第100話 長征(ⅩⅢ)

 完全に封鎖される前に、女王の命を受け、急使が馬を飛ばして各地へと散っていく。

 入れ違いのように郊外の駐屯地から、王師の兵が続々と入場してきた。

 大敗を喫した王師左軍は壷関に留めおかれているから、王師右軍中軍下軍の三師三万、取り急ぎ準備のできた旅隊から順番に慌てて駆けつける算段となった。この三軍に近衛の兵を含めると四万もの大兵になる。王城という巨大な盾を有していることを考えると、十分な兵力と言える。

 また生まれて初めて敵を見た関西の民も、驚き慌て震えているだけの者も出るだろうが、それよりも自分たちの安定した暮らしを乱した闖入者ちんにゅうしゃに怒りを覚える者の方が多いであろう。士気は高い。

 だが楽観は許されない、と武部尚書は思う。

 まず指揮系統が不明確だ。全軍の統率は王位にある女王が取ることになるが、あの美しいだけが取り柄のお人形様に戦の何たるかを知っていると期待することはできない。

 となると王に代わって指揮を執る上将軍を置くのが適当ではあるのだが、その人事が問題を含んでいる。ステロベかバルカがここにいればそのどちらかに指揮権を渡すのが適当なのだが、今バルカ卿は壷関にいる。あそこも敵に接する最前線である。呼び戻すのは危険を伴う。それにバルカに指揮権を渡すことには左府始め異論を持つものが多い。これは諦めねばならない。そしてステロベは裏切ったのだ。ここにはいない。

 いや、いないだけならまだいい。それどころか王師の兵はステロベ旗下で戦ったものも多い。心酔している者もいると聞く。そういった兵卒が裏切る可能性をも考慮して作戦を立てねばならない。実に厄介だ。

 ということは今現在いる将軍の中から選ぶことになるのだが、王師の将軍たちは互いを出世のライバルと目しているから極めて仲が悪い。彼らの背後に立つ者も右府だ左府だとかバラバラ、そしてこっちも仲がいいとはお世辞にも言いかねる関係だ。主導権争いから内紛を引き起こしかねない。

 引退した先の鎮北将軍か先の征東将軍なら実績は十分ではあるが、王師の誇り高い将軍たちが、地方官上がりの彼らの命令を大人しく聞くとも思えない。老齢でもある。実に頭が痛い問題だった。

 武部尚書は溜息を吐く他は無かった。


 そしてもう一つ問題が。これはまだ彼しか知らない事実がある。

 この西京は元々、関西全域の押さえとして攻撃防衛に適した場所に建設された西征の拠点だった城砦が元になった都である。

 この狭い関中地方だけでこの巨大都市の食糧を生み出すことを考えられて建てられたわけではない。普段は地方に蓄えられた食料を必要に応じて、運河を使って郊外の十津とおつまで運び込まれることで食糧自給を満たしていた。

 篭城するということはそれが絶たれるということでもある。食料が必要なのは、四万の軍だけではない、この西京は人口三十万を数える大都市なのである。篭城がどういう結末をもたらすのか想像すると、武部尚書には戦慄を禁じえなかった。

 しかも、平時ならばまだいい。米商人は蔵に大量に米穀を備蓄しているものだからだ。だが先んじて米商人に問い合わせたところ、恐ろしい答えが返ってきた。

 何故か秋ごろから米価は急に上がり始め、年末に近づくにつれ四倍を超え、入手するのも困難を極めているという。今現在、西京内にある残余の米は極わずか、流通が止まれば三十万の人間の糊口を濡らすこともできぬ量である、と。

 民間家庭には当然のように当座の米はあるだろうが、はたしてそれで何日もつことやら。

 急ぎ王師の駐屯地に命を下し、あるだけの兵糧を持ってくるように命じたが、それも焼け石に水の小手先の対策であろう。

 武部尚書は逃げることが許されるものなら、今すぐにでも全てを投げ出して逃げ出したいと本気でそう思った。

 そんな只でさえ頭が痛い武部尚書に追い討ちをかけるように、王師三軍の将軍が入れ替わり立ち代わりやってきては、

「是非、王女陛下に謁見を!」と請願するのだ。

「またか」

「またかと言われましても、お口添えを頂けるまで何度でも来ますぞ。今は国家の一大危機、それを憂えずして何の国士ですか。関東の大兵を眼前にして臆するなど王師の名に恥じます。是非我が軍略を王女陛下に披露させて頂きたい」

「とは申してもの。まだ上将軍の任命がされておらぬのでな。それからでも遅くはあるまい」

 誰が上将軍になっても不満はでるだろうが、それでも女王が任命した将軍の命を明確に拒否するほど、この者らとて子供ではあるまい。

 軍の命令系統が決まってない今のまま出兵しては、三軍ばらばらに戦うことになる。それでは戦う前に敗北するも同然だ。

 ここはやんわりと拒否しつつ、女王と大臣が上将軍を決めるまで時間を稼ぐしかない。

 そんな武部尚書に将軍は未練がましく食い下がる。

「いやそうな顔をしても無駄ですぞ。必ずや許可を頂けるまで毎日でもお伺いしますからな」

 武部尚書は嫌みったらしく、さらに顔をしかめ、できる限りの渋面を作って、その言葉の返答とした。


 長征を開始してから、アリアボネのところにラヴィーニアの報告が届くことはなかった。

 とはいってもアリアボネは一向に兵站について心配することはなかった。というよりは心配しても無駄なことと考えていた。

 なんといってもラヴィーニアに任せたのだ。彼女なら例えどんな手段をとっても、それこそ関東の民が半分飢え死にしようとも、味方しているうちは食料を前線に送り続けてくれるからである。

 ならばもし、彼女が裏切った場合は兵糧をどうするのかと聞かれたら、食料が途絶えるとかそんな些細ささいなことを考える必要はないと答えるだろう。

 その場合は、おそらく彼女も王も征西軍も一人残らず食料の心配をうんぬんする必要のない世界へ行く羽目になるからだ。泉下でお会いしましょうとでも言うしかない。

 そんなラヴィーニアから久々に書簡が届いた。朝起きたら枕元に竹簡がひとつそっと鎮座していたのだ。

 本当に神出鬼没なお友達だこと、と苦笑して竹簡を広げる。

 そこには時候の挨拶もほどほどに用件が手短に書かれていた。

 天文学的な数字の軍票の発行額に顔が真っ青になったアリアボネだが、その後書かれた情報も起き抜けの彼女の脳の眠気を覚ますのに十分な情報だらけであった。

 河東に長征のことを知られたこと。壷関の軍を鹿沢城に釘付けにしたものの、その後撤退し、今は西京に向かう準備を始めているということ。両者とも兵糧の不足でいまだ出兵の見込みが立っていないこと。だがそれももってあと二ヶ月だということ。二ヵ月後に不良在庫になる前に、手持ちにある全ての余剰の兵糧を順次売る、よって両軍は二ヵ月後には確実に行動を開始することになる、それまでにどういう形であれ決着をはかって欲しいと書かれてあった。

 ラヴィらしい考えだな、とアリアボネは思った。

 私と王が長征に来ているのだ。友情だとか王に恩を着せることを考えたら、普通の人間なら集めた兵糧を市場に解き放たず、一日でも、いや一秒でも彼らが出兵するのを遅くするに違いない。

 だいたいそのツケを払うのは国家で、後始末に苦慮するのは尚書のアリアボネであり、ラヴィーニアのふところが痛んだり、尻拭いをするわけではないのだ。

 ということは彼女は私との友情よりも、王の命よりも、何より社稷しゃしょくを重んじたということだろう。

 例え征西軍が敗北し現政権が潰れ、関東という国家の主権者が変わろうとも借金は残るのだ。それを次の政権が肩代わりしようとも、踏み倒そうとも、その被害は関東の官民に圧し掛かってくるのだ。

 ならば社稷を重んじるラヴィとしては、民と国庫のことを考え、不良在庫になる前に兵糧を売り抜き、関東が後払いしなければいけない軍票の総額を減らしたいのであろう。

 だが、とアリアボネは軍票の総額に思いを巡らす。この金額はありえない。桁が違う。想定していた金額を遥かに上回る。何度見ても眩暈めまいを起こしそうなほどだった。長征に必要な兵糧だけならこんな金額にはなることはありえないのである。

 つまりアリアボネの想像を遥かに超える規模でラヴィーニアは兵糧を集めていたということである。

 それは何のためかと考える必要がある。

 陛下やアリアボネに対する嫌がらせ?

 いや、違う。アリアボネがその程度の人物だと思うというのは失礼にもほどがある。

 とすると別の意図があると考えるべきだ。

 そう、これは征西軍の戦略意図にそって立てられた極めて大規模で巧妙な策なのだ。

 この長征の成功の可否は壷関にも河東にも手出しをさせないうちに、いかに素早く西京に迫り、陥落させるかというところにある。河東と関西から兵糧を集めることで、金額は輸送費も含めて跳ね上がることにもなるが、現地での在庫を少なくすれば、壷関とカヒの出兵を遅くすることにもなる。当然ラヴィーニアの動きを察知した商人も買占めに走るから、完全に防ぐことはできないだろうけれども。

 だがそれでもこの金額はおかしい、多すぎる。

 答えは明確。そう、西京近辺の米も買い上げたのだ。

 つまり今、目の前にある西京には長期の篭城戦に耐えられるだけの食料はない。と言っても誤解を生まないように詳しく言っておくならば、半年も一年も持たないということで、一ヶ月や二ヶ月やそこらならなんとかなるだろう。なんといっても一国の首都だ。食糧の備蓄がないわけではないし、人間は案外食わなくても生きていけるものなのだ。

 だが兵糧がない、外部との連絡も付かない、王都の郊外に敵軍が進駐している。この現状はきっと敵の焦りを生む。

 それが早期解決しか方法の無い我々が付け入る隙を生み出すはずだ。

 アリアボネは千変万化せんぺんばんかの戦場において一瞬の閃きで戦局を有利にすることには、他人の追随を許さない自信はあるが、戦場にいたるまでの長い積み重ねをもって、戦う前に勝敗を決するようなはかりごとを組子細工のように組み上げることはラヴィーニアの後塵を拝する。

 きっと短期決戦しか手段がない征西軍の為に、彼女なりに考えに考え抜いてこの策を立てたに違いない。

 だがその策をわざと手紙に書いていないところがまたラヴィーニアらしい、とアリアボネは微笑んだ。

 榜眼ぼうがん様なら気付かないはずはないだろう? と、ラヴィーニアの意地悪な声が文面から今にも聞こえてきそうであった。

 しかし何も伝えなければ気付かないかも知れないと、多少は心配はしたんだろうな。アリアボネは友人の優しさに感謝した。

 だってラヴィーニアは稀に見る独善的な女なのである。軍票の総額がいくら莫大な額になったからと言って、それを報告してくる、そんな心優しいマメな女ではないのである。


 翌日、城外一里に関東勢は布陣する。兵が動き回って攻城兵器を作り始めた。

 ひるがえる旗を見るに関東の王師、諸侯のほかに、関西の諸侯もが参陣しているのがわかる。それは関西の朝臣に大いなる打撃を与えた。諸侯が関西を見捨てて関東に付くということは、関東の王に正義を見たか、勝利するのが関東であると踏んだからに違いないのだ。手をこまねいていると、この流れがさらに広がる危険性がある。

 だがそれを目にしても女王は慌てるそぶりを見せず、落ち着いたものだった。

 それを見てさすがはサキノーフ様の末よ、と頼もしく見る向きもある一方、どうしていいのか理解わからないだけであろうよ、との辛らつな意見を持つ向きもある。

 結局、敵は大軍だが、西京をぐるっと取り囲むだけの兵は無い。そう見た公卿は結局、結論を先延ばしにした。周辺の諸侯が集まるのを待って決戦しても遅くは無いと言うわけだ。

 それを三軍に伝えた武部尚書に将軍たちから非難が集中した。消極的すぎるというのだ。

 武部尚書は軍事の最高位に当たり、彼らの人事などを握っている。だが彼らを指揮する権限も出撃を許可する権限も持っているわけではないのだ。それを当然彼らも知っている。だが関西では武官の地位が相対的に低い。直接、王女陛下に直訴できぬ身としては武部尚書に文句を言うしかなかったのだ。

 中間管理職の悲哀をいやというほど味合わされている身の武部尚書にとってはいい迷惑であったが。

 彼らの愚痴を一通り聞き、物事が一旦、収まったかに見えた彼の元にとんでもない報告があがったのは、その日の午後だった。

 敵のうちから一、二万の分隊が派遣され十津に向かったという。

 そこは西京の生命線だ。そこを抑えられたら西京は干上がってしまう。あまりの出来事に狼狽する武部尚書に追い討ちをかけるように、それが起きたのは一刻も前のことだと伝えられた。

 なぜ報告が遅れたと怒る武部尚書に、官吏たちは申し訳なさそうに首を垂れる。

 それを口止めしたのは右府と王師右軍将軍であると言うのだ。

 そしてなんとすでに王師右軍がそれを防ごうと勝手に西京から出撃したというのだ。

 武部省の官吏たちが見た武部尚書は事態に困惑し、今にも卒倒しそうな顔色をしていた。

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