第104話 長征(ⅩⅦ)

 ヒュベルはちらと背後を振り返り敵影を確認する。

 よしよし、付いて来ているな。

 騎兵だけでなくその後に歩兵も続き、脇目も振らないでヒュベルをただ勢いに任せて追ってきた。

 会戦の火蓋を切るのがヒュベルの役目だ。後は他の者に任せるとしよう。

 中央本備に門のごとく隙間が開く。ヒュベルがそこに飛び込むと、すぐさま歩兵が走りよって戦列の空隙を埋めた。

 そこで前進を止め、最前列の兵は揃って盾を地面に打ちつけると、攻撃に備えて体を預け気味に盾でできた壁面を作る。二列目三列目の兵は盾の隙間から槍を付き出す一方、石突を地面深く埋め込んで固定し、こちらも騎兵の激突に備える。

 勢いよくヒュベルを追い駆けて来た騎兵は直ぐには止まれず、馬体ごと盾に激突する。槍衾に刺さり悶絶死する軍馬。兵たちは獲物の首を求めて転がり落ちた武者に殺到する。

 だが数百キロの巨大な物体が時速三十キロメートルでぶつかったのだ。いくら盾の先を地面深く埋め込んでいたとしても、兵は圧死し、跳ね飛ばされる。

 戦列に巨大な穴が空いた。

 そこに潜り込むように騎兵は次々と倒れた敵と仲間の屍を飛び越える。遮る盾がなくなると、槍だけでは兵は騎馬の突撃に怯え、支え続けることができなかった。第一戦列の突破に成功した騎兵はすぐさま戦列の後ろへと回り込む。

 しかし有斗に味方する関西の諸侯たちは北辺の者が多い。馬賊相手で鍛えられている分、騎兵相手の経験も豊富だ。判断を誤らなかった。

「足だ! 足を刈れ! げきを持つ兵を前面に立たせよ!」

 げきには槍と違い、援(えん)もしくは枝(し)と呼ばれている横に突き出た刃を持つ。突く、刺すだけでなく薙ぎ払うのに適した武具である。

 アエティウスは予備の第三戦列に騎兵の迎撃を命じた。歩兵同士の激突はもう目の前だ。早々に騎兵を始末し戦列を整え直さなければ、断点から押し切られてしまう。

 関西はヒュベルを追いかけた中央部の騎兵に引き摺られるように戦を開始した。自然中央部から両翼に行くに従って攻撃開始が遅れ、魚鱗ぎょりんの陣形に期せずしてなる。

 その魚鱗の陣をもって歩兵を前面に配した関東の密集陣形を取る横列に襲い掛かった。槍や矛が盾に弾き返される重厚な金属音が響くと、近づきすぎた関西王師中軍の歩兵の頭にお返しとばかりに槍や戈を一斉に振り下ろした。鋼鉄製の巨大な盾は馬にこそ効果が無かったものの、王師中軍の歩兵の足を止めることには成功する。

 だが、騎兵に拠って空いた穴は、完全に塞ぎきれていなかった。

 関西王師中軍はすかさず兵力を集め攻撃を加えると、横列はそこから絹布を引き裂くように二つに分断される。

 先に中に飛び込んで孤軍で奮戦していた騎兵も友軍と繋がることで息を吹き返し、前後から戦列は攻撃されることとなった。

 三段ある戦列の二段まで挟み込まれる格好となり、前かと思えば後ろ、後ろかと思えば前から攻撃を受け、どうしたらいいのかわからないまま次々と命を落とす。関西諸侯は敵の攻撃に圧倒されている。諸侯には王師の相手は酷だったか。このままでは押され続けて最後には崩壊するだろう。

 予期されていたことだが思ったより早い、と有斗は焦り、左右両翼の戦況を確認しようと馬車の上で伸び上がった。


 左翼では中央と違い、圧倒的に関東勢が優勢だった。

 かたや関東王師左軍、かたや関西王師右軍。同じような距離を駆け、同じような装備、同じ兵力でぶつかった。

 だが結果は双方同じというわけには行かなかった。

 攻撃を受けても一糸も乱れぬ関東勢に対し、関西勢は一撃に辛うじて耐えたものの、それは陣全体がよろめいたような形だったが、さらに槍を突き入れられるとずるずると後退を続ける。

 そこは王師、さすがに戦列を崩すことも無様に後ろを見せることも無かったが、攻撃を叩き返されたことには変わりが無い。

 確か前哨戦で戦った関東の兵はこんなに凄まじい突進力もなければ、息を揃えて攻撃してくることも無かったと思い出す。槍を一突き入れただけで腰砕けになり、敗走していた。

 こんなはずではない。どの兵士の顔にもありありと敵兵への恐れの表情が浮かんでいた。

 話が違う、と関西の兵士たちは将軍たちに文句の一つも言ってやりたかった。性質の悪い詐欺に引っかかった気分だった。

 役者が一枚も二枚も違う。まさにそんな手ごたえだった。

 エテオクロスは中央の劣勢は気になったが、あそこには王もアエティウスもいるから大丈夫なはずだと気を取り直す。それに左の翼を畳んでしまえば勝利は確実なのだと、兵に前進を命じた。


 次いで有斗が見た右翼、そこでも味方は明らかに優勢を示していた。

 押しに押し捲る中央の攻勢に鼓舞されて勢いづいたのか、敵の波状攻撃は激しくなる一方だったが、リュケネは一歩も陣を後退させてはいない。

 しかもアクトール率いる騎兵は回り込もうとした関西の騎兵を蹴散らしていた。慌てて距離を取り戦列を整えようとする敵兵には、バルブラがそうはさせじとすかさず兵を前進させて距離を詰め、急に動いたことで生じた相手の陣の隙を突く。

 リュケネは当初、中央で関西諸侯が取ったのと同じ密集陣を組み、盾の先を深く地面に埋め込み敵の攻勢を待った。

 そのぶん関東勢は敵の右翼に対して短い戦列となり回り込まれる危険性が増す。密集陣はあくまで前方への防御に特化した陣形である。後背どころか側面に回られても不利になる陣形だ。

 だがリュケネは戦列の右側については心配をしていなかった。そこにはエレクトライやアクトールやバルブラがいる。

 敵は定石どおり主力を左翼に振り向けたらしい。関西王師下軍のその外に騎兵を集中して配備した。といっても数は五千。関西の力ではそれが限界であったのだろう。だがその代わりに諸侯の兵を二万も割り振り、騎兵の少なさを兵力でカバーしようとした。まず騎兵同士を争わせ、足を封じ止めた後、諸侯の兵を投入し力攻めする腹だろう。

 対して関東勢はリュケネの下軍を右翼に配し、その外に南部騎兵、河北騎兵、合わせて五千。

 リュケネを配したことでわかるように、関東の右翼の目的は敵主力に当たる敵左翼の兵を喰い止めることだ。なろうことなら当然右から回り込み、敵を包囲する一助になればいいのだが、アリアボネの想定以上に敵は兵を我が方の右翼に向けた。それ以上のことを期待するのは酷というものだろう。


 問題は敵に押されるままに後退する中央の戦列だった。

 敵の中軍は勢いそのままに、彼らにしてみれば憎き裏切り者である関西諸侯を感情のままにひた押しに押し、戦列の中央を弓なりに曲げた。

 期せずして陣形は先のとがった円錐形となり、それが錐のように諸侯の戦列にきりきりと食い込んでいった。

 関西諸侯の戦列は敵に圧倒されつつある。崩壊はもう目の前だった。

 そして有斗の目の前で遂に支えきれず崩れ落ちる、関東勢の戦列は中央で二つに寸断された。背を向け逃げる関西諸侯を関西王師中軍が狩り立てていく。

 このまま背後に回りこめば、それで勝利は関西の手に転がり込んでくるのだ。

 だが、関西諸侯は突然左右にさっと扉を開くように分かれ、道を空けた。

 その前には関東王師中軍が準備を終えて待ち構えていた。


「やっとのおでましというわけか。だが勢いに乗る我らが有利! あれを突破すれば勝利は我らが手にあるぞ!」

 新手をものともせず、関西勢は巨大な奔流となってぶつかった。

 味方である関西諸侯の兵が邪魔をしてアエティウスは思うように兵を展開できない。雨後の濁流にもまれる大石のようにアエティウスと王師中軍は押し戻された。

 戦の流れは今や関西が握っている。敵は辛うじて踏みとどまっているだけだ、と関西の兵たちは断じた。現に裏切り者の関西諸侯と同じように敵の戦列は圧力に耐えかねて、弓なりに曲がっていくのだ。

 だが有斗はそれを見ても悠然と構えていた。アエティウスの王師中軍が突破されたら自身の身が危ういというのに、しきりに左翼のほうに何度も視線を走らせていた。そして傍らのアリアボネに振り返って確認を求める。

「アリアボネ、そろそろかな」

 アリアボネはふわりとした笑顔で首肯する。

「はい、そろそろでしょう」

 アリアボネの賛意を受け、有斗は一斉に左方にりゅうを立てさせ合図とする。

 それに呼応し動き出したのは、王師左翼の後備として配置していた南部諸侯の歩兵である。

 もともと関東王師中軍は中央の後備の位置にいた。左翼右翼より一段と北に下がった位置である。さらに敵に押されて少し後退した。しかも横にある翼、特に左翼が陣全体を前進させたこととあいまって、そこに空隙が存在していた。

 そこでその空間から敵の横腹に襲い掛かるように南部諸侯に命を下したのである。

 だがそれはダメ押しであるにすぎなかった。


「よし、役目は終わった! 存分に暴れるが良い! 行け!!」

 アエティウスは王がりゅう旗を掲げると、役目は果たしたとばかりに全軍に守勢から攻勢に転換するよう指示を出す。

 わざと中央部を凹まし、敵を引き付けてじりじりと後退するのはあくまで作戦の一環だった。後退したのは王師中軍の実力でも、アエティウスの好みであったわけではなかった。

 それまで押さえつけられていただけに、解き放たれた将士は吹き付ける突風となって敵に襲い掛かった。

「よほど守勢に回るというのが不満だったのか、兵たちはまるで別人のような働き振りですね」

 アエティウスに旅長が声をかけた。

「当たり前だろう。攻勢に狂喜乱舞する兵はいても、守勢に心躍らせる兵などいるはずもない」

「しかし、この変わりようはあまりにも別人です」

はじめは処女のごとのち脱兎だっとの如しさ」

 とにかく、中央突破をされるという最悪の事態は避けられた。ここからは地力の勝負となる。地力なら関東は関西に負けやしない。

 そんな余裕からかアエティウスの口からは軽口も飛び出すほどだった。

 対する関西王師中軍の兵士たちは戦場の空気が変わったように感じたに違いない。

 錐状は中央の厚みが多く敵陣突破に適している。だが同時に足さえ止まれば、敵側から、今度の場合は有斗側からということになるが、逆に考えれば、それはVの字型に挟み込まれた形となる。すなわち関西王師中軍は三方を敵に囲まれた、必敗の布陣に立たされたということになるのだ。

 足が止まると同時に、攻守を入れ替えるようにアエティウス指揮下の王師中軍の反撃を受けると、なすすべなく一気に後退する。

 柵や溝を構築していない野戦では勢いが全てだ。一旦守勢に立たされると生半可なことでは攻勢に転じきれない。

 しかもそれまで命からがら逃げるだけだった、裏切り者の関西諸侯も反転するや襲い掛かってくる。

 正面は関東王師中軍、両脇には関西諸侯と南部諸侯、さらには右翼の予備兵力だった河北諸侯の軍も乗り遅れるなとばかりに馬首を巡らした。行き場は後方のみ。もはや劣勢はどうあがいても掃い除けられそうにはなかった。

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