第55話 死んだわけじゃない

 尚侍ないしのかみ内侍司ないしのつかさの長官として王に近侍し、王の日常周りの世話をする女官のとりまとめから、官吏と王との間の奏請と伝宣とまでを行う重要な役目だ。

 であるから王の日常の生活空間である内裏を主な活動の場所としている。

 有斗の場合、執務室も寝室も清涼殿にあるから、王に付き従う尚侍も一日のほとんどの時間をその一角で過ごすことになる。

 だがその日、アリスディアは珍しく有斗のお守りを典侍ないしのすけのひとりに任せて、中書省へと足を運んでいた。

 これはアリスディアでなくとも珍しいことである。

 王の内向きのことを司ることで王と密着した生活を送るだけに、内侍司の女官たちは一般の官吏たちよりも王との心理的距離は近くなる。

 中には王の寵愛を受け、国母になる者もいることから、公卿すらははばかるほどの権勢を持つものも現れることもままあるのだ。

 そうでなくても女官にちょっとした不興を買って王に讒言ざんげんされ、左遷や下獄の憂き目にあった者は歴史上、枚挙に暇はない。

 であるから内侍司の女官に用がある場合、よほどのことがない限り、官吏が出向くということが通例となっている。女官を呼び出すなんてとんでもないことなのだ。

 というわけで政府を動かすエンジンとも言える中書省であっても、そこで女官の姿を見ることは極稀である。

 であるからそこに現れたアリスディアの華やかな姿は目を惹いた。

 妃も王女もいない今の後宮においてもっとも盛装しているのは尚侍であるアリスディアである。純粋な美人度ではアリアボネに敵わなくても、アリスディアだって大層な美人であるし、なにより女性であることを殊更に強調した、女官として着飾った姿は官服を着ているアリアボネと違ってなまめかしい。

 若く独身の男の官吏たちは思わず見とれて筆を休め、アリアボネを苦笑させた。

「こんな時間にこのような場所に来るなんて珍しい。陛下をお世話する大切なお役目を置いての来訪、中書に急用でもあるのかしら?」

「ええ、少しばかり困ったことがありまして・・・・・・アリアボネの知恵を借りようと思いまして」

「あら、珍しい。もちろん私ができる限りのことはします。友達ですからね」

「ありがとう・・・アリアボネ! 恩に着ます!」

「で、なにかしら? 中書令の私に相談しなければならないということは、よほどの大事? やはり国事に関することかしら?」

「大事というほどのことでは・・・・・・」

 そこまで言ってアリスディアは口ごもると一度、二度と首を横に振って己の発言を打ち消した。

「いいえ、陛下に関わることなので大事であるということもできるかも・・・」

 要領を得ないアリスディアの言葉にアリアボネは首をかしげる。

「なんだか複雑そうね。いいわ。詳しく聞かせて」

「内侍司の職分では無いのですが陛下に頼まれたことで、どう報告したらよいのか迷って・・・」

「何か失敗でもしたの? それを陛下に取り成してほしいとか? 大丈夫。素直に報告すればいいわ。陛下は私よりもアリスディアを大層信頼しているもの」

 そうは言ってもアリアボネと有斗とは良好な関係である。国王として何も知らない有斗はアリアボネを師とも仰いで敬意を払っている。

 だがアリアボネなどが詳しい説明の為に身体を近づけると、有斗は顔を少し赤くしアリアボネから身体を離そうとする。

 おそらくあまり女性に慣れておられないのだろうのだろうとアリアボネは推察していた。

 そこが不敬な言い方をすればアリアボネからしてみれば、有斗のからかいがいのある、可愛いところなのだが、別の言い方をすれば、それは二人の間に距離があるということだ。

 近づく機会はアリアボネより多く、二人の間隔も近いのにアリスディアにはそういった態度を見せない。四師の乱以前から近侍し、辛い南部行など苦楽を共にしたから心理的に近いのであろうか。

 それは神知を持つとまで言われるアリアボネがどれほど知恵を絞っても取り替えることができない関係であり、うらやましく、そして悔しく、実に残念なことだった。

「いえ、何か失敗したというわけでは無く、むしろ陛下に頼まれたことは遂行いたしました。ただ、報告を聞いた時の陛下のお気持ちを思うと、どうしてもわたくしの口から申し上げることが出来なくて・・・」

「アリスディアほどの人をここまで臆病にさせるなんて、いったいどういった用件なのかしら?」

 いつにない弱気なアリスディアにアリアボネは興味を惹かれて、机に片肘を付いて前のめりに身を乗り出した。

「以前、陛下に頼まれたさき典侍ないしのすけセルノア・アヴィスの捜索の件です」

「・・・あ・・・!」

 アリアボネは口の中で小さく叫び声をあげた。それは確かにアリスディアでなくても有斗には面と向かって口に出して言いにくいことだ。

「・・・で、どうだったの?」

 そう訊ねたアリアボネだったが、答えは聞くまでも無く既に心中にあった。

 セルノア・アヴィスなる人物はもうこの世のどこにも存在しない。

 希望を抱いているのは有斗一人で、有斗の周りにいる人間誰一人、セルノアが無事であるとは思っちゃいない。

 もしまだ命があるならば、とっくに王都に戻っていなければ話が合わないからだ。

 有斗を逃がすために囮となって逃げたセルノアは抵抗した結果、あやまって殺害されたのかもしれない。あるいは用が済んだら邪魔だとばかりに始末されたか。

 用が済んだとしても運が良ければ、遊郭にでも売り飛ばされて監禁されながらも生きているといった可能性も無いわけでは無いが、そうであるならば有斗が反乱を鎮圧して王都を制圧したと耳にすれば、救いを求めてくることだろう。

 だが典侍という殿上人の身柄を売買して、売春を強要したとなれば後難が怖いからと人知れず始末してしまうことも考えられる。

 戦国の世とはそれほど厳しい世界なのだ。

 ともかくもあらゆる可能性を考えた結果、生存は期待できない。

 それなのに王師まで駆り出して、たった一人の女人の為に大がかりな捜索を行ったのは、王直々の命令だということの他に、有斗が気持ちの整理をつけるために必要なことだから、と死んでいる確証を探すために実行させている側面がある。

「死体なり墓なり見つかったの?」

「・・・足取りは掴めませんでした。陛下と別れる前、泊まった宿から先は全く痕跡が無いのです。死んだとも生きているとも、確かなことは何一つ分かりません」

「そうですか・・・死んだという確かな物証は得れなかったのね」

「ですが生きているという証も一つとして無い。となれば誰が考えても結論は───」

「・・・死んでいる、ね」

「陛下は落胆なさるでしょうね」

「はい。セルノアのことを深く───深く愛されておられるようでしたから」

 王の心痛を思ってアリスディアはしばらく押し黙り、また別の理由からアリアボネも押し黙った。

「わたくしの口から申すのも、何かと角が立つのではないかと思いまして、アリアボネにこのお役目をお願いできないものかと」

「私の口から申し上げるのも、ちょっと・・・ね。何よりも尚侍ないしのかみの領分に中書が踏み込んだと思われるのは朝廷的に色々と憶測を生んで危うい。せっかくのアリスディアの頼みだけど断らせてもらえない? だってそうでしょう? 陛下が探索を頼んだのはアリスディアなんだし、セルノアさんという方を私は知りませんし、セルノアさんは典侍だったのでしょう? 内侍所を管轄するアリスディアの職分でしょう? どこから考えてもアリスディアの口から話すのが筋です。きっと陛下もそれを望んでおられると思います」

 アリアボネは遁辞とんじを構えて婉曲に断りを入れた。

「・・・・・・そうですね、確かにそうです。道理です。わかりました。無理を申したようです。わたくしの口から申し上げるのが筋と言うものでしょう」

「難しい役目だとは思うけど、これはこれからのアメイジアのために必要なことです。いつまでも過去を振り返るのではなく、陛下には前を向いていただかねば」

 王が一人の女人に心縛られて国事をおろそかにすることはあってはならないことだし、王が後嗣を得るためにも死んだ女人のことなど忘れてもらわなければならない。

「ですが・・・陛下のお気持ちをお察しすると、なかなか言い出す勇気が湧いてきませんね。どんなにがっかりなさることか」

 力なくうつむき首を横に振るアリスディアをそれではいけないとアリアボネは勇気づける。

「隠しても真実はいつか漏れるもの。一時いっときは落胆し、このような知らせをもたらしたアリスディアを恨むかもしれませんが、陛下は鋭敏なお方、きっといつかは分かってくれます」

「・・・・・・ええ」


 有斗は王としてはまだまだ駆け出しの存在だ。

 迂闊うかつに新法派の口車に乗って即決し、四師の乱を起こされた反省もあって、一つの決定を下すのに何時間もの時間を必要とするような状態である。

 その日も一つの案件に何度も関係する官吏を呼び出しては検討することの繰り返しで、王の決済を待つ山と積まれた書簡は減る速度よりも新たに積み上げる速度のほうが早い。

 だからと言って不眠不休で働くわけにはいかない。有斗は機械ではないのだ。今日はもう寝ようと書類仕事に一区切りをつけ、大きく伸びをした有斗にアリスディアが深々と頭を下げた。

「陛下、大切なお話があります。少しお時間をいただけないでしょうか?」

「いいよ、なに?」

「以前、陛下から御下命があった前の典侍セルノア・アヴィスの探索に関する件です」

「あ・・・! やっとセルノアが見つかったの!? で、どこにいるの!? 今すぐに会いに行こう!!」

 アリスディアが詳しく話す暇を与えずに、有斗は顔を輝かせると矢継ぎ早に質問をぶつけた。日も暮れて外は真っ暗闇にもかかわらず、今にも出て行きたげな素振りである。

 そんな有斗の勢いに若干怯んだアリスディアだったが、意を決して話の核心部分を口にする。

「セルノア・アヴィスは発見されませんでした」

「そんな・・・!!」

「王都、街道、南部・・・どこにも生きている証拠らしきものは発見できません。おそらくは四師の乱の混乱の中で命を落としたものと思われます。これ以上は時間の無駄だと思われますので探索は打ち切りました」

 有斗は頭から血の気がさっと引くと後方へよろめいた。慌ててアリスディアが手を伸ばして支え、辛うじて倒れ込むのを防いだ。

 有斗は激しい運動を行ったわけでも無いのに呼吸が荒くなる。アリスディアが優しく背を擦って呼吸を整えさせた。

「でも・・・でも、死体が発見されたわけじゃないんだね?」

 アリスディアの返答を待たずに有斗は一方的にまくしたてた。

「じ、じゃあ生きてるよ! きっとどこかで! 死んだわけじゃない!!」

 現実を認められずに僅かな希望を口にする有斗をアリスディアは心配そうに見つめるだけである。

「引き続き、調べてほしい。きっとどこかでセルノアは生きているはずだから!」

 アリスディアには有斗がそう言わざるを得ない理由が心から理解できる。だから有斗の気持ちを考えるとアリスディアにはその考えを修正する言葉を発することはできなかった。

「わかりました・・・ご命令とあらば・・・各省に掛け合って参りますけれど」

「これは命令じゃない。僕の頼みだよ。・・・その・・・予算の関係や割く人員がいないとかなら、止めても仕方がないとは思う。今が非常のときだということは僕も理解している」

「これまでのような総動員体制では無く、出来る範囲で行うこととし、規模としては縮小することにいたします。それでよろしゅうございますね」

「ありがとう!」

 アリスディアの言葉に顔をぱっと輝かせる有斗を見て、陛下はまだどうしても諦められないようだ、とアリスディアは落胆した。

 こうなればセルノアが死んだという確かな確証を得られるまでは報告をしないほうがいいだろう。

 目の前に死亡という確かな確証を突き付けられれば、有斗も逃げ場が無くなり認めざるを得ない。

 それに細かく途中経過を報告すれば有斗も否が応でもセルノアのことを思い出してしまうだろうが、長い時間、名前を聞かなくなったらいつか陛下もセルノアのことを忘れてくれるに違いない。

 いつか、時間が陛下の心を癒してくれるかもしれない、とアリスディアは思い、そうなることを願った。

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