第105話 長征(ⅩⅧ)

 そのころ関東最右翼に位置する混成騎兵隊は、関西左翼の騎兵隊を完全に押し込むことには成功したが、次いで現れた関西諸侯の大軍に周囲を取り囲まれ、極度の苦戦に陥っていた。

 関西諸侯に統一した指揮系統がないのがここでは幸いした。とにかく我攻めで前へ前へと攻め込むだけだったが、それが結果としてエレクトライ、アクトールの両騎馬隊に休ませる隙も逃げ出すスペースも一切与えないことに繋がったのだ。

 後方に距離を取って立て直そうかとも考えたのだが、だがそうするとリュケネ隊の側面が空き、無防備な横腹をあらわにしてしまう。敵がそれを見逃してくれるとは考えられなかった。

 数に勝る関西諸侯はとにかく前へ前へと進みその空隙を確保するに違いない。

 そこに一旦放棄した陣地を取り返そうと再び騎兵で突撃したとしても、奪還できる可能性は少ない。

 となればそこから右翼の戦列が崩壊する危険性が高かった。よって騎兵にも関わらず接近戦に持ち込まれたまま、ずるずると力戦することとなった。

 打ちては寄せる波のように兵を入れ替えての波状攻撃を使い、アクトールは奮戦する。だが戦場は維持しているものの刻々手負いの数が増える。死者も多いし、深手を負って退くしかない者も増えてくる。後どれくらいの間、戦列を維持できるのだろうと不安になる。

 しかも右翼騎兵隊との間を繋ぐバルブラ、エザウ両部隊のうち、エザウ隊だけが敵兵の圧力に押されて陣形が既に崩壊しかけていた。

 だがリュケネにはエザウを救ってやることはできない。余剰兵力が無いのである。

 だがエザウ隊が崩壊すれば事態は急を要する。エザウ隊を押し出した場所に敵騎兵が入り込めば、リュケネ隊もバルブラ隊もエレクトライ、アクトールの両騎馬隊も無防備な側面を突かれることになるのだ。

 このリュケネの苦境を救ったのはバルブラである。

 バルブラはこういった逆境の戦いにこそ実力を発揮できる将であった。

 バルブラはリュケネの与力であり、左翼本体であるリュケネ隊よりも遥かに兵数は少ない。だがバルブラは戦場往来の時間ならば、この戦場にいるどの将軍よりも長かった。兵が少ないならば、少ないなりの戦い方を熟知していた。

 同じく兵は少なくともエザウ隊は先頭に立ったエザウがやけに威勢が良いうえに、陣全体がやけに活気づいて、好戦気分で沸きたっていたから、関西諸侯の兵も強敵かなと見誤って、陣全体がまるでお通夜の席でもあるかのように静寂とし、活気のなかったバルブラ隊にまずは狙いを定めた。

 それは実像とは逆で、それだけバルブラが部隊を掌握しきっていて兵が軽々しく動かないという証だったのだが、戦の経験の薄い関西諸侯はそこまで気が付かなかった。

 兵の差を見てなめてかかった関西諸侯は次の瞬間、鋼鉄の壁にでも当たったかのようにはじき返された。何が起きたかわからずあっけにとられた彼らは再度、バルブラ隊に攻勢をかけるが、またも跳ね返された。

 二度の攻勢失敗に敵が浮足立ち、陣形が乱れたのを見て、バルブラは隊を前に押し出す。寡兵であっても効果的な戦い方で敵に痛撃を与えた。

 関西諸侯はなおも未練がましく攻撃を続けるが、兵はすっかり腰が引けてしまい、片手で軽くあしらわれる始末である。

 ここで手がすいたバルブラが、僅かな攻撃で押される一方だったエザウ隊を救出することで右翼全体の旗色は再び関東優勢に変わる。

 そのままじわじわと押し続け、一部諸侯はその圧力に耐えかね、遂には逃走を始める。

 とはいえ統一された指揮を持たない諸侯の集合でしかないこの部隊は、逃げるにしろ攻めるにしろ一旦方針がばらけてしまうと、全体として同一行動を取るはずはない、いや取れるはずがなかった。

 しかも二万もの兵と四十もの諸侯からなる混成軍だ。まさに船頭多くして船山に登るを体言することとなった。

 大体逃げるにしても、どの方角へ逃げるのかするてんでばらばら。さらには攻撃を続けるもの、逃げ道を作ろうと反撃するもの、退路を確保するため背後に回ろうとするバルブラ隊を突破しようとするものなど、思い思いに行動し戦場は大混乱を極めた。

 これで勝利はほぼ間違いないとアクトールは思ったが、同時にこの混乱を収拾するまでは右翼からの回り込みはできないとも思った。

 戦場を収攬しゅうらんして全ての敵を敗走に追い込むまでは何が起きるかわからない、油断せず行動するべきだ。とにかく敵が混乱しているうちに、まだ組織だっての抗戦を諦めきれない諸侯を速やかに各個撃破し、敵兵に立ち直る時間を与えるべきでない。

 それに成功してこそ初めて、味方右翼に配した騎兵が関西王師下軍の側背に回りこむことができ、敵左翼を完全に打ち破ることができるであろう。

 敵の主力である敵左翼の無力化には半ば成功した、とリュケネは思った。後は味方が回り込むまで、ひたすら防衛に徹すれば目的は達せられるだろう。


 一方、左翼の戦況は大きく変化しようとしていた。

 エテオクロスと関東王師左軍は関西王師右軍を優勢なまま押しに押していた。

 その横をベルビオに率いられた王師の騎兵が颯爽さっそうと駆け抜けていった。

 騎兵において大きく関東に劣る関西は、その数少ない騎兵を左翼に注力したため、右翼に回す騎兵の余裕はなかった。そこで関西右翼から回り込もうとする関東最左翼の騎兵に対しては、王師全軍から重装歩兵を集めて集中配備することで対応しようとした。味方が左翼から回り込んで敵右翼を壊滅させるまで、陣地防衛し持ちこたえるという役割を与えられたのだ。

 鉄床戦術かなとこせんじゅつという一般的な戦い方の一つである。今回有斗が取った戦術もこれであり、しかも両軍とも左翼からの回り込みに主力を割いたところが面白い。

 双方に戦術差はない以上、戦を左右するのは戦力差ということになる。兵力差では無く戦力差である。兵の数、兵の質、指揮官の質。もちろん有斗が大将として全軍を統率しているのに対して、関西は諸侯を統率する将もいなければ、王女は王城に閉じこもったきり、王師将軍同士のいさかいもある、これも立派な差である。

 さてさて、重装歩兵は言うまでも無く拠点防護に優れる。よって戦闘が始まっても左に位置する関西王師右軍との間を敵に突破されぬよう陣形を整えたくらいで、ほとんど移動せずに敵騎兵の突撃を待ちかまえ戦闘開始することになった。

 鋼鉄製のタワー形の盾を並べ、槍を一斉に倒し騎馬突撃に対応する。

 王師騎馬隊は突撃での戦列突破を図る動きをみせるが、例え馬が倒れこんで戦列が崩れても、先程同じような攻撃であっけなく崩れた関東の中備の諸侯軍と違い、こちらは直ぐに後ろの兵が倒れた兵を後方へ運び、新たな兵ですぐさま戦列の穴は塞がれてしまう。

 関西の王師三軍から選抜されただけあって、その動きには一片の無駄も無い。まるで巨大な壁に当たったかのように騎兵たちは弾き返された。

 速さを減じた騎兵は只の巨大な的である。たちまち頭上から槍が叩きつけられ、多くの兵が命を失う。

 兵の間に流れた一瞬の逡巡をベルビオは吹き飛ばす。

「怯むんじゃねぇ! それでも王師か! 俺たちが後ろを取らなきゃ戦はどう転ぶかわからんのだぞ!!」

 左翼に回された騎兵、ベルビオの兵だってこの戦の要として、三師から集められただけあって屈強の武人が揃っている。

 ベルビオの実力は認めざるえない彼らでも、武功を揶揄やゆされては黙って入られない。

 南部の成り上がり風情に馬鹿にされるいわれなどあろうか。湧き上がった怒りが一騎一騎に力を与えた。

 怒りを胸に再び一斉に駆け出した。ベルビオはその先頭に自ら立ち、盾の長城目掛けて猛攻をかける。

 双戟を振るってベルビオは盾から突き出された槍を叩き落し、馬を鉄盾にぶつけるように割り入り、戦列を突破しようと試みた。すぐさま左右から槍が飛んできて、ベルビオに襲い掛かる。大きな体を持つが故、的としては狙いやすい。かわしきれない槍がベルビオに次々突き刺さる。甲冑を着けているので、ほとんどは弾かれた。だが今、ここを突破されまいと、ベルビオを囲んでいる兵の輪は厚い。二、三箇所は防ぎきれずベルビオの体を切り裂いた。

 だが、急所を外したのか、それとも傷が浅いのか、ベルビオは無頓着に槍を腕で跳ね除けるだけだった。

 そしてベルビオはくるくると曲芸のように両手に持った双戟そうげきを操り、彼に相対した兵を次々と冥府へ送り出した。

 その超人的な働きに敵は恐怖を覚えた。ベルビオが戟を振るう度に一歩一歩、敵戦列は押され後退する。そこに次々と騎兵が勢いよく殺到した。

 ベルビオが槍を弾き飛ばし、盾を踏みつけることで現出された空間に次々騎馬が入り込む。

 迎え撃つ重装歩兵は横を向き進入する騎兵に対し懸命に応戦した。しかし彼らは馬そのものを武器として使った。

 例え馬を槍で突き刺しても馬体は止まらない。盾で受けきれず幾人もの重装歩兵が下敷きとなる。軍馬は得がたいものだ。値は目が飛び出るほど高い。それに金を出したから買えるとは限らないのである。彼らは愛馬を自分の命の次に大事にしていた。

 しかしこの戦いは王の、いや関東の未来に大いに関わりあいがある。ここで勝つのと負けるのとでは雲泥の差があるのだ。

 彼らは兵士だ。戦に勝利するために、敗走を支えるために命を捨てなければならぬこともある。

 つまりいずれ来るべきその時のように、今は馬を犠牲にしても敵右翼を壊滅させる時だと思ったのだ。一頭の馬ならば戦列の裂け目を修復できる彼らだが、同時に何体も来られると彼らとてなすすべは無かった。

 戦列の裂け目は急速に広がりつつある。

 そして遂にベルビオが敵重装歩兵を中央突破し後背に回り込むことに成功する。

 前後から挟まれると、もういけなかった。ひとつ陣に歪みを生じさせると、それをようやく修正しても、次々と他の場所で新たな歪みが生じた。

 遂に歪みを矯正できなくなった重装歩兵隊は崩れ落ちた。

 それを見た関西王師右軍の兵は只でさえ目の前の関東勢との戦いが劣勢の上、さらに後ろから襲い掛かられては持たないと考えた。戦列を放棄し、包囲される前に潰走した。

 片翼が完全に折れたとなれば、もう戦の大勢は決まったも同然だった。

 それまで三方からの攻撃に退きつつも辛うじて耐えていた関西王師中軍も右翼の崩壊を目にして、心を折られ潰走した。

 武器も旗も盾も、邪魔になるものは全て捨て、なかには鎧すらも投げ捨てて兵士たちは逃走する。

 最後まで戦場に残ったのは左翼に配された関西の諸侯だった。味方が次々と壊滅することに動揺していたが退却の指令は彼らのところには届かなかった。だが獲物を求めて自分たちに近づいてくる関東勢を見るとさすがに耐え切れずに、退却を図った。

 しかし今から城門に行っても間に合わない。すでに城門前には関西の兵だけでなく、関東の兵も取り付きつつあるのだから。

 そこで逃げる敵を追うのに夢中で戦列を乱していたエザウ隊の横にわずかにあった隙間に一丸となって突っ込み、大勢の犠牲を出しながらも戦場から離脱する。

「くそう! 逃げるな卑怯者! このエザウを見て臆したか!!」

 戦功が逃げてしまうとばかりにエザウは敵軍に向かって罵詈雑言を放って足止めを図るが、もちろん命がかかってるだけに関西諸侯はエザウには目もくれずに遁走する。


 城門の前では混乱が起きていた。

 西京の城門は大きな門ではあるが、さすがに万単位の兵が一遍に入るには狭すぎる。

 関西勢はやっとそこまで逃げてきたものの渋滞で止まっているうちに追いつかれ、後方からいいように槍を突き立てられた。

 すでに完全に戦意を失っている兵たちは次々と武器を投げ捨て、ひざまずき命乞いをする。

 城門では関東勢が近づいてくるや慌てて門を閉めようと試みたが、湧き出すように現れる味方兵で門に近づくことさえできない。

 そうこうしているうちに、鮮血に染まった敵兵が次々と現れた。門番は六尺棒と共に職務を放棄して、逃げる関西勢の中に紛れた。北大門はアエティウスが確保した。

 これでひとつ難事が片付いた、とアエティウスは一つ安堵の溜息をついた。

 関西の軍は合戦で敗れた。だがまだ関西が負けたわけではない。今は敗戦の混乱で逃げ惑う彼らだが、時間を与えてしまえば、再起してしまうだろう。この勝利を有効に使うにはこのまま押していくしかない。

 それに今なら、関西の心臓である女王と公卿たちはまだ城内、少なくとも西京内にいるはずだ。その中でも、もし女王を手中にできたら関西を降伏させることが可能だ。このまま一気に王城に攻め込めば、逃げる前に身柄を拘束できるかもしれない。

 最低でも御璽と重要書類は手に入れておきたいな、とアエティウスは思った。

 御璽を無くせば女王の正統性も薄まるし、重要書類を押さえれば今後の関西の統治が格段とやりやすくなる。

 それに一部の過激派が王城に篭って抗戦する可能性だって無くはない。この目の前の大勢の兵が加わってしまうと、極めて厄介なことになることだろう。

「城に篭られると厄介だ。城へ進め! 城に通じる門をすぐさま確保するんだ! 抵抗する兵は躊躇無く殺せ!」

 一段落付き休もうとする兵たちに叱咤しった激励し立ち上がらせる。

 混乱の収まらない今なら容易く全てを手中に出来るかもしれない。

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