第51話 一枚の絵

 昨日一日、踊り方をアエネアスに教えてもらったとはいえ、所詮は付け焼刃、有斗の踊りは結局上達はたいしてみられなかった。一日二日ではやっぱり無理がある。

 アエネアスがリードしてくれればギリギリ形にはなるものの、下手なままである。

 しかたないので、有斗はアエネアスと一度踊った後は、他人が踊るのを見ながら壁際でただ料理を食べていた。幸い、いろんな人が次々と挨拶に訪れては、それに対応しなければならなかったので、踊ってなくても不自然だとは思われないだろう。


「陛下」

 そう声をかけた新内府ルクレティウスの後ろには、着飾った若い美女が控えている。娘さんかな?

 有斗が美女のほうに目をやると、

「初めてお目にかかります。私、ルクレティウスの妻でアフェッラと申します」と洗練された物腰で一礼した。

 年の差カップルか! いいな~、と一瞬思ったが、ここでは成長が止まることがあるんだったっけ。実際はルクレティウスと同じくらいかもしれない。

「僕は有斗、よろしく」

「お噂はかねがね・・・召喚の儀で降臨された天与の人と聞いて、かねてよりお会い出来る日を心待ちにしておりました」

「光栄だね・・・内府が自慢するのも分かる。実に美しく気品のあるご婦人だ」

「ま・・・! 陛下はほんにお世辞のお上手なこと。本気にしそうになりましてよ」

 おほほほ、と口を押さえて笑うと、ルクレティウスも笑う。

 僕に合わせて接待で笑ってくれる彼らもたいへんだな・・・、などと冷めた目で観察するようになった有斗は、王になって少しばかり大人になったというべきか、薄汚れたというべきだろうか。

 きっとここに来たときの有斗なら、彼らの態度を表裏なく受け止めていたんだろうけど・・・四師の乱ですっかり疑い深くなった有斗は、常に人の裏面ばかりをのぞき込もうとしている気がして、少し気が滅入る。


 気付くとアエネアスの相手はアエティウスになっていた。

 二人ともさすが名家の出、さまになっている。

 アエネアスは頬を上気させ恥ずかしげに笑っていた。こういう顔をしているときのアエネアスは実に美少女だ。なんであれを常時キープできないんだろう?

 有斗の傍にいるときのアエネアスは気が抜けた風船のような、間抜け面をしている時が多いのだ。

 たいしてアエティアスも優雅な笑みを浮かべて、アエネアスを見つめていた。有斗の周りの宮廷諸氏の妻だとか姉妹だとか娘だとか

 もともと美男美女だ。一枚の絵から抜け出してきたかのごとくきらめいている。まさにお似合いの二人だ。

 やっぱりアエネアスとアエティウスって結婚するのかな?

 お似合いだし、結婚したらひょっとすれば羽林中郎将の職をやめるんじゃないだろうか? 

 と、すると僕もアエネアスの朝練とやらに付き合う必要が無くなって、十分な睡眠がとれるというわけで、皆がハッピーになれて、全てが丸く収まるではないか!

 そんな取り止めのないことを考えながら、有斗はテラスに涼みに出た。


 やさしく微笑んだ『大好きな兄様』の美しい顔を、そばで見れたことでアエネアスは夢うつつだった。

 アエネアスの目に映る自分の顔が変じゃなかっただろうか。髪は? 踊りは?

 考えれば考えるほど、思い出せば思い出すほど、心臓が破裂しそうだった。

 だがあまりにも素敵な時間を過ごしていたことで忘れていたことがあったことを、今更ながらに思い出す。

「そういえば・・・陛下はどこに行ったんだろう?」

 警備の責任者である自分が目を離してる隙にいなくなっているなんて、ほんっとうにお気楽で油断しまくりな陛下だと、アエネアスは己の怠慢を完全に有斗に転嫁していた。

 踊らないなら、奥の壁際でおとなしく食事でもしていたらと忠告したはずなのに、どこにもいない。まがりなにも王なのだ。嫌ならば、あえて踊る必要など本当はないのである。祝いの席で主賓らしく、飾り物として、どうどうと鎮座していればいいのだ。

「まったく! 陛下は大人しくじっとしていることもできないの?」

 アエネアスは有斗のいそうなところに検討をつけて、うろうろと探してまわるが、会場内にはどこにもいない。内侍所ないしどころの女官たちが集まっているところや食事が積まれているあたりにもいない。

 まさかとは思うが、踊ってたりはしないだろうかとアエネアスは思い直した。

 とはいえアエネアスがエスコートしないと、満足に踊れないからその可能性は・・・

 ・・・

 ありうる。

 有斗には目下、女っ気がないし、女官たちに顔を近づけられるだけで赤面する、女性免疫が極端にない男であるが、女が嫌いというわけではない。逆に着替えの時など女官の胸元をちらちら覗き見るとか数々の言動から、内実はかなりの女好きであるとアエネアスは思っている。

 だから女と公然と手が繋げると、不格好でも喜んで踊っているとかいう可能性がありうるのだ。

 まさかとは思ったが、アエネアスはいちおう踊りの輪の中に有斗の姿を探した。


 ・・・いない。まぁ当然か。アエネアスは半ばほっとし、半ば落胆した。

 だが一点で視線が留まる。

 そこではアエティアスがアエネアスの知らぬ、どこぞの貴族の若い夫人だか娘だかと踊っていた。美しく着飾ったその女はたおやかで美しかった。二人は優雅に、美しく踊った。まるで一枚の絵のように。

「・・・」

 やはり違うと思った。

 アエネアスは剣を振るうから肩幅も広いし、腕も筋肉がついている。

 化粧でごまかしているけど肌には傷もあちこちにある。

 自分が踊ってもあんな風には見えてないんだろうな、ということは想像できた。

 兄様の横にふさわしいのは私ではない、とアエネアスは思った。

 もやもやしたものが浮かんできて、それ以上は見続けることも出来ず、溜息をついてテラスに出る。


 テラスの柵に両手をついて中庭を眺める。

 だけど、さっきの光景が頭から離れない。頭ではわかっていても、やはりショックだった。認めるのは嫌だった。

 兄様は私だけの兄様ではない。それも頭では分かっているはずだった。

「私・・・意外と嫉妬深いな・・・」

 頭を振って忘れようとした。

 どうせ叶うことのない幻。そんな幻にすがって生きても悲しいだけ。わかっている。

 と中庭の噴水のあたりで動く人影が見えた。

 あのゴテゴテした服は見覚えがあった。

「あんなところに!」

 アエネアスはドレスの裾をたくし上げ、急いでテラスを駆け下り、噴水に向かった。


 公卿やその家族とのやりとりに疲れ、飽きてきた有斗はそっとその場を外して、人気のない場所へと移動した。

 テラスに涼みに出た有斗は、ふと何気なく外を見る。

 目の前のには手入れの行き届いた後宮の庭園がある。夜だし舞踏会だしで人っ子一人いない。

 中央の巨大噴水の前で立ち尽くす人影が見えた。たまに光が当たり、その姿を有斗に見せる。裾へ行くほど広がるシルエット、おそらく女性。髪の毛の色は黒・・・いや、深緑だ。

 その色の髪を持つ女性は後宮には数えるほどしかいない。しかも衣装に見覚えがあった。あれは確か・・・

 有斗はテラスを降りて噴水に向かった。


「どうしてこんなところに? パーティーに行かないの?」

 有斗の質問にアリスディアは微笑を浮かべ返答した。

「わたくし、庶民の出ですので、踊りとか縁がなくて・・・アエネアスのように上手くは踊れません。それに、華やかなところは・・・その・・・苦手です」

「そうなんだ。僕もだよ」

「そうなんですか?」

「うん。僕も君の言い方を借りるとするならば庶民の出とか言うやつだからね」

 まぁ、と口を押さえてアリスディアは笑う。

「何をしていたの?」

「月を」

「月?」

 有斗はアリスディアの指の先の夜空を見上げる。たしかにアリスディアが見上げていた方角には、満天にきらめく星の中、十六夜いざよいの月が浮かんでいた。

「月を見ていました」

「月が好きなんだ?」

 アリスディアはあいまいな笑みを浮かべた。

「わたくし、子供のころは貧しく、娯楽なんてありませんでした」

「じゃあ難しい本とかばかり読んでいたとか?」

 アリスディアの博学ぶりはそういうところで作られたのかと思い、そう訊ねてみた。

「本どころか文字すら見たことはなかったんですよ?」

「へ? だって後宮一の博学じゃないか、アリスディアは」

「わたくしは宮廷に小間使いとして入りました。それからなのです。色々覚えたのは」

「へぇ・・・意外。苦労したんだね・・・」

 言葉では答えず、また笑った。

「夜になると明かりもないので寝るだけです。でもなかなか寝付けないときもあります。不安や恐怖で」

 アリスディアはそう言うとまっすぐ南天の空を指差す。

「でもそんなとき月が───」

「月が?」

「月だけが夜の闇の中、照らしてくれるんです。それだけが夜のわたくしに見えるただひとつのもの。わたくしは将来の希望や夢など何一つなかった。そう、まるで夜の闇の中にいるみたいに。でも夜の闇を照らす月を見ていると、わたくしにもあるんじゃないのかな、と」

「・・・何が?」

「わたくしの人生にも月のように輝く何かが訪れて、未来を明るく照らしてくれるんじゃないかな。そうはかない望みを抱かせてくれたのです。もっとも、それがなんだかは当時のわたくしにはわかりませんでしたけど。でもわたくしにとってそれが心の支えだったのです。・・・他人が聞いたら笑っちゃうような話ですよね」

 そう言うとアリスディアは苦笑いを浮かべた。

「見つかった・・・?」

「・・・?」

「月のように輝く何か」

「・・・はい」

「それは何?」

「・・・・・・秘密です」

 アリスディアはいたずらっぽく笑みを浮かべると、片目をつぶり、右手の人差し指を一本だけ立て、ピンク色の小さな唇にそっとあてた。

 月か・・・

 有斗はその月と、闇夜と、アリスディアを見て思う。

 戦乱に打ちのめされたこの国の国民たちは、きっと昔の彼女のように、この世は闇に包まれていると多くのものが感じているに違いない。

 だとすると、僕は与えたい。月のように輝く何かを。

 でもそれは何なんだろう? どうやれば与えられるんだろう?

 そして・・・気になる。

 彼女が見つけたそれはいったい何だったのだろう?


 アエネアスはそれ以上近寄ることが出来なかった。

 そこには彼女の足を止める何かが確かに存在した。それが彼女を拒絶する。

 黙ってただ月を見上げている一組の男女はまるで幻想的な一枚の絵のよう。

「どこにも私の居場所なんてない・・・か」

 なぜか少し胸が苦しかった。

 きっと一番の友達のアリスを陛下に取られちゃった、そのせい。

 きっと、そう・・・・・・・・・それだけ。

 でも・・・とアエネアスは優しい気持ちで笑みを浮かべる。

 この風景はいいな、と思った。

 二人だけの優しい風景、誰一人割り込むことのない光景。永遠がそこにはある。

 そう、悪くない。いつまで見ても、きっと飽きることのない絵。

 ・・・たとえ自分が絵の外にいるのだとしても。


「戻りましょうか」

 月を眺めて考え込む有斗にアリスディアがささやくようにつぶやく。

主賓しゅひんの陛下がおられぬのでは、パーティーも台無しです」

「う・・・うん」

「じゃあ一緒に行こう」

 有斗はアリスディアにそっと手を差し出した。

「まぁ」

 彼女は袖を口に当てて微笑む。

「光栄です陛下」

 本当に華麗だ。物腰の柔らかさといい、貴族の令嬢と言っても誰も疑わないだろう。存在自体が有斗の癒しである。

 彼女の手を取ってスロープを歩む。

 と、樫の大木の下にアエネアスがニヤニヤしつつ、腕を組んで立っていた。

「面白いものでも見れるかと思ったんですけどぉ~」

「な、ななななんだよ? それっ?」

「ちゅーとか押し倒すとか」

「ししししししないよっ!!」

「おやおや~なぜどもるんですか~? ひょっとして見逃したかな~? もう事後とか♪」

「みみみ見逃してななない!」

「ますます怪しいぃ~」

 アエネアスは顔を近づけると、有斗とアリスディアをジト目で何回も見回す。

「・・・・・・っ」

 ぷっとアエネアスが吹き出す。

「うそうそ。冗談ですよ、冗談。そんな顔しないでください」

 アエネアスは有斗の肩を二、三回、軽く叩いた。

「陛下にそれくらい度胸があれば、私たちとしても、いろいろと頼りがいがあるんですけどね」

 アエネアスはくるりと回ってアリスディアのそばに行き、耳打ちする。

「でも気をつけてよ、アリス。陛下は完全にアリスのこと狙っているよ」

 だがその声は大きかった。明らかに有斗の耳に入るに必要な大きさにしていた。

「まぁ・・・」

「ち、違うから!」

「あれ? 陛下はアリス程度じゃ眼中に無いっていうんですか? ひどいです、陛下! 後宮を探してもアリス以上の女性なんていませんよ!」

「そ、そういう意味じゃなくって! 僕じゃ釣り合わないって思ってるよ、高嶺の花ってかんじで!」

「ほっほぅ~謙虚なお言葉ですなぁ♪」

 アエネアスは再び有斗をジト目で上から下までなめまわす。

「まぁ」

「光栄です、陛下」

 先ほどとまったく同じセリフだったのに、ちょっと声音は違っていた。

 ・・・やっぱり迷惑なんだろうなぁ、と有斗は落胆する。

 後宮の高官、性格がよく、器量だって後宮でもトップクラスだ。こんな娘だもの彼氏の一人もいないとおかしいもんなぁ。アリスディアの優しさは誰にでも与えられる優しさであって、僕だけに向けられるものではない。そこんところ自覚しとかないとなぁ。

 有斗は悲しく、自分自身にそう言い聞かせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る