第108話 社稷の臣
関西が陥落する頃には、ラヴィーニアの元には再び各地から商人が来るようになった。
その商人たちはいつぞやラヴィーニアの元を
「これが今回お預かりしていた米の売却額です。その利益に相当する軍票はお返しします」
セルギウスは一つの帳面と束ねられた軍票をそっと差し出した。さっと書類に目を通したラヴィーニアは軽く驚いてみせる。
「結構、高く売れたね」
「そりゃあカトレウス様はお金持ちですから。必要とあれば五倍でも十倍ででも買っていただけましたよ」
カヒ家は肥沃な七郷盆地を押さえ、多数の金鉱を抱えているアメイジア一の富豪でもある。
「あるところにはあるものだ」
ラヴィーニアは関東の国庫を思い出して
カヒはラヴィーニアの頭の中ではいつも戦をやっているイメージがあった。これだけあれば確かに年中戦をやっていられるわけだ。
ラヴィーニアは返却された軍票の総額を確認すると、機嫌よく揉み手で愛想を振りまいているセルギウスに意地の悪い笑みを浮かべた。
「あたしに便乗して買い込んでいたらしいね。さぞかし儲けたんだろう?」
「いや、そりゃあ少しは私も買い占めましたが、ラヴィーニア様の取引量の何分の一でしかありませんよ。それに軍票には利子がつかないんですから、多少は多めに見てもらわないと」
「別に責めてるんじゃないよ。いいさ、商人は儲けるのが仕事だ」
ラヴィーニアの言葉にセルギウスは頭をかいた。
「ラヴィーニア様は何が仕事なんですか?」
普通に考えればこういった
「この戦国という危急存亡の
「でもラヴィーニア様は今の陛下に一度反乱を起こしませんでしたか? それはその考えに反してませんか?」
「言ってくれるね」
痛いところを突かれたのかラヴィーニアは苦笑いを浮かべる。
「すみません。ご不快でしたか」
セルギウスは慌てて頭を下げる。
「・・・いいさ、本当のことだ。それに王と国家はひとつではない。王がいなくても国家は存続できるが、国家無くして王は存在し得ない」
そして商人の前では見せたことのないほど真面目な顔で語り続ける。
「あの時の王は国家の微力、民の苦難を顧みず新法を急速に推し進めた。あんな王ならいないほうが良い。その気持ちは今もまったく揺るぎもしない」
「へ? じゃあ何故、今も陛下の下で働いているんで?」
セルギウスは前後矛盾しているのではないかと不思議な顔でラヴィーニアを見た。
「今の王はあのころの王と変わったからさ。世の実情を顧みて、慎重に政を行うようになった。ただ出兵が多すぎるけどね。でも良い王か悪い王かといったら、良い方に入るからさ。これなら王がいる現状を認めたほうが良い。それだけさ。もっともそれがアリアボネが側についているせいなのか、それとも本人が心から変わったのかは知らないがね。私は何一つ変わっていないよ」
「でも・・・それって王に仕えているのと少し違いますね」
そんな臣下、自分が王だったらいらないな、などとセルギウスは高慢にも思った。
「それが礼記に言う
「なんですかそれは?」
「王のためでなく、偉い人のためでも、官吏のためでもなく、そして民のためでもなく、さらには自分の利益のためでなく、国という全体のために国家の苦難に当たる者のことさ」
ラヴィーニアの答えにセルギウスは戸惑いを隠せない。
ラヴィーニアはセルギウスにとっても扱いづらい怖い存在だった。怜悧であり不気味でもあった。もちろん尊敬もしているが。
とはいえラヴィーニアが言うような社稷の臣とやらとは対極にあるお人だと思っていた。極めて現実的で、理想とか夢とかからほど遠い、それがラヴィーニアという人であると。
「・・・官吏ってのは王に絶対の忠誠を誓うものだとばかり思っていました」
「それは王や民が思い描く理想の臣下ってやつだね。現実はそうじゃない。甘い汁を吸いたい、他人より偉くなりたい、家族を養いたい、一族の期待に応えたい・・・そんなものさ」
「まぁ私も官吏になれるもんならなってみたいですよ」
なにせ俸禄が馬鹿にならないし、親類縁者に自慢できますしねとセルギウスはラヴィーニアのことを
それに対して「官吏も結構大変だぞ」とラヴィーニアは小さく笑った。
「ラヴィーニア殿!」
昼も執務を続けていると、ガニメデが部屋に入ってきてラヴィーニアに声をかけた。
「なんだい?」
ラヴィーニアは顔も上げずにめんどくさそうな声を上げただけだった。
「陛下が西京を攻略したとか!?」
その知らせははや商人の口を通じて壷関を通り抜け、ここ鹿沢城にまで到達していた。ガニメデは何がそうさせるのかやたら興奮している。
「ああ。そうみたいだよ」
何故かラヴィーニアは他人事であるかのように話した。
「関西と関東の統一など百年にわたって誰も成し遂げられなかった大事! いやぁ実に陛下は偉大なお方だ!!」
「そうだね」
あいかわらずラヴィーニアは顔ひとつ上げずに生返事を返しただけ、軍票の合計額を再計算することに没頭していた。
「だがそれを後方で支えた偉大な臣下がいたのも事実です。米の買い付けをし、戦場の陛下に兵糧で不自由させることもなく、しかも米相場を操作し、市場や倉庫から米も麦も無くさせ、関西と河東に
いささか
「しかも、最後はそれを敵に売りつけるとは・・・! いやはや貴女は凄い人だ」
ガニメデの意図がわからない。褒められれば褒められるほど気持ちが悪いとラヴィーニアは警戒する。
「・・・」
「で、いくら儲かったのですか?」
まるで商人のような揉み手でガニメデは近づいてきた。ははぁ、それが魂胆か。軍票での買い付けも決済もあたしが独りでしている。利益をこっそり秘匿しているのではないか、その分け前にありつこうとでもいうことだろう。ラヴィーニアは皮肉な笑いを浮かべる。
「買うときだって三倍も四倍もする価格で買ったし、王師への補給に使ったからね。売った分はそんなにあるわけでもない。流石に収支は赤字さ」
ガニメデはそのラヴィーニアの否定の言を、ラヴィーニアが利益を独り占めにするつもりだととったらしい。
「それでも一部は儲かったのではないですかな?」
と、隠しこんだ財宝があるのではないかと探りを入れる。
「諦めな。収支報告書はあたしの他にアリアボネが見るんだ。公金をちょろまかしたらすぐばれるさ」
王の信任厚い切れ者の尚書令の名を出されると、ガニメデとて納得せざるを得ない。あの尚書令は一目見ただけで書類のごまかしを見破るという伝説がすでに流布されていた。
現実にそれで首になった地方官は枚挙に暇がない。
「そうですか・・・」
がっくりと肩を落とすガニメデ。頭の禿かかった中年のおやじが子供のようにしょげ返るのを見てラヴィーニアは噴出しそうになった。公金をちょろまかそうなどとあくどい事を考えるわりに、ラヴィーニアに少し言われたくらいですぐ諦めるところもどこか可愛げがある。
笑うラヴィーニアにガニメデは恨めしそうな目で
「笑うことはないでしょう。こっちは二人目の子供が生まれていろいろ大変なんです」と言った。
一兵卒と違い将ともなれば、給金は妻子を養うくらいの余裕はあるはずだが、と首を捻りながらもラヴィーニアはガニメデの元気が出るような言葉をかけた。
「安心しな。あたしが報告書を書いてやる。鹿沢城を守った殊勲一位はヘシオネ卿だが、二位は実際に兵を率いたガニメデ卿にある、と。きっと陛下は褒章を下さるだろうよ」
「本当ですか!」
ラヴィーニアの言葉にあっという間にガニメデは元気を取り戻した。実に現金なものだった。
「こうなると、あとは
ガニメデは気楽にそう言ったが、それが一番の難事だ、とラヴィーニアは思う。
「素直に鼓関を明け渡してくれるかな? まだ王女が降伏をしただけだ。関西には諸侯も軍も官吏もいる。全部の処分が終わったわけではない。私なら有利な条件を勝ち取るための交渉手段にするな」
たとえば関西の存続だとか、一諸侯としてのサキノーフ家の存続だとか。
ラヴィーニアと商人からバルカ卿が買い戻した兵糧は優に半年は持つ。鼓関に篭られると関東と関西は連絡がつかない。例えば王が全軍を関東に帰した後、関西全域で反乱が起きたらどうする・・・?
一年に二度も関西に出兵することはできない相談だ。極めてやっかいな事態になるだろう。
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