第56話 驚天動地

 関東に天授の儀によって王がもたらされたという一報は関西かんせいの宮廷に重くるしくし掛かっていた。

 なぜなら、もしその王が伝説のサキノーフ様のように卓抜した王であった場合、関西の待つ運命は滅亡でしかないのだから。

 だから四師の乱が起きたと聞いて、皆一様にほっとしたのだ。

 だがそれもつかの間、それをあっさり片付け、南部畿内に続いて河北まで平定したという知らせを聞いた時、関西の宮臣は卒倒せんばかりだった。

 だからこそ不意の遭遇戦とは言え、バアルが着任早々関東に勝利をしたという知らせは、関西の宮廷に届いた久々の明るい話題となり、人々の口端くちはのぼることになった。

「さすがはバアル。わたくし自慢の騎士です」

 セルウィリアにいたっては朝会でわざわざ、そう述べたほどであった。

 だがここに一人、大いにそれを苦々しく思っている人物が一人居た。関西の左府だ。

 自分の一派であるクィントゥスを早々に軍律違反で処刑されてしまった。それだけでも腹が立った左府だったが、すぐに思い直した。

 これはバアルを葬る絶好の機会だ。

 自分の嘆願書だけでなく、女王の嘆願書も握り潰したことは充分懲罰の対象となるべき行為だ。始末することは難しいかもしれないが、失脚させて、どこぞの地方に飛ばすことくらいは出来よう。

 左府はさっそく朝廷工作を開始した。

 だが左府の懸命な働きかけにも関わらず、それで処分することも更迭することもできなかった。

 女王がそれを許さなかったのだ。

 軍権はバアルにある、それに介入しようとしたわたくしが間違っていた、とこれ以上の詮議は無用と議論を打ち切ってしまったのだ。


 しかし左府は殴られっぱなしで黙っているような男ではなかった。

 ようはバアルを上回る戦功を上げればいいのである。簡単なことだ。

 左府は以前から温めていた構想を実現するべく奔走ほんそうをはじめた。

 まず関東、関西を上回る動員兵力を持っているカヒ家のカトレウスに接触を図り協力の言を取り付けた。東西から関東の政府を挟撃しようというわけだ。カトレウスは河北の諸侯や流賊との繋がりもある。河北での動乱も期待できよう。

 そして南部。南部はもともと鼓関に近い以上、関西と繋がりを持つ者も少なくない。色よい返事ばかりではなかったが、それなりの手応えはあった。

 そして最後に関東の朝廷内の非主流派や、南部に強い拒否反応を示している貴族たちにそろりそろりとその手を伸ばした。

 南部、河北、河東、関西で包囲網を形成し、関東の新王を取り囲んで、身動きの出来ないうちに磨り潰す。

 それが左府の立てた壮大な戦略だった。まさに空前絶後の策である。

「これが成功したあかつきには俺が歴史に名を残すのは確実だ」

 左府はうっとりと素敵な未来図に耽溺たんできした。関東と関西の統一王朝、それに女王が改めて戴冠する。自分は『其の人なければ則ちく』と称される相国について、位人臣を極めることとなろう。

 王配としては自分の息子がなるだろう。子が産まれ、やがて自分の孫が巨大王朝の王となる。

 後世の者は史書に自分をアメイジアに再び統一王朝をもたらした最大の功臣として書き連ねることだろう。列伝として独立した巻を与えられる栄誉ある人物、誰よりも一番多い文字数でその業績を書かれる事はまず間違いなかった。


 夜も深い時間になったのに、中書省の建物にはまだ明かりがついていた。

 アリアボネが月が天空高く昇っても、まだ一人で書類を片付けていたのだ。

 求賢令で集まった人材から見識の高い人材を選び配置したことで、中書、尚書もようやく動く。

 とはいえまだまだ素人に毛がはえた程度、アリアボネが指示しないと右も左もわからない有様。するべき仕事は山のようにあった。

 特にアリアボネが急いで処理しなければならなかったのは新法関連の後始末だった。

 新法の精神はアリアボネも認めていた。その骨子は残しておきたい。だが新法派が壊滅した今、宮廷の多くは新法には反対だ。それに今のままの新法はざる法でしかない。新法に割り振る官吏の人数も足らない。しばらくは一旦撤回し、塩漬けにするしかなかった。

 だが完全に旧法に戻すと、次に新法に戻そうとしても官の反対が大きくなることは目に見えていた。

 新法の骨子を残し、旧来の人員で運営でき、いつでも新法に戻せるように、各省とすり合わせてその着地点を模索する。これがなかなかに難しい。関連する全省から有形無形の反発を喰らっていた。

 日々の政務もある。連日、日付が変わってから帰宅することが常態化していた。


 かたり、と窓際に置いた文机の上で音がなった。

 顔を見上げると先ほどまで存在していなかったはずのものが、文机の上に置かれていた。竹簡ちくかん、紙がもたらされるまでは使用されていた竹で出来た札を繋いだもの。今はこんな古風なもの使っている人は稀である。中身を見るまでもなく、差出人の見当はついていた。ラヴィーニアだ。

「あい変わらず神出鬼没なこと」

 何かことがあれば、彼女が言うところの『友達』が代わりに文を届けることになっていた。

 それにしても、夜中に宮廷内の中書という要所に容易く侵入できるとは、いったいどういうたぐいの友人なのか。苦笑しながら竹簡を広げる。

 そこには緊急を要すると思われる案件が記載されていた。

『関東の周辺に異変の動きあり。十分に用心されたし』


 最初に確かな情報が王都にもたらされたのは、なんと意外なことに南部のトゥエンク公マシニッサからだった。

 マシニッサの腹心であるスクリボニウスからカヒ家がトゥエンクに接触を図ろうとしているとの知らせだった。ご丁寧なことにカヒ家からの書簡の写しまで送ってきた。カヒ家と共にマシニッサに朝廷を攻めないかと勧めた書簡だった。

 それによると関西の朝廷が主導して、河東のカヒ、河北の流賊の生き残り、南部諸候と連携し外周的な包囲網を形成する。

 聞き捨てならないことには、具体名こそあげぬものの、関東の朝臣の中にも内通者はいるとのことだった。


「大丈夫なんでしょうか・・・?」

 スクリボニウスは恐る恐るマシニッサの顔色をうかがいながら遠慮がちに声をかけた。。

「何のことだ?」

「いや・・・カヒ家と盟約を結びながら、それを朝廷に報告するとは・・・もしばれたら両者から恨まれるのでは・・・?」

「両者とも俺に指一本触れられんよ。俺は何もしてない。カヒ家と盟約を結んだのは家宰で、王に報告したのはお前だ。どちらも俺じゃない」

「それはそうですが、そんな子供じみた言い訳が通るとお思いですか?」

「通るさ。万が一、勝者が何か言ってきたら、責任者の首を送りつけてやればいい。なぁに心配するな、家族の面倒は俺が一生みてやるさ。葬式代も墓代もきっちり出してやろう」

 からっとした笑いを浮かべるマシニッサに対して、スクリボニウスは心底嫌そうな顔をした。

「本当にそれで済むとお思いなら、愚鈍な私めに懇切丁寧にご教授くださるとありがたいのですが・・・」

「そう、いやみったらしく言うな。わかったわかった。話してやる。ここで問題だ。カヒ家も王も俺に望んでいることは何だと思う?」

「それはもちろん味方となって兵を出すことでしょう」

 何を当たり前な、といった表情でスクリボニウスはマシニッサを見上げる。

「違うな。両者とも俺を信用してない。つまり味方になるよりも中立を保って欲しい、それが両者の一致した思惑だ」

 迂闊うかつにマシニッサを味方につけて。戦場で後背から襲われ敗れでもしたらアメイジア中の笑いものだ。

 言ってみれば不気味な時限爆弾を体内に抱え込むよりは、いっそ手が届かない遠くへ放り出したい、そういう気持ちであろう。

「カヒ家の望みは朝廷に攻め込んだとき、側面から襲撃されないこと、王の望みはカヒ家の尖兵となって南部を荒らさないことだ。どちらにも恨みを残さぬ方法は中立するより他にあるまい」

 当面の対応はそれでよくても、こういった蝙蝠こうもりのようなどっちつかずの対応を取り続けていたら、双方から恨みをかいやしないだろうか。

 マシニッサはこの先、どういった展望を持ち、トゥエンクの未来図を描いているのだろうか・・・?

「どちらが勝つとお思いで?」

「難しいな」

「戦略的に考えても、戦力的に考えても、関東の朝廷が勝てる見込みは薄い、私などはそう愚考しますが」

「そうだな普通に考えたらな」

「ということは、そうでないとお思いで・・・?」

「もし、一糸乱れずに統一的な行動を取れるなら、王は負けるだろうな。そうだな・・・俺なら王師が来たら険阻な地に立て篭もって足止めしている間に、他の者たちが領土を侵食する。そうやって体力を削り、内部崩壊を待つってところかな。だがどこも考えることは同じだ。自軍の兵を損じることなく一片でも多く領地を得たい。できうるなら畿内全てを手に入れたい。それが本音だ」

 マシニッサは自分のことを棚にあげて、諸侯を火事場泥棒ででもあるかのように評した。

「だれも王師と正面からは当たりたくない・・・そう考えているだろうな」

「すると、どこかが動き出し、王師がそれに向けて出陣するまではどこも動かない、そうお考えで?」

「そうだ。それに俺以外にも様子だけ見て出兵しない者だって出ないとは限らない。一見包囲され、圧倒的に不利な形に見える王だが、周囲の敵はそれぞれの場所で孤立している。各個撃破も可能だ。この戦略の壮大さ、緻密さ、華麗さには俺とて大いに敬意を払うが、各陣営の思惑が一致しないことを考えると、机上の空論、実効性に乏しいと言わざるを得ない」

「なるほど」

「俺は以上の理由から今回は王が勝つと思う。アリアボネやアエティウスがいるんだ。無様な戦いはしないだろうしな。しかし我が領土はカヒに近い。ここで王に左袒さたんすることを表明したら、カヒ家はこれ幸いと我が領土を奪おうと襲い掛かってくるだろうな。虎の尻尾をあえて踏むこともあるまい。中立するにこしたことはないというわけさ」

 スクリボニウスはマシニッサの慧眼けいがんが曇りついていないことを知り、胸を撫で下ろす。

 マシニッサは油断も隙もない主君ではあったが、乱世を生き延びる術には卓越したものがあるのだ。

 関西がカヒと結んで関東を攻めるというのは、戦国の世を根底から揺るがす一大事件ではあるが、マシニッサなら今度もきっと何事もなく無傷にやりすごすことだろう。

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