第60話 包囲網を破れ!(Ⅱ)
河北でリュケネが兵に出兵を命じていたのとほぼ同じ頃、有斗は軍を率いて王都を出発し、南海道をくだって鹿沢城を目指した。
同行したのは中軍と右軍。アエティウス、プロイティデス、ベルビオ、グルッサら。将校も一級品、心強い。
アリアボネがいないのが有斗にしてみれば心細いと言えば、心細いのだが、根が能天気なので、まぁ大丈夫だろうなどと気楽に考えていた。有斗にとっての不安点は最高責任者が自身であること以外はない。
アリアボネが残ったのは四師の乱後の政治の立て直しに手こずっているからである。それだけ反乱に加担した者が多かったということだ。
万が一の変事に備えて、ヘシオネには留守の将として残ってもらった。
そうそう、あとアエネアスも何故か附いて来た。
そのことを不思議に思った有斗がアエネアスに尋ねたら、
「陛下の警備最高責任者なんだから、
との職業意識の塊のような殊勝なお言葉を頂いたが、本音はアエティウスと一緒にいたいからだろうな、と有斗は思った。
とはいえ、仕方が無いかなとも思う。
王都にいるころは、有斗の護衛で昼間はなかなかアエティウスに会えないし、たまに王の執務室にアエティウスが来たと喜んだら、無意味に女官たちが来ては、アエティウスに色目を使うので大層機嫌がよろしくない。
だが色目を使う女官がいないからか、アエティウスと始終一緒にいられるからか今のアエネアスは機嫌がよい。
まぁ傍で警護される身にしてみれば、機嫌が悪い人物に警護されるよりも、機嫌良く警護してもらいたいものだから、有斗にも不満なところはなかった。
「アエティウス。鹿沢城守メテッルスを敗死させた
「バアル・バルカですね。若くして七経無双と呼ばれる大層な傑物らしいですよ」
「七経無双って?」
「有名な兵書は七つあります。それらを全て
「どうせハッタリだ。兄様に敵うわけがない!」
と、言ったアエネアスの頭をアエティウスはぽんと撫でる。
「アエネアスはそう言ってくれますが、相手は科挙と武挙で
関東と関西とで科挙のレベルの違いはあるかもしれないけれども、アリアボネやアエネアスのことを考えると、両方で
「関西が攻めてくるなら、彼が主将になる可能性が高い?」
「十中八九は」
「大軍で攻めてくるかな?」
「さぁ・・・でも王師二軍以下ということは無いでしょう。城攻めには三倍以上の兵力を普通は必要としますからね」
「だとすると・・・鹿沢城守備隊に加えて王師二軍や南部諸侯も駆けつけたなら、攻め込むのを中止したりしてくれないかな?」
「・・・だとよろしいですが・・・」
アエティウスは語尾を濁す。有斗の甘い考えに否定的なのであろう。
「この策謀の主体は、カヒと関西。どちらが盟主なのか分からないけれども、
アエネアスはアエティウスの説明に、そう付け加えた。
さて、壷関の主将バアルに王都から届けられた命令書は
河北、南部、関西、河東で大規模な包囲網を作り締め上げる。
それはまぁいい。バアルとしても利害の異なる各勢力に協力を取り付けた左府の手腕に大いに感服した。
だが盟主として多少の貧乏くじを引かねばならぬので、関東の目を鼓関に釘付けにしろと言われたまではよかったが、手持ちの一軍だけでそれをやれと命じられたときには、冷静なバアルでも激高しそうになった。
しかし姫陛下の名前で命令書が来ている以上、これを無視するわけにはいかない。
そこで考えた末、少数の兵で敵をおびき寄せ、伏兵で殲滅する、その策で行くしかないと思った。その準備として兵を訓練していると、関東の偽王が大軍を率いて鹿沢城に進軍しているとの確かな一報を得た。関東の朝廷がまず南部と関西の対策を重視したのは明らかだ。
既に当初の目的を達成した、次の段階に進むべし、と西京に援軍を要請したが、朝議では左府らが言を左右にして軍を増派する許可を与えなかった。明らかな嫌がらせである。
そのうえ、一刻も早く関東と交戦して、河北や河東の味方を助けるべし、という前と変わらぬ命令書まで送ってきた。
敵が鹿沢城守備隊しかいなかった時ならともかく、王師二軍、さらには南部諸候も続々と鹿沢城に集結しつつあるのである。
気は確かか、と目の前で罵倒してやりたい気分だった。
とはいえ、命令は命令。姫陛下の名で出されている以上、一軍を預かる身としては、なんらかの結果をださねばならない。
とはいえバアルも、さすがに三万以上の兵が駐屯する鹿沢城に正面からぶつかって勝てる、などとは夢にも思わなかった。
そこで左府やカヒが丸め込んだ南部諸侯を立たせて、鹿沢城の後背をかき乱すことにした。背後で挙兵されたら枕を高くして眠れないだろう。きっと鎮圧に兵を差し向けるに違いない。そこに付け入る隙ができるのではないだろうか。
南部と鼓関の間を密使が往復する。一ヶ月後には、その中で色よい返事を返すものが出始めた。
バアルの説得が上手く言った背景には、カヒが河東西部に大軍を集結しつつあるという一報が南部に駆け巡ったことがあった。
どうやらカヒのカトレウスは本気で関東の偽王とことを構えるらしい。
南部の人間は常勝不敗のカヒの軍の
もちろん打算もある。
朝廷は近畿に加え、河北、南部を手に入れ、一見、
もしアリアボネが各地にある物資を運ばせたり、売買したりして奇術のようなやりくりをしなければ、また朝廷内の権力バランスに配慮しながら、巧みに調整役を果たさなければ、カヒや関西が何もしないでも関東の朝廷は座して滅んでいただろう。
そんな状況だ。
関西とカヒが本気を出したとするならば、どう考えても持たない。尋常の感覚の持ち主なら、勝利するのは
ならば一刻も早く挙兵し、分け前にありつくのが戦国人としての正しい姿である。建前や義理や人情など一文の価値もないのだ。
鹿沢城にロドピア公から急使がもたらされた。
「フォキス伯、マグニフィサ伯が挙兵したとのこと。その他の南部諸侯にも挙兵の
「どう思う?」
有斗はアエティウスに訊ねてみる。
「フォキス伯、マグニフィサ伯は所領を減らされ不満があります。我々が四方の敵に囲まれてると知って、これ幸いと領土を取り戻すために挙兵したのでしょう。その他の名前のあがった諸侯はどれも河東に近い。実際にカヒの圧力を感じている諸侯ばかりです。放っておけば次々と挙兵してもおかしくない」
有斗は手紙に書かれている名前をじっと凝視した。最近は毛筆の草書も若干読めるようになってきた。完全に読めるわけではないけれども。
「マシニッサも入っているね」
「陛下、入っていないと考えるほうがおかしいです。当然じゃないですか!」
有斗の指摘にアエネアスが返答する。
「大丈夫かな・・・? 気が変わって裏切ったりするんじゃないかな?」
「まずは大丈夫かと。マシニッサはいかに苦労せず利益を
「警戒しないで大丈夫かな?」
「警戒はしますよ。でも、もしマシニッサが実際兵を率いて我等に攻めかかるような事態になった時には、我々は既に敗北寸前でしょうね。きっとマシニッサだけを気にしていられるような状態じゃないでしょう」
「ということはまだ勝敗が白黒ついてないうちは大丈夫だってこと?」
「そういうことです」
有斗はしばし考える。
「マシニッサが中立でいてくれるのなら、南部はダルタロスやロドピア公に任せればいいかな?」
近畿と南部を繋ぐ要衝の鹿沢城を守ることが今回の出兵の意義だ。ここは当初の予定通り、兵を動かさないほうがいい。そう有斗は判断した。
「いえ、是非とも陛下のご出馬をお願いいたします」
「え・・・? 鹿沢城から兵を出しちゃって大丈夫かな?」
「河北では賊が立ったとの情報を得ています。河東はカヒの兵が集結しつつあるという噂も流れてきています。だけれども幸い鼓関に関西の将士が集まっているという話はまだ聞きません。今のうちに大兵力で早急に南部を掃除しておけば、後ろを気にせずに済む分、関西と戦う時、楽になります。それにもちろん鹿沢城には守備兵と王師右軍を残していきますよ」
そうだな。現状の鼓関の兵力では鹿沢城に攻めかかることは考えにくい。もし鹿沢城を攻めるにしろ、まず鼓関に兵を集めてからだろうし、直ぐには攻め込んでこないだろう。その間に南部で叛旗を翻した連中を叩いてしまえば、後々自分たちが不利にならないだろう、と有斗は考えた。
「・・・そっか。そうだねアエティウスの言うとおりだ」
有斗はそれまで寡黙に立っているだけだった、初老の男に命令を下す。
「グルッサ将軍、留守を頼むよ」
「おまかせあれ」
グルッサは深く叩頭する。寡黙なだけにその言葉には一層の重みがあった。
アエティウスは出兵の準備をしようと鹿沢城の長い回廊を歩いていた。その後姿を追いかけてきた影がある。アエネアスだ。
「兄様、ああは言ったけど、鼓関の連中は攻めてこない?」
ちらりと声の主を確認すると、周囲に人がいないか見回した。
「どうかな・・・」
アエティウスは小さく首を
「先ほどは攻めないと言ったのに・・・」
アエネアスは珍しく、アエティウスに非難が混じった目線を向ける。
「それは王や他の将軍の手前ああ言うしかなかったのさ。私としては出てきてくれたほうが大いに有難い」
「どうしてですか?」
「この戦、長びけば長びくだけ我々に不利だ。四面に敵を抱え、いつまでも持ちこたえることなどありえない。だから少しでも敵を減らしておきたい。それに我々が大部隊を率いて南部に行くのは、南部の動乱を早く鎮めたいという理由だけじゃない」
「というと?」
「鹿沢城に大兵力を置いたままでは、攻撃する側の関西は大軍を出さざるを得ない。そうなると関西の軍が壷関に集まるまで攻めては来ないということだ。だが鹿沢城に駐留する兵が南部に向かうと聞いたらどうだろう? これを好機と考えて、今、鼓関にいる一軍ででも攻めかかってきてくれるんじゃないかな」
関西の王師が出てくる前に鼓関の一軍を破ることが出来れば、関西の宮廷の風向きも変わるかもしれない。出兵派は影を潜め、和平派が多数を占めるかもしれない。
よしんばそうでなくとも、敵を削ったというだけで意義あることだ。
「ならば、陛下にもそう言えばよかったのに・・・」
アエティウスは溜め息をついた
「この城はどこに間者がいるか分からない。なるべく策は話したくない。それに陛下はお世辞にも演技が上手とはいえない。正直なお方だ。これが敵を引っ張り出す陽動だと知れば、始終後背を気にされるだろう。将士どころか間者にも気付かれてしまう。そうなっては鼓関のバルカ卿とやらも兵を動かそうとは思わないだろう。この策が徒労に終わる」
「納得しました」
だけれどもアエネアスにはもう一つ懸念があった。
「でも・・・攻めこまれて敗北したりしないかな・・・?」
「グルッサ卿がいるんだ。我々が帰ってくるまで持ちこたえてくれるだろう」
グルッサ卿の右軍、鹿沢城守備隊合わせて二万だ。めったなことでは敗北はしないだろう。
「とりあえず準備にかかろう。久しぶりの南部だ。ダルタロスの皆の顔を見ようじゃないか」
アエティウスにとってもアエネアスにとっても、規律、先例第一の宮廷生活は息苦しい。生まれ育ったダルタロスがひどく懐かしく、
「はい!」
だからアエネアスの返答の声は喜色を大いに含ませていた。それが顔にもよく表れている。飛び切りの笑顔で微笑んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます