第52話 綱紀粛正

 関西かんせいと関東は厳密に言えば今も戦闘状態にある。

 元は第二十代昏帝死後の大混乱期に、同じ武帝の血を引く二人の男が王位を争ったことが戦国の世の始まりだった。

 男系で言うと後の関東王朝の始祖、荘王が継承順位は上だったが、母が第十八代景帝の娘だったことで血統的に近い後の関西王朝の始祖、懿王いおうが自分こそが正当な王位継承者であると主張したことからこの戦乱は始まったのである。

 つまり戦乱の焦点は、皇女に王位継承権は存在するのか? ということだった。

 互いが互いの王位を認めぬ以上、どちらかを排除するしかない。血で血を洗う戦いが繰り広げられた。

 やがて懿王一派は敗北し、当時は関東より貧しかった関西に退避して独立を図った。

 それから長い月日が流れ、何人もの王が交代しても戦争は続いていた。

 とはいえ難攻不落で知られる鼓関こかんは関西に握られており、基本的には関東の混乱に付け込み関西が出兵するという形であった。

 しかし関東が戦乱で荒れ果ていくと、関西の朝廷は関東を飲み込み統一するということになんら意義を感じなくなり、大体が新王が即位したときに申し訳程度に兵を出して小競り合いをし、それを大勝利と喧伝して国威を発揚する材料に使うのが関の山だった。

 鼓関はこの国を南北に分かつ朱龍山脈に大河が穿うがった東西を繋ぐ唯一の回廊である。幅は狭いところでは500メートルもない。それも二本の川込みでだ。そこを塞ぐように関東側に二枚、関西側に二枚、南北に高い石造りの壁を作り、その真ん中に関となる巨大な門が設置されている。塀は高く、外の壁は五メートル、内側の壁にいたっては七メートルもある。少々の軍隊などこれが跳ね返してしまうだろう。

 現にこの関は数十年にわたり、関東の将士を幾度いくたびも撃退してきた。

 壁に跳ね返されて骨となった兵士は千や二千ではきかないだろう。

 もちろん撃退したのは当然、守備兵がいたからである。壷関城の駐留兵は常時一万の大兵を擁している。関西の防護壁としての役目のほか、東西の流通をも検問しているため人数は多い。

 関東と関西、戦時中と言うことを考えれば交易など許可するべきではない。

 だが関西は元来、畿内や南部に比べて貧しい地、東西の貿易は関西に大きな利を生み出すのだ。朱龍山脈からは材木や薬草、特に霊芝れいしなどのきのこ類は関東でも珍重される。両者共に益がある。止めるわけにはいかなかった。だから許可を受けた決められた商人しか通れないことにはなっている。

 とはいえ油断は禁物だ。関東の間者が紛れ込むかもしれない。そのための検問だった。


 その日、壷関城は三期十二年勤め上げたコルネリウス伯に代わり新しい城主を迎えた。

 黄門侍郎こうもんじろうにして安東将軍、従三位バルカ卿である。

 バアルと言えば、王家にも繋がる由緒正しい、関西きっての名門貴族バルカ家の現当主である。王女の信任も厚く、ゆくゆくは王配に選ばれるのではないかとの声も高い。関東に対する鎮、壷関の主将と言えば重職ではある。だがそれに就任するということは王朝の中枢から外れるということでもあった。政変の前触れか、などと穿うがった見方をする者も多かった。

「今度来る将軍は大物だ。いや、大物過ぎる。」

「しかも留任した副将軍は左府派の人間だ。普通は副将軍には気心のしれた者を新任するはずだ。政敵一派を入れるなんて考えられない。実際はバルカ卿は左遷で、その目付けとして副将軍が留任したということは考えられないだろうか? わからないだけで実際は既に京で政変があったとかか?」

 その言葉に答えられる者は誰もいなかった。だがわからないから余計に不安が彼らを襲う。

「関東で嵐が吹き荒れている、今この時に内紛などしている場合じゃないだろうに・・・」

「関東の将士が河北に侵攻したと聞くぞ。天授の儀で来たという関東の王はやはり・・・本物なのでは?」

 うっかり口を滑らしたその男の口を慌てて仲間が塞ぐ。

「しっ! 関東のは偽王だ! めったなことを言うな。反逆罪でぶちこまれるぞ」

「だが河北を平らげたら、次は・・・ここかもしれん」

 兵士たちは急展開を見せる関東の情勢にピリピリしていた。

「なぁにこの壷関があれば関東勢十万が攻め寄せても跳ね返せるさ」

 そう暢気のんきに老兵が言うと、少し場は明るさを取り戻す。そうだこの壷関は数十年にわたって関東から攻め寄せてきた大軍を全て叩き返した難攻不落の城塞。例え関東の王が天与の人であろうと決して落ちることはないだろう・・・


 左府は副将軍のクィントゥスという自分の腹心を留任させた。それに対してバアルは特に反対もせず受け入れる。

 クィントゥスは御史大夫ぎょしたいふの下で京中の武装盗賊退治を指揮した実績もある。武官としてはまずまず名の知れた人材であるから、バアルとしても拒む理由はなかったのである。

 それにバアルは左府が何かを企んでいようとも、その全てを防いでみせるという、己の能力に絶対の自信を持つタイプの人種でもあった。

 バアルが壷関に来て、まず驚いたことは兵の風紀の乱れだった。

 公然と賄賂を取り、関の内部に東西の商人を無断で入れ、関所内で商人同士の市が開催されるほどだった。

 さすがに無許可の人間に関を通過させることはなかったけれども、それでも安全面を考えると問題がある対応だ。

 他にも経理や管理の徹底が甘く、帳簿と金庫の金とが一致せず、倉庫にはあるはずの武器や兵糧が無く、なぜか無いはずの酒など不必要な品が大量に積まれていたりした。

 こんな有様でよくもまぁ長年関東の侵攻を防ぎきれていたものだ、とバアルは壷関の堅牢さを再確認する始末だった。

 兵を鍛え直さなければならない。早急に。


 城主の椅子に座るや、バアルは旅長以上の指揮官と、少監しょうげん以上の文官を全て集めた。まず軍官には明後日にさっそく訓練を開始すること、許可の無い者の関への立ち入りを防ぐことを厳命した。次に文官にも官吏の勤怠きんたいをしっかりさせること、塞の現状と帳簿との乖離かいりを修正し提出させること、これ以降の帳簿での物資の管理を徹底させることを厳命した。

「承知いたしました!」

 声だけは素直にバアルに返答をした彼らだったが、腹の中でははらわたが煮えくり返っていた。

 生まれだけで高位についただけの若造がえらそうに、前線で命を削っているのは我らだ、これくらいいいではないか、というわけだ。

 顔だけはにこやかに精一杯表情を作っている彼らにバアルは愛想よく笑う。

「君たちから賛同を得られて嬉しい。大変だとは思うが、さっそく作業に掛かってくれ」

 できるもんか。邪魔をしてやる。ぐちゃぐちゃにしてやる。完全にバアルに対して反感を持った彼らは心の中で大きく舌を出す。

「では今日はこれくらいにしておきたい。解散」

 彼らが出て行った後、側にいる書記官を退席させ、一人きりになったバアルは木製の椅子にもたれかかった。

「ふん。面従腹背か・・・一度その鼻っ柱を叩き潰さないといけないようだな」

 彼らが演ずる下手な芝居などバアルはあっという間に見抜いていた。

 この俺相手に演技で誤魔化ごまかそうなんて百年早い。そう、彼ら以上の役者ともう何年も付き合ってきたのだ。

 俺が姫陛下の演技に何年付き合ってきていると思っているのだ。


 翌々日、宣言通りに朝の半刻はんとき(朝十時)に全軍を軍事訓練の為に召集をかけた。

 だがやる気のあるのはバアル一人だけだったと言ってもよいだろう。

 指揮官たちの意識が乗り移ってか、兵たちが組んだ隊列は崩れており、てんでバラバラ。彼らも知っているのだ。この新参の城主様は彼らにどうやら面白くないものを押し付けようとしているということを。

 お偉いさんだかなんだか知らないが、今まで上手くやってきた俺たちの場所を勝手に変えようなどとはとんでもない野郎だ。前線で命張っているのは俺たちなんだ。京でぬくぬくと育った温室育ちに俺たちのなんたるかが僅かでもわかってたまるものか。

 そういう雰囲気がびんびん伝わってくる。


 その様子を城主の間の窓から見て、これは締め上げないとモノにはならないな、とバアルは思った。

 まもなく巳の反刻になります、と軍監がバアルに告げる。

「そうか」

 剣と共に兵符をつかむと、華美な官服ではなく将軍の地味な鎧姿で表に向かった。

 バアルが表に出てきても、雑談を止めることなく、隊列を整えることも無かった。これが精鋭を持って知られる壷関の将兵というのか。風紀の乱れは兵士たちを兵士たること為し得ないところまで来ていたというのか。


「安東将軍の御出座!」

 角笛と太鼓が響き渡り、一段高くなった台にバアルは上って将士を見渡す。

 敵意のある視線がバアルに何本も突き刺さった。だがそれを一向に気にせず諸隊の隊伍を見る。どれもこれも戦場では使い物にならない乱れきった列だった。

 さてどうするか、とバアルは考えると、まず一番隊伍が酷い隊を指差したずねた。

「この隊の旅長は?」

「私です将軍閣下」

「少し列が乱れているな」

 旅長はわざとらしく後ろを振り返ってみせる。

「・・・そうですか? 私には並んでいるように見えますが」

 バアルは列が著しく乱れている一隊を指差す。

「そこが他列に比べても酷い。並び直させよ」

「あれくらいかまわぬでしょう」

「卿は敵前を前にあんな隊伍を組むのか?」

「まさか! そんなこと私が許しませんよ。殴ってでも綺麗に並ばせます。それにその時は彼らも真面目に組みますよ。彼らは関西の精鋭なのですから」

「なるほど・・・ということは私の命令が不明確だったのか。命令が不明確で徹底せざるは、将の罪なりと言う。私の責任だな」

「そんなおおげさな」

 バアルは真面目な顔をわざとらしく作ると旅長に重々しく命令を下す。

「旅長に命ず。戦場と思って兵士たちをもう一度並ばせよ」

「いや、だから・・・いいではないですか。初日からやらなくても。着任早々ですから舐められまいとする気概は十分分かりますが、そこはゆるりと行きましょう」

 もともとが若いバアルに恥をかかせて面目を失くさせるのが彼らの目的だ。言を左右にしてバアルの命令など完全に無視する。

「軍監!」

「ここに!」

「命令が既に明確なのに実行されないのは、指揮官の罪なり。旅長の罪はどうなる!?」

「戦場での命令違反は打ち首、そうでない場合は棒叩き十回!」

 棒叩き。言葉を一見するといかにも軽い刑のようだが、実際はそうではない。叩く棒は硬い木が使われており、叩くのは決まって剛力の大男だ。本気で叩けば、服の上から叩いても三回で皮は裂け出血し、十回も叩いたら障害が残っても生きている者は幸運なほうで、死ぬ者も出る重い刑罰である。実際はそこは手加減して叩いたことが多いようではあるが。

「なんだと!」

自分たちの旅長を刑しようとするものは許さないとばかりに一斉に騒ぎ始める兵士。だがバアルはひるまない。

「それ以上騒げば、旅隊全てが反乱したとみなす」

「反乱罪はどういう刑が処される?」

「首謀者は串刺しの刑。それに従ったものは程度によって刑が変わります。死罪から営倉入りまでとなっております」

 その高圧的な姿勢に兵たちは一層激高し、一瞬にして現場は一触即発の雰囲気になる。

「ははははは」

 笑い声と共に現れたのはクィントゥスだった。

「バルカ卿、全将士と顔を合わせる初日ではないか、やる気があるのはわかるが、その程度にしておけ。兵が萎縮いしゅくしてしまうではないか」

 殺気立つ兵とバアルの間に入って互いをなだめるように話した。

 クィントゥスは理解力のある頼れる上官として兵士たちからも慕われていた。それに彼らとに付き合いも長い。

 だから新将軍と将士の間を取り持ってこの事態を収めようとした、かにみえるがそれは正解じゃない。

 将軍の命令を聞かぬ将士らを副将軍が見事に収めてしまう。そうなればここにおけるバアルの権威は失墜する。以降、ここの将士は将軍の命令など聞かず、副将軍の命だけを聞くようになることだろう。その為に旅長らと図ってこの事態を演出したのだ。そのほうが彼も旅長も兵士も、なにかと後々便利になるであろうといった考えからだった。

 王都にいる左府殿も政敵のつまずきをもたらしたクィントゥスの功を褒めてくれることであろう。そんな計算があった。

 だがそんなクィントゥスにバアルは一瞥いちべつをくれると、

「軍監!」と、大声で叫んだ。

「ここに!」

「指揮官が軍令に背き、約定の時間に到着しなかった場合はいかに?」

「それによって味方が敗れたときは死罪、そうでない場合は流罪となっております!」

「だそうだ。何か言いたいことはありますか? 副将軍殿。私は巳の半刻と言いましたな」

 優位に立っていると思ったクィントゥスは突然のバアルからの口撃に慌てふためいた。

「ば・・・馬鹿な! そんな時代遅れな軍規を馬鹿正直に守ってる者がどこにいるというのか!? 馬鹿馬鹿しい!」

「ということは今までもこういうことはあった・・・と自ら認めることになりますが、よろしいか?」

「い、いや・・・! そういうわけでは」

 慌てて口ごもるクィントゥス。

 だがさらにその心胆を寒からしめる言葉がバアルの横にいる軍監から発せられた。

「軍律を時代遅れと否定したことは、祖法に対する不敬に当たります」

「不敬罪、それもサキノーフ様に対してか・・・重罪だな」

「はい。重度のものならば一族皆殺し、軽度のものでも死罪となっております」

「ということは死罪、か。ご家族を巻き込まぬよう、微力ながら私も朝廷に口ぞえいたしましょう」

 バアルはクィントゥスに対して深々と揖礼ゆうのれいをした。まるで既に棺桶かんおけの中に入った戦死した将士をいたむかのような丁重な礼だった。

「連れて行け」

 バアルが西京から連れてきた兵に命じてクィントゥスを拘束しようとする。

 と、あまりのことに呆然と成り行きを見守っていた者たちもようやく我に返った。

「もしクィントゥス様に手を出しやがったら只ではおかんぞ!」

 一人の旅長が声を荒げて叫ぶと、

「そうだそうだ!」と、同時にあちこちから不満の声が上がった。

「これを見て物を言うがよい」

 バアルは右手に兵符を持ち、兵たちに突き出し見せる。

「例え君主といえども軍の中では兵符を持つものに従わなければならない。忘れたか?」

「それがどうした!」

「兵符に逆らったものは敵前逃亡とみなされ死罪である。それも親兄弟妻子全て含めてだ。そこまでの覚悟が出来ているのなら、逆らうが良い。それも隊伍の組み方と一緒に忘れてしまったとでも言うのか!?」

「クィントゥス様は左府様の信任篤しんにんあついお方。貴様! 左府様が怖くないのか!」

「国家から兵符を預けられ重任を背負っているのは誰だ? 私か? 左府か? それとも卿か?」

「・・・っ」

「わかったようだな。そうだ私だ。いくら左府でも軍権の前に立ち塞がることはできぬ」

 バアルはアゴでクィントゥスを連れていくようにうながした。

「連れて行け。処刑しろ」

 そう横を向いたところだった。

「うわあああああああああッ!」

 奇声をあげ、旅長の一人が剣を抜くと、バアルに斬りかかったのだ。

 バアルは振り返りながら、ステップを踏んで剣をかわす。

「見事な忠誠心だ。敬服するぞ」

 そう言うと、一刀の元にその向こう見ずな旅長を両断した。

 旅長は首と胴が離れ、帰らぬ人となった。一体の死体が転がるばかりである。

 見事なまでの立派な忠臣だな。そうバアルは思った。将軍わたしを殺したなら、いくら左府が弁護しようとも処罰は免れない。自らが死刑になるのを覚悟してクィントゥスの為に殺そうとしたのだ。

「さて」

 全身にかかった血しぶきを拭いもせずに兵たちのほうに向き直ると、剣を勢いよく大地に突き立てる。

「他に反対するものはおらぬか!?」

 先ほどまでのざわめきが嘘のよう。息を呑んだように静寂が場を支配した。

 もはやそこにいる全ての者がバアルの気迫に飲み込まれていた。

 ぐるりと兵を見回したバアルは

「おらぬならよし、だ」

 と、鷹揚おうよううなずく。

「全隊、再整列!!」

 バアルがそう叫ぶと一斉に動き出した諸隊は見事なまでに整った隊伍を組んだ。曲がっている列も、はみ出ている者もいない。

 その兵たちに懇々こんこんと今の危機を説明する。

「関東には武断の王が立ち、ここ壷関の関西における重要性はますます高まっている。今までのように関東が内部抗争に追われ、壷関が安全だった時代は過ぎ去ってしまったのだ。今日明日にも敵が攻めてくるかもしれない、そんな時代なのである。諸君には色々不満もあろうが、規律には従ってもらう。これは諸君の為でもあるのだ。規律のゆるんだ軍など戦う前に敗北したも同然なのだから」

 そう、バアルにとっても生き残るためには、勝利するためには規律正しく命令に従って動く軍隊が必要なのだ。

「そして、だ。いいか諸君。ここは前線で、私は将軍で、諸君は兵士だ。諸君は私の命令にも有無を言わず従わなければならない。なぜなら軍隊は将と兵がいて初めて軍たりえるのだから。諸君の使命は将の命に添って敵を打ち果たすことであり、私の使命は諸君の命を預かり策を立て、敵を撃滅することにあるのだ。私は全身全霊をもって国家の為に身命を賭す所存である。願わくば諸君も国家に対する義務を全うすることを期待する」

 兵たちが粛然とする中、バアルの声だけが力強く響き渡った。

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