第109話 王女の命
諸侯に頭を下げ、出入りの商人には駆けずり回らせ、なんとか兵糧をかき集めたバアルは、鹿沢城に再出兵しようと準備を進めていた。
関西に関東の軍勢が侵入したという知らせが鼓関に届いたのはそんな時である。それもまもなく西京に到達するという。
何故北辺の防壁が破られたのか、何故西京に近づくまで軍の存在に気付かなかったのか、北辺から西京までの諸侯はいったい何をしていたのか、そういった重大な問題に対する解答は第一報では一切入ってこなかった。
だから、バアルがこれを敵の策略と取ったとしても誰もそれを責めることはできないであろう。
極少数の騎兵で北辺の防備を潜り抜け電撃的に西京に奇襲をかけた。そういった無謀な作戦だと判断した。
むしろそうなると危険なのは鼓関。
鼓関から西京救援に兵を出せば、関東は全力を上げて鼓関を攻略するかもしれない。
というより西京攻撃が囮で、鼓関陥落が主目的の作戦だということもありうる。
それに西京には王師三軍三万がいる。西京は高い塀を持つ鉄壁の城でもある。例え関東の兵が万を超えていたとしても、そうそう落ちるわけはないのだ。それに騎兵の奇襲なら万以下であろうとの見通しがあった。
よってバアルは鼓関の奇襲に備え出兵を見合わせ、警戒を厳にすることで対応した。
やがて西京から救援の要請と共に続報が飛び込んできた。ところがそれによると、関東勢は五万の大軍で、しかも北辺の諸侯の中で関東に味方するものまで出たという。
さらに信じられないことになんとステロベ卿が裏切ったという。ステロベはバアルと同じく廟堂に席を持ち、軍を指揮することが出来る関西の重鎮だ。王家への忠誠心も高いと見られていた。何故裏切ったかその理由がわからない。
それに裏切ったということもバアルには衝撃的だったが、なによりその影響力を危惧した。
ステロベが裏切ったということは、関西諸侯の裏切りに対するハードルが低くなったと同時に、ステロベが関西よりも関東に王朝の正当性や優劣や正義があると見たと、諸侯が考えることが一番怖かった。諸侯に裏切られたら関西は終わりなのである。それを防ぐにはすぐさま敵と戦うしかない。
だがそれでもなお、バアルは出兵をしばし
もし西京を守りきったとしたら、関東は恐らく大被害を出して撤退するだろうが、その時鼓関を奪われてしまったら、今度は関西が一転して危機に陥るのである。
現に鼓関には毎日偵騎が来ていた。
実際はヘシオネにもラヴィーニアにも、そんな兵力も意思もなかったのであるが、神ならぬ身のバアルにはそれがわかろうはずもない。
結局二週間たって攻撃がないのを見極めて、バアルはやっと一万の兵を率いて西京に向かった。バアルは強行軍で急行したが、四日後、ゼルカンの峠で西京からの知らせを受け取った。
それはあってはならないと希望的かつ無意識的に思考から除外して、それでいて本心では一番その可能性があると思い、なおかつ恐れていた最悪の事態だった。
既に五日前に決戦は終わっており、西京は陥落し、王女は降伏していた。関西は滅びていたのだ。
有斗はアリアボネと王師将軍、軍監を集めて関西における緊急案件について話し合った。
まず関西の官吏は現官のままとどめおき、望むものには退職を許す。降伏の意思を示す諸侯は本領安堵を認める。王師は一旦解体するが、来年中には再編成して再建する。今の関西王師出身者で望むものはその新軍に優先的に登用する。鼓関の将士に投降を呼びかける。
だが最後の議案が意見が分かれた。
それは王女の命についてである。
「殺すべきです」
王師左軍将軍のエテオクロスは真っ先にそう主張した。
「彼女がいる限り、関西の臣下は陛下に忠義を尽くさぬでしょう。担ぎ出されて反乱の御輿にされることもあるでしょう。そうなれば数千の兵が死に、万余の民が苦しむのです。今なら彼女一人の犠牲で済みます。後顧の憂いを立つためにも王女には死んでいただくべきです」
その意見にリュケネも軍監たちも同意を示した。
部外者の有斗には分からないが、どうやら関東と関西の者の間にある心情的な嫌悪感や反発心は相当大きなものがあるようだ。だけどそれはいくらなんでも物騒じゃないか。
と、そこにアエティウスが手を上げて発言した。
「生かして殺すべきです」
アエティウスの口からも物騒な言葉が出たことに有斗は唖然とする。
「王女を殺すのは賛成です。危険な要素になりうるのですから。ただ、まだ民心なつかぬこの時期に殺しては、関西の民の反感を買うことになります。諸侯や王師も立ち上がって内戦になるやもしれません。それに鼓関に篭られては、我々は関東と関西に分断されてそれぞれ孤立します。非常に危険な事態と申せましょう。ですから王女の助命を餌に鼓関を接収し、王師を武装解除して、諸侯から臣従の誓いを受け入れてからゆっくりと殺しましょう」
いくら戦国の世だからって、それはちょっと卑怯じゃないかな。王がそんなことしていいのかな? マシニッサじゃあるまいし。
しかし物騒な意見ばかりだ。救いを求めるように周りを見渡すが、どうやらこの意見にも賛意を示す者はいれども反対する者はいないようだった。
と、取り澄ましたアリアボネと目が会った。分かっておりますと言うように、にこりと微笑んだ。
「生かすべきです」
立ち上がったアリアボネは、王女の生と死の得失を持って説いた。
「関西の民は我々に対して不安を抱いているはず。王女を生かし、それなりの待遇で扱えば、関西の民も安堵しましょう。民心を掴まずして国家の安定は成り立ちません。ここは彼女を貴賓として扱いましょう。もちろん監視の目はつけますけれども。そもそも王女を殺すのなら最初に殺すべきでした。一度投降を受け入れた者を殺しては、天下の心を失います。この後、陛下を信じて降伏する諸侯がいなくなるのですよ。以降の戦いは決死の覚悟の敵と、最後の一兵にいたるまでの殲滅戦をすることになるのです。そういう愚は犯すべきではないと愚考します」
「その意見を取ろう」
有斗は穏健かつ、自分の意望に沿ったアリアボネの策を採用した。
「陛下!」
将軍たちは一斉に立ち上がることで反対の意であることを示した。
関西の女王はサキノーフ様の血を引く正当なる皇位継承者なのだ。
サキノーフ様に対する信仰心は根深く根強い。有斗は召喚の儀で呼ばれた天与の人ではあるが、この世界の人間でない。そのところが民衆から敬われることになる一方、有斗に対して民衆は親しみを持たない。関西の女王と有斗と、どちらがこの世界の正当な王かといえば、関西の女王と答える者が多いのが実情であろう。つまり関西の女王が生きている限り、有斗は王位の正当性について疑問符がついてまわるということだ。
だからこそ、それが分かるだけに将軍たちは王女を殺してしまうべきだと主張しているわけだ。
ぶっそうな意見ではあるが、それだけ有斗のことを思ってくれている発言なのだ。それは実に感謝している。
だけど・・・
「皆の意見もよく分かる。だがここはこの案を取らせて欲しい。天下の民と諸侯に対し信を持って天下を治めると宣言した僕が、一度投降した者を殺しでもしたら二度と誰も僕を信じてくれないだろう」
「・・・」
「それに例え関西の王女を殺したとしても、サキノーフの血を引く人間が消え去るわけじゃない。関西再興を願う人たちは別の誰かを担ぎ出して反乱を起こすと思うよ。なら、むしろ王女一人を見張っているだけでいいほうが楽だと思う」
「・・・」
「頼むよ」
有斗が念を押すように言うと、諸将も強くは出れない。
「陛下がそこまでおっしゃるのなら・・・」
不満は溢れ出るように顔に現れていたが、諸将は王の考えだからとしぶしぶ納得した。
それと前後して関西諸侯の臣従も少しずつ進んでいた。
もはや王師が敗北し、王女が降伏を宣言した以上、反抗しても無駄なのは彼らとてよくわかっている。とはいえ関東の軍門に素直に下るのは誇り《プライド》が許さなかったし、体面というものもある。
セルウィリアはどちらかと言えば、全てに消極的な女性。熱心に国務を取る王ではなかったけれど、彼らは彼らなりに女王を敬愛してもいた。
だからどの諸侯も有斗に臣従するのに条件を一つつけた。王女にひと目会うことである。
どうやら僕を信用できるかできないかの判断に、王女が本当にちゃんと生きていて、王女に相応しい待遇で処遇されているかで判断したいらしい。
やはり王女を生かすことにして良かった。その時、心から有斗はそう思った。
「王女陛下にはお変わりなく」
「まぁ・・・もう、私は陛下ではありませんよ。陛下は別におられます」
それはセルウィリアの心からの言葉であったのだろうか、それとも身の安全を図るために心ならずも話さなければならない保身だろうか、ちらと女王を伺い見るも、そこには以前の宮中とで会ったのと同じ貌をしたセルウィリアがいただけであった。
「この様なことになったのも、このポリュドロスにも責任の一角はございます。申し訳ありません」
「いいえ、先の戦では過分の働きをしてくれたうえ、
その女王の言葉にポリュドロスは
「陛下もお健やかにお過ごし下さい」
再び陛下とセルウィリアのことを呼んだが、セルウィリアはそれを再び
「ありがとう」
王女の無事の姿を見た諸侯は安堵し、次々と帰順を申し出る。
そしてどの諸侯とも同じような会話で、特に注意をはらうような言動はなかったことが有斗には報告された。
「まだ帰順していない諸侯はあと十四だったっけ?」
「反抗を示している諸侯はいるのかい? アリアボネ」
アエティウスが武を使うことになるのかアリアボネに確認する。
「いえ、書面では既に投降の意思を伝えております。ただどの諸侯も遠方のため到着が遅れております。諸侯の動向や意思を探っていたのでしょう。それでこのような遅さに」
「そっか。よかった」
有斗は機嫌よく頷く。もし反乱でも起きたなら兵を動かさねばならない。河東のことが気になっている今、できるなら直ぐにでも東京にでも帰りたいところだ。
「周囲を探ってから降伏を決めたのは、もし挙兵するものがいれば、それに同調するためか、様子見をしようとしていたのであると考えられます。それを考えると、少なくとも陛下に心から臣従したわけではないということでしょう。彼らの動向に十分にお気をつけください」
アエティウスの意見は
何かをきっかけに暴発しかねない。
「うん。気をつけるよ」
有斗はわかっているとばかりにゆっくり頷いた。
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