第54話 小さな少女の救世主
それは午後の執務の暇な時間帯、アリスディアが忘れ物をしたとかで
王の執務室には有斗とアエネアスの二人だけになった。有斗はこの機会に、最近疑問に思っていたことを解決しようと思い立った。
「ねぇ、アエネアス」
「なぁに、陛下」
アエネアスが大きく欠伸をしながら、眠そうに目をこすって返事をする。
おかしいな、アエネアスは羽林中郎将だから有斗の護衛が任務で、今は仕事時間中なんだが。もうちょっと気を入れて有斗を守ってほしい。今ここに刺客が来たらどうするつもりなんだろうと有斗は思った。
ま、それは今はいい。
「アエネアスってアエティウスと結婚するの?」
有斗を寝ぼけ眼で見ていたアエネアスは熟れた
「な・・・いきなり何を言い出すんですか!?」
どうやら有斗の一言はアエネアスにとって不意をつく攻撃だったようだ。
「私が兄さまと、け・・・結婚ですって? なんという馬鹿馬鹿しいことを・・・!!?」
「え・・・しないの?」
「あ・・・当たり前です!!」
おかしいな。どう見ても二人とも互いのことが好きみたいな感じだったけど。
「アエネアスってアエティウスの従妹だよね」
「そ、そうだよ」
「こっちのことはよく知らないけど・・・僕の居た世界ではいとこ同士は結婚できるんだけど、こっちではできないとか?」
「いや、こちらでもできます。普通に」
「え? だったらなんでしないの?」
「なんでと言われても、その・・・困るんですけど」
「二人とも互いのこと好きなのに?」
アエネアスは顔を更に真っ赤にして反論した。まるで
「ま、ままままままた馬鹿なことを! ににににににぃさささまがががが、わわわわたしのことなどすすすすすきなははははずななないでしょ!?」
いや・・・たぶん好きだと思うぞ。
それにしてもわかりやすいやつ。アニメのキャラかお前は。夏でもないのに真っ赤になって汗だくの顔をぱたぱたと
少なくともアエネアスがアエティウスを好きなことはこのうろたえぶりを見る限りは確かだ。
「そ、それにですね。好きだからって結婚するとか、庶民はともかく貴族にはいません!」
「え・・・そうなの?」
「はい!」
「なんで?」
「貴族には爵位の継承権というものがあるんです。他家の継承順位が高い女性がいれば、その継承権を狙って結婚することは少なくないんです!」
「・・ふうん」
「それに、諸侯としてこの戦国を生き延びるには婚姻は有効な手段と見られています。他家と同盟を組んだり、被保護下に入ったりするためには結婚するのが一番てっとりばやい。当主たるもの家全体を考えて行動しなければなりません。ダルタロスほどの名家なら結婚するとしたら、どこぞの高級官僚か大貴族のご令嬢ってことになります。わたしなどありえません」
「ふうん・・・じゃあ、アエネアスもそうなの?」
親が死んで兄弟のいないアエティウスに一番近い従妹だものな。
「・・・」
一瞬、有斗に向けて、それまで感じたことのないアエネアスの鋭い視線が襲い掛かった。だがすぐに目線を外すと溜息をつく。
「私は
「・・・あ、ご、ごめん」
「あやまることはありません。本当のことですし、ダルタロスではみんな知っています」
投げやりな口調で吐き捨てるようにそう言った。
「それに私は・・・」
そこからはアエネアスは口を少し動かしただけ。しばしの間、空白の時間が出現した。
話すべきかどうか迷ったらしい。
「・・・話したくないことは、話さなくていいよ」
人には誰だって他人に触れて欲しくないものを心の奥にかかえているものだ。例えば、有斗にとってのセルノアのことのように。
有斗はそういったが、
「・・・どうせ、いつかは陛下の御耳にも入ることです」
ひと呼吸を入れてアエネアスは続きを話し出す。
「実は私はダルタロスの者ですらないかもしれないんです」
驚きの言葉がアエネアスの口から出た。
・・・どういうことだ?
「私の母は娼婦だったんです。母が父の寵愛を受けていたのは確からしいです。何人もの証言もあるし。だからと言って私が父の種だという保証はないんです。なにせ母は娼婦なんですから」
アエネアスはポニーテールのしっぽを掴んで有斗に示した。
「それに、この髪・・・父はもとより、一族の中に赤い髪のものはいません。そして母の髪は藍色だったという・・・この緋色はどこから来たかと考えると、私は怖くなります」
すこし自虐ぎみに言うと、首を振って髪を後ろに戻す。
「母はある日、私を連れてきて、父に押し付けたそうです。そしてすぐに姿を消した。一族皆反対する中、父は私を迎え入れてくれました。ほとんど記憶にないんですが、優しい父だったと思います。よく絵本を読んでくれたことだけ覚えています。私に実の親子ではないかもしれないなどとは、生きている間は一片も感じさせませんでした」
父のことを思い出したのか、アネネアスの顔は優しかった。
「だが九歳のときにみまかられました。そしてすぐに私は貴族の美しい部屋から、小間使いとして地下の薄暗い土間に追いやられた。昨日まで家族だったはずの者とは口をきくことも許されず、満足に仕事もできない子供の私には、ただ平伏し罵声をあびるくらいしかできることはなかった。新しく同僚となった小間使いでさえも、家内の雰囲気を感じたのか私を
そう、この世界では下の者は上の者の言うことを、どんな不合理であっても聞かなければならない。そのストレスは相当なものだ。それを全て幼いアエネアスにぶつけたのだ。
「私の心は
それはどん底。今までの何不自由することのない生活から墜ちるだけ墜ちた、まさに闇の奥底のように幼いアエネアスには感じられた。
「日々の食すら事欠くのに、私にはそれすら満足に与えられませんでした。私の分は取り上げられ、他の者たちが分かち食べていたんです。空腹に耐えかねて、よく庭の草を口にしては吐き出したことを今でも覚えています」
その時のことを思い出しているのか握りしめた手は少し震えていた。
「力もなく味方もない私は、彼らにとって格好のおもちゃでしかなかったんです。貧しさ、飢え、不安、不満、そういった
有斗はアエネアスの告白の内容の重さに言葉を失っていた。一言半句すら口から出すこともできなかった。
「・・・そんな私を救い上げてくれたのは兄様でした」
小さなアエネアスは城の中庭の隅っこにある井戸傍の洗い場で、皿を一枚一枚洗っていた。
今日はこれを全て終らせるまでは食事はもらえない。うず高く積まれたそれはいつ終るとも知れぬ量があった。
だが他の使用人たちは、一人として手伝うことなく、座り込んでは井戸端会議に花を咲かせていた。
疲労と空腹で頭がぼーっとする。
「・・・あっ!?」
陶製の皿が砕ける音が響く。手がすべったのだ。
「このッ」
木の棒が飛んできて彼女の背中を襲った。激痛が二度、三度と少女の身体を走る。
「すみません。お許しください。・・・お許しください!」
小さな少女は頭を抱えて丸くなって
小さな失敗で昨日は食事を全て取り上げられた。
だがそれはまだいいほう。その前などは、みんなよってたかって
泣き
その時のあざはまだ体のあちこちに残っている。
きっと、また・・・そうなる。
「待て」
どこからか声がする。
木の棒が飛んでこなくなった。どうしたというのだろう?
そっと目を見開くと周囲を囲んでいた使用人たちが声の主に向かって、一斉に平伏していた。
「小さい子供ではないか許してやれ」
そう言う声の主も、私とさほど年に違いがあるようには見られなかった。
馬の影が見えた。そして馬乗した金の髪もあでやかな貴公子がいた。
若くしてダルタロス家を継いだアエティウス・ダルタロス・セナ。
父の部屋でいくたびか見かけたことはあったが、通り一遍以上の言葉を交わした記憶はなかった。私は彼がまぶしくて、いつも父の背中に恥ずかしがって隠れていた。
馬上の視線は私の顔をふと通り過ぎた後、驚きを浮かべ再び戻ってきた。
「君は確か叔父上のところの・・・最近見かけないから母君のところにでも行ったとばかり思っていたが」
優しい口調。父の死後こんな暖かみをもった言葉を聞いたことはなかった。忘れかけていた人の優しさを感じた。
「何故? ここで?」
アエティウスは振り返って、後ろの家宰に問いただした。
「は・・・その・・・」
人がよいだけで上り詰めただけの小市民的な家宰は、どう返答をすればいいか迷ったようで語尾を濁すしかなかった。
「そやつは娼婦の子だ」
私の父の又従兄弟にあたるエンケラドゥスが、汚らしいものを見る冷たさを持った目で私を見る。
「ダルタロスの血が流れているのも怪しいものだぞ」
私を
「おいてもらえるだけありがたいと思え」
そして汚らわしいものを見た、とばかりに視線を外した。
「さ、参りますぞ若」
「・・・うっ」
だがアエティウスは泣きそうになってうつむく私を、じっと見つめ動かなかった。
「・・・この子は私が預かる」
「しかし・・・どこの馬の骨ともわからぬやつですぞ、それは」
エンケラドゥスは苦味を浮かべ、困惑した顔で柔らかな表現だったがきっぱりと拒絶を示した。
「叔父上は父亡き後、幼少の私に代わって、ダルタロス家を支え続けた。その亡き叔父上が認めたのだ。きちんと処遇せねば黄泉の叔父上も悲しむだろう」
「しかし・・・!」
アエティウスは二周りは違うエンケラドゥスに一歩も怯むことなく胸を張る。
「当主は私だ。私の命令が聞けないというのか?」
エンケラドゥスは苦りきった顔をしたものの、それ以上言うことはなかった。
・・・それはまさに光だった。
私を一族として
貴族の一員としての教育を受けさせていただいた。
いくら感謝しても・・・・・・感謝しきれるものじゃない。
「そんな私です。私と結婚したいという物好きがいるとするならば、どこぞの成り上がり貴族か、金持ちの好色ジジイくらいなもんです。いちおう、こんな私でも名だたるダルタロスのご令嬢様ということになってはいますからね」
アエネアスは
「でも、もし兄様が私にどこかに嫁げというのなら、私は喜んで嫁ぎます。相手がどんなに醜くとも、相手が人間のクズのようなやつでも、私は笑って嫁ぎ、誠心誠意、その相手に尽くします」
誕生日を指折り数える子供のように、アエネアスはアエティウスの役に立てるそんな日が来ることを待ちわびていた。
「それがあの人が望んだことならば・・・あの人の未来に繋がるのなら、それだけでいい。それが私の望みなんですから」
宙を見上げたアエネアスの横顔は、いままで見たことがないアエネアスの顔だった。純然と輝いていた。・・・なんだこんな顔もできるんじゃないか。
「そっか・・・君は本当にアエティウスのことが好きなんだね」
アエティウスのことを話すアエネアスは本当に生き生きとしている。
「ば・・・馬鹿を言わないでください! 兄様と私が釣り合うわけないじゃないですか!」
「でも」と、有斗はアエネアスと話すときのアエティウスの表情を思い浮かべつつ言った。
「きっとそんなことをしても喜ばないと思うよ。だって君を見る彼の目はいつもとても優しい。彼も君に幸せになって欲しいと思ってるよ。きっと君がアエティウスに幸せになって欲しいという想いと同じくらいにね」
「・・・」
有斗の言葉にアエネアスは下唇をかんで口を真一文字にした。頬は真っ赤だった。
「ふ・・・・・・」
アエネアスは大きく息を吸い込むと肺の中の全呼気を使って叫んだ。
「ふざけないでください!」
「え? 僕いいこと言わなかった?」
我ながら物凄くいいことを言った気がするんだけど。それもドヤ顔するレベルの。アエネアスがこんな態度をとる理由がわからない。
「陛下と言えども、許せません!」
「え・・・?」
「人の心の中を勝手に想像して、真実を
アエネアスは紅玉のように顔を真っ赤にして叫んだ。
それきりアエネアスは有斗とは口を利かず、いったりきたり部屋の中をウロウロしていた。普段の有斗よりも落ち着きがない。
たまに頭を抱えては溜め息とともに、『陛下にお話ししたのは間違いだった』とか、『我が人生における一生の不覚』とかぶつぶつ独り言を言っていた。
「・・・アエネアス」
「・・・・・・なんなんですか?」
「アエティウスが望めば・・・って言ったよね」
「はい」
「それが僕でも?」
「・・・」
アエネアスは信じられないものを聞いたとばかりに目を大きくまんまるに開いた。
「へ、陛下。アリスじゃなくて、本当は私を狙っていたんですか!?」
次の瞬間、バックステップで一瞬のうちに有斗から三メートルは離れた。バランスを崩すことなく一瞬のうちに後ろ向きに跳べるなんて、信じられない運動性能だ。
胸を手で隠すような仕草をするアエネアスはいつもの呑気で馬鹿っぽい姿ではなく、ちょっと女の子らしく可愛いかった。
「いや、たとえ話だよ。たとえ」
「そんな例え、やめてください! びっくりするじゃないですか!!」
それは嬉しくてびっくりしたのか、気持ち悪いと思ってびっくりしたのか、どっちなんだろうかと有斗は思った。
「まぁ・・・それが兄様の望みなら、考えます」
「え・・・?」
考えるだけかよ。有斗と結婚するってことは、いちおう王配になるってことなんだけどな。
別に好きだとか今すぐものにしたいとかそういったわけではないが、有斗は自分のあまりものもてなさ加減に落胆した。
あ、そうだ念のため、あいつのことも聞いてみよう。
「・・・じゃあマシニッサでも?」
その言葉を聴くと、アエネアスの顔は幽霊を見たかのように蒼白になった。
「くっ・・・そ・・・それが兄様の願いなら・・・くっ・・・」
頭を抱えてよろめく。
「即日、自決してもいいなら・・・なんとか・・・くぅ・・・!」
アエネアスは下唇をかみしめながら半泣きで有斗に言った。
おいおい言うこと変わってるじゃないか。どんなやつでも尽くすんじゃなかったのかよ。
・・・しかしここまで嫌われるなんてマシニッサって相当なんだな、と思う。まぁあのエピソードを聞かされたら誰だって近寄りたくはないけれど。
そして、どうやら有斗はそこまでは嫌われてはいないらしい。
喜んでいいやら悲しんでいいやらわからないが。
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