第101話 長征(ⅩⅣ)

 十津とおつが襲われたと急報が飛び込み、いきり立った関西の将軍たちだったが、再三要請したにも関わらず、女王からの出動命令は無かった。

 だがその中で一人、規律と法を飛び越え、独断でことを起こした将軍が現れた。名をペイトンと言う。

 十津は西京鷹徳府さいけいけいとくふの一キロほど南にある運河に面した商業港である。

 本来なら西京まで繋がる計画だった運河だが、西京と十津の間にある硬い岩盤からなる丘陵群を越える方法が見つからず、現在に至るまで放置されている。

 関西各地から集積された物資は、この十津に一旦引き上げられ、陸路西京へと運ばれるのである。いわば西京を人に見立てるなら、十津は口に当たる重要施設だった。

 軍事上、それを放置しておいては。糧食が絶たれる。何故そんな軍事的な危機を座して放置するのかとペイトンは高官どもの無能をののしってやりたかった。

 もし関東勢五万をもって十津を攻撃したというのなら、関西王師右軍将軍でしかないペイトンとて指をくわえて見ているしかなかったであろうが、城壁から見る敵軍は依然北部にその大半を割いているように見えた。十津からの報告も敵軍は一万弱とそれを裏付けていた。

 権勢欲溢れるペイトンは右府から内々の了解を取り、独自の判断をもって王師右軍を率いて打って出ることにした。

 それは明らかな越権行為、それも死罪に値するような大罪であったが、ペイトンは一向に構わなかった。あの軟弱な女王は軍規違反で将軍に死を命じる度胸もないだろうし、撃退に成功すれば文句も言う度胸もあるまいと言う事らしかった。実に横着なことである。

 それにペイトンにとって、これが勝敗を考えずにすむ戦であるのも気楽な要因だった。まず王師三軍の中で誰よりも早く敵に槍をつけたという事実が重要なのである。一番槍は巨大な武勲となる。

 それに王師右軍以外は敵が十津に攻め込んでいるのを見ているだけだったとなれば、今後の主導権争いでも優位に立てるに違いない。

 多少負けたとしても構わない。敵と戦ったという事実こそがどんな言葉よりも重く響くに違いない。

 さすがに無様に負けたら話は違ってくるだろうが、そうはならないであろう。何故なら逃げ帰る場所に困る心配はないのである。背後には王城がある。


 ペイトンが王師右軍を率いて十津に辿り着いたころには、辺り一面は既に火の海だった。敵軍はいまだペイトンたちの到着に気付かないのか迎撃してくる様子は見られなかった。

 だが十津はあちこちで火炎があがっていた。敵は小隊に別れて放火したり略奪を行っているようであった。

 十津は王都近辺に駐留する彼らにとっても馴染みの深い土地。それが他人に土足で踏み荒らされるのを見て、怒りに震えた王師右軍の兵たちは槍先をそろえ襲い掛かった。そこでようやく敵襲に気付いた関東勢は、一斉に呼子を吹いて味方に知らせようとする。

 こちらには地形を知っているという地の利がある。だが向こうは先に要所を押さえているはずだ。ここからはがっちり五分の厳しい戦いになる。そう覚悟した王師右軍の兵だったが、予想に反し優勢に戦を進め、大した痛手を被ることなく一時間も経たずに十津の奪還に成功する。

 だがその手ごたえの無さに兵士らは一様に首をかしげた。

「なんだ、こいつら? まるで歯ごたえが無い」

 昔から商の関西、武の関東と言われる。関東の兵は強兵として知られていた。それが故、関西の朝廷は壷関を有しているにも関わらず、関東に攻め込でも勝利することは少なかったのだ。だがこの目の前で一方的に繰り広げられている戦闘では強者の手ごたえを微塵も感じさせない。これが関東の実力なのか? だとしたら自分たちが長年恐れていたものは関東の虚像に過ぎなかったということか?

 それを自らの実力と思い、気が大きくなった王師右軍は一方的ともいえる勝利に酔い、敵を追い散らした。

 この崩れ方は演技とも見えないが・・・と、ペイトンも手ごたえの無さに同じように首を傾げる。それでもペイトンはこれが敵の罠であった時のことを警戒してそれ以上の深追いを禁じた。

 そもそも関東勢は五万はいるのだ。長時間、城外に出たままは避けるべきだ。敵に囲まれる危険性がある。各個撃破の機会を与えるだけでしかない。いくら関東勢が弱いとしても、五万対一師一万では勝負も何もあったものではない。

 今回は十津に攻め込んだ敵兵を見事撃退したことだけで満足しようではないか。それでも望外の戦果と言えよう。

 悔しがる中軍や下軍の将軍たちの顔が眼に浮かぶようだった。

 敵を殲滅する楽しみはそいつらの目の前でやるために取っておくことにしよう。


 一方、十津に攻め込んでいた関東勢の主将はリュケネで副将はエザウだった。

「これくらいでいいだろう。撤収するぞ」

 関西の王師が出てくるとは意外だったな、とリュケネは思った。

 こんなことなら頼んで後一師連れてくればよかった。そうすれば面白い戦もできようというものだが。だがこの部隊の目的は戦闘ではない。船舶、はしけ、桟橋、倉庫を焼き払うことが目的だ。

「え? 戦わぬので?」

 敵を眼前にし、好戦気分を沸騰させていたエザウが拍子抜けた声を上げた。

「港湾と倉庫の破壊が目的だ。それが終われば速やかに撤収する」

「まぁ御大将がそうおっしゃるのなら従いますが・・・」

 自慢の花山震天錘かざんしんてんすいを振るうことができなかったことがよほどくやしかったのか、エザウは拳でももを叩いて悔しがった。

「自慢の得物を使う機会はこの次に取っておくことだ」

 それに、とリュケネはアリアボネに言われたことを思い出す。

「できるなら逃げ出すことを優先して欲しい。例え交戦しても、絶対に勝たぬこと」

 あの美人軍師が言ったのだ、もちろん策にのっとっての行動だと言う事だろう。

 狙いはだいたいは想像が付くし、その理屈もわかるが、いやはや敵を目の前にして勝つなという理不尽な命令ほど、武将にとって嫌な命令はないな、とリュケネも内心では不満を感じていた。


 西京に帰還したペイトンたちを待ち受けていたのは民衆の歓呼の声だった。

 敵に王都近郊まで迫られるという前代未聞の危機に顔を蒼白にしていた民衆にとって、敵の襲撃を見事追い散らしたペイトンと王師右軍は大きな希望となった。

 その帰還に熱狂し住民は一目見ようとつめかけ、声をかける。まるで凱旋将軍だった。

 それを王城から苦々しく眺めていた左府は、そこに偶然通りかかった右府を見て厳しい視線を送る。

「まるで英雄の帰還だ。おかげで軍律違反をむやみに罰することができぬ。それが目的かね、右府殿」

 女王の命なく軍を動かすのは謀反と同じことである。ペイトンごときが独断で軍を動かすなどありえないのである。当然裏で糸を引く者がいるはずである。ならばそれはペイトンと親しい右府以外にはありえない。

「まさかまさかそのような・・・ペイトン卿はただ国家の危機を見逃せなかっただけのこと。罰されることを覚悟で国家のため出撃したのであろう。サキノーフ様も御照覧あれ! ペイトン卿の忠義が天に通じ、関東の悪賊を打ち破ることができたのだ。やはり他の将軍とは違いますな。一枚も二枚も上手だ。上将軍を任せられるだけの将軍は関西広しと言えどもペイトン卿しかおりませぬな」

「罰されることを覚悟で・・・か。ならば望みどおり罰するべきだ。勝手に軍を動かすなど、王権に対する重大な挑戦でしかない。後世のためにも許しておくわけにはいかぬ!」

 詰め寄る左府に右府は何故か余裕よゆう綽々しゃくしゃくであった。

「それはどうでしょうかな。陛下にこの件を先ほどお伝えしたところ、いたくお喜びで、是非稀代の名将に御自らお褒めの言葉を授けたいとおっしゃられたばかり。それをすぐさま罰するというのは、いささか見当違いではないかと思われますが・・・」

 実に抜け目の無いやつだ。もうそこまで先へ先へと手を打たれては、こちらも打つ手が見つからない。

「ふん。付け上がっておくがよい。いい気になれるのは今のうちだけだからな」

 左府の捨て台詞にも右府は気分を害することなく、作り笑いで恭しく手を組んで礼をする。

 そして左府が廊下を曲がり姿を消すまでゆっくり見送った。そして口の端を曲げて嫌らしい笑いを浮かべる。

「そっくりその言葉を返してやる。今のうちだけいい気になるがいいのだ」

 そう、この戦いが終わったら左府は俺だ。立場を無くしたあいつは引退するしかあるまい。

 その日が実に楽しみなことだ。右府は左府の致仕ちし(官職を退くこと)祝いに何を送りつけてやろうかと頭の中でうきうきと考えていた。


 ペイトンの勝利に関西の朝廷は息を吹き返し、鼻息の荒い主戦論が幅を利かせることとなった。

 将軍たちはペイトンに与えられた機会を、当然自分たちにも与えられるべきだと、城外に出ての主戦論を唱える。

 さらにはその結果、城外で行われた数度の小競り合いでいずれも関西有利の結果となったことや、続々集まってくる地方諸侯の軍といった要因もそれを後押しした。

 そんな中、何一つ有効な手を打ち出すことができず、さらにはペイトンの独走を許したと、武部尚書は大変肩身の狭い思いをしていた。

 そんな彼の元に女王に報告せねばならない情報がようやくまとまったと報告があがった。これを伝えると主戦論にさらに傾くことになるなとは思ったが、事実であるから言わぬわけにもいかない。

「参集した諸侯に兵糧を与えねばなりません。すると王師の食料はあと一週間も持ちません」

 それを朝会で武部尚書が発表すると、ざわっ、と一瞬で空気が重くなった。

「とりあえず米商人に命じて、急いで二か月分・・・いや、半年分の確保を命じるべきだ!」

 半年もすれば河東からカヒが畿内に乱入し、やつらはいやでも帰らなければならなくなるのだから。

「民間からの臨時徴収はどうだ? 関西の命運がかかっているんだ。民とて納得してくれるのではないか?」

「今の西京の穀物相場を知っておりますか!? 二十五倍ですぞ、二十五倍!! それでも買えるならいい。だがもう、まもなく全ての倉庫が空になると商人たちは申しております。売りたくても無いものは売れぬと。つまりこの西京のどこをどう探しても数万の軍の腹を満たすだけのものはないと思われます」

「このままでは我々は戦う前に飢えて死ぬ・・・!」

 民間価格の調整も担当する節部尚書も驚きの表情を隠せない。米価のことを知らぬはずのない立場の人物なのだが・・・たぶん怠慢さぼっていたのだろう。

「何故こうなった!? たしかに穀物相場は秋頃から上昇していたが、ここまで物資が不足することは無かったはず・・・!」

 節部尚書に、というより女王と高官たちに現状の危機を把握してもらおうと武部尚書は説明を続ける。

「元々この西京は外部からの食料輸入に頼るという、いびつな経済構造をしています。敵軍に近づかれ、外部との運送に支障をきたすようになると、すぐに食料が不足します」

 だがこれだけ大きい都市だ。完璧に包囲するなど不可能ごとに近い。夜間の暗闇に紛れれば、なんとか運び込めないこともなかったのだが・・・

「何より痛手だったのは十津の攻撃です。あれが致命傷となりました。十津には国の倉庫も、商人の倉庫もあった。そこには少なくとも二ヶ月分の食料が備蓄さえていました。だがそれは一回の攻撃で灰と化した。何よりも痛いのは、艀も船も大勢失ったことです。いまや地方から食料を運ぶ方法は陸路しかない。とても三十万の民と数万の兵の口を満たす量を運ぶことなど不可能です」

 関東の兵より間近に近づいた予期せぬ危機に、朝臣たちはうろたえる。

「とすると何をするべきか具体策はあるのでしょうか?」

 混乱を来たした朝臣たちを現実世界に引き戻したのは、王女の発言だった。

 そうだ今できることを考え、やらねばならない。このままでは座して死ぬだけである。

 しかも敵にやられてではない。敵よりも兵力がありながら、飢えて死ぬのだ。負けるのは仕方が無い。だがそんな負け方などしようものなら、末代にまで馬鹿にされることとなろう。

「姫陛下、直答をお許しください」

 末席から声を上げたのは上将軍を拝命したばかりのペイトンだった。

「許す」

 凛とした声が響いた。セルウィリアは末席のペイトンに顔を向けると、頷いて許可を与える。

 朝臣は一斉に振り返ってペイトンを見る。ペイトンは集中する視線に臆することなく自説を披露した。

「次々と諸侯は参集しております。ここは飢えて死ぬより、城外での決戦を挑むべきと心得ます。関東の兵は長駆し疲れております。故郷より遥か離れ不安も強いはず。それに私が戦いましたところ、関東の兵はちまたで言われているほど強くはありません」

 それは関西の朝臣たちも感じていた。関東は強兵というけれども、いくらか起きた小部隊同士の小競り合いは全て関西勢が押し勝ったという。

 それに城下まで敵が来たのに迎え撃たなかったら、諸侯や民から弱腰の朝廷よと軽く見られることだろう。朝廷の権威のためにも戦わなければいけないとは皆思っていた。

 だが右府以外の朝臣はそれに賛同することを言い出す気にはならなかった。関東の実力を恐れたわけでは無い。これ以上、右府とペイトンに功績を立てさせてなるものか、という気持ちだった。つまりは嫉妬だ。露骨な内部対立である。

「さらに我々の数は既に七万、敵は五万です。数でもついに上回りました。勝利は見えたも同然です。ここは食料が切れる前に打って出、決戦を図るべきです」

 予想していたことではあるが、ペイトンは城外での堂々の野戦を主張した。

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