第50話 淑女
王都に戻ればいつもの有斗の日常が再会された。
太陽の登りきらぬ早朝から眠いのに、朝からテンションの高いアエネアスに叩き起こされて剣の鍛錬、御飯、朝会、上奏、有斗の警護など放っておいて、すやすやと器用に座ったまま眠るアエネアスを横目でにらみながら、アリアボネから回ってくる山積みの書類に判を押す、おやつ、アリスディアとおしゃべり、アリアボネから急な案件についての相談、御飯、残務処理、一人で寂しく就寝。それが有斗の日常である。
そんなアリスディアとの何気ない会話のひとつから、それは始まった。
「そういえば・・・そろそろ明後日の舞踏会の準備をしなければなりませんね」
「ぶとうかい・・・?」
「はい、毎年霜月(十一月)に行われる宮中の年中行事のひとつです」
「年中行事って何?」
「これは失礼を・・・! そういえば陛下が来られてからいろいろありましたから、年中行事をまだ一回もしておりませんでしたね。年中行事とは宮中で毎年特定の時期に行われる行事のことです」
学校で言うところの体育祭や文化祭、修学旅行とかいった類のやつなのであろうと有斗は理解した。
「ふうん・・」
有斗は興味なさげに
「もちろん
せっかく陛下が王城におられることですし、とアリスディアは有斗に笑いかけた。
「え!?」
「陛下に合う服を新調しなければなりません。ささ、採寸いたしましょう!」
有斗はわけがわからぬままアリスディアに体中のサイズを採寸された。
なんと翌日にはその服は完成していた。後宮の
それを着て有斗は一言、
「派手じゃないかな、これ?」
王になってから他人に気を使う話し方にも慣れたのか、有斗にしてはだいぶオブラートにつつんで言ったにもかかわらず、言葉の端々に本音がにじみ出るほど、その衣装はものすごい派手だった。
もちろん派手な服でも似合う人はいる。だから本当の問題はそこではない。
「派手と言うか・・・陛下にはあまりお似合いになっておりませんね」
と、アエネアスは有斗をちらちらと見ては、その度に噴き出そうになるのを堪えて、横を向いて真っ赤になって震えていた。実に失礼な奴だ。
「そんなことはありません。お似合いですよ、陛下」
と言うアリスディアだったが。声を出さないまでも口元は明らかに笑っていた。
服のことはまぁいい。どうせ何を着たって似合わないことは有斗だって自覚済みだ。我慢する。それより他に重大な問題があるのだ。
「あとさ、舞踏会って踊る奴だよね。僕、踊ったことなんかあまりないんだけど?」
中学のとき林間学習でフォークダンスを踊ったっけ。
ん・・・まてよ? 何か脳の片隅に引っかかるものが・・・
たしか焚き火の前で女の子と手を繋ごうとして・・・それから・・・
あっ! これ以上は思い出さないほうがいい! そういう臭いがプンプンする! 有斗は慌てて林間学校にまつわる全ての記憶を思い出さないように脳の奥深くにしまいこむことにした。
気乗りしない様子の有斗に気を遣ったのか、
「では、わたくしと踊って練習いたしましょうか? 陛下にはわたくしなんかが相手だとご不満もありましょうが」
アリスディアが謙虚にそう言ったので、有斗はあわてて首を振る。
不満なんてない! あるわけがない!
アリスディアは微笑みで応えた。
「さ、お手を」
と、言うので差し出された小さな手に、そっと有斗は自らの手を重ねた。
小さくて柔らかい・・・有斗が手をしっかりと掴んでも、アリスディアはにこやかに微笑むだけ、有斗に対して一切拒否反応を示さない。
林間学校のときのあの女子ときたら・・・!
いや、いかんいかん。苦い記録は全て忘却の彼方に沈めることにしたんだった。思い出してはいけない、と有斗は気を取り直す。
「もう少し近づいてください」
踊るには距離が近いのか、アリスディアは有斗の手をそっと引き寄せる。
「う・・・うん」
一歩アリスディアのほうに近づくと、アリスディアの髪の毛から、たちまちいい香りが漂ってきて、有斗はくらくらとした。
「まずはわたくしの動きを見て、陛下は合わせるだけで十分です」
よく考えると結構な無茶ぶりだったのだが、有斗はすっかりアリスディアの髪の匂いに意識を取られてしまい、安請け合いしてしまう。
「うん」
「まずは足の動きを合わせることにお気持ちを集中なさると良いと思います」
「こ、こうかな?」
有斗はアリスディアの言葉に倣って、アリスディアの足さばきになんとか合わせようと足を動かしてみる。
といってもそこはトロい有斗のことである。
「あ・・・!」
尚侍の長い着物の裾をうっかりと有斗が踏んでしまい、アリスディアのバランスが崩れて、有斗に覆いかぶさるように倒れこむ。アリスディアの全体重が有斗に不意にのしかかる。
軽いとはいえ、人一人分の体重がかかったのだ。有斗のヒョロ腕では支えきれず、二人とも大きな音と共に倒れこむ。
「申し訳ありません! 陛下! 大丈夫ですか!?」
有斗を下敷きにする形になったアリスディアは、不敬であるとばかりに慌てて有斗の胸から顔を離す。有斗にしてみれば小一時間くらい、その体勢でいて欲しいところではあったのだが。
「アリスディアこそ怪我はない?」
「はい。陛下のおかげで。陛下こそお怪我は・・・?」
「大丈夫さ。アリスディアに怪我が無くてよかった」
と心配してみせる表面的にはたいそう紳士的な有斗だったが、その時、有斗を捕らえていたのはまったく別の感情だった。
くっ・・・ハーレム系ラノベなら確実に僕の手はアリスディアの胸を触っていたはずだッ・・・! もしくは顔の上に弾力感のある胸の例のアレが乗っかってるって展開だったはずッ!? きっと挿絵なんかも間違いなく挟まれる、いや場合によっては巻頭のカラーに載っちゃうような重要イベントだろ、こういうのは!?
何故だ!? 何故、僕の手はアリスディアの胸をキャッチするように掴まなかったのだッ!? 合法的にセクハラが出来る絶好のチャンスだったのに!!
でも・・・
でもこれはこれで悪くないな・・・体全体でアリスディアの柔らかな肢体を感じることが出来るこの状況はなかなか体験できるもんじゃない!
と幸せに浸っていると、
「もう、アリスったら! 陛下を下敷きにしちゃだめでしょ! 大丈夫ですか、陛下!?」
とアエネアスがアリスディアの腕を取って、その馬鹿力でもって有斗から引きはがした。実に余計なことをする女だ。
有斗が身体に残っているアリスディアの名残を惜しんでいると、「陛下ってば、なに悲しそうな顔してるの?」と罪のない表情で見つめてくる。
「まぁアリスは踊りがあまり得意じゃないし、尚侍の正装は動きづらいもんね。今回は私が陛下の練習相手になってあげます! 特別ですよ!!」
「ええ!? 僕はアリスディアがいいよ!」
アエネアスが教師だと、剣術の稽古みたいにスパルタ式に訓練すること確定だと思った有斗は拒否って見せた。
「なぜ断るんですか。私じゃ不満だって言うんですか」
アエネアスは自分が拒絶されたと感じて、顔いっぱいで不満を表していた。
「いや、不満というかなんというか・・・だいたいアエネアス踊れるの?」
剣術だとかならともかく、アエネアスがドレスで着飾ってお淑やかに収まっている姿は想像できない。疑わしそうな目で有斗はアエネアスを見た。
「へへん! 私はダルタロスの女としてどこに出しても恥ずかしくない教育を受けているんです。舞踏会などお手の物なの!」
「・・・・・・」
有斗はその言葉を微塵たりとも信用できなかった。
そんな有斗を無視して、アエネアスはいったん場を離れていたアリスディアが持ってきた女性用の衣装に、奥の部屋で着替え始める。
「私は運動神経が良いから、アリスみたいにうっかりと陛下を押し倒したりはしません! 陛下には残念なことかもしれませんけど」
どうやらアエネアスには有斗の下心はまんまと見抜かれていたらしい。
「アエネアスには押し倒されたくないけど・・・」
なにしろアリスディアと違って怪力女のアエネアスは筋肉だらけである。きっと思いに違いないと有斗はぽつりと呟いた。
「陛下、なんか言いました!?」
有斗の独り言に対して、アエネアスが向こうの部屋から大声で叫び返してきた。
アエネアスは難しい話と都合の悪いことは傍にいても聞き流すくせに、自分の悪口にだけは反応する、実に都合のいい地獄耳の持ち主のようだった。
準備が終ったアエネアスが奥の部屋から出てきた。
「・・・」
有斗はそこに現れた、アエネアスの意外な姿に口をぽかんと開けた。
アエネアスは肩や胸もあらわに黒を基調としたドレスを身にまとってる。それが赤い髪に実に映える。その髪も普段と違ってアップにしてるから印象がまるで違う。
寄せてあげてるのだろうけど、強調された大きな胸に、目のやり場に困るくらいだった。
現れたのはドレスを着た美しい淑女。どこからどう見ても完璧な貴族の淑女。
アエネアスだとは信じれない。
「・・・なに」
「いや・・・アエネアスって、やっぱり貴族のお姫様なんだなぁって」
ドレスが
「むぅ・・・ひっかかる言い方だなぁ」
「いや、単純にほめてるんだよ?」
「そうですか?」
アエネアスはドレスの端をちょんと持って可愛らしく首をかしげた。
可愛いと思わず思った。有斗はこんな可愛く女の子らしいアエネアスを見たのは初めてだった。
「似合ってます?」
「う、うん似合ってる。とても」
有斗は視線を合わせないように目をそらした。なんでドキドキしてんだろう、これはいつも傍にいる、あのアエネアスなのに。
「見違えた。すごい綺麗だ」
「・・・そ、そう? あ、ありがとうございます、陛下。嬉しいです」
有斗の言葉が意外だったのか、目を伏せ視線を逸らし、赤くなって恥ずかしげにうつむいた。ああ、いつもこんなふうに可愛らしいアエネアスだったら最高なのに。剣の練習も何時間でもできる気がする。
そんなことまで思い浮かぶ始末だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます