第113話 月下の恋人

 窓を開けると冬の風が部屋になだれ込み、書類を巻き散らして部屋の主を慌てさせた。

 だが風は真冬の凍てつくような冷たさはなくなり、もう少しで訪れる春を予感させるものだった。

 すっかりすることがなくなり、鹿沢城で暇をもてあましていたラヴィーニアの元にガニメデから接収が無事終了したとの報告書が届いた。

 鼓関に入った最初の関東将軍ということの喜びを延々と書き連ねていて、肝心の報告がいつまで読んでも登場しないことにラヴィーニアは苦笑する。適当に斜めに読み飛ばすと、やっと肝心の記述に辿り着いた。

 武装解除したことで大量の武器、防具、そしてわずかではあるが軍資金と兵糧を手に入れたことと、その数が明記されていた。

「妙だな・・・」

 報告書を最後まで読み終えると、ラヴィーニアは眉をひそめて考え込む。

 兵糧が少ないのはまあいい。敗戦処理のどさくさに着服したり、闇に流したりして無くなるのは、まま見られる光景だからだ。・・・こっそりガニメデが横領していないとも限らない。

 同じ理由から金が少ないのも理解できる。

 だからこの二つが少ないのは、まぁ無視できる範囲内だろう。それに誰かの手に渡っても比較的害は少ない。

 問題は武器防具だった。

 一見問題ない数値に思える。だが矢の数が少ない。弓の数に対して三倍しかない。ありえない話だった。

 それを考えに入れてもう一度見直してみると、なにもかもがおかしな数字に見える。剣、槍、鎧も兜も武装解除した人員より多い。だが鼓関は関東に対する最前線の城なのである。予備の武具が全て一割を切っている。これだけでは少なすぎる。

「・・・どういうことだ?」

 一刻(二時間)あまりも天井とにらめっこしていたラヴィーニアだったが、ふと一つの可能性に思い当たると、西京にいるアリアボネに手紙を書き始めた。


 左府が出入りの商人に連れられ、入った館のその部屋には、黒く大きな箱がうず高く何個も積まれていた。

 商人が左府に見せるため一つの箱を開くと、そこには剣が綺麗に並べて入れてあった。

「これが全部武器だと・・・!」

 その箱の数に左府は生唾を飲み込んだ。

 商人に頼んでは見たものの、まさかここまで集まるとは思ってもいなかった。

「それはもう・・・苦労して集めましたから」

「しかし・・・この数はいったい・・・こんな短期間にいったいどこから・・・?」

「武装解除した関西王師の装備はいったいどこへ行ったのでしょうね?」

「・・・どういう意味だ?」

 勘の鈍いやつめ。よくそれで関西の左府などという重職をやってきたものだ。

 それともこの程度の人物が左府だから、関西は滅びたというわけか。

「押収された武器防具は武部省が管理しております。武装解除した後は関東の誰も関心がなくなっています。管理責任者に大金を握らせ、横流しをさせたのですよ」

「なんだと!!」

「ですから安心していただきたい。品質は折り紙つきです」

「しかし・・・ことが失敗したら、武器の出所は追及される。そなたの身にも危害が及ぶやも知れんぞ」

「このガルバ、関西で生まれ関西で育ちました。関西の恩義に報いるのはこの時です。どのような難儀に会っても後悔はいたしませぬ!」

 自身が思ってもいないことが次々口から出てくることに、おかしなことではあるが、言っている当の本人のガルバが大いに驚いていた。どうも人は嘘をつこうと思えばいくらでもつくことができる生き物らしい。

「すまぬ・・・わしら公卿がしっかりしなかったばかりに、そなたら民にも迷惑をかけてしまった・・・」

 まったくだ。お前らがもう少ししっかりしていれば関西は関東に負けなかったのだ。関東の王を始末するために、我らがこうして危険を冒す必要もなかったものを。

 だが顔には一切、その色を出すことなく、ガルバは悲痛な面持ちで神妙に控えていた。

「ここまでしてくれたのだ。そなたらの期待は決して裏切らぬぞ!」

「その言葉を聴けただけでもこのガルバ、武器を揃えた甲斐があったというものです」

「我らには王師の精鋭も多数いる。」

「ご武運をお祈りいたします」

 そう、容易く負けたりしてもらったら困るのだ。派手に暴れてくれないと。その混乱の先に自分たちの大事な女王たからものが死ぬとも知らずに。せいぜい頑張って我々の為に、関東の王を慌てさせてくれよ。できれば命を奪ってくれると我々としても手間が省けて大変ありがたいのだが。

 ガルバはさも関西に忠義をたてているかのような風体をしていたが、心の中ではそんなことを考えていた。


「姫様。それでは今日は失礼いたします」

「ごくろうさま」

 侍女は頭を下げると音を立てぬようにゆるやかに扉を閉めた。

 彼女はわたくしを王女として変わらぬ扱いをしてくれる。でも・・・実際は囚人のように感じていた。

 閉められた扉の向こうには警護の兵がいる。だが今まで仕えてきた羽林は追い出され、代わりに付いたのは護衛と称する監視。いつも私の動向を見張っている。おそらくあの男にわたくしの行動は逐一報告されていることだろう。

 セルウィリアは庭に面した窓を開ける。冬の風が頬を撫で、月光が彼女を照らした。

「今日も何もなかった・・・」

 彼女はすっかり困惑していた。

「どういうつもりなのかしら・・・」

 敗戦時の女の運命ほど悲惨なものはない。よくて妾、愛玩具、悪ければ大勢に犯されたあげく、奴隷として売り払われる。それが戦国の道理。

 だが、あの男はわたくしにまだ手をつけてない。別にあの男が好きなわけじゃない。あのモジモジした話し方、ナヨナヨとした態度には、むしろ嫌悪感さえ感じる。もし、あの男がわたくしに触れたら・・・と思うとぞっとする。

 でも、手を出されていないという事実にイライラしている自分もいるのだ。

 わたくしはあの男にとって、手を出す価値もない存在だと言うのだろうか?

 それは女としてのプライドが許さなかった。

 関西の宝玉、崑崙の白百合と称される、宮廷諸氏の憧れの的。それがわたくしのはず。

 だから彼女はその日が来るのを恐れると同様に、その日を待っていた。

 それにどうせ残酷な未来が必ず訪れるというのなら、早いほうがいい。もしかしてあの男は見かけによらず実は紳士で、わたくしに手を出さないのではないかというような、ありもしない希望にしがみつくこともなくなるのだから。


「王女殿下」

 どこからか男の声が小さく聞こえた。

「ご無事ですか」

 それは雲間から覗く、わずかな月明かりに照らされた、庭の木陰に寄り添って立っている剣を持った影から聞こえた。


 刺客!?


 一瞬腰が引ける。

 男は回りに目を配りながら、草むらをかき分けゆるゆると近づいてくる。

 近づくにつれ窓より洩れる明かりに照らされたその顔を見て王女は安堵した。バアルだった。

 テラスに出て、身を乗り出して辺りをうかがい、王女も庭には監視の者がいないことを確認してから、声を低くして話しかける。

「大丈夫です。それよりあなたは?」

 どうしてここにいるのだろう・・・? 追われているのだろうか。

「鼓関で関東の諸将と長年争って来たあなたの身こそ、わたくしは心配しておりました。いちおうあの者は、あなたの生命の保証はすると言ってくれましたが、それでも心配で心配で・・・」

 向こうは勝利者であり王だ。機嫌の居所が悪ければ約束を撤回し、バアルを殺すかもしれない。だがそれを止める手段をセルウィリアは持ってはいないのだ。

「だって誰よりも関東の官民に恨まれているはずですもの。怪我は? 危害は加えられませんでしたか?」

「いえ。鼓関を引き渡した後、あっけなく開放されました。処刑も覚悟していたのですが」

「それはなによりです。・・・よかった」

王女はそっと両手を胸に押し当て、安堵して見せる。

「私のことなどお気になさらずに。姫陛下の御身に何か起きてないか心配だったのです」

「ありがとうバアル」

 バアルはいつもわたくしのナイト。幼き時からそれは変わらない。

「でもたとえ私がどんな境遇に落ちたとしても」

 虚空を見上げ手を月に差し伸べ、セルウィリアはうたうように言った。

「体をもてあそばれたとしても、端女はしためとして酷使されても、生きたまま体を裂かれたとしても、いいえ例えわたくしの死体を見世物にしたとしても・・・」

 セルウィリアは自分の言葉に陶酔したかのように、だんだんと大仰な動きになった。まるで演劇だ。

「それで関西の民や官に被害がないのなら、私はどんな恥辱も、どんな苦難も笑って受け入れます」

「王女殿下・・・」

 バアルはそう言うと顔を伏せ考え込んでいたが、目線を上げて顔をセルウィリアに向けた。

「私に考えがあります。王女殿下のお許しを得られるのなら、ここから殿下を救出する方針で皆と策を立てたいと思います」

「今?」

 セルウィリアは顔に喜色を浮かべる。抜け出すなら一刻も早いほうがいい。いつ関東の王の毒牙にかからぬとも限らないのだから。

「いいえ・・・さすがに今すぐと言うわけにはいきません」

 今日は警備の中、幾重もの高い壁を乗り越えてきたのだ。バアル一人ならともかく、非力なセルウィリアを連れてはとても脱出することなど叶わないだろう。

「どのような策ですか?」

「もう少し形になるまで口に出すのは・・・最後には王女殿下のご助力が必要になると思いますので、その時にでも」

「危険なまねはおよしになってね・・・わたくし、あなたを失ったら、とても悲しいわ」

 その言葉にバアルは微笑んだ。

「大丈夫です。きっと王女殿下を姦夫どもの手から解き放ち、この監獄から救い出してみせます」

 王女がそっと手を差し出すと、手袋に軽くキスをすると一礼して、再び闇の中に溶け込んで消えていった。

 王女は立ち去るバアルの後姿を窓際でずっと眺めていた。姿が消えてから五分は立ち尽くしていた。

 ようやく窓を閉めカーテンを引くと、セルウィリアは解放されたように大きく伸びをしてみせた。

「少し、芝居が過ぎたかしら・・・」

 過剰演技だった気もする。でも、囚われの悲劇のお姫様、彼がわたくしに望んでいる姿、それを演じてみたつもりだった。

 にしても何をするというのだろう・・・

 もう戦おうにも味方はいない。関西の諸候も降伏すれば本領安堵だと知ると、尻尾を振って寝返った。わたくしたちは負けたのだ。

 でも、まぁいいか、とセルウィリアは思った。わたくしを救出してくれるのなら。

 亡国の姫君とそれを守る一人の勇敢な騎士、そんな物語のような展開もいいかもしれない。今の牢囚と客人まろうどの合間のような神経を使う不安定な生活は嫌だった。

 バアルならきっとわたくしを大事にしてくれるだろう、セルウィリアはそう思った。

 この窮屈な生活よりは何倍も良いに違いない・・・

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