第69話 鼓関の戦い(Ⅱ)

 関西の中書令は不貞腐ふてくされていた。

 左府に己の献策を気に入ってもらえたことで、次の除目じもくでは遂に一族念願の宰相、つまり廟堂びょうどうに連なる公卿くぎょうの一員になることは間違いないと思っていた。

 公卿になれば科挙とは別口で人物を推薦することで官吏にすることが出来る。さすがに三公のように中央の重要役職にねじ込むことは出来ないが、一族のものを地方官くらいには送り込むことが出来る。また賄賂の額に応じて官職を与えることで蓄財も可能だ。しかも子息は自動的に親の役職に応じて官位官職が与えられる。公卿と公卿でないものには格段の差が存在するのだ。

 だがバアルが王師右軍に対して大勝したとの知らせが届くと、左府の態度は急変した。

 おまえのいうことを聞くんじゃなかっただとか、これではますますあの銀髪の小僧の思い通りではないかなどとネチネチ嫌味をいう始末。献策をしたことでむしろ公卿の座が遠のいたことになってしまった。

 家に帰ると、使用人たちを怒鳴りつけ、浴びるように酒を飲みながら、思いつく限りの汚い言葉を用いて左府を罵倒することでストレスを発散していた。

 居心地悪そうに肩をすくめて近づいた使用人が主人に客の来訪を告げる。

「セルギウスが来ただと!? 縁起でもない! 塩をまいて追い返せ!」

「はい」

 一旦、そう命じた中書令だったが、頭を下げ命じられたことに従おうとする使用人を呼び止めると、再度手招きする。

「いや待て! ここへ連れて来い! 俺がこの手で塩をぶつけてやる!」

 そう大声を出すと、敷居をまたいで手前の部屋からセルギウスが入ってきた。

 セルギウスは表向きは関西の宮廷の御用を勤める屈指の大商人である。今は縁あって関東の中書令アリアボネの間諜スパイの役目をもしているが。

「ははは、ここまで聞こえておりますよ。どうなされました中書令様。何か大層な怒りようだとか?」

「ゆ、許しもなしに勝手に人の家に入るとは! ぶ、無礼者めが! 賊として獄に叩き込んでくれるわ!」

「それは酷い。私に今後、好き勝手に館への出入りを許すと言われたのは中書令様ですぞ」

「う、うるさい! お前のせいで・・・お前のせいで私は!!」

 怒りを表すかのようにセルギウスに震える指先を突きつける。

「何があったかわかりませんが、私で力になれることならば力になりますよ」

 セルギウスは完全に酔っ払って足元もふらつく中書令をなだめて元の席に座らす。

「何をお怒りかは存じませんが、このセルギウス、閣下の為なら水火をも辞さぬ覚悟。さ、さ、まずはお静まりを。お怒りの訳が分からぬままでは、このセルギウスとて何をすれば閣下に許していただけるのか皆目検討がつきませぬからな」

 セルギウスは中書令の杯に酒を注ぐ。

「お前のくだらない策を左府に告げたまでは良かった! 左府も喜んでその策に従い、バルカの銀髪の若造に少ない兵での関東攻略を命じた。失敗するか、討ち死にするか、そういう予定だったのに・・・! ところがあの小僧は生き延びるどころか、敵を打ち破り大勝利したというのだ! 味方の被害はわずか百人足らず、それに対して敵の被害は一師に及んだというぞ!」

「しかし左府様の包囲網あってこその戦果では? 左府様はバルカ卿よりも功を立てたことになるのでは」

「だがその包囲網が崩れたのだ! 南部も河北も押さえ込まれ、カヒも兵を退いたと聞くぞ! 左府様の面子だけが潰れて、小僧の株だけが上がったのだ!!」

「なるほど、それが左府様の、また中書令様のお怒りの原因ですか」

 セルギウスは納得したとばかりにアゴに手を当てて大きく頷く。

「この埋め合わせは必ず貴様に払わせてやるぞ! セルギウス!!」

 怒りに震える中書令にセルギウスは何がおかしいのかニコニコと笑みを返す。

「しかし・・・おかしいですな」

「あ!? 何がだ!?」

「本当にバルカ卿は戦果を上げられたのでしょうか? 」

「何・・・?」

「私は鼓関で関東の商人と取引して来ました。関東と関西が兵を交えたということは聞きましたが、関東が大敗北したとの情報はありませんでした。本当にバルカ卿は関東と戦い勝利したのですか?」

「・・・小僧が嘘をついていると言うことか?」

「そこまではさすがに・・・ただ、こう思うのです。一師の兵といえば鹿沢城のほとんど全ての兵のはず。つまりバルカ卿の言が本当だとすると、なぜ守備兵のほとんどいなくなった鹿沢城をバルカ卿は攻めなかったのか、と」

 セルギウスはバアルが破った兵の他にも、鹿沢城に駐留していた兵がいたことを知っている。

 それに加えて敗残兵となった兵たちも鹿沢城に逃げ込み、それを見てバアルが鹿沢城攻略を諦めたということもつかんでいた。

 だけれども関西の宮廷にいる人間はそれを知らない。巧みにバアルが破った兵だけが鹿沢城に駐留していた全兵士であるかのように話を誘導した。

「そうか・・・そうだな・・・確かにそう言われれば不審な点があるな」

「そこを問いただせばいかがでしょうか? うまく行けば失脚させられます」

「あくまでしらをきったらどうする? 確かめようがあるまい」

「関東の偽王にバルカ卿が一師破ったと言っておりますが、本当でしょうかと聞いてみたらいかがですか?」

 セルギウスの荒唐無稽こうとうむけいの言葉に、中書令は四十有余年生きてきた中でこれ以上の愚か者を見たことがないとばかりににらみつけた。

「答えるわけがあるまい! たとえ本当のことだとしても否定するに決まっておる!」

「もちろん冗談ですよ」

 詰め寄る中書令を両手を前に出してなだめる。

「つまり・・・本当であるにしても嘘であるにしても確かめる術は無い、ということになります」

「そうなるな」

「でしたら───」

 セルギウスは中書令の耳に二言三言呟いた。


「でしたらまず問責の使者を出し、あの小僧に問いただすのです。何故攻めなかったのか、と」

 昨日セルギウスに披露された策を中書令は左府にそのまま伝えていた。

「本当であれ嘘であれ、まずバルカは敵を打ち破ったことを主張するであろうな」

「まず攻めなかったことでバルカを叱責することができましょう。さらには王都から派兵し、バルカと共に鹿沢城を攻めさせます。バルカの報告がまことなら鹿沢城を落とすことは容易い」

「成功したらどうするのだ? さらなる功績をあげる機会をきゃつめにくれてやるだけではないか」

 馬鹿馬鹿しいと左府は鼻息を荒くする。

「もちろんそこも考えております。派兵した王師の将軍を上将軍とし、バルカはたんなる一師率いる将軍のまま据え置くのです。勝ったとしても功は上将軍とそれを任命した左府様に・・・というわけです。たとえ戦場で敵をいくら倒しても国家としてなにか得たわけではありません。それよりも鹿沢城を得れば橋頭堡になるだけでなく、畿内と南部との連絡も絶てる。今後関東から離反するものも増え、関西としては得るものが多い。功の大きさは比較にならぬほどです」

「失敗したときはどうするのだ? ワシは責任を取るのはまっぴらだぞ」

 成功したとき功を分け合うのなら、失敗したときには罰をも分け合うことになるではないか、と左府は言いたいらしかった。

「失敗したときは簡単です。敵の兵が多かった、鹿沢城の兵を打ち破ったなどと嘘の報告をしたとして、バルカ卿を軍令で裁いてしまえばよいのです」

「なるほど・・・確かに」

「成功しても失敗しても左府様には一向に傷つかない。傷つくのはあの小生意気な銀髪の小僧だけです。これぞ一城を攻めて双敵を滅すの計であります」

「気に入ったぞ。陛下に言上する文書の作成にすぐにかかるのだ! 補給や軍の手配は武部尚書にワシの名を出して計画書を作らせよ! ワシは宮廷内の根回しをやる!」

「はっ」

 立礼する中書令をその場に残し、左府は意気衝天いきしょうてんと足音高く響かせ歩み去る。

 バルカの子倅こせがれめが、たかが一つの勝ちを得ただけでいい気になるなよ。戦争の目的を完遂することを勝利と言う。敵を撃破したとて鹿沢城を抜けなかったということは勝利ではないのだ。

 それにやつには関東と関西の戦いの他にも、ワシとバルカの子倅との戦いが始まっているということに気付いておらぬ。

 前よりも後ろの敵のほうが恐ろしいということを思い知らせてやる。


 バルカは勝利を得た直後、鹿沢城を攻めようと考えたことがある。

 軽く一当たりする分には、例え落とせなくても悪くはない。兵の損失はあっても、関西の意地を見せることにもなるし、何より関東の将士に屈辱を与えることも出来よう。

 一師に壊滅的な打撃を与え、しかも鹿沢城を攻められるなどとは武門にとっての恥辱。なんとしても晴らさねばならぬ。きっと王師の将軍たちは頭に血が上って鼓関攻めを進言するに違いない。

 関東を牛耳るのは名高いダルタロスの領主と女軍師、二人とも大層な切れ者だという話だが、王は年若いと聞く。

 その二名の静止を振り切って、将軍たちの言うままに鼓関を攻める可能性は少なくないと見た。

 鼓関は難攻不落の要害。例え関東の王が関東の兵全てを集めたとしても問題ない。必ずこの俺が全て打ち砕いてみせる。そうすればもはや王師に兵はいない。無人の野を進んで、東京龍緑府に無血入場するだけだ。それで乱世は終わる。

 だがその作戦は機会をうかがっているうちに放棄せざるを得なくなった。こちらの想像より早く鹿沢城に兵が集まりだしたからだ。鹿沢城に兵を近づけたとたんに後背や側面から攻撃を受けてはたまらない。

 鹿沢城には攻め込むという観点ではあまり嬉しくない知らせだったが、バアルにとってはそれはむしろ朗報といえよう。

 兵を一箇所に集めるのは何のためかと考えたら答えは一つ、兵を使うためである。

 ならばこちらは鼓関より一兵も出さなければ良い。兵がいなければ敵は鼓関に攻めかかるしかないのだから。

 だが、バアルも動かないように関東の王も動かない。睨み合いが一時、両陣営に訪れた。


 それが打ち破られたのは、西京から鼓関に二万もの援兵が到着した時である。

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