第102話 長征(ⅩⅤ)
それでも女王も朝廷も出兵を許可するまでにはいたらず、結論は次回に持ち越しとなった。
武部尚書はほっと胸を撫で下ろす。放っておけばいずれ敵軍は食料不足か、カヒが攻め込むことで撤退する。なにも決戦などで国の運命を決めることはない。あえて戦うなど危険すぎる賭けであると言わざるを得ないのだ。
西京で多少の飢餓がおこることは間違いないが、官民一体となって節制すればきっと乗り越えられる。
だがその風向きはその日の午後にあっさりと
関東の軍より使者が来て、女王に講和条件を突きつけたからでもある。それは関西から見ると、あまりにも現状を
ひとつ、関東と関西は講和すること。
ひとつ、互いの独立を認め、主権を尊重しあうこと。
ひとつ、壷関を関東に譲渡すること。
ひとつ、今現在関東に味方した諸侯の領土は関東が支配する領域とすること。
ひとつ、関西は関東に年間金五万両を今後十年間に渡って支払うこと。
いくらいわゆる『城下の盟』であるとはいえ、その条件は不当としか言いようが無い。
唯一受け入れられそうなものは互いの独立を認め、主権を尊重するという項目くらいである。だがそれ以外は断じて現状で受け入れられる条件とはいえなかった。西京には無傷の七万もの将兵がいるのである。飲むはずが無かった。
朝廷は断りの使者を送ることを即時決定する。
だがこのような到底飲めぬ要求を出してきた背景に注意すべきだという意見には、大いに耳を傾ける必要があった。
西京を目にして手を出し
講和の使者が行き来している間は当然、双方攻撃はできない。
だが敵はその間も西京に向かう荷を止め、柵と
もし附城を西京を包むように完成させられたら・・・と関西の公卿は顔を真っ青にさせて想像する。七万の軍人と三十万の民はたちまち飢餓に襲われることだろう。
それに今、敵は大軍勢であるが、その過半は関西の諸侯である。関東の大軍勢を目前にして恐れを抱き、本意ではなく従っている関西の諸侯も多いはずだ。それを切り崩すためにも速戦するべきである。時間が経てば、彼らは関東の王に親しみを抱き、こちらに再度寝返らせることは難しくなるとの主張には一端の理があった。
それでも最後まで武部尚書などの少なくない数の専守論者たちは反対をしたが、
「カヒが関東に攻め込んでも兵を戻さなかった場合どうするのだ? カヒの対策を後回しにし、関西を攻め滅ぼすことを優先させた場合は?」と言われたら返す言葉が無かった。
「そうなったときになってから戦えばいいではないか」と武部尚書は反論したものの、
「飢えた兵が使い物になるわけがない。それに飢えて死ぬよりは戦って死ぬほうがましである。どうせ戦うのならむしろ早いほうがいい」と、遂には主戦派に押されるような形で決定されてしまった。
「挑戦状が関西から叩きつけられたと聞きましたが、
どこで聞きつけたか知らないが、有斗がアリアボネやアエティウスと本陣でその件について話し合っているところにマシニッサが入ってきた。
この関西遠征に入ってから、マシニッサが僕の天幕にちょくちょく入ってくるんだけど・・・
最初のうちはちゃんと衛兵が止めてたんだけれども、最近は何故か顔パスで入ってくる。おかしいな。僕は一切許可した覚えは無いぞ。それに重要な会議だって言うのに・・・なんでこいつが入ってくるのだ?
どうも毎回、有斗が拒否せずにいるから、入ってもいいものだと衛兵も勘違いしているのかもしれない。
羽林の兵にきつく言いつけておこうと有斗は考えた。もちろんマシニッサのいなくなった後でである。
「どこでそれを聞きつけました? あいかわらずの地獄耳ですね、不動殿は」
アエティウスが今は会議中だからとやんわりと追い出そうとしてくれたが、巧みにその手をすり抜けると、ちゃっかり椅子を確保し居座ろうとする。
「まぁいいじゃないか。それよりもちろん受けてたつんだろうな?」
「・・・ええ、その為にこの長い距離を翔けてきたのです。こちらに拒否する理由はありません」
アリアボネがそう答える間も、マシニッサは関西から送られてきた文を勝手に手に取って読んでいた。
「これが女王から来た挑戦状か? またずいぶん古めかしい文面だな。この文だと君主同士の合戦前の弁舌合戦や一騎打ちすらやりそうな勢いだ」
「まこと古風なことです。戦国が始まる前どころか、まるでサキノーフ様が降臨する前の時代の戦争ですね」
「で、策なんだが、決まったか?」
「策とは?」
「隠すなよ。敵は七万、こちらは五万だ。正面から馬鹿正直にぶち当たるわけでもあるまい。何か策があるんだろ?」
アエティウスとアリアボネはその言葉に顔を見合わせると小首を傾げて、どうしてそんな主張をするのかと不思議そうな顔でマシニッサを見つめた。
「いいえ何も」
両者から真顔で否定されたことにマシニッサは驚いた。
「・・・それは本心か? それとも情報の漏洩でも恐れて隠しているのか?」
「人聞きが悪うございますね。隠してなどおりませぬ」
「アエティウス、俺とお前の仲だ。隠さずに教えてくれてもいいじゃないか」
マシニッサは気安くアエティウスの肩を抱くようにして親愛の情を表す。それを見た有斗はアエティウスの豪胆さに舌を巻く。マシニッサならいきなり短刀でズブリと刺しかねないのに、表情をまったく変えない。自分なら絶対振りほどくけどな、と有斗はそう思った。
「そこまでおっしゃるなら、不動殿は何かよい策をお持ちで?」
アリアボネに逆に策を聞かれてマシニッサは面食らった。考え考え言葉を
「そうだな・・・敵は大軍だ。西京に篭っている兵が城外に布陣し終えるのに半日はかかる。途中まで布陣したところで襲い掛かれば半数の相手をするだけですむ。これならどうだ。勝利は疑いないではないか?」
「それはいい!」
有斗はめずらしくマシニッサの意見に同意した。そう言えばそうなのだが、敵が隊列を整える前に攻撃するということは兵法の基本だ。だが有斗だけでなくアリアボネもアエティウスも古今からの由緒正しい挑戦状に対して礼法を守って応対しようと考えるあまりか思いつかなかったようだ。策のことなど話題にもならなかった。
さすがマシニッサだ。礼儀だとか約束をきちんと守ろうとなどといった考えは、ちらとも思い浮かばないのであろう。実にあくどい。
しかしアリアボネは首を横に振って、その策を却下した。
「それは今回だけは使えません。古式の礼から外れております」
「え・・・どうして?」
いい作戦だと思うんだけどな、と有斗は不思議に思った。
「何を馬鹿なことを。勝てばいいのだ。勝てば理屈など後から好きなだけ付いてくるのだ」
戦国の世なら当たり前のそのマシニッサの主張をアリアボネは否定する。
「此度はそうは行かないのです。我々は関西の軍を破るために来たわけではありません。関西を手中にするために来たのです」
「軍を破れば関西も降伏するしかないんじゃないの?」
有斗はそう思った。軍事力をなくせば、敵対することも出来なくなると思うんだけれども。
「いいえ、途中まで布陣した兵を全て打ち負かしたとしても、半数以上の兵が関西の手元には残るのです。何よりも関西の女王は古式の礼儀正しく決戦を申し入れたのに、関東の王がその意味するところを無視して、奇襲などという策を取ったと知ったら、関西の諸侯も民も怒りを覚えることでしょう。関西の策の無さをあざ笑うものより、関東の非礼をなじる者のほうが多くなるでしょう。その後に全ての兵と女王を殺しても、関西の民は陛下に信服なぞいたしません。きっと反乱が起きる。今現在味方してくれている関西の諸侯にだっていい影響があるとは思えません。そんな状態では関西を手にいれたなどとはとても言えません」
確かに。大きな反感を買ったままでは、民も有斗の指示に従わないだろう。
「ということから、此度の戦いでは我々は関西をただ破ることだけを考えて戦うのではなく、関西の諸侯と民の目を意識して戦わなければならないのです。あえて正々堂々と戦い、一言の文句もつけられない戦い方で破らなければならないでしょう。彼らに正々堂々と戦って負けたということを見せ付け、彼らの心を折るのです。いうなればこの戦いは城でも軍でもなく、人の心を攻めるということです。それでこそ関西の民も諸侯も諦めて関東の軍門に下るということになるでしょう」
有斗は納得した。関西の民に関東に負けたと心の底から感じさせないときっと何度でも反乱を起こされてしまうだろう。そうなっては天下安寧など夢のまた夢だ。最後の最後で選択に失敗したら、この長征そのものが無駄になってしまう。
戦うにあたっては愚策ともいえる正面からの正々堂々とした戦い。ここはアリアボネのその考えを取るべきだ。
「しかし正面からの決戦に応じると、七万もの敵兵を相手にしなければならないぞ」
「こっちも五万いるんだ。やってみなければわからないさ」
アエティウスが言うその言葉にもマシニッサは首を傾げるばかりだった。
「アリアボネの言うとおりだよ。僕は戦争に勝利しにここに来たんじゃない。戦争を終わらすためにここに来たんだ。関西の民や諸侯を手中にしないと何も意味が無い」
「陛下がそうおっしゃられるのでは仕方がないですね。それでは・・・失礼します」
有斗の言葉にそれ以上自説を貫いてもしょうがないと思ったのか、マシニッサは有斗に一礼すると本陣から出て行った。
ふう、と緊張から解放された有斗はぐったりと椅子に腰掛けると大きく溜息をつく。
「でさあ。実際のところどうするの?」
有斗は改めてアリアボネに本心を聞こうとした。さっきのはマシニッサの前だから策を隠したに違いない、そう思っていた。数の多い敵軍に真正面からぶつかるようなことはないだろう。
ところがアリアボネは先程と同じ答えを繰り返した。
「言ったとおりです。正々堂々敵を迎え撃つ、それだけですよ」
「マシニッサに言ったとおりに? ・・・そうだ。もし万が一、マシニッサが関西に裏切ろうとしていたら、さっきのことをしゃべったのは不味かったのでは? 僕らが策を
「まずはこれを見てください」
そんな有斗にアリアボネは机の横の書状の山を指差した。
「これは諸侯らが関西から受け取った書状です。受け取った諸侯は陛下への忠誠を表すために、封も切らずに提出いたしたものです」
そこにはずらっと密書の山があった。中身は全て関西への内応を促すものだった。
「だが当然、密書が来たであろうマシニッサからは提出が無い」
「つまり通じているってこと・・・?」
「関西の女王がうっかりマシニッサにだけ密書を送っていないということでなければ」
ということは確実に来ているってことか。有斗はまた厄介の種が増えたとばかりに溜息をつく。
「それに先程の会話をよく思い出してください、不道殿は敵兵を七万と断じました。小諸侯などは闇夜にまぎれて西京に入りましたから、我々は正確な数を知りません。しかるにマシニッサ殿は七万と明確に断じた。敵から教えてもらわなければそんな数字は出てこなかったでしょう。ゆえに不道殿は関西に確実に通じております」
ん・・・? だとしたら・・・
「でさ、話を蒸し返すようなんだけれども、先程マシニッサに僕らが無策で戦うと決めたことを知られたけど、本当にそれで平気なのかな?」
「むしろ願ったり叶ったりです。敵を完膚なきまでに叩きのめすことが、関西の朝廷を降伏させる唯一の方法なのですから。それ以外に短期で我々が関西を手に入れる術はありませぬ」
「きっと今頃不道殿は関東に策なしと書面に書いていることでしょう。その文面に敵は狂喜乱舞し、誘き出されたとも知らず全兵力を城外へ出し布陣するに違いありません」
策の無いことが策になるのか、この二人の頭の中はいったいどうなっているのだろう、と有斗は驚嘆した。
「不道殿のような方であっても、あれはあれで使いようがあるということですよ」
アリアボネは有斗にそう告げた。つまりアリアボネとアエティウスは最初からマシニッサを利用する腹積もりであったようだ。
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