第103話 長征(ⅩⅥ)
王が関西の挑戦状に対して応じたということは、すぐさま全軍に通告された。
全ての作業を中止し、西京の北面に集まり明日に備えて布陣するよう通達を出す。
その知らせは西京の西にて街道をふさぐように柵を作っていた王師左軍とエテオクロスにも届けられた。
やれやれ、これで柵の設置という無意味な作業から解放されるとエテオクロスは首を回して凝った肩をほぐした。
もともと降伏勧告と同じで、柵を作ることは関東勢が長期戦を望んでいると思わせるための作業だった。西京を本気で包囲する柵なら作るのに何の文句も無い。だがただのダミーだとわかっているにも関わらず、それを作らねばならないという作業には徒労感しか感じなかった。
特に事情を知らない配下の兵士たちが嬉々としてその作業をやるのを見るのは心が痛む光景だった。
だがそれも今日で終わる。西京にきてようやく戦士の本分である戦をすることができるのだ。
エテオクロスは憂色を振り払うと持ち場の放棄を命じ、北へと向かう。そこでは大好きな戦いが待ち構えているのだ。
彼の受け持ちは今回も本軍の左翼、攻撃の要ともいえる花形だった。それが何より嬉しかった。
関東勢はもとより城外に野営している。だが敵の古風な挑戦を受けたのだ。柵の前に出て、堂々たる野戦をせねばならない。そこで直前に陣換えを行って混乱が起きぬように、今から陣換えを始めた。
左翼にエテオクロスの王師左軍、中央に関西の諸侯、右翼にはリュケネの王師右軍を配置した。最左翼に王師の騎兵を、最右翼に南部の騎兵、中央後ろに王師中軍、予備隊として左右の備えの後ろに南部諸侯という形になった。
有斗はその陣形に不安を覚えた。
「中央は王師中軍じゃないの? 危険な戦場の中央に配置したら彼らから不満が出たりしないかな?」
「王師中軍はその後ろに配置します。何故なら古来より戦場に近い諸侯が先陣を切るのが世の習いなのです。むしろ彼らを後方や両端に回したほうが諸侯の不満が高まるでしょう。それに大事な中央の
なにより三方を王師に囲まれる形になる。裏切ろうにも裏切れまいというのがアリアボネの考えだった。
「彼らは持ちこたえてくれるかな。左翼か右翼から兵が回り込むまで」
明日は王師同士の戦いになる。今までの戦いのように、どこか備えが崩壊するのを待ち、そこに集中攻撃を加え全軍の崩壊を待つという策はあまり現実的ではないだろう。
つまり両翼の騎兵が鍵となる。どちらかから背後に回りこむことができた陣営が勝利することになるであろう。
その最前線に諸侯の兵を立たすのは、気持ち心配だった。
「もたないでしょうね。おそらく関西は精鋭の王師中軍を中央に配備するでしょうから」
「え・・・! 中央突破されたら大変なことにならない!?」
と驚く有斗に
「そうですね。そしておそらくそうなりますよ」
と、アリアボネはまるで人事のように微笑んで告げた。
翌日、関西勢が布陣を終わらすのを遠めに見つつ有斗はアリアボネの話を聞いていた。
「五万の味方、七万の敵、合計で十二万。両軍で十万を超える戦いは武帝の御世に一回、戦国初期の関西の懿王と関東の仁王との四王会戦で一回の合計二度だけです。どちらも全て最後は
「確かにそうだね・・・僕のところからは遠すぎて、もう両翼の端がどこで終わっているかすらよく見えないよ」
だいたいの端はあそこかな~的なやつはわかるし、人馬共に豆粒みたいだ旗もあるのはわかるけど、その旗が誰の旗かはまったく見えやしない。
「特に両翼の騎兵の戦況は把握に困難を示すことでしょう。ベルビオやエレクトライに万事任せるしかありません。その決着が付くことを待ちつつ、両翼と中央の戦いに我々は集中することになります。ならば両翼の戦況に関わらず、勝つ方法を我々は模索するべきです」
「こちらの騎兵は関西の騎兵に勝利することはできないと考えているの?」
「関西は良馬が少なく、騎兵は弱いと昔から申します。でも正直なところはやってみないとわかりません。もちろん両翼とも勝利して回り込んでくれれば何も問題はないのですが、そうでない可能性もあります。ですからもっと貪欲に勝つための方策を考えるべきです。我々の騎兵が敗れた場合でも勝利する方策は無いか、策は立てておくべきなのです」
朝臣は将軍位をも持つことが珍しくない関東とは違って、関西の朝臣は軍人と文官がほぼ分離されている。バアルやステロベといった存在のほうが例外なのである。
というわけで西京の高官たちは自軍が布陣する様を、西京外郭の城門に登って見下ろしていた。
懸念は布陣が終わるまで、敵が本当に手を出さないかということだった。
七割布陣が終わり、全兵士が城外に出た時点で、彼らは一様にほっと一安心する。
「いちおう古式ゆかしい正しい戦の仕方を知っているものがいたということですな」
そういう言葉で敵の礼儀正しさを褒めると同時に、戦略眼の無さを
「戦ばかりに
と右府が言うと、その傍にいた朝臣たちはその言葉におもねる様に小ばかにしたような笑い声をあげた。
これで勝っただろう。その場にいた者は皆そう思った。
敵は長期間の遠征で疲れている。しかも直近の小競り合いではいずれも関西側の勝利に終わっている。敵は五万に対して味方は七万である。二万もの戦力差だ。負ける心配はない。
彼らは勝利をすでに確信していた。
もうすぐ関西の全軍が布陣を完了しようという時だった。
関東の陣より騎馬が一人歩み出てきた。両軍の視線が集中しているにも関わらず、まるで無人の野を駆けるようにゆっくりと馬を走らせる。
「関西の将士に問う」
ヒュベルは十文字槍の石突を地面に力いっぱい叩きつけると大声を出して敵を挑発し始めた。
「かくも古式に戦争をしたからには、開戦の合図もそれに
そして既に並び終えた敵陣を見回すように首を回した。
「本来ならば、互いの主将同士が陣前に立ち、互いの大義を主張するのが筋というものだが、どうも先陣を見回したところ女王とやらは姿形も見えぬ。どうやら我が関東の大軍に恐れを抱き、宮殿に隠れてぶるぶる震えておいでのようだ」
ヒュベルの悪態に関東勢はどっと笑いたて、関西勢は髪を逆立て怒りをあらわにする。
「ならば互いに的を立てての射術比べといいたいところだが、それでは面白くも無い。ここは一騎打ちにて開戦の合図としようではないか! それとも何か、関西の将士は主と同じく腰抜けしかいないのか!? 戦いに臆したのなら今すぐ逃げ出して、女王の
とたんに怒号が沸き起こり、ヒュベルの声をかき消した。だがそれでも一向に
いやそれどころか、うるさくてよく聞こえないというかのごとく耳の横に手を当てて、わざとらしく耳を関西勢のほうへと向ける。
挑発するかのような態度だ。実際に挑発してるんだろうな、と有斗は思った。
怒号が飛び交う中、やがて一人の騎馬武者が敵陣から飛び出してくる。生意気な関東の将軍の相手になってやるといったところか。
ベルビオほどではないが体の厚みが半端ない。その手に握られているのは普通のものより長大な矛だった。
その騎馬武者は模範演舞であるかのように、頭上の矛を目にも留まらぬ速さで自由自在に回転させ威嚇する。それを見た関西勢は拍手喝采、どっと沸きあがる。
なかなか強そうだなと思った。だが有斗は微塵も心配してなかった。なんといってもヒュベルはベルビオ、アエネアス、アエティウスの三人の剣術巧者相手に互角の勝負をしたのだ。
「では始めようか」
不適に笑った敵の騎馬武者が馬を走らせるのに合わせてヒュベルも馬を走らせる。
交差する一瞬、雷鳴のように金属がぶつかり合う鈍重な音が響いた。
ヒュベルの相手となったその運の悪い男は、首の根元から左脇の下まで鎧ごと腕を飛ばされた。頚動脈でも切ったのであろう。凄まじい勢いで鮮血を噴出すと、ぐらりとバランスを崩したかつて人であったモノは馬上から放り出された。主をその場に置いて馬は駆け去った。
一合。
わずか一合で勝負はあっけなくついた。
湧き上がる関東、衝撃で声を呑んだ関西、そして悠然と後ろを向いて
これは不味いと、女王の代わりに関西全軍の指揮を任されたペイトンは苦悩する。
このまま放っておけば兵士の指揮は下がる一方だ。とはいえ敵将のあの鮮やかな腕前を見た後では、もう一度、将に命じて襲い掛からせるのは危険な選択である。勝てば問題ないが、負けた場合にさらに士気の落ち込みがあることを考えると、
ならば、ここは関西の兵士が侮蔑された怒りをまだ持っている今のうちに開戦するしかない。
あの男は一騎打ちでは大いなる脅威だが、戦場全体で考えると所詮は駒の一つに過ぎないのだから。
「
ペイトンの周りで
そして一斉に槍を構えて、前進を始めた。
それを見た有斗も同じく鉦と鼓で攻撃開始を告げるよう指示を出す。
「全軍前進! ただし戦列は崩さぬように心がけよ!」
前進を始めた敵軍はヒュベルに復讐を果たそうとし、騎兵隊をヒュベル目掛けて解き放った。
それに驚いたか、ヒュベルはうっかり槍を落としてしまった。
「それ今だ! 将軍の敵を討て!」
ヒュベルは間一髪で槍を拾い上げると、くるくると槍を回して、造作なく二人ばかり切り捨てる。
だがさすがにこのままでは囲まれてしまう。十文字槍で牽制すると、タイミングを見計らって、背中を向けて逃げ出した。
「逃がすものか!」
十文字槍の牽制で一旦距離をとられたものの、彼我の距離はわずかばかり。二馬身あるかないかだ。
この距離なら追っていけば必ず追いつく機会は訪れると、騎兵たちは馬に鞭を入れ、ヒュベルを追いかけた。
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