第71話 鼓関の戦い(Ⅳ)

「出てきますかな。敵は」

 馬を並べる軍監の問いにグナエウスは答える。

「出てこなかったとしてもかまわないさ」

 七千から一万の兵が篭る城砦を攻めるには最低でも五、六万は欲しい。三万の兵ぽっちで力攻めしても兵を損じるばかりだ。

 もちろん長期包囲して城を陥落させる手もないわけではないが、グナウエスの頭にはそんな考えは毛頭なかった。

 今回の出兵の目的は、鹿沢城を落とすことではないのである。一当たりして幸いにして勝利すればよし。もし城が落ちそうになければ一日でさっと兵を退く予定だった。

 その後にバルカが朝廷に出した武功帳に偽りありとして追求すればよい。

 それでバルカは鼓関の主将の座から追い落とされる。左府様はお喜びになられるだろう。楽なものである。


 やがてあらかじめ出した斥候が帰還し、立て続けに敵報が入る。

「鹿沢城に炊煙の煙が立ち上りました」

「鹿沢城より出陣する関東の兵を確認しました!」

「進路を西へ向けた模様です!」

 グナエウスはそれぞれの物見が帰ってくるたびに同じ質問をぶつけた。

「規模は?」

 だがどの物見も返答はほぼ同じだった。

「それが・・・よほど警戒しているのか先行している部隊は物見と見るや矢を放つもので、数は不明です。ただ先備さきぞなえは三、四千と見えました」

 物見の長はその度に申し訳無さそうに肩を落とした。

「すると全軍で一万を超えるか超えないかというところであろうな」

 こちらは三万だ。正面から当たれば勝利は疑いなしだ。

「しかし何故こちらの物見をそこまで警戒するというのでしょうか?」

 軍監の言うとおりである。軍の行軍先を知られたくない場合なら話しはわかるが、此度こたびの場合、両軍共に城を出て相手の軍に向かって進む形になる。特に秘匿して進めねばならぬという理由があまりない。

「我々に探って欲しくないことがあるのでしょうか?」

「敵の兵は少ない。迂回しての包囲殲滅は狙うまい・・・すると伏兵を使うという可能性が高いか」

「私もそう考えます」

「だとしたら敵が要地を押さえ布陣する前に叩き潰してやる!」

 敵が想像するより兵を速く進ませ、敵のその考えを打ち崩すべきだ。

 伏兵など兵を配置するその前に強襲をかければ、何の意味もない。兵書に言うではないか、『上兵ははかりごとち、其の次は交わりを伐ち、其の次は兵を伐ち、其の下は城を攻むるなり』と。

「全隊に通達! 全速前進せよ! 遅れたものは斬る!」

 通達を出すやグナエウスは自ら先頭に立つと、後続の兵がついてくるかも確かめず、一騎駆けよろしく馬を走らせた。将軍直属の護衛兵が慌てて後に続くと、歩兵たちも遅れじと槍を担いで走り出した。

 強行軍に兵たちの息も上がり隊列も乱れるが、グナエウスは一向に頓着とんちゃくすることなく軍を前へ前へと進めた。

 やがて街道が大きく弧を描いた先に、敵の一軍を発見した。

 敵は今まさに布陣しようとしていたところだった。弧の内側の山では揺れる木々が、脇の草むらではまだ隠しきれていない旗が兵の存在を主張していた。数は三千といったところか。思ったとおり伏兵し奇襲をかけるつもりであったのだろう。だが幸いにもその準備は完了していなかった。

 間に合った、と心の中でほくそ笑むと、後続の兵が追いつくのを待ちつつ、グエネアスは乱れた息をしばし整える。

 敵は早い遭遇をまったく警戒していなかったのか、慌てて陣形を組もうと試みていた。だが間に合わせの陣形に過ぎない。陣形が乱れているという点では両陣営とも同等だが、前方に敵がいることを前提として行軍してきたグナエウスにたいして、関東の軍の慌て方、伏兵の準備度合いから考慮すると、敵と接触するのはもう少し後であると考えてた節がある。

 ならば、陣を敷くという定石を取らずに、時を与えず攻めるのが上策か、とグナエウスは決する。

「攻めかかれ!」

 グナエウスの声に答え、関西の兵たちは息を整える間もなく、それぞれが思い思いのタイミングで突貫の声をあげて、突然の会敵に怯む関東の兵に襲い掛かった。

 隊列もなければ、武器もそれぞれの得物だ。さらには隣と歩をあわせることすらせずに襲い掛かった。そこで繰り広げられたのは文字通りの乱戦である。

「エイ、ヤア、トウ」

 勢いよく突き刺さった関西勢だったが、一瞬柔らかな壁にぶつかったように勢いは弱まった。

 だが関東勢は急場しのぎで作った陣形だ。厚みも幅も無い。やがて一方的に押し込まれる形となる。戦場が変化したのだ。

 仲間が倒され、一人が逃げ出すと、関東勢はそれが二人三人と続き、遂に支えきれず壊乱する。哀れにも逃げ遅れた兵は一斉に襲い掛かられ血祭りにあげられた。勝利を得た兵士たちはグナエウスを囲み雄叫おたけびをあげ沸き立った。

 だがグナエウスは勝利するということの本質を知る男である。

「敵に当たり、追い散らすことは勝利ではない。敵を討ち取り、拿捕だほし、無力化してこそ、真の勝利なのである。この勝ちに乗じれば大勝利は疑いない!」

 味方も強行軍で疲れているが、敵だって伏兵するための準備をしていたのだ。条件は五分だ。

 しかも敵は作業を途中で放棄しなければならなかった。心理的な徒労感は敵のほうがずっと多いはず。

 敵を追い散らしたことで、一息入れようとした味方を叱咤しったし、馬にむちをあて再び走り出す。兵たちは緒戦の勝利に意気上がり、喊声をあげその影に続いた。

 敵を追いかけると二回、三回と組織的な抵抗にあう。敵も後ろを向き逃げるだけでは損害が増すばかりだと気付いたのだろう。

 だがこちらには勢いがある。そのことごとくを微弱な抵抗と共に粉砕する。

 一旦進撃が止まったように見えても、再び躍動するように力を取り戻し、兵は前へ前へと面白いように足を速める。

 見たか、西方の兵の強さを、とグナエウスは心の中で豪語する。

 兵たちも息は上がり、からからに乾いた喉からは絶叫以外ひねり出せぬようにはなっていたが、高揚する心が身体を動かしていた。

 敵を追い続けて、やがて鹿沢の地まで辿り着く。そこは盆地状の平原で、一見で見晴らせるように広がっている。特に北面は大きな沼や川がある湿原が多く、流域を流れる川の源流となっている。そこから見る敵軍は隊列もそこそこに後退を続けている。ざっと見たところ数は一万と言うところかな。

 グナエウスは偵騎の報告と同じだ、と満足げに頷く。ならばこのまま追い続けて鹿沢城に追い込んでしまうとするか。

 いじらしいことに敵は逃げる時間を稼ぐために最後尾の兵は戦いつつ退いている。

 だが逃げる敵の兵士同士の間隔は徐々に詰まりつつある。逃げ場のある平原ならいい。しかしここは出口も入り口も細い街道が一本あるだけなのだ。こうなると逃げようとしても前が詰まって兵は逃げられなくなる。最後には行き場をなくした兵士は味方によって押しつぶされる。

 鹿沢城に着くころにはもはや敵は数えるほどになっているに違いない。


 有斗は関東に追われながら退却する王師左軍を鹿沢平原の南端の山の木々の葉の隙間から遠く眺めていた。

「敵は最後尾まで鹿沢の地に入り込んだね。計画通りだ」

 有斗の言葉に大きく肯定するよう首を振ったのはアエティウスだ。

「兵を伏せるということは策です。ですから普通は出あった兵が伏兵である限り、それ以上の策が存在するなどとは思いません。それが佯走ようそう(偽って逃げること)だなどとは兵理を知るものほど思わぬもの。王の策は兵理を超えたところにあるがゆえ、敵に返って気付かれなかったのでしょうね。しかもあの敗走ぶりだ。我々でさえまるで本当に敗走しているように見える。たいしたものです」

 ここから見るエテオクロス率いる王師左軍は街道を中心に後尾を丸く膨らました形になっていた。

 敵はそれを三方から覆う形で半包囲し必勝の陣形を形作らんとする。幾度も崩れかかりその度に有斗をなんどもハラハラさせる。だが劣勢を立て直すエテオクロスの手腕はさすがとしかいいようがない。

「いやあ上手いものですな。さすがは王師にこの人ありと知られた『陥陣営』、見事なものです」

 ベルビオは目の前で繰り広げられている熱戦に血がたぎるのか、やたらと落ち着きなく身体をかいていた。

 それを見てアエティウスは少し笑いながら、

「余裕に見えて意外と本気で苦戦しているのかもしれません。そろそろ始めましょうか」と有斗に言う。

「そうだね」

 有斗がそう言うや、後方で用意された焚き木に火がくべられる。まもなく煙塵えんじんがもくもくと空高く舞い上がる。

「ベルビオ頼むぞ」

 アエティウスがその巨大な背中を叩くと、ベルビオは待ちきれない思いだったのか綱を放した番犬のような勢いで、斜面を転がるように滑り落ちる。

「やれやれまるでイノシシだな」

 ベルビオの筋肉の盛り上がった後姿をアエティウスはそう評した。

 微笑ましくその光景を見ていた有斗は再び視線を戦場に戻す。

 そろそろ敵陣に変化が起きるはずだ。

「さて敵は上手く引っ掛かってくれるかな?」

 有斗は釣堀の釣り人よろしく、仕掛けに魚が近づくのを焦れる思いで待ち構えた。


 バルカは関西勢三万の最後尾に位置していた。

 いきり立って獲物を追いかけたグナエウス隊や諸候軍と違って、離されて孤軍にならない程度の距離を保ってゆっくりと付いて行った。

 どうせ急いでも前が詰まっている以上、敵にありつけるわけでもないのだ。

 グナエウスが功をあげるのはしゃくだったが、味方が負けるよりはずっとマシである。今回はどうやら自分の出番はなさそうだ、とバアルは欠伸あくびしながら考えた。

 もし敵の数がバアルに伝えられていたなら、敵の総数を一万五千以上と見積もっていたのだから、伏兵の存在を気にしていただろう。

 だがグナエウスから入る情報は断片的で、バアルとても推測できるほどの情報を持っていなかったのだ。

 そのうえ、関東の軍が伏兵しようとしているところを初手で撃破したとの知らせだけは届いていた。

 伏兵という策が敗れた以上、これ以上相手に策があるとは思わぬのが妥当だった。

 突然南の空に黒い煙が上がる。

 妙なものが見える。野焼きか? と一瞬、らちも無い考えが浮かんだが、直ぐに我を取り戻す。

 ここは戦場だ。あらゆる可能性を考えなければならない。

 伏兵か? 慌てて周囲を確認する。異変が起きたのは、はるか前方だった。

鹿沢平原の東端で半包囲していた諸侯軍は突然森を出てきた伏兵に側面を襲われる形になった。王師右軍である、その数はざっと三千。

 逆に挟撃される形になった諸侯軍は、長い距離敵を追っていただけに隊列も長く伸び、陣形も元の形を留めていなかった。瞬く間に諸侯軍の右翼は崩壊し、力を失った。

 逃げる一方だったエテオクロス隊も勢いを取りもどし、再びグナエウス隊に襲いかかった。先ほどまでの流れとは一転、グナエウスは劣勢に立たされた。。

 だがグナエウスは状況判断を誤るような男ではない。急ぎ本陣の諸隊をつぎ込んで諸候軍の窮地きゅうちを救おうとする。

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