおりだった。王宮内で一番いい席に、すなわちこの王室に有斗がいることは皆知っているはずだ。そして関西の人間ならば王室がどこにあるか、誰でも知っている。このままここにいれば、敵に襲ってくれと言ってるのと同じだ。

「アエティウスかアリアボネと合流できないかな?」

「若はどこにいるのかわかりません! アリアボネ殿との部屋との間は敵がいます。その敵の数がわからない以上、そちらに向かうわけにはいきませんぜ」

 つまりアエティウスやアリアボネとは連絡が絶たれたということか。

 アエティウスはどうしているのだろう・・・、でも有斗と違って腕は立つからたぶん大丈夫のはず。

 どちらかというとアリアボネのほうが心配だな。病み上がりだし。

「敵は誰で、どのくらいの数なのかな?」

 有斗はベルビオに尋ねる。戦いはまず敵と味方との戦力差を知ることからだ。

「数は少なくない感じですね。耳を澄ますとわかるんですが、王城内だけでもあちこちで騒ぎが起きてます。敵の正体はおそらく元関西の王師の兵といったところでしょう。戦い方が素人じゃない」

 部屋の外には羽林の兵が五人、辺りを警戒しつつ立っていた。

 そのうち二人を現状把握と兵を集合させることを目的に、紫宸殿の方へと偵察に出させた。

 ベルビオは羽林の兵三人と共に有斗を警護し、奥の後宮の方へと後退する。

 何事が起きたのか不安そうな眼差しの女官たちとすれ違いながら奥へ奥へと進んだ。


 西京内の王師の駐屯所もたちまち雲霞うんかの如き現れた敵兵に囲まれた。関西が降伏したことで敵がいなくなったと油断していた王師は、まさかの敵襲に狼狽した。

 劣勢に陥りそうな王師を立ち直らせたのはヒュベルの超人ぶりだった。

 敵の襲撃に鎧も着ずに戟を手に立ち向かい、右に左に振り回すと触れた敵兵は片っ端から倒れ伏した。そうなるとヒュベルが大きな喚声を上げただけで敵兵は怖気づき、じりじりと後退した。

 王師は落ち着きを取り戻した。やがて鎧も武器も十分な関東のほうが優位になっていった。

 エテオクロスは陣形を組み、駐屯所の前に立ちふさがる反乱兵を槍を揃えて突き破った。

 そして周囲の反乱兵には目もくれず王城に向かった。これは雑魚に過ぎない、兵を二分する愚を犯さず、王の元に向かうべきだ。

 規模はわからないが、これはとにかく関東に対する反乱と見ていいだろう。だとすると標的は王であろうと、エテオクロスは判断した。

 王城に兵を集め、篭城すれば、例えこれが万を超える兵の反乱だとしても、郊外の軍が来るまで、持ちこたえることが出来る。

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